使徒と候補者たち
「朝になりましたわー!」
「なったよー!」
その一声でティアは体を起こした。
目をこすりながら開かれた窓を見る。まだ日は射していない。
エンリカもベルも昨日と変わらず快活だ。
「グレイスさん、おはようございますわ!」
「おはようございます、エンリカさん」
「さあ、早朝の修練が始まりますわよ! ペルラさんはワタクシとベルさんで何とかしますので、お先に庭の方へ」
「は、はい……」
ペルラが寝ているベッドが取り囲まれる。
二人は声だけでなく、手を使って力づくで起こそうとした。それでも銀髪の少女は寝息一つ立たず眠っている。
ティアは扉に向かいながら体を伸ばした。
昨夜はかなり遅い時間まで共に勉強をしていた。途中で帰ってきたペルラも入れて、外が少し明るくなるまで続けられた。
検査での肉体の行使もあって、ティアの体は何倍にも重くなっている。
だが、今日から使徒の候補者として本格的な修練が始められる。気持ちだけでも切り替えなければならない。
そういえば、アンがいない。扉を引きながらティアは振り返って見渡した。
すると、扉の奥から何かが動いた音を聞く。
「ア、アン……?」
アンだ。胡座をかいた状態で頭を振っていた。昨夜、ペルラが帰って来ていたことからやはり懲罰は終わっていたのか。
アンが立ち上がる。動作が緩慢としている。
ティアと入れ替わる形で部屋の中に入っていく。
その時、彼女の表情が見えた。
薄く開かれた眼、下がった両の口角からして明らかに不機嫌だ。
やがて、稲妻のような音が部屋の中に響き渡った。
数時間後、ペルラは食堂でこのような感想を述べていた。
「まだすごい痛い」
彼女の頭頂に小山のようなタンコブが作られていた。
「早く起きないからですわ。ですけど、凄まじいものでしたわね……」
エンリカは朝食のパスタを巻きながら答える。
修練は、走り込みや筋力の底上げ、柔軟といった基礎的なものだった。しかし、その厳しさは先日の検査を超える。徐々に負荷を上げられると参加者のほとんどが音をあげた。この中では三指に入る体力を持つニルでさえ、肩で息をし始めるほどだ。
ティアも朝食が始まる直前まで、ぐったりとしていた。
「グレイスちゃん、よく食べるねー」
「はい。ご飯だけは得意です」
「あはは、ご飯が得意ってなんのことー」
「体が全然動かなくても、口だけはなんとかできるんです」
もぐもぐと咀嚼する一方で、ティアの全身は震えていた。
最も苦手とする筋力強化によって何度も骨が折れた。共有魔法を使われて傷自体は治ったが、本来なら静養が必要だ。
しかし、食事が終われば、また修練が始められる。その間に少しでも体力を回復させるしかなかった。
その点では、今日の食事も多くの者を癒せる出来をしている。
肉をメインにしたパスタ料理だ。煮込まれた細かい肉や野菜をチーズが包み込んでおり、それを開くと湯気と共に様々な匂いが立ち込める。
「君たち、こんな美味しいものを食べていたのか」
年長者であるマグナスも唸り声をあげていた。懲罰を受けていた組は、まだここでの食事をしていない。
合わせて九名が食卓を囲んでいる。中央のエンリカとマグナスを境に男女に分かれている。アンが最も端で、その隣にティアが座っていた。
アンは片側の頬を膨らませながら黙々と食べている。
「昨夜も絶品でしたわ。フランツ家復興の暁には、是非こちらでも……と、それは申し訳ありませんわね」
「? 誰が作っているんだい?」
「エヴァールさまですわ。……といってもワタクシも初めてお会いする方でして、どういった使徒さまかは分からないのですが。しかし、料理は絶品。使徒にとって食事とは欠かせないものと考えれば、超一流の使徒さまと考えていいかと」
エンリカが立ち上がる。彼女の器はすっかり空になっていた。
「負けてられっか!」
一拍置いてニルの巨体が動き出す。彼の口元がわずかに光っている。脂が付着していたためだ。
各々の食事作法はバラバラだ。
マグナスやノトゥが丁寧に食べている一方で、ペルラやベルは食器の扱いが拙い。その辺りは、昨日の検査で明らかになった知識・教養面での数値と繋がっている。
昔ならそのように考える余裕はなかった。周囲から送られる厳しい視線で萎縮してしまったからだ。だが、今はエルダートで正しい所作をある程度教わったお陰もあり楽しめている。
アンも静かに食べている。話しかけられたも無視を貫いているが、暴力を振い出すよりもずっといい。
「そういえば、今日も三人いないねー」
ベルの言葉にドキッと心臓が動いた。たしかに、昨夜から見かけない。
「……あの三人は、少し特別だからね。あんまり気にすることはないよ」
ノトゥがその疑問に答えてきた。目の下が黒っぽくなっている。昨夜、ベルが眠るのを見届けてから男性部屋に帰っていた。そのため、彼もあまり眠れていない。
「わたしはもっと特別だぞ!」
「すごーい! エドくんってすごいんだー」
「そうだとも、わたしはヨーク家の男児。そこらの家とはまるで格式が違う!」
「う、うーん。たしかに、ボクの家よりはすごそうだね……。ヨーク家って、たしかリテン島の……」
「そうだ! リテン島で最も正統とされる王家である。この血は、十数年で名を上げたような貴族たちとはまるで違うという訳だ!」
エドワルドはスープを一飲みにした。
彼にはそこまで嫌なものがない。生まれは異なれど、ベルの気質とよく似ている。
そんな彼に話を遮られてしまったが、ティアはここにいない三人が引っ掛かっていた。昨夜、エンリカも話を避けており、事情を把握していない。どのような人物か知っておくべきなのか。
いきなり、ティアは思い切り咳き込んだ。
「大丈夫?」
「す、すみません。ちょっと、食べ過ぎちゃったみたいで……ゴホッゴホッ」
食事前に用意されていた布で口を押さえる。収まるまで少し時を要した。
布を確かめてみると赤い血が付いていた。喉か腹か咳の勢いで傷ついたのだろう。
そうしていると、エンリカたちが帰ってきていた。
「どうしたんだい? 二人とも」
二人とも眉根を寄せている。
台所の方から誰かが近づいてくる。ニルを超える巨体と褐色の体毛に、ティアは見覚えがあった。
「口に合っているかね」
「グ、グレゴリー教官……!」
マグナスが呆気に取られて食器を手放す。
グレゴリーは給仕らしい暗色を基本とする衣服を上下に纏い、腕を捲っている。腕に刻まれた傷は歴戦の猛者を彷彿とさせる。
「も、もしや、これを作ったのは……?」
「俺さ。昨夜は懲罰に出ていたからエヴァールの爺さんに任せていた。そっちも美味いがな」
グレゴリーが男側の近くに立つ。黒い眼がギラリと光っている。
だが、昨日に感じられた空気を発していない。
「……で、味はどうだった?」
「とても美味しいよ」
「ほう……」
言葉を発したのはペルラだ。淡白な声色と、表情をグレゴリーがまじまじと見つめる。
全員が彼の次の動作に注目していた。
グレゴリーが拳を強く握りながら深く息を吐く。
「そうか! そうかそうか、美味しかったか!」
緊張を破ったのは、高笑いをするグレゴリーだった。
「作った甲斐があったというものだ」
「ああ、美味かったぜ! さっきはおっさんが飯作ってたのに驚いたがよ」
「ニル、教官と付けろ! おっさんだけだとなんかパッとしないだろ!」
「グレゴリー、おかわりいい?」
「ペルラ、話聞いてたかぁ!? おかわり持ってきてやるから待っていろ」
「きょーかん! アタシもー!」
「偉いぞベル! 倍盛ってやる!」
受け取った食器を持って、彼は奥へと消えていく。すぐに戻ってくると宣言通り、ベルの分に山のようなパスタが盛られていた。
「アン、グレイス、ベル一人じゃ食べ切れないかも知れん。手伝ってやってくれ」
「…………」
「グレゴリーさ……教官、頑張ります。ベルさん、よろしくお願いします」
「二人ともたのむよー」
ベルがパスタ山を三人の中央に持ってくる。それで好きなように取っていった。
アンが、無言のまま肉と野菜のソースを多めに確保する。アンが不満を言わずに手を進めている。相当に気に入ったみたいだ。
その後も、食事の時間は続けられた。全員の腹が満たされるとようやくグレゴリーの動きは止み、卓上のものが片付けられていった。
ティアの腹もかなり膨れた。食べ過ぎで動けなくなると思いきや体が軽くなっている。
「ふぅ〜よく食べてくれたな〜。ありがとうな」
「い、いえ、こちらこそ。美味しいお料理をありがとうございました!」
「グレイス、元気だな! その調子で頑張れよ。お前たちもこれから気合い入れてけ! 予定通り、午前の修練を行う。まあ最初はちょっと挨拶があるがな」
「挨拶?」
「お偉いさんがいてだな。それ用のってとこだ。まぁ、ちゃんと自己紹介していなかったし丁度よくはあるな。……あ、そうだ。全員、これに着替えてくれ。操作魔法」
グレゴリーが指を一振りする。
すると、食堂の窓が開く。そこから何着かの服が列を成してやってきた。
「特製の制服だ。環境に合わせて幾つか用意してある。これからはこれを着て修練に参加するように。以上だ」
また後で、とグレゴリーは足早に去っていった。
ティアたちは部屋に戻ると早速着替え出した。法衣に近いデザインではあるが、聖都の街で見た使徒たちのものとはかなり簡略化されている。使徒の卵、そう表現ができそうだ。
「あっ、あれは」
着替え終えて、廊下に出たエンリカが窓の外を指差す。
あの三人だ。すでに同じような制服に着替えて待っている。他にも、見知らぬ人影が幾つもあった。あれがお偉いさんなのか。
修練場の庭に集まる。十二人、全員が揃う。
ティアたちの前にグレゴリーたちが並ぶ。
全員が使徒だ。人とは異なる気質が全員にある。
先ほどの食堂と異なり、グレゴリーの柔和さが薄らいでいる。そのせいか、体がわずかに硬くなる。
中央のグレゴリーが一歩、前に踏み出す。
「改めて自己紹介する。俺は、グレゴリウス・テラウス。アルタデロス地方の使徒だ。本来はそっちで庶事全般を担っていたんだが、何の因果かお前たちの面倒を見ることになった。戦闘や肉体面を担当する。グレゴリー教官と呼んでくれ、よろしくな」
言い終わると方々から応答の声が発される。ティアもよろしくお願いします、と口に出していた。
「じゃあ、次はヨハンナさん」
グレゴリーが低姿勢で女性に促す。
前に出た法衣の女性は、銀髪に真っ白な眼を持っている。空気はどこかモアナに近く、落ち着いた大人の雰囲気が出ている。
「はい。私はヨハンナ。ヨハンナ・ベネス。所属は聖都。魔力に関する事柄を担当します」
再び方々から声が上がる。彼女に褒めてもらったことをティアは覚えている。
「最後、エヴァール殿。よろしく頼みます」
「うむ」
先ほどは、エヴァールの爺さん、とグレゴリーは言っていた。こちらに対しても低姿勢だ。
老人はゆっくりとして足取りだが、精悍な眼差しをしている。
「儂はエヴァール。今は、聖都で使徒をしておる。学問を担当してはおるが、あくまで皆の支援でのう。何か困ったことがあれば遠慮なく申しておくれ」
「これから俺たち三人は、お前たちの監督をする。修練から日常生活に至るまでだ。そして、翌年の西方遠征までにお前たちを一人前の使徒候補者として育て上げる」
グレゴリーの熱が四方にこだまする。
そして、再び走り込みが始められた。
死ぬような苦痛を何度も味わう。だが、それ以上にこれからの生活がティアは楽しみでもあった。




