修練の成果
――聖暦十九年、秋。
使徒育成計画始動から一年が経過。
候補者の脱落はないまま西方遠征を迎えようとしていた。
修練場の中庭で、二人が対峙していた。
棒を両手で隙なく構えるマグナスに対し、ティアは逆手で持っているような形だ。
マグナスが踏み込む。大柄な体躯が更に巨大に見えるくらいの圧力がある。立ち止まったままであれば、頭を打ち抜かれるだろう。
「負荷魔法!」
ティアの体が不意に軽くなる。半歩、体の位置を後ろへ下げて一撃を避ける。
振り終わりの瞬間に地面を蹴る。狙うは、胴体だ。
「甘い、障壁魔法!」
マグナスの魔法、彼の真正面の空気が変わる。何者も弾く透明な壁が形成された。
ティアは角度を変える。その範囲の外から潜り抜けて、マグナスの脇腹へ。だが、彼はすでに待ち構えている。
「障壁魔法!」
ティアも空いている手の前に壁を展開する。
マグナスが棒を振り落とす。しかし、その軌道は透明な壁の前で大きく変わり、ティアには届かない。
再び、ティアの手番だ。障壁を展開しつつ、左手を深く構える。
「障壁魔法!」
マグナスの守りもやはり展開された。堅実な立ち回りだ。攻めと守りを同時にこなせるようにしている。
しかし、二度目が来ることをティアは想定していた。
一瞬、障壁を解除する。
「追風魔法!」
ティアの後方から風が吹く。大した威力ではない。だが、これだけでも壁を維持させることに役立つ。
「火炎魔法」
追加の魔法、手のひらから現れた火炎に風を浴びせるとその方向に飛ばされる。
しかし、マグナスの障壁が火を抑え込む。その時、ティアは大きく跳躍していた。
魔法によって強化されたことで、脚の筋力と体力が大きく向上している。後は、想像の力が彼女の行動を後押しするだけだ。
アンの動き。それが最も簡単に考えられる手本であった。
マグナスの頭頂部が見える。彼は、まだこちらの位置に気づいていないようだ。
「障壁魔法、追風魔法!」
再度の展開、同時に頭上から風が吹く。先ほどのものよりも強い風だ。
壁が風を受けたことにより、ティアの肉体も地面の方向に向かって流れ出す。
墜落だ。ふわりと浮かんでいた体は、勢いを失ってマグナスの頭目掛けて落下していった。
「ぐわっ!」
目に見えない壁がマグナスの頭にめり込む。
しかし、意識を刈り取るまではいかなかった。
マグナスの腕がティアの細腕を掴む。
「よいしょお!」
地面に向けて、放られる。小さな肉体に、その勢いを止める力はなかった。
「そこまで!」
「ふんっ……! ……グレイス、大丈夫か?」
土に上半身を埋められる瞬間、マグナスがその勢いを殺した。ティアとしては手を先について受け身を取ったような形になった。
ティアの肉体から汗が流れ出す。肩で呼吸もしていた。
「は、はい……マグナスさん、ありがとうございました」
「こちらこそ、勉強させられるよ。最後の攻撃、あれもよかった。本気を出せば、僕を倒せたんじゃないか?」
マグナスが小さく笑う。彼はいつも涼し気だった。
障壁魔法の強度は十分だったが、彼の体力に対して出力が少なすぎた。彼の言う通り、切断魔法や火炎魔法など殺傷能力が高い魔法を使えば、低い力でも決定打を与えられるだろう。
だが、ティアの肉体は無防備に近かった。もし、その状態でマグナスが反撃を行ったのならば、敗れていたのは間違いなく彼女の方だった。
「どちらもよい動きだった」
グレゴリーが近づいてくる。
模擬戦では、監督者の誰かが必ず立ち合いするようになっている。今は、戦闘に関する修練中だ。彼が全てを仕切っていた。
最近になって模擬戦が解禁された。それより少し前に、魔法や武術を取り入れた修練が行われるようになっていたが、四学期目ではより実戦を意識したものとなっていた。
ティアもその修練についていけるように、幾つもの技術を修得した。修得量だけなら、エンリカに次いで二番目だ。
「しかし、まだまだだな。マグナス、自分の反省点は分かるか?」
グレゴリーが褐色の髭を撫でる。
「はい。対応が遅れることです。僕から仕掛けているにも関わらず、攻撃はその一手止まり。その後は僕の速さのみに頼った戦い方になっていること。これでは、まずアンリやペルラには勝てないでしょう」
「それと、余裕がない。思考する暇があれば、お前の戦い方は悪くない。やり方を変えるか、経験を多く積むか。簡単にできるのはその辺りだ」
マグナスが頷く。グレゴリーの教えもティアは少しずつ分かるようになってきた。
「グレイス、お前は分かるか?」
「は、はい。性急すぎることです」
「ほう、それはどういうことだ?」
「私にはもっと余裕がありません。常にその時々で考えてしまって、思考をするための間隙がありません。だから、実は無防備な体勢になっていたことを宙に浮いていた時に気づくのです。あんな危険な動きは確実に決められる状況でなければ、しない方がいいと思います」
戦いでは何度も場面が変わる。対応のためにはよく周りを見る必要があった。
しかし、ティアは一点に集中しやすい。例えば、魔法を使えば魔法を使うことに全力を出し、体を動かせばそちらに意識を集中させてしまう。その間、風景は止まったようになってしまう。
そのため、思考力強化のためにも負荷魔法を使っている。これによって、無理やり状況に対応していた。
「そうだな。だが、賭け事もいいものだぞ」
「そうなんですか?」
「相手が格上だったり、追い詰められてどうしようもならない時、その時は確実な方法なんてものは取れない。例えば、お前はアンリやペルラに勝てるか?」
「い、いいえ……」
「あいつらに、お前の常識が通じると思うか?」
「通じないです……だからこそ何でもいいから使えそうなものを試す、ということですか……?」
「そうだ。特に、お前は考えるのが得意だ。マグナスもだ。大きな相手でも諦めず、頭を使え。そうすれば、活路は開かれるだろう」
ティアは少し恥ずかしそうに頭に触れる。ヨハンナとは異なる褒め方をグレゴリーはする。懲罰になると悪魔のようになるらしいが。
午後の修練が始められる前、全員が再現の部屋に集められる。
今日は、身体と戦闘が主に扱われる日だ。そのため、午後は学問になるはずだった。
監督者はまだ誰も来ていない。だが、珍しく候補者は全員が揃っている。
「今日は、ダメですわよ。いや、今日もですわね」
「……あ? なんで私を見てるんだ?」
「貴女が一番信を置けないからでしょう……! アンリさん、己を制御できるようになるのも使徒のはじまり……」
「私は、使徒なんてどうでもいいんだよ……な」
アンがククッと笑う。
対するシーザーやシャールは睨みつけるだけで、表情も動きもない。最大限の警戒を払っているように見えた。
時折、修練場には来ていた。だが、ノトゥを蹴散らしたような真似をしなかった。簡単な修練に参加して高度な魔法を披露するくらいだ。
そのため、ティアの中でも怖気のような感覚は無くなっていた。他の候補者たちも同様だろう。
空間が動く。誰かが部屋の操作を始めた。今いる候補者たちが要因ではない。
森がティアたちの前に現れた。鬱蒼としていて、霧が立ち込めている。どことなく、ハンムックと過ごした深淵の森に雰囲気が似ている。
「……ティア」
「う、うん!」
ティアが周囲を警戒する。奇襲に最適な状況だ。部屋の中ではあるが、土や風、気温といった細かな部分まで実によく再現されている。
少し遅れて、十人の戦闘体勢が作られる。
シーザーとシャールのみ、この状況に対して首を回して周囲を見ていた。
「……っ! 何だこれは!」
シーザーの声だ。振り向くと、体をツルのようなもので縛られているシーザーがいた。
少しずつ、彼の体が動かされる。森の奥に引っ張られそうになっていた。
リリンが手刀を放つ。無詠唱だが、切断魔法だ。それによってシーザーの拘束を解いた。
「かはっ……! 遅いぞ、リリン!」
「シーザーさん、大丈夫ですか!」
ティアが彼の安否を確かめると、その周囲に注意を向ける。
「余計なお世話だ」
「まだ数がいます。シーザーさんたちも警戒を」
「グレイスちゃん、ベルも手伝うよー!」
ベルがティアの背を守る形となる。最小限の防御陣形だ。他の者たちも集まって来る。シーザーを中心にするようだ。
周囲からの足音が増える。同一のものでない、バラバラで重さも違うようだ。
少しずつ霧の中から生き物が姿を現す。
植物のツルのようか太い体毛が特徴的な一角植獣がいた。それだけでなく、様々な姿をした獣たちが次々と迫って来る。
全ての獣に異様な気配がある。それは纏った魔力が脈動をしているからだ。
「レムレス……全てそうですわね……!」
「レムレスだと……!」
「何か何だか分からんが、やってやろうじゃねえか!」
ニルが先陣を切る。両手で手刀を作りながらレムレスの群れへ入っていく。
「そらそらそらぁ!」
掛け声と共に血飛沫が巻き上がる。力では、候補者の中でも最上級だ。巨大に見合わない速度もある。彼自身がレムレスと言っても過言ではない。
だが、ニル以上に大柄なレムレスが左右から彼を挟み込もうとしていた。
「助太刀する。マグナス・ドゥラメンテ、推して参る」
「わたしもいるぞ! お前たち、存分に戦うがいい!」
剣を得意とする二人が、ニルの左右の敵を切り捨てる。
三人は骸の山を次第に築いていった。
「……魔力……! エンリカ! グレイス!」
「分かっていますわ! 障壁魔法!」
「障壁魔法!」
三人の同時の魔法により、シーザーを中心に広域展開する。直後、針が飛んでくる。数え切れない程だったが、全て障壁によって弾かれる。
「わわっ、三人ともすごいねー」
「ベルさん、あまり離れないように」
「はーい。あっ、シーザーくんやシャールちゃん、リリンちゃんもよろしくねー」
呑気な調子で挨拶をするベルだ。
防御陣形と遊撃の二つが作られている。即席だが、その指揮をエンリカが取っている形だ。
守りを固めつつ、中からアンやペルラ、ベルが周囲の情報を拾う。
「あ、あそこ何か怪しい気がするよー」
ベルが指差す方向に、風とは関係なく揺れ動いている木々があった。
「あたしが行ってくる」
ペルラが指示も待たずに駆け出す。同時に、アンも逆方向に走り出す。瞬時に、森の中へと消えていった。
「アン!」
「今は、守ることに集中致しましょう。アンリさんはただのバカではありません!」
アンなら無事に帰ってくる。ペルラも同じような安心感がある。
戦いは激化している。しかし、このまま続けば魔力切れというのもあり得た。
「みんな! ベルの力を受け取って! 共有魔法!」
「ベルさん!」
魔法を展開し続けている三人の体にベルが触れる。すると、彼女の魔力が流れてくる。しかし、魔力量が多い。
「う、うーん……」
ベルの足取りがふらふらとする。魔力不足により意識を混濁させていた。
そのお陰で、通常よりも長く魔法を発現できていた。本隊の維持は結果として、勝利へと繋がる。
「ギャオオオオオン!」
「グガアアアアア!」
二方向からけたたましい声が聞こえた。
そして、空間が歪んでいく。森が崩れ始め、地形の形や色が元に戻り始める。
元の部屋に戻ってきた時、皆の姿が確かめられるようになった。
血まみれの剣士たちと何者かを引きずるアンの姿があった。
「いやいやいやー、ようやるもんじゃ。合格じゃ」
「ハンムックさん……!?」
引きずられた人物はハンムックだ。アンに足首を握り潰されており、顔面には殴打の痕がある。
全員の目の前に放り出されると、体がガタガタとしながら立ち上がった。
「ベルには共有魔法をするとして……ウオッホン、皆よくぞやってくれた」
「どういうことですの?」
「こういう急な状況っちゅうもんは、今の西方ではよくあるんじゃ。それに対して、無力。あるいは力不足じゃったら計画を打ち切ることも考えておってのう。じゃが、皆々よう頑張ってくれた」
ハンムックが高笑いする。顔と脚の怪我がなくなっている。凄まじい回復速度だ。
「西方遠征は滞りなく行う。今から三ヶ月の準備期間の後じゃ。いよいよ、使徒になる修練も大詰めじゃ。皆々、気を引き締めるように!」
「はい!」
真面目な者たちが高らかに声を上げる。
ついに西方遠征が始められる。その先にあるのは果たして何か。
アンがハンムックを疑っている。だが、彼は先導する者として相応しい威厳があるように見えた。
特に、地形だけでなくレムレスを作り、襲撃させるだけの力は凄まじいものだ。
ティアの胸が高鳴る。
皆の役に立てる。今回の実戦は、確かに彼女の気持ちを昂らせたのだった。




