ヨハンナの魔力教授
今日は魔力を主に学ぶ日だ。
肉体を主とした修練と同じく半日ほどを費やしている。残り半日で、学問を修めて、一般的な知識を得ている。いずれもティアにとっては貴重な体験だ。
「魔法の行使に最も重要な事柄は想像、集中、条件。いずれ一つでも欠けてはなりません」
ヨハンナが前方を歩きながら説明している。
今いる場所は、再現の部屋だ。魔力を使うことで部屋を特定の場所として、その中で活動が可能となる。これも魔法の一種であるという。
ティア含めて九名がこれに追従している。不在の三名は、やはり例の三人だ。
西方の大都市の空気は自然と比べると淀んでいる。人の行き交いが多く、建物も歴史が入り乱れていた。これが再現された空間だと信じられないくらいに現実的だ。
ヨハンナは話しながら歩いているが、こうしている間にも移動や角度の変化に伴う風景の違いを作り出しているという。
魔力を的確に使えれば、これだけのことができる。いや、使徒だからこそできるのか。
「しかし、それは魔法を使うならという話。魔力の場合は……エンリカ・フランツ、分かりますか?」
「はい、基本三魔ですわね。魔応、魔制、魔変の三つが魔力を使う上で重要な事柄。そして、更に魔力を行使する上で前提がありますわ」
エンリカが辺りを見渡しながら答える。
「先天的なものが二つ。魔蓄と魔現。簡単に魔力を貯蓄できる量を指すのが魔蓄ですわ。そして、魔力の発現に必要な想像力を魔現。いずれも鍛えてどうにかなるというものではありません。不可能ではありませんが、才能が直結する部分ですので」
「基本三魔に対する応用双魔。この五つが大きく定義されています」
ヨハンナが前方に五芒星を描き出す。それぞれの先端に五つの名称が刻まれている。
「しかし、それは私たちが定義したというもの。実際の魔力とは、限りない可能性に満ちています」
「限りない可能性……?」
「例外、と定義していいでしょう。今は、その存在があるということだけ把握していればいいでしょう。グレイス、貴女のような魔力とは無縁の人間が学び始めるならば、例外など後からでよいのです」
「分かりました」
ヨハンナの口調は淡々としている。そのため、実践と座学で皆の意気込みは変わる。
ティアにとっては何度学んでもよかった。
人によっては、以前発言した事柄と全く異なるものを主張する者がいる。それはティア自身に混乱をもたらし、学習を阻害していた。
今、学びだけに専念できるのは、確実な教えからくる安心があってこそだ。
「では、実践に移りましょう。基本三魔、使徒として身につけてなくてはなりません」
建物に入ると、ヨハンナが振り返った。
すると屋内の様子が変化する。四方の壁が箱を開いたように倒れ、風が吹いてくる。
「この風は私の魔力によって生じています。その中で火炎魔法を維持して下さい」
「はい、火炎魔法」
全員が手から火を点ける。いや、アンだけは何もしなかった。
「……アンリはこれを。意識するべき点は、魔力を使う部位です。手ならば手を。指ならば指を。……松明ならば松明を」
アンは、メラメラと燃える松明を渡される。言葉からして、何か意味があるのか。
風が強くなる。数秒ごとにその向きや勢いが変わり、火を手で覆いたい衝動に駆られる。
「わわっ」
最初に火を消してしまったのは、ベルだ。その次に、エドワルド、ペルラ。三人とも比較的に魔力評価が低い者たちだ。
「わ、わたしがこんなところで失敗するはずがない! 何かの間違いだ!」
「何度でも挑戦してみて下さい。魔法の発現には体内の魔力を必ず使います。魔蓄の限界を迎えるギリギリまで続けるのが理想です。全ての魔力を使った場合、意識を失うため注意して下さい」
「わかった。これ、難しいね」
「数を重ねれば自ずとできるようになります。その速さは適性が大きく関わりますが」
「それなら、わたしは無問題だな! 火炎魔法!」
エドワルドが着火する。二人も彼の後に続く。以後も三人は度々挑戦したが、やり直す度に火炎を維持する間が短くなった。
一方で残りの六名は、状態が異なれど一度も消していなかった。アンも手で風を遮って、守っている。
ティアもここまでは専念できている。集中の際に目を瞑っていた。そのお陰か、不安や自信のなさを払い指先だけに意識を向けられた。
「では、ここからは少し出力を上げます」
ヨハンナが左腕を回す。
竜巻が起こった。小規模だが、滅多に起きないような自然環境だ。その威力は凄まじく、候補者たちの炎が大きく歪む。堪えようとするも手から離れた一瞬で物理的に巻き上げられる。
「ダメか……」
マグナスが声を漏らす。ニルも手を挟むが、自身の炎に触れて反射的に声を上げた。
分かったのはそこまでだ。ティアは身を屈めながら抵抗を続けていた。
あまりの風でティアの肌が痛み出す。再挑戦する者たちの体から汗が流れる。最初に脱落したベルを始め、息が大きく乱れ始めていた。
不意に辺りの空気が落ち着く。抵抗先がなくなったからか、ティアはその場で前のめりに倒れ込んだ。
「そこまで。一度休憩を挟み、その後座学をします。魔力の回復に努めて下さい」
ヨハンナが指を鳴らすと、元の木造の部屋に戻る。
ティアは辺りを見渡す。胸がズキリと痛む。
倒れた拍子に炎は消えてしまった。
ほとんどの者が疲労している。息を切らしていないのは、アンとペルラだけだ。
その中でもエンリカとノトゥだけが炎を残していた。
彼らの足下には小さな水たまりができている。指の間から滴り落ちた汗だ。それでも魔法を出し続けられていた。
「魔制をどうするか。ですか」
昼時、グレゴリーの料理に舌鼓を打ち終えたティアは、そのまま反対の食卓にいるヨハンナの元に向かった。
ヨハンナが口元を布で拭う。休憩時間では、彼女は眼鏡をしている。
その印象は独特だ。白色の瞳は間近で見ると光が薄い。頬の肉は少なく、法衣の下もかなり細身であるようだ。性格も静かで、グレゴリーとは対照的だ。
「グレイス、貴女は炎を維持できていた。それでは満足できませんか?」
「……というよりは、あれ以上のことをできないような気がして」
「よく分かっているようですね。その通りです」
ヨハンナが対面に座るように促す。
着席したティアに合わせて、ヨハンナが指先から火を出す。
「使徒の役割がこの炎を守る、それだけなら容易です。しかし、これはあくまで魔力制御。本来の使徒は、どのような環境においても自然に対応する必要があります。グレイス、試しに消してみようとして下さい」
「は、はい。……ふーっ! ふーっ!!」
火の直前で息を吹きかける。しかし、火は消えるどころか一切揺るがない。
もう片方の手には杯の水が集められる。水竜魔法を詠唱なしで発現している。
ヨハンナの水球は宙に浮くと、ぐにゃぐにゃと形を変える。
「わーっ! りんごだー! 食べていいー?」
水のりんごが作られると、それに気づいてベルが近づいてくる。
「グレイスはそのまま消してみようとして下さい。ベル・リン、これを食べてみて下さい」
「わーい! いただきまーす! ……あれ!?」
横目でその様子を見ていた。りんごの身が削れ、口に含まれることを器用に避けた。ベルは何度も食らいつくも、彼女は何も味わえないでいる。
「回数を重ねることです。それが最も単純でしょう。貴女が感覚的に魔制を覚えれば、新たなことに挑戦することができます。それが基本というものです」
「分かりました」
「ベル・リン。貴女もグレイスや他の候補者と共に励むといいでしょう。焦ることはありません」
「うん。がんばるねー!」
ヨハンナが小さく頷く。表情は硬いが、微笑んだように見えた。
彼女は食器を片付ける。その足取りは重く、一歩一歩を確かめるように進んでいた。
座学は主に本を使って行われる。
本の題名は「第三世全書」。魔力に関する事柄を中心として書かれている。
難しい表現がされている部分はある。しかし、抽象的ではなく具体的で、論理の流れさえ分かれば理解できるものだった。
「ぐーっ」
ただ眠る者はいる。この時間になると多くが疲労を抱えており、油断すれば睡魔に誘われる。ベルやエドワルドなどはその常連だ。
「ペルラ・グレイグス、使徒と魔力がどのように関わっているか。理解できましたか?」
「強くなるのに必要そう」
起きていても正しく返答できる者は少数だ。ティアでさえ、本の内容が全て頭に入っている訳ではない。
ただ重要な事柄は、夜半にエンリカに教わっているのもあって分かってきた。
「グレイス、魔力とは?」
「はい。万物に宿り、現象を引き起こす力です。あらゆる現象の根源に魔力があり、例えば火も魔力がなければ起こりません」
「しかし、それならばなぜ人や動物、物は火を点けることができる」
「条件を満たしているからです。人なら木と木を擦り合わせること、石のような物ならば互いに強く打ち合わせること、こういった条件を満たしたからこそ魔力が火を発現します」
前方の席に座っているエンリカがこちらに向けて親指を立てる。頬が思わず緩んだ。
重要な事柄は現実と結び付いている。全く知らないものではなかった。それならば、あの苦しみも経験した甲斐があったのかも知れない。
「では、人間や使徒、レムレスはどのように魔力を操ると思いますか?」
「魔力を……?」
「予想で構いません。エンリカ・フランツ、ノトゥ・ウィンラント、両名は答えを知っているでしょうから静聴するように」
前席で手を上げた二人が渋々と下げる。
ヨハンナと目が合った。彼女の瞳が不思議と光を強めている。
流れからして魔力とは体内にある。魔法は、魔力を集めることが発現の条件。考えられる材料は他にもある。
グレゴリーたちが言っていた食事が大切であること。栄養が行き届いていれば、自分のこの体ももう少しは成長しただろう。
「体内で魔力を運ぶ。……血液……ですか?」
「……そうです。体内を流れる物質、これが私たちの力を支えています。これは、使徒と人の明確な違いを示してもいます」
「使徒と人の違い……?」
「開示魔法」
ヨハンナが手を振りながら唱えると、目の前に大きな透明な板が二枚現れた。
人の図がそれぞれに描かれている。
「こちらが、人間。こちらが、使徒。人間の魔力の流れは血液と同じ、と考えていいでしょう」
人間の方に矢印が出現する。それは体内を巡っているようだった。
「この私作の図はかなり簡略化しているため、細かな血管の話は省きますが、それを用いればある程度集中して魔力を集められます。先ほど、グレイスが粘り強く耐えられたのもそれが要因の一つと言えます」
「なるほど……」
「……そして、使徒の場合はこのようになります」
ヨハンナが図の背後に回り込む。
そして、図の使徒の手から火炎魔法が発現する。その時、全身の血液が高速で巡り出す。いや、それだけでなく循環を止めて手だけに集中している。
その結果、使徒の手からは巨大な炎が噴出した。まるで実際に発現しているかのような熱に全身が発汗する。
「これが使徒の力の一端です。全身が魔力を行使するのに最適化されています。血液だけでなく肉体がそのようになっているのです」
図が消えると、背後にいたヨハンナが現れる。いつの間にか、風が吹き出していた。そのお陰で体が冷やされる。
「使徒への目覚めに関しては、また別日に。今は、力をつけて下さい。今日に関しては、少し先の話をしてしまいました。私も反省しなくてはなりませんね」
その後、それぞれに紙を手渡された。期限の設定がされている課題だ。短期で可能なものと、時間をかけて行う長期のものがある。
アンは露骨に嫌そうな顔をしていた。丸めてティアに手渡すと、さっさと入浴に向かってしまった。
先に部屋に戻って、自分の分とアンの分を確認したところ、短期のものに個人差はあまりなかった。だが、長期は違った。
ティアに向けられた長期課題は、魔力を纏えるようになること。アンは魔法を発現すること。
期日は次の成績が出るまでだった。




