十二氏族の来襲 ③
ペルラの背が遠ざかっていく。
土煙が漂う中、ティアはベルを引っ張り出した。
戦ってはならない。そう直感するほどに相手は強大だった。今まであった強者、ハンムックやグレゴリーとも全然違う。どんなレムレスも比肩にならないくらいの強さだ。
「ペルラさん!」
叫ぶように言うが、ペルラは止まらない。銀の髪をたなびかせながら男の眼前にまで迫る。
ペルラが剣を振り上げる。凄まじい速さだ。修練でも見たことがない。
だが、剣は空を切った。
「ぐうっ!」
蹴脚が足元から飛ばされ、ペルラはまともに胴で受けた。彼女の体が高く跳ね上げられる。気づけば彼女は数十メートル上空だ。
男が一瞬でペルラの前に来る。軽く跳ねようにティアには見えた。だが、1秒も満たない時間で追撃に入っていた。
男はすでに剣を振りかぶっていた。
男の眼が光っている。ギラギラとした黒い瞳が赤みがかっていた。
ペルラを両断する気か。いや、それよりなぜ彼と目が合っているのか。
「障壁魔法!」
両手で障壁を展開する。次の瞬間、男が剣を振り抜く。
風。嫌な予感が全身を駆け巡る。
「グレイスちゃん!」
背中に強い衝撃。ベルがティアに体当たりをしていた。
前のめりに二人は転倒する。同時に、冷たい風が指に走る。
「うっ……! ベルさん、起きて下さい……!」
「うん。あれ? グレイスちゃん、それどうしたのー?」
ベルが指差す。まだ何も違和感はなかったが、それを見てティアは目を見開く。
中指の爪の部分がない。その断面からは肉と骨が露出している。
痛みはまだなかった。これから激しくなるのだろう。それは耐えられる。
だが、障壁魔法の上半分が切り取られている。透明で目視し辛いが、転倒したことで魔法が発現している部分に土が付着していた。その上半分が何もないように綺麗だった。
ベルに幸い怪我はなかった。彼女がいなければ、腕ごと上半身を両断されていただろう。
「避けろ!」
どこからか声が聞こえた。だが、確かめる余裕はなかった。
「負荷魔法!」
ベルを連れて前に走る。自分たちがいたから次々とくり抜かれるような音がする。
振り返って状況は確かめられない。だが、地面がえぐられているのだろう。
そうすると、一つ分かったことがある。
男は剣を振ることで、斬撃を飛ばす。だから、軌道上にいたものが両断されていった。
つまり、背後の地面がえぐられているということは、男はまだ空中、あるいは高みにいる。
ティアはアンの動きを思い出す。ゲタイとの模擬戦で見せた兎のような動作。直線的にならず、ジグザグと移動する。切り替わる瞬間を狙われないよう、跳躍も挟む。
なんとか攻撃を外していく。だが、魔法の効果が切れそうだ。負荷魔法は長く持続できるような魔法ではない。
「グレイスちゃん! ペルちゃんが!」
ベルの声。他の音を聞く。斬撃の雨は止んでいる。
付近の倒木の陰に隠れる。
「はあっ……はぁ……はぁ……」
魔法、更には流動がなくなる。全身が痛み出す。指からも血が噴き出る。
息を整えつつ戦況を確かめる。
ペルラと男が地上に降りて、戦っている。
その戦い方は特殊だ。一撃を放つと、近くの倒木に隠れる。そして、別の場所から現れて一撃を加える。これを繰り返している。
男の剣が巨大なことがその戦術を助けている。凄まじい速さで振ってはいるが、まだ目で捉えられる範囲だ。その時間を一瞬たりとも無駄にせず使えれば、ペルラはあのように動ける。
ペルラに大きな怪我はない。だが、男は無傷だ。
すぐに助けに行かなければならない。
「……ベルさん、時間を稼ぎます。……逃げて下さい」
次の呼吸で行く。ペルラが脱出するだけの隙を作る。
だが、ベルが手を握ってきた。小さいが強さのある手だ。
「やれることやらせて! みんなで帰ろう!」
「……分かりました。援護を、お願いします……!」
赤いリボンの少女の顔がいつもより大人びて見えた。
ティアが生唾を飲み込む。災厄の只中に飛び込もうというのだ。見極めが最も肝心であった。
深く息を吸う。男がペルラの動きに合わせてきているように見えた。今、彼の意識は彼女に割かれているということだ。
一瞬の静寂、男が剣を構える。
「行きます……! 追風魔法!」
「共有魔法!」
足元から勢いよく風が起きる。ティアとベルの肉体は宙へと浮き上がった。
男の背中を捉える。彼の周囲の霧は晴れていた。力を常に使っているのだろう。
「ふーっ! 負荷魔法! 水竜魔法!」
瞬時に巨大な水球を作り上げる。直前の強化によって霧の集約速度、量の最大値を上げた。
男に向かって投げつける。速度は緩慢だ。だが、彼ほどの猛者ならばまともに受けには回らないだろう。
ティアは斜め下に体を向ける。
「追風魔法!」
横目で男の姿を追っていた。彼と目が合った。一瞬の反撃が来る。
二人の体が勢いよく下方に向かっていく。直後、甲高い音が後方を通り過ぎた。
男は回転していた。そして、円を描くように周囲に斬撃を飛ばしていた。
だが、水球を切り裂いた。二つに分かれた球は、切り口から水を溢れさせる。やがてそれは洪水のようになり男に覆い被さった。切断しても、水は多ければ再生する。
「共有魔法……! グレイスちゃん、前! 前!」
地面が迫る。目の前に向かって魔法を。
もう一度風を起こそうとした時、何かがティアたちの体を掴んだ。
見慣れた銀の髪が視界の端に収まる。
「ペルラさん!」
まだ空中に浮いている。地面は目の前だが、ゆっくりと距離が詰まる。だが、また遠ざかっていく。
三人は方向に飛んでいた。ティアとベルはペルラに担がれている状態だ。
「逃げるよ」
「……はい! お願いします……!」
ペルラの後方からは水の波が迫っている。先ほど、男に放ったものだ。
逃げる、そう言ったのは倒したという確信がないからだろう。ティアも同じ感覚を持っていた。
だが、足止めにはなっているはず。そう考えた。
その時、大気が歪んだ。
いや、空間がパズルのように線が入っている。それも無数に。
直感を得るよりも先にティアは叫ぶ。
そして、波が弾け飛んだ。木々が粉微塵になり、死の風が彼女たちを襲う。
視界がしばらく無くなった。上下左右が分からなくなり、頭が揺れ続けた。
死んではいなかった。だが、現実とも思えなかった。
気づいた時、目の前にはペルラの体があった。隣にはベルだ。
自分は仰向けになっている。
立ち上がろうとした。だが、ペルラの体が重い。全身も激しく軋んだ。骨が何本も折れているようだ。
「うっ……グレイス、ベル、大丈夫?」
「なんとか……。ベルさん、ベルさん……」
聞こえたのかベルが頭を振る。大きな怪我はなさそうだ。この中では最も軽傷だろう。
なぜ、誰も死んでいないのか、ティアには分からなかった。
そう思うほど、凄まじい現象だった。
辺りを見る。地形が変化している。
身を隠せるような大きなものが全てなくなり、無数の傷が大地に刻まれている。
男は、真っ直ぐこちらを見ていた。
すでに剣を構えている。
「……まずいな」
「……障壁魔法」
男に向けて手をかざす。障壁が展開される。
切断された指の断面から血が噴き出す。
「グレイスちゃん……?」
ベルの小さな声、その手はティアの手を握り続けていた。
「お二人は……私が、守ります……! 魔力解放!!」
体が叫び出す。最後の手段だ。
体内に残留している魔力を搾り切る。それを全て障壁に注ぎ込む。
命すらもここに集める。
故に、次はない。故に、禁止された技術だ。
「グレイスちゃん! 共有魔法!!」
ベルの力が加わる。彼女も限界だ。
今の自分の量と考えれば、ごくわずかな魔力だ。
だが、暖かだ。一人ではない。その認識がティアの体を奮起させる。
男が剣を振るう。
壁、盾、それではダメだ。
ベルの魔力が暖かなように自身の魔力も別の力を持たせる。防ぐのではなく、他のやり方で。
あの斬撃は何でも斬る。あり得ない。だが、今はあり得る。
斬撃が障壁に到達する。
だが、両断はされなかった。金属がぶつかり合うような音が周囲に響き渡る。
ティアは歯を食いしばった。鼻や口からは血が流れている。筋繊維もぶちぶちと音を立てて切れていた。
もう腕を維持できない。そう思った時、ペルラがティアの腕を支えた。ベルも魔力を送り続けてくれている。
やがて、目の前の現象は消えた。障壁も展開を終えていた。
「…‥何……?」
男の顔色が変わったように見えた。
しかし、確証は得られなかった。
ティアは生きていることさえ分からなくなっていたからだ。
――この先は、彼女の意識が完全に途切れるまでの出来事である。
断絶を消し去られた。
しばらく、カルドは立ち尽くしていた。
やがて銀髪の少女が立ち上がって来る。
彼女は静かに剣を構える。握られている剣も肉体もボロボロだった。
不屈の精神、目の前の全員から感じられる。
妹は、本当にこの者たちに殺されたのか。感じられた魔力といいおかしな点がある。
「……私は、カルド・ボア。ボア族の首長。使徒を……倒す……!」
考えるべきでない。これは巡ってきた機会なのだ。
剣を横に構える。振れば、今度こそ終わる。
不意に、気配を感じた。高速で何かが飛んできている。
「させねえ……よ!」
黒色の何かが拳を飛ばしてきた。
その者ごと切り捨てる。カルドは勢いのまま振り上げようとした。
だが、予想より動きが速い。
一瞬の差だ。拳がカルドの頬を捉える。
隕石か、そう錯覚するほどの巨大な衝撃。体幹が捻じ切れるほどの威力。
上体が激しく後方へ吹き飛ばされる。
大地を激しく転がりながら受け身を取って立て直すも、すでに黒い暴風は懐に入り込んでいた。
腹部へ拳が飛ばされる。
最小の動きだ。だが、一族由来の岩のような肉体に拳がめり込む。
「ちっ、硬い……な」
舌打ちしているが、その拳に外傷はない。
魔力か。この者も使徒であるのか。
更に振り抜かれる。先の一発よりも強力だ。
胴体に拳が入る。勢いそのまま背中まで突き抜けようとしていた。
カルドは全身に力を込める。
腕は体表で止まった。隆起した筋肉ががっちりと腕を掴んだ。
蹴脚を放つ。魔力を込めた蹴りだ。
この一撃で終わる。
しかし、相手は思い切り体を引いた。
「くれてやるよ」
振り終わりを狙ってくる。
カルドは勢いのまま剣を振り回す。
しかし、斬撃は当たらない。周囲の地形は変化していくが、その少女は変わらず銀色の瞳を向けて来ている。
倒すまで手間がかかる。
犠牲も意に介していないようだ。
「アンリ! 助太刀する!」
遠方から声がする。増援か。
あの使徒を撒いてから時間がかかり過ぎている。これから続々と集結して来るだろう。
「マグナス・ドゥラメンテ! 推して参る!」
跳躍しながら少年が迫る。
剣を構えようとする。しかし、その隙をアンリと呼ばれる少女は見逃さなかった。
跳んだと思えば、一瞬で肉薄し接近戦に持ち込む。
あのペルラと呼ばれていた少女と同じ立ち回りだ。彼女とは違い、意識的にアンリはやっている。
やはり、これ以上戦うことに何の意味もないか。
そもそも、妹を亡くした時点で負けている。
少年が剣を振り下ろす。圧力はそれほどなかった。
「ぐうっ!」
肩を突き出して弾き飛ばす。
更に周囲の気配が増える。あの使徒の魔力も近づいて来ていた。
アンリの拳を外し、大きく跳躍する。
剣を構える。
そして、何千と斬撃を地表に飛ばす。
しかし、すでに使徒たちは到着している。この威力では誰かを斬り倒すことはできない。
土煙が上がる。力を抑えれば、霧も濃くなる。
カルドは空を蹴った。
やがて、誰にも見られなくなるくらいカルドは遠くへと飛んで行った。
――誰かの声が聞こえる。
ティアはまどろみの中にいた。
魔力が完全に尽きている。
何も感じられない。音も、臭いもない。何に触れているのさえ分からない。
だが、銀の瞳が見えた気がした。
「アン……そこにいるの……?」
そう口に出したような気がした。
魔力。ほんの少しだけ入って来る。
やっぱり、アンだ。
ちゃんと魔法使えるんだ。
微笑んだつもりだった。
いつの間にか、意識はどこかを彷徨っていた。




