負荷魔法
本が空間を埋め尽くしている。
皇城から歩いて数分の距離にある中規模の建物に入ると、ティアは自らの目を疑った。
明らかに巨大な空間だった。天井は、正に天に届くくらい高く、聖都の大通りよりもずっと広大だ。
「ひ、広いねー!」
「い、いや、広過ぎる……魔法でできているのか、はたまた幻覚……?」
同伴していたベルとノトゥも口を開け放っていた。
ここは時空図書館、聖都で集められたあらゆる知識が眠る。本来、使徒と図書館関係者のみにしか出入りが許されない場所であったが、今回は特別にヨハンナからの許可を得たことで入場できている。
魔力を纏うこと、この達成状況をヨハンナに報告するために、ティアはここに来た。
「……違うな。これは、再現の部屋と同じ……?」
「再現の部屋……確かに、そうかもですね。ということは、魔力によってこれだけの空間が再現されているのでしょうか……?」
「かも知れないね……。しかし、ヨハンナさまはどこにいらっしゃるんだろう……?」
「あ、あの人に聞いてみよーよ。あのー!」
ベルが図書館の上階で歩いていた女性に声をかけた。
だが、その瞬間、ベルの目の前に何かが現れた。そして、彼女の口が塞がれる。
「静かに。それが、ここのきまりだ」
「むぐ! むぐんむぐ!」
「貴女は……モアナさん……?」
モアナは人差し指を自らの口の前に立てる。
聖都にやって来た初日以来だ。あれから三か月以上は経っている。だが、その黒みがかった緑の眼の冷たさは変わっていない。
「久しぶりだ。歓迎しよう、我が図書館へよく来た」
「我が図書館……?」
「言葉通りだ。今日は何の用だ?」
「よ、ヨハンナ先生に会いに来ました」
「彼女にか」
モアナが右眼のモノクルに触れる。最初に見た時、あれをガラスだと思っていたが、ヨハンナの眼鏡と役割を同じなのだと最近になって知った。
すると、すぐ近くの書架で本を読んでいるヨハンナが目に留まった。
「ヨハンナ先生」
「……ん? グレイスさ。……コホン、グレイス、ノトゥ・ウィンラント、ベル・リン、来ていたのですか」
「少し早くきちゃったのー……お使いもちゃんとしてきたよー……」
「ありがとうございます。……っ、モアナさま……!」
ヨハンナの淡白な表情が赤みがかる。彼女を見て、モアナは口角を上げて微笑んでいた。
「行ってきなさい。君の帰りを待っている」
「は、はい……! っ、コホンコホン。い、行きましょう。こちらです、案内します」
ヨハンナがベルの手を取って、歩き出す。ティアとノトゥは互いに顔を見合わせてからその後に続いた。
通路は迷路のように入り組んでいる。左右には常に本があるため視界が狭い。もし、ヨハンナたちの背中を見失ってしまえば、迷子になるのは確実だろう。
とある部屋に入る。
本以外にも机と椅子が幾つかあり、整然としている。
ヨハンナは、ティアたちに座るように促した。
「……お恥ずかしいところを。どうか、くれぐれも他言無用でお願いします」
頭を下げるヨハンナの声が消え入りそうなくらい小さかった。
三人は彼女の願いに静かに頭を下げる。
「ありがとうございます。……私が貴方たちを呼び出した理由、それぞれ異なるところです。グレイス、進捗はどうでしょうか?」
白い眼が三人をそれぞれ見る。言葉の語気が修練時の高さに戻っている。
「ま、まだまだです。ですが、形はできている……ような気がします」
「では、私たちに見せて下さい。やり方は、貴女にお任せ致します」
「はい……!」
ティアが立ち上がり、机から若干の距離を取る。
深く呼吸をする。
魔力を纏うこと、その修練は日々続けていた。
いや、常時というべきか。無意識、それが重要だった。そのため、普段から回数をとにかく重ねていた。
今もそうだ。体に張り続けている魔力を、呼吸と共に強くしていく。
すると、制服の上に何かが乗り始める。重さはない。ただ、体の内から力が湧いて来る。
「すーっ……ふぅー。ど、どうでしょうか?」
体から力だけを抜く。自らもその場で状態を確かめてみた。
「いいでしょう。できていますよ」
「ほ、本当ですか……!」
「確かに、魔力の巡りはゆっくりです。しかし、モノにはできている。その状態から動くことができますね?」
ヨハンナが指を振る。すると、ティアの周囲の物が消失する。修練場の再現の部屋にも同じ機能がある。
ティアが低く沈み込んでから駆け出す。
確かな一歩。何度も床を蹴り、勢いよく前方に進んで行く。
体が悲鳴を上げない。本来ならこの速度で踏み込むだけでも、足が激しく痛み出す。そして、骨折し、転倒。大怪我を負うというのが、ティアの流れだった。
それどころか脚が機敏に動く。呼吸も乱れることなく行えている。
顔に触れる風が心地いい。こんな経験は今までになかった。
「いいでしょう」
ヨハンナの声。それを合図に徐々に脚の回転を緩める。
体が熱を発している。だが、まだまだ動くことは可能そうだ。
「この短期間でよくここまで」
「は、はい……! ありがとうございます……!」
「ノトゥ・ウィンラント。貴方の目から見て彼女の成長は?」
「は、はい。すごい、と言わざるを得ません。こんなにも早く、流動が、使えるようになるなんて」
「りゅーどー? それ、なんなのさー」
流動。それはティアも初めて聞いた言葉だ。修練の中でも一度は登場しただろうか、と頭を揺らしてみる。
「流動、それは使徒になって初めて意味がある技術です。ベル・リン、基本三魔を言えますか?」
「うん! 魔変、えーっと魔制! それと、まのー! 形を変えること、魔力を操作すること、体に魔力をうまく使うこと!」
「合っている、と言えるでしょう」
ヨハンナがニコりと微笑む。彼女はベルの頭を指先で撫でた。
「流動は、その応用形と言えるものです。体内の魔力の操作と適応、二つをこなしたことを指します」
「魔制と魔応ということですか?」
「そうです。この二つが一定の領域に達することで、初めて実用が可能になる。いずれか一つでも欠けていれば、今のグレイスのように使いこなすことはできません」
「え、えへへ……ありがとうございます」
感情の起伏がない口調だが、ティアにとってはやはり分かりやすかった。
「しかし、本来は使徒ではない貴方たちに教えるべき技術ではない。現に、私もグレゴリー殿、エヴァール殿も教えなかった。その理由は、魔力を効率よく扱う肉体でないからです」
「あ、全身が魔力を使うのに最適化されている、ということですね」
以前、ヨハンナに図をもって説明されていた。
「その通りです。基本三魔だけでなく、効率、出力などあらゆる面で最適化されます。その前提があってようやく有効に使える技術であると私たちは考えています」
「でも、覚えておいたらすごい役に立つんじゃないのー?」
「役には立つでしょう。覚えておいて損はないです。現に候補者では、ノトゥ・ウィンラント、エンリカ・フランツ、シーザー・ロマーノ、シャール・クロヴィスの四人が修得しています」
「えーっ! ノトゥくんとリカちゃんがー!? ベル気づかなかったー」
ノトゥが苦笑いしながら頭を掻く。
ノトゥとシーザーの模擬戦、その中でシーザーの攻撃が異様に強かった。特別な魔法と考えることもできたが、あれが流動であるのか。
流動の最中、ティアも肉体が強まっている感覚を得ていた。
「いつからそんな……ノトゥさんもヨハンナ先生からの課題を……?」
「実は、聖都に来た時から流動なら使えたんだ。ボクの家族は使徒だからね。小さい時から、父や兄にしごかれていたんだ。エンリカも同じだと思う。彼女がベルちゃんより小さかった時、まだフランツさまはご存命だったから」
「使徒になる以前からの修得、それは使徒の家系、あるいは関係者によく見られます。ロマーノ家やクロヴィス家でも同様の英才教育が施されているでしょう。……ですが、私は必須とは思いません」
「どうしてー?」
「使徒になる前、その準備期間では基礎を磨くべきなのです。基礎さえできれば、過不足なく使徒になれます。逆に言えば、必須でないものを学べばその分労力が使われ、歪む……と、私は考えています」
ヨハンナが目を瞑る。それから少しだけ彼女は口を閉ざした。
「……失礼しました。私の一意見です。その証明はこの三年にかかっています。使徒育成計画とは、この方法の確立という点でも重要なのです」
「方法の確立……」
「少々話がズレましたね。なぜ、その技術の修得を貴女に託したか。……グレイス、貴女は西方遠征に着いて行ける体ではないからです」
「……そ、そうですね」
ヨハンナの言葉は、胸の奥を貫く。ティアは、彼女の顔から一時的にだが顔を逸らしてしまう。
毎日の修練を欠いていない。だが、先日の結果でも身体能力の項目は最低。今も、周りとの差は延々と広がり続けている。精度は低いとはいえ、流動を行った上でそうだった。
根本にある問題は、何も解決していない。
「気落ちすることはありません。そのための流動です」
「そのための流動……?」
立ち上がったヨハンナがティアの肩に手を置く。繊細で綺麗な手だ。そこに力も重さも込められていない。
「全身に魔力を行き渡らせることができるのならば、魔法を発現する際の魔力消費の手順を省略できます。つまり、ここと思った場所で魔法が使える」
「……はい」
「使徒の基本魔法の一つ、それが使えれば貴女でも遠征に参加できるだけの力を最低限得られるでしょう」
ヨハンナが腕を振る。同時、机の上に岩が現れる。
彼女が岩を掴む。その半分以上が手からはみ出るほどの大きさだ。
「人では到底破壊できない岩です。使徒であっても、非力なものはヒビ一つ入れられない。……私も力には自信はありません」
ヨハンナの指の関節部分が強張っている。ティアもその岩に触れてみる。ザラザラとした表面と冷たい硬さ、確かに岩のようであった。
「離れるように。見ていて下さい……負荷魔法」
彼女がそう唱えた瞬間、岩からミシミシと音が鳴る。
次第にヒビが入り始め、二つに割れた。
それだけに留まらず、ヨハンナの細い手の中で何度も破壊の音が鳴った。
「力を底上げする魔法です。今、この手に集約した魔力を用いて一時的にですが、私の力を上げました」
ヨハンナが手を開けると、そこには砂となった残骸があった。
「脚に使えば、走力、躍力、耐久性などが上げられます。頭に使えば、個人差はありますが一時的な思考力を上げることもできるでしょう。他にも様々な場面で効果が期待できます」
「す、すごいです……これを私が……?」
「貴女だけが使うことが望ましいです。この魔法は、流動が前提となる」
「流動が前提……」
「体内魔力の激しい消費、その分だけ自身の能力や現象の力を底上げできます。しかし、この条件は非常に厳しい。人の身では魔力の循環が間に合わない、と言えば分かるでしょうか」
体内魔力の急激な消費、それにより体内の魔力がなくなると気絶を引き起こす。一時的な供給の遮断でもそうなる。
「……流動はそのために必要、ということですね。使った箇所以外から魔力を集めて広げる。そうすることで、弱点を補う」
「そう言うことです。本来は、貴女にも使って欲しくはありません。しかし、背に腹は変えられないというものです。……ノトゥ・ウィンラント、ベル・リンの両名は知識としてのみ留めておくように」
「分かりました」
「はーい、分かったよー」
ヨハンナが指を振る。粒子が彼女の指先に集められていく。
魔法は多様だ。教えられている初級魔法であっても様々なものがある。おそらく、ヨハンナの口振りからして初級魔法も選ばれたもののみを教えられている。
考えはおおよそ理解できた。彼女が自分や他の候補者たちのことも気にかけていることも。
負荷魔法、きっと自分の役に立つだろう。
不意に扉が開く音がした。
全員が、そちらの方に視線を移す。
現れた人物を見たティアの胸の内から暖かさが湧き上がる。
「久しいのう。初日以来かのう!」
「ハンムックさん!」
日焼けた褐色の肌に顔の大きな傷、口周りの髭やはにかんだ笑顔、何も変わっていない。
実に三ヶ月振りの再会だ。
「ハンムック殿、話は済みました」
「あい分かった。グレイス、話がある。ちょいと隣の部屋でよかか?」
「は、はい! 皆さん、また後で」
「いってらっしゃーい。あ、せんせー、ベルたちに用があるってなんだったのー?」
ハンムックの後を追い、部屋から出る。
目の前には、また新しい空間ができ上がっていた。
ハンムックが座席に座るよう促してくる。
「グレイス、これからのことについて話そう。大事な話じゃ」
「大事な話?」
ティアが着席すると、ハンムックはキョロキョロと辺りを見渡す。
そして、机に上体を乗せて、なるべくティアに顔を近づけてくる。
「転移術の話じゃ」
「転移術……! 何か分かったんですか……!?」
ティアが勢いよく立ち上がる。
家に帰る方法がその解明にある。魔法の一種であると彼は言っていたが、未だその足跡を辿れていない。
ハンムックが両手で彼女を制しながら話を続ける。
「どうやら、西方遠征と大きく関わっちょるようなんじゃ。グレイスが経験した転移術、その制作者が西方のどこかにおる」
ハンムックの静かな声。
ティアはその話に耳を傾けるしかなかった。




