休日の集中
今日の空気はいつも以上に穏やかだ。
週に一度の休日、というのもある。だが、それ以上に皆の心の壁がかなり薄くなっている。
ティアはちらと隣席を見る。
食卓の端には、いつもアンがいる。その隣でティアが食べるのが基本の形だ。黙々と食べ進める彼女の前にはいつも女性メンバーがいるか、空席だった。
今、アンの正面にはマグナスが座っている。
「是非とも、ご教授願いたい」
「……嫌だ」
パンを頬張りながらアンが拒否する。
「では、僕のパンはどうだ」
「……いらん」
「チーズもつける」
「…………」
アンが目を逸らす。アンも食べることは好きだ。しかも、そこそこにグルメな舌を持っている。美味しいものには目がない。
「この野菜もどうだい?」
「マグナスさん。自分の分はしっかり食べた方がいいと思いますわ。使徒になるならば食事は大事」
「そうかも知れないが、使えるものを使って打てる手を打つ。それも、使徒にとっては大事じゃないかい?」
「それもそうですが、それは貴方が作ったものではありませんのよ?」
アンが立ち上がる。
周りに誰もいない席に向かう。一人で食べるようだ。そして、その背中から拒否のオーラを放ち始める。
「……確かに猫っぽいですわね」
「……猫っぽいですよね」
限りなく小さい声で、ティアはエンリカたちとやり取りする。
アンが話しかけられる機会が増えた。
先日の一件の後、その力を見られたというのが大きいのかも知れない。あるいは、アンがどんな女の子か分かってもらえたためか。
ティアは笑顔で食事を口に運ぶ。
今までの大人数でいる環境では、アンは怖がられるか敵視されるだけだった。でも、ここなら友達が出来そうだ。
昼食が終わると、各々が自由な時間を過ごす。
休日は、街に繰り出す人もいる。聖都は、人も物も集まっており、外出先は無限大にあるという。
ティアは修練場の中庭に一人だけでいた。誰もいないと静かで広い場所だ。
「……はぁ、はぁ、上手くできない……」
ティアが膝に手をついて、息を吐く。
彼女の顎先から水滴が落ちる。全身から汗をかいていた。
ヨハンナの課題、魔力を纏うこと。ティアはその達成を試みている。
魔力は、体力と気力の源だ。肉体の痛みや気だるさでは、魔力の消費を伝えない。体の芯からじわじわと使い果たす。その後に、体全体の消耗や意識の混濁などといった形で現れる。
肉体が脆弱なティアにとって、魔力は扱いやすかった。集中を切らさず、堪え忍ぶ。これは得意な方だ。
一息つくと、再び意識を研ぎ澄ませる。
衣服のイメージだ。衣服を作って、それを着る。
手から魔法を使う時、指や手全体に意識を集める。それと同じように行き渡らせたい。
しかし、それ以上は何もない。
この状態から魔法は使えない。動こうとすれば、水いっぱいの樽に穴を空けたように魔力が抜けていってしまう。
ミリ単位なら体を動かせるようにはなった。課題を出されてから何度か繰り返し行ったお陰だ。展開した魔力を小さく抑え直し、消費を減らせるようにもなった。
だが、およそ一ヶ月後が最初のテストだ。
それまでに少しでも上達したかった。
「あ、グレイス」
「あ、ペルラさ……わわっ!」
ペルラの方に向き直ろうとして、自分の足を引っ掛ける。
地面に衝突する瞬間、ペルラに下から支えられる。
「大丈夫?」
「す、すみません。またご迷惑を……」
「いいよ。お互い……さま? あたしこそいつも助けられてるし」
「そ、そうかもですね。えへへ……あ、マグナスさんとニルさん」
ペルラの後ろに背の高い二人が立っていた。かなり上の方から見下ろされていて、若干の圧がある。
「やあ、グレイス。特訓かい? 今日は、エンリカと一緒じゃないんだね」
「魔力の使い方を覚えようと。エンリカさんは、ベルさんと一緒に街に行っています」
エンリカたちは本を探していた。ベルが読めるような絵本が必要だという。
「僕もこの前は剣を見に行ったよ。これから鍛えるに当たって少し重くて頑丈なものを用意しておこうと思ってね。……そうだ、アンリがどこにいるか分かるかい?」
「食べ終わった後、散歩と言って出掛けてしまいました。でも、意外とどこかで涼んでいるかもです。今日は暑いですから」
アンは休みの日、食事の時間まではどこかに行っている。合流する時には、いつもいい匂いがしている。多分、風呂に入っているからだが、そのため行き先の目星をつけられなかった。
ニルが豪快に笑う。声が大きく、修練時のグレゴリーくらいはある。
「残念だったなぁ、マグナス」
「ニルもじゃないのか?」
「俺はいいんだよ。師なんて邪魔なだけだ。妾はいつでも歓迎してんだがなぁ」
「ん? ああ、メカケねメカケ」
ペルラの表情は変わらない。何も分かっていなさそうだ。
「よし、今日は三すくみをやろう。グレイス、真ん中の方を使わせてもらうよ」
「は、はい」
ぞろぞろと中庭の中心に向かっていく。
三人が離れて立つ。彼らを結ぶとちょうど三角形が作られる。
手には棒があった。以前、決闘の時に用いたものとほとんど同じだ。
「ルールは魔法の不使用。武器を失った者の敗北だ」
「いつも通りだろ? 今回は、一人多いけどなぁ!」
「よろしく」
「ペルラも、ルールは分かったか?」
「わかった」
「よし、……では、参るぞ!」
マグナスの合図と共に一斉に動き出す。
そこは小規模な戦場となった。目まぐるしく戦況が変化する。有利を自らに誘い込み、不利を相手に押し付ける。
身体能力も技術も高い。この数十日で更に磨きがかかっている。
「すごい……」
体への意識を途切れさせないまま戦いを見守る。
戦い自体は、先日の模擬戦と近いレベルの内容だ。だが、魔法が使われていない。その使用は、まだグレゴリーたちに許されていなかった。
その理由は学びと体験のお陰で分かる。自分たちを殺し得るからだ。
未熟な者が使えば、暴走する可能性がある。制御が甘く、それから守る術もない。そんな中では、犠牲者が容易に生まれる。監督の三人がいる前以外での魔法を、ティアも禁じていた。
一方で、扱い切れるようになれば多くの者の役に立つだろう。エルダートに帰った後も役に立つはずだ。
小戦場の中では、次第に決着へ向かう。誰も魔法は使わなかった。
ペルラが三人の中でも勝り始める。手数と動きのキレが二人を圧倒していた。
そして、マグナス、続いてニルの得物を弾き飛ばした。
「があっ! つええ!」
「……はぁ、本当に強い。かすりもしないとは……」
「そうかな」
ペルラは涼しい顔をしている。敗れた二人は汗だくだ。
明らかに住む世界が違う。
マグナスやニルも超人的な身体能力を持つ。
だが、ペルラはアンに負けないくらいの身体能力を持っている。
使徒に勝ったアンと互角。つまり、ペルラも使徒に匹敵するとすでに言えるのではないだろうか。
考えを巡らせていると、真横にペルラが立った。
「ペルラさん……おつかれ……さまです……」
「……? あれ、疲れてる?」
「……頑張ります」
話していると集中が途切れそうになる。呼吸するのも難しくなった。
眼前の二人が腕立て伏せを始める。負けた際の代償だろうか。
「魔力を……まとう? んだっけ?」
「……はい。……すごく、難しい……です」
「どんな感じ?」
「服を……作って……着る……」
「わかった」
ペルラが足を少し開く。
ティアがペルラを凝視する。
呼吸を一つ。体に力は入ってないように見える。
しばらく時が流れる。彼女の体に何も変化はない。
「……多分、違うかな」
「多分……?」
ペルラが自身の体をつねり出す。
「シーザー、だっけ。魔力をまとう、って多分あの人がやってたこと」
「シーザーさん……?」
その姿を思い返す。
確かに、シーザーの攻撃は強力だった。軽めに蹴り抜いただけでノトゥの体が飛んだ。
だが、何が起きていたのか、ティアにはまるで見えていなかった。
「さっき、グレイスはそれができていたように見えた」
「えっ……いつですか……!」
ペルラは嘘も冗談もつかない。その感性は鋭く、非常に信頼できる。
「い、いつですか」
「あたしたちを見てた時。すごい強そうだった」
「ペルラさんたちを見ていた…‥時」
「でも、今は違うかな。静かじゃない」
「静か……じゃない……?」
「確かに、白チビがいないように感じたぜ」
ニルが近づいて来る。白チビと、最近呼ばれている。少し前は、雑魚、だった。
マグナスがニルの背を小突く。彼はいつもニルの乱暴な言葉を咎めていた。
「僕も感じたかな。最近、魔力面での成長目覚ましいからそういうことも可能になった、と思ってたけど違うみたいだ」
「う、うーん。全然実感ないんですよね……」
「あぁ? なんかムカつくな? いでっ!」
「そういうこともある。……そうだな、何か魔法を使っていたとか」
ティアは首を横に振る。
いつの間にか条件を満たしていても、使う意思がなければ発現しない。意識しなければ、魔力を集められないからだ。
「んじゃあ、おかしな構えだ。俺の一族にもそういうもんがある」
ティアはゆっくりと首を横に振る。
無意識でやってしまった、と否定し切れないからだ。
「……考え事、とか?」
「は、はい。それなら……してました」
ペルラが正解だった。彼女は親指を立てる。その時の表情もなかった。
しかし、どんな関係があるのか。考え事、つまり意識が別の場所に向かっている。
「じゃあ、何を考えていたんだ? 教えて欲しい」
しゃがみ込んだマグナスがティアの肩を掴む。ゴツゴツとした大きな手に、体が固まる。
「え、えっと……皆さんの動き……ですかね」
ティアがたどたどしく答える。
「俺たちの動きだぁ?」
「は、はい! ニルさんの動きは、大きいんですけど、決して大雑把ではなくて。なんというか、やわらかい……しなやか、なんです!」
「お、おう! しなやか……よ、よく分かってんじゃねえか!」
ニルが獣のような手で、ティアの頭をガシガシと振る。
そのせいか、彼女の頭から血が垂れる。
「グレイス、大丈夫?」
「は、はい……大丈夫です……。そ、それでマグナスさんは……」
ペルラがティアの頭を撫でる。マグナスが差し出そうとした布を受け取ると、そのまま出血した部分を押さえた。微妙な力が頭に加えられる。
「ぼ、僕? 無理しないでいいよ」
「……決闘に飛び入りで参加した時より、自由に動いていました。あの時は、エドワルドさんを守りながら、ということもあったかも知れませんが……他のお二人を揺さぶりつつ戦っているように見えました……」
言い切ったところで、ペルラが手を離す。出血はすぐに止まった。
「……すごいな。グレイス、君はその体だ。戦いの経験もないだろうに……」
「アンの……動きを見ていたお陰ですかね……」
「なるほどな。合点がいく」
「最後にペルラさん……ペルラさんは、実は動きが少ないです。小さく動いて、小さく振る。多分、お二人をよく見ているんだと思います。でも、それだけですごい強い」
「すごい早口」
ペルラにそう突っ込まれて、ティアは吹き出した。
クラクラっときていた痛みもすでに引いている。
「あはは、なんだか調子よくて」
「……傷治るの早いね」
「ああ? たしかにな。結構、やっちまった感あったんだが」
「ニル、それは反省だ。しかし、もしかして、グレイスは好きなことをする時、より集中できるってことじゃないか?」
「好きなこと……」
「要するに、自分の得意なこと、かな。考えること、人を見ること、人のいいところを話す時、三点ともグレイスが得意なことなら、無意識下でも魔力を操れたんじゃないかな」
ティアは自分の体に触れてみる。
微妙にだが、感覚が違う。空気の重さがなく、その分体が軽くなっているような。
だが、そう意識していると、またドッと汗が出てきた。体も重くなる。
「はぁ……傷の治りが速いのも……もしかして、魔力を纏えた……から?」
「かも知れない。魔力の密度を高めれば、自然治癒力を上げられる。それは、教官たちがする共有魔法の結果としても見られる」
「す、すごい……でも、やっぱり難しいです……」
「つまり、どういうことだ?」
「魔力がすごい」
「おう、わかりやすいな!」
「君たちはもっとヨハンナ殿とエヴァール殿の話を聞くべきだ。……ひとまずは、無意識にできるようにすること、ってところかな」
腕を組んだマグナスが総括する。なるほど、とティアを含めた全員が頷いた。
これからが楽しみだ。実感を得たティアは胸を高鳴らせた。
だが、それ以上に新しい交流も行えた。
ティアにとっては、どちらも大きな収穫だった。




