貴公子 後編
殺気が不格好だ。風と大して変わらない圧力がアンの皮膚をつついている。
シーザーの取り巻きたちの足先に体重がかかっている。襲えという合図一つで飛び出すのだろう。
だが、この場にいる全員を無視はできない。最上級の立場であるなら、模擬戦などという回りくどいことはしない。
「ゲタイ、お前が相手をしろ」
「ははっ」
アンの口角が吊り上がる。案の定だ。
彼女の目の前に躍り出てきたのは、法衣の上に更にローブを纏った男だ。目元を隠すほどにフードを深くしているが、以前に会った記憶はなかった。通りにはいなかった。つまり、自分の情報をこの男は正確には知らない。
グレゴリーが両者の間に立つ。他の者は各陣営に退いていった。
「ゲタイは使徒だ。よって何かしら制約を設ける」
「なら、ゲタイに得物は必要ない。それでいいな、ゲタイ」
シーザーの声に対し、ゲタイが拝礼する。所作は悪くない、だが立ち姿は貧弱だ。その異質さは、ゲタイの本質を表している。
アンが持っていた棒をグレゴリーに投げ渡す。
「私も必要ない。これで公平だ……な?」
「うむ。ならば、急遽であるが始める。俺が制すか、降参を宣言するまで戦いを続けよ! 始め!」
合図と同時に、アンが飛び出す。すでに右腕を大きく引き絞っている。
爆発したかのような音と共に拳が放たれる。
だが、アンの拳は何かを撃ち抜くに留まった。目の前に人影はある。だが、人体ではない。異常な軽さだ。
それはローブと法衣の一部だ。力の余波により、散り散りになって飛んでいく。
ゲタイは後方に飛んでいた。ふわりとしていて、落下が遅い。まるで鳥が翼を広げて滑空するかのようだ。
着地したゲタイの姿が見える。
異様、と感じた。そして、滑稽さがある。
「人で無い……な」
「黙れ。オレの姿の何がおかしい」
「服を着ていることを笑った。いや、服が肉の代わりだったのか……な?」
ゲタイの見えている部分から骨と皮が浮き出ている。人の形をしてはいる。だが、髪は枯れ木のように渇いており、頬は削げている。膝にまで達している細腕と胴が短く見えてしまうほどの細脚は、神聖を売りにしている使徒にはおよそ似つかわしくない。
アンの跳躍。投石のような勢いで、彼の脳天を蹴り抜きに行く。
ゲタイが横に避ける。動きに速さはある。だが、反応は動物に劣る。
着地と同時に小さく跳ねる。低い姿勢のままゲタイの元に滑っていく。
アンの左腕が隆起する。だが、位置関係からしてその様子は見えない。避ければ、その方向に再び跳ぶだけだ。動物ならこの手で終わる。並みの人間であれば、最初の一撃だけで十分だったが。
「ふぉおおおお!」
ゲタイの奇妙な雄叫び。アンは拳を放っていた。
しかし、再び距離を取られていた。今度は真上だ。その姿を目で追った。
それは人の形とは大きく異なった。元からの奇妙な出で立ちが更におかしくなっている。
手足が倍以上に伸びていたのだ。
「火炎魔法!」
上空からの詠唱、伸びきった合計十本の指から火が灯される。
「ちっ」
指先の炎が消える。ここは中庭だ。尖塔の更に上から降り注ぐ太陽の光、それと炎は同じ色だ。
火球が来る。横には避けない。ゲタイが上から見ている。動けば捉えられる。
アンは両腕を十字に組む。直後、数十発の魔法が放たれる。
最初の球を右腕の肘で受ける。熱い。肉が焼かれ始める。
アンが自身の制服の襟を掴み、即座に脱ぐ。腕の部分には着火している。だが、制服は黒くなっていない。
制服を円状に振り回す。ボゥと何度も音がする。腕にもわずかだが力が加えられる。だが、熱がアンの体まで届かない。
「何だと!?」
ゲタイが着地する。
アンは制服を着直した。振り回した時の風圧で炎は消えている。
おそらく、制服自体に軽減や緩和などの耐久面での効果がある。ノトゥの時にも、これは焦げ目や衝撃による損傷をしているように見えなかった。
「レムレス……だったか? 連中みたいな体だ……な?」
「これは、オレの魔術【千里自在】だ! あんな奴らと同じにするとは、育成計画のガキどもはまるで学んでいないようだな!」
「ふーん、魔術……ねぇ」
アンがククッと皮肉めいた笑みを浮かべる。
使徒が持つ固有の力、前にハンムックがそう言っていたように記憶していた。
今のセリフ、ゲタイはその体が千里自在という魔術のお陰でなっているとバラしている。
シーザーたちを横目で見る。
彼らの顔には不機嫌がある。先ほどの殴りたくなるようないやらしい表情ではない。
つまり、今起こった魔術紹介が嘘でない可能性が高くなる。
ゲタイの顔は震えている。見開いた目と開き切った鼻の穴が、彼が頭に血を上らせている証拠だ。
「上手く躱したようだが、次はそうはいかない! ロマーノ様の使徒の力を思い知らせてやる!」
ゲタイが両手をアンの方に開いて向ける。ミミズのような色と形の指が十本見える。
アンはすでに踏み込んでいた。魔法を使っての中距離戦、と簡単に予想できた。
「かかったな! 火炎魔法!」
ゲタイの右手の指に火が灯る。だが、放つまで時がある。
その時、急に彼の左手が巨大化する。眼前に迫っている。
一瞬の後、アンは体勢を右に傾けた。頬を手、そして腕が横切る。ゲタイは左腕を伸ばしていた。角度をつけずに真っ直ぐに打ち出した結果、攻撃が隠されていた。
次は火球に襲われる。流れのまま右方向に側転、回避しつつ跳躍する。
「逃がすか!」
ゲタイが腕を伸ばす。骨などないような曲がり具合だ。その速度は咥えたチーズをビヨンとすることと同じくらい。
しかし、そんな奇怪な状態からでも魔法が放たれる。
避けても、すぐに角度を整えるだろう。後手に回れば間違いなく不利だ。
アンが左右に跳び始める。兎のように俊敏だ。
その行動により、ゲタイの腕は更に緩慢となる。狙いを定めようとしても、アンが反対側に短く跳ぶ。魔法が何度か撃ち出されるが、当てられない。
そして、アンは腕の内側に入り込む。
この中は死角だ。狙いをつけようとしても小回りが利かず正確さに欠け、無理に動かそうとすれば腕同士がぶつかり合う。
「くそ! 切断魔法、セクト、セクト、セクトォ!」
ゲタイの両腕が上下左右からアンに降り注ぐ。
アンは後退する。
ゲタイは明らかに戦い方を変えている。攻め主体が、今は両腕を振り回して自らを守っていた。
切断魔法、切断を引き起こす魔法だ。ティアが生活の中で使っていたことをアンは覚えている。貧弱な肉体に代わって力を使えるため、重用していた。そのため、アンにも多少の知識がある。
ゲタイは振り回すことで威力を上げるつもりだ。当たればすり傷程度では済まないだろう。
だが、素人の動きだ。規則性もなければ、罠もない。頻繁に腕同士がぶつかり合っていた。
アンがため息を吐く。
そして、防御を展開するゲタイにゆっくりと近付いて行く。
「死ににきたか!」
ゲタイが両腕をしならせながらアンをあくまで待っていた。
その射程にアンが入る。左右から二本の刃となった腕が振るわれる。
ビシィという何かが弾かれた音が辺りに響く。
「愚か者がぁ!」
「お前が……な」
アンの体に、ゲタイの両腕は食い込んでいた。
いや、それは正確には違う。制服によって切断は肉体まで届いていない。
唯一、アンの両手からのみ血液が流れ落ちている。止めどなく溢れているようだが、その両手にはゲタイの両腕が握られている。
「ぎいやぁぁぁ! 離せぇぇぇ!」
彼の腕にも、アンの手が食い込んでいる。そちらは、間違いなく握り潰されていた。あの血の大半は、明らかにゲタイのものだ。
「そう言うな。ほら、こっち来い」
アンがゲタイの両腕を引く。
ゲタイの上体が宙に浮く。真っ直ぐ彼女の元へ誘われる。
アンが上体を後方に逸らす。次の一撃を脳天に叩き込む。それで終わり、と彼女は計画していた。
「そこまでだ!」
だが、彼女の頭が頭蓋をクルミのようにかち割ることはなかった。
グレゴリーが両者の間に入っていた。二人の頭には、彼の手が添えられている。巨大な岩のような圧力だ。
「両者、よき戦いであった」
「終わりが早い……な」
「元々、そういうものだ。アンリ、何か異議があるか?」
「私の勝ちか?」
「いや、引き分けとする。両者共に決定的な一撃はないからな」
「……そうかい」
アンがゲタイの両腕を離す。
彼女はそのままシーザーたちに向く。
「止せ。模擬戦はこれまでだ。これ以上やるなら、俺が……」
「心配するな。挨拶挨拶」
止めようとするグレゴリーの方に手振りをする。
アンはシーザーの元にゆっくり歩いていった。両者の距離が間近になると、小柄な少女が間に入ってくる。
目元以外に包帯が巻かれている。何を考えているかは分かり辛い。
リリンという候補者だ。彼女の顔も覚える必要がある。
その後方で、歯を食いしばる美少年の姿が目に映る。
「お前もやる……か?」
「……黙れ。ロマーノに逆らったんだ。必ず後悔させてやる」
「なら、今がいいんじゃない……かな? おぼっちゃまくん」
アンが血に濡れた手を払う。リリンの足元に赤い点ができる。
「……失礼する。ボクたちは忙しいんだ」
「なら、仕方ない……な」
シーザーが出口に向かう。その足取りは早く、他の者たちも駆け足気味に着いて行った。
アンも踵を返す。
全員がこちらを見ている。
その目の色は、恐れか驚きか、それとも蔑みか。いや、普通の人間とは明らかに反応が違う。やはり、個性の違いか。
アンを迎えに来た人物がいた。そこだけはいつもと変わらない
「アン」
ティアの目が潤んでいる。そうなると金の瞳は直視できぬくらい眩かった。
陽が落ちて、辺りは暗くなった。
アンはひと足先に二段ベッドの上段で横になる。
夕食の後、しばらくしてから勉強会が始まる。半ば眠りながら、そこで情報を集められた。
しかし、今日は休止になった。代わりに、女性部屋に入る人数が多い。
「そっか、そんなことが……」
女性部屋の常連のノトゥは、先ほどここで目を覚ました。魔力も十分に回復し、傷も治っている。
アンの手には包帯が巻かれている。ティアがやったものだ。
「ボクが戦った意味、あんまりなかったかもね」
「やはりそうか。わざと負けていたのか」
マグナスの声だ。男性部屋の住民が揃っている。そのせいで、勉強のための空間は狭い。すでに、エドワルドとベルは寝ているが、六人もいる。
「なぜ、ワタクシに相談して下さらなかったんですか」
「エンリカ、止めに来たかもしれないから。これはボクの家の問題だし……」
「それでもです。現に、彼らの目的は貴方の家だけではないようにも見えました」
「んまあいいんじゃねえの。スッキリしたぜ、俺はよ。暴れてぇとこではあったがよ」
「よくはありませんわ。これから、報復が考えられます。ロマーノもクロヴィスも勢力を拡大している家。メンツを潰されれば、今後に響く。必ず、狙ってきますわ」
しばらく議論がされる。だが、個性異なる集まりだ。意見がまとまるはずもない。
時間が進んでいく。
「アンリさんは、なぜあのようなことをしてしまったのでしょう」
エンリカがそのような話をし始める。
修練だけでなく、政治的なストレスもあった。そんな話になるのも仕方ないだろう。
だが、しばらくの静寂が流れる。それに対して結論を持つ者がいない。アンとの交流が希薄だったからだ。
「……グレイスなら分かるんじゃないかな、少しだけ」
ノトゥがティアに尋ねる。
アンが両目を開けて、上からこっそり覗き込む。ティアはこういう話が苦手だ。アンの興味は、彼女の反応にあった。
ティアは机の前から皆に振り返る。一度、ベッドの上に視線を向けた。だが、姉妹の目が合うことはなかった。
「アンは……皆さんがいるこの場所を守ろうとしたんだと思います」
「アンリさんが……!?」
エンリカが驚く。ペルラ以外の全員、そっくりな反応をしている。そして、一斉にアンの方に視線を送った。
「昔から、そうなんです。何度も助けてもらいました。あ、でも、アン自身も自分の嫌いなものはトコトン嫌いみたいで。そういった部分も……少しだけ」
「そっちが本命では……」
「あたしも助けてもらってるよ」
「ペルラさん、貴女は早く寝なさい。今夜は特別に許しますわ」
「珍しい。だけど、グレイスがこんなだしアンも優しいと思うよ」
「ペルラさん……! そうです、アンは優しいんです。強くて、頼りになって、かっこよくて、かわいい!」
「かわいい……??」
またペルラ以外の全員が上を向く。
すると、見つけてしまった者たちの顔が固まった。
「うるせーぞ、ティア」
上段の主は、意識を残したことを後悔した。
改めて、彼女は深い眠りについた。
その後、即席の議会は自然消滅した。




