決闘
麦わら帽子に作られた影の中で、蒼い眼が澄んでいる。
日差しの下で、ペルラとニルが向かい合った。
そこから少し離れて、ほとんどの使徒候補者がいる。壁を伝って歩くことでなんとかティアもそこに辿り着けた。いないのは、部屋で寝ているアンとベルだけだ。
「エンリカ、なんで止めないんだ」
腕を組んで二人の様子を見ていたエンリカに声をかける者がいた。先ほど、二人を止めようとしたノトゥという人物だ。
「……フランツの者としてこのような野蛮な争いは止めるべきでしょう」
「だったら、なぜ」
「ノトゥさん、貴方の身体能力は7、ワタクシは6。あのお二人はここにいる者でもっとも優れた数値を出していますわ」
「たしかにそうだけど……それでも、ハンムックさまに見つかったら」
「厳罰に処される可能性はあります。ですが、それでも……今のワタクシは見ておかなければなりませんわ……」
ノトゥが何か言おうと手振りするが、それ以上言葉は出なかった。
エンリカの興味、他の人々はどのような理由なのだろうか。
彼女のように真剣な眼差しを向けている者としてマグナスがいる。一方で、面識のない者のほとんどが笑みを浮かべている。まるでこの決闘を楽しむかのように。
対して、中心にいる二人は棒を手に取り始める。
「さっき、こいつを使った。テメェが使うのはそれでいいのか?」
長剣と同じ長さの棒を二振り持つ巨漢に対し、ペルラの棒は短い。
「これでいい。一番慣れてる」
「そうか。なら、ヤり合おうじゃねえか。その帽子はつけたままか?」
「ああ」
「そいつも武器ってことか、いいぜ」
ニルが構える。両腕とも下段に、脚を大きく前後に開き、前屈みの姿勢となる、
ペルラは両手で剣を持ち、中段に構える。獣を想起させる動に対して、静さが彼女を中心に起こっているようだった。
およそ十歩の距離。
それを一瞬でニルが潰す。
「オルァ!」
巨大から繰り出される振り下ろし。突風がティアの顔に触れる。刃のように冷たい。砂粒が飛ばされて来る。
ペルラが打たれた。直前のティアはその場面を思い浮かべていた。
だが、ニルの腕と腹の間に影がある。
棒が突き出され、ニルの鳩尾がその形にへこんでいる。
「か、かはっ……」
巨体が後ずさる。その体は小刻みに振動し、口から液体が溢れていた。
だが、両手は得物を離していない。
「まだやる?」
「……たり、めぇ……だろ……!」
言い終わりと同時に右の横薙ぎ、ペルラは棒を傾け這わせる。麦わら帽子が飛ばされ、不規則に宙を舞う。
ニルの体勢が力の向きに偏る。首筋へ打ち込むが、鈍く音を発した箇所はその背中だ。彼は受け流しに合わせて前方に駆けていた。
ニルが庭の土を振り上げる。泥や砂が壁のようになってペルラを襲う。
鈍くも高い音。彼女には一切の飛散物が届かなかった。踊るような足取りに合わせて何かが周囲を回っている。
それは盾だ。棒を円状に回すことでそのような錯覚が生じる。風切り音が技術の鮮やかさを語る。
「すごい……」
ノトゥが感嘆を口にする。エンリカの口も開いたままになっている。
突如、ニルが剣を片方投げ上げる。
「行くぞゴルァ!」
左肩をいからせた突進。猪のようで体の陰に棒を隠している。
飛び道具の包囲を抜けた直後、両者が肉薄する。
「ドラァ!」
一閃。両手からの渾身の突き。銀の髪が激しく乱れるも、そこに彼女の姿はない。攻めの起点となっていた左半身に回り込んでいた。
既に、一撃が振り抜かれようとしている。
「……っ!」
ペルラの頭に一本の棒が達する。先ほどニルの打った一手だ。
巨大な肘打ち。腕を曲げ、崩れた姿勢を狙い撃つ。
乾いた音が激しく起こる。ティアには身に覚えがある。骨折、そして木や枝が破壊。ニルの肘がペルラの棒の先を粉々にしていた。
破片が両者に降りかかる。互いに後方へ飛び、距離を取る。
その時、ようやく麦わら帽子が降って来た。ペルラは手で取ると、そのまま被り直す。
一つも息が上がっていない。一方で、ニルの上半身が膨張と縮小を繰り返していた。
ティアの喉が鳴る。二人の剣士は構えを解かぬまま、ゆっくりと円を描く。
すると、しばしの静寂の後に、ニルがその場を踏み締めた。足元には先ほど使用した長い棒が残っている。
「やるな」
「そっちも」
ニルが得物を拾い上げる。しかし、それを逆手に持ち直した。
そのままペルラに投げ渡す。
「使いやがれ」
「いいのか」
「テメェは大したもんだ。なんとか一本持ってたがな、まだ余裕があんだろ?」
「うん」
ペルラが小さく頷く。ニルが高い声で笑う。
ニルが両手で棒を構える。上段ではあるが、左腕の位置が右腕に対して低い。
「ペルラだったな。認めてやる」
「どうも」
「将来、妾として迎えてやってもいい」
その言葉でエンリカとノトゥが声を上げる。ティアも顔が少し赤くなった。本を読んだせいかその意味はそこそこ知っている。
「メカケ? いいよ」
「分かってんのか……? だがそれもいい。来やがれ……!」
ペルラは無表情のままだ。蒼い双眸は少しも揺らいでいない。
この決闘、ティアはアンを見ているからこそ追い切れている。力を出したアンも同じくらいの動きをし、嵐となって環境を破壊する。深淵の森にいた時も、それ以前でもそうだった。
だが、目の前にはあの力と並びかねないものがある。使徒はこれ以上に強いと言うならば、自分は果たしてどうなるのか。
再び、二人はを打ち交わしていた。
力ならニルが明らかに上だ。だが、ペルラはことごとくを流している。とにかく動きが速く、短い。微妙な動作一つ巨体の乱撃を止めていた。
何度も鈍い音が鳴る。ニルは全身を打ち込まれている。しかし、苦悶を浮かべてはいない。大したものでないのか彼も打ち返せてはいる。
すでに戦ってはいない。ニルがペルラに教え込まれている。徐々に鋭さを増していく彼の動作を、ティアの眼は追い続けていた。
ひとしきり続いていると、観衆の中から一つの影が躍り出る。
「よせ!」
制止の声が方々から上がるが、金髪の少年は棒を握ったまま土を蹴り出すのを止めない。長髪が後方に靡いている。
「わたしとも勝負だ! わたしはお前たちより強いぞ!」
そのまま渦中に飛び込んで行く。
だが、即座ニルの剛力が少年の頭頂にめり込んだ。
「へぶっ!」
悲鳴と共に少年の全身が地面と同化する。
「邪魔すんじゃねぇ!」
丸太のような脚が振り上げられる。埋められて潰された蛙のようになっている彼には為す術がない。ペルラも牽制をかけられている。
頭を蹴り抜かれる。
だが、宙を回ったのはニルだった。
三人の空間にもう一人、赤髪の青年がいる。右手で体勢を立て直したニルがその人物を睨みつける。
「マグナス・ドゥラメンテ、推して参る。僕とも手合わせ願おうか」
「テメェか、おもしれえ!」
歯を剥き出して笑う獣に対して、マグナスは棒を正中に構えている。
土の中から影が飛び起きる。泥で真っ黒になっている金髪の少年は、ニルとペルラにそれぞれ棒の先を向ける。
「わたしを忘れてもらっては困る! エドワルド・ヨーク、わたしの仇を討ち果たしてくれん!」
「あたしも?」
「ああ! おまえはわたしの純情をもてあそんだ、からな!」
「そうなのか。遊んでわるかった」
ペルラの体は蒼い眼だけが、エドワルドを見ている。マグナスは肩を落として、息を吐いていた。
「……しゃらくせぇ……! 全員かかってきやがれ!」
それを合図に四人が一斉に動く。
ニルは全員に、ペルラはニルとエドワルドから攻撃されている。ペルラは両者を捌きながら、エドワルドに突きを放つも、マグナスが止めにかかった。
実質、三つの勢力があるようになっている。
「お前ー! 隙ありだー!」
「ちいっ」
ニルが舌打つ。
エドワルドの打ち込みが左腕を捉えていた。右から振りかかるもマグナスが素早く打ち合わせた。接触により歪む空間、音が遅れてやってくる。
砂埃も何度も巻き上がる。攻防は混乱を極めており、暇がない。
一部の観衆が移動する。風下を探しているのか。
戦況は、マグナスによって左右されているといってよかった。洗練された技術ではあるものの速さではペルラに、力ではニルに劣っている。
しかし、守りに専念していることでもう一つの静寂を場にもたらし、均衡を保っていた。
風が強まる。目を開け辛くなるくらい粉塵が舞っている。目元に腕を当ててようやく状況が見える。
移動した面々が遠くにいる。三人。その内の二人の男女の口元に笑みがある。
ティアが胸を抑える。
「ど、どうしたんだい?」
ノトゥが彼女に近寄る。エンリカも視線を移した。
「な、なんでも、ないです……」
「まだ疲れが残っているんだ。一回屋内に戻っても」
「だ、大丈夫です……」
荒く息をする。心臓が高鳴る。疲れているからではない。
一瞬見えた二人の表情、ティアには覚えがある。
夢の中、現れる顔。色々な人との記憶だ。
その中のあの笑み。蔑みとは違う。何も感じていないようで楽しみを含んでいる。
自分にも何度か向けられたことがあった。
鈍くも鋭い痛みが広がっていく。
「グレイス!」
呼ばれた。マーテルの姓だが、自分の大切なもの。
顔を上げた。目の前に、何かが迫っていた。棒、と気づくに時はかからない。
回転している。当たる、と思った時、目を瞑るしかなかった。
その時、体を風が包み込んだ。柔らかでない、硬くて力強い嵐だ。
見えなくてもその正体は分かった。
「アン……!」
乾いた破裂音が響き渡る。それから、辺りは一瞬静まった。
目を開ける。黒くて短い髪が揺れていた。アンの足元には、残骸となった棒が散らばっている。
「大丈夫ですの……!」
エンリカが頬に触れる。紫色の綺麗な瞳が忙しなく動いていた。
「は、はい……な、何が……?」
「彼のものか……? それが、こっちに飛んで来て……」
ノトゥの声。ティアは乱戦を見る。全員の動きが止まり、こちらに顔を向けている。
エドワルドの手には棒がなく、近くに転がっているという訳でもない。
だが、ノトゥの表情は上手く読み取れない。エンリカも唇を噛み締めているように見えた。
「奴ら……か」
アンの声だ。どこまでも低い怒りの音。
次に何をするか、ティアはよく知っている。すでに、アンの小さな足が土を抉っていた。
「アン!」
制止をかけるより速く、アンは跳躍した。
前方、四人が集まる戦場に着地する。
「ヤる気になっ――」
「どけ」
更に跳び、目の前にいたニルの襟首を掴む。
「よせ!」
一瞬遅れて、マグナスが打ち込んでいた。
しかし、アンは体格差をものともせず、布でも扱うようにニルを振り回す。
「ぐっ」
マグナス、おまけにエドワルドも巻き込む。ペルラだけは後方に跳ぶことで難を逃れていた。
回転。エドワルドの悲鳴と二人の狼狽した声。そして、三人を投石を行うが如く投げ出す。その方向には、先ほどの観衆がいる。彼らも候補者だ。
一人の少女が前に出る。しかし、凄まじい勢いだ。
少女が両手で止めにかかる。すると、一人一人が、取り払われるかのように左右に避けていった。何が起こったか、こちらからではよく分からない。
「遅えよ」
アンが駆け込んでいた。少女が腕を上げるも間に合わない。払った拳が腕ごと彼女を吹き飛ばした。
そのまま踏み込む。アンの目の前には、二人の男女がいた。
アンが拳を振りかぶる。少女の方の笑みが崩れる。止められる時はないように思えた。
「そこまでだ」
突如として人影が現れる。
それは大きな手でアンの腕を掴み、勢いを止めた。急激に場の空気が変わり始める。
格好は違うが、あの人物をティアは知っている。数十分前、自分に身体能力の検査を行った偉丈夫の検査官だ。新たな騎士の装備に法衣を合わせたような装いは、ハンムックと同様に全く別の雰囲気を漂わせている。
検査官がアンから手を離す。彼女の拳は開かれている。
「お前たち、ハンムック殿の言葉を破ったようだな?」
庭中に浸透していく大きな声だ。それでいて、体を強張らせる圧力がある。
「ニル、ペルラ・グレイグス、エドワルド・ヨーク、マグナス・ドゥラメンテ、そしてアンリ。五名はこの場に残れ。私闘を行ったとして懲罰を課す」
「ま、待ってください。アンは、私を守ろうと」
「理由は求めていない。それ以外の者は、以後の案内に従え」
「そ、そんな……」
ティアは俯いた。アンが自分のせいで罰を与えられる。
エンリカが立ち上がり、彼の前まで行く。ハンムック以上の背丈と隆起した肉体が少女の姿をより小さく錯覚させる。
「申し訳ございません。止め切れなかったワタクシにも責任がございますわ。ワタクシにも罰を」
「エンリカ・フランツ、お前にそんな責任はない。他の者にもだ」
「で、ですが」
「俺の判断に従ってもらう。もう修練は始まっているのだ」
検査官が手をかざす。その手に、それぞれの棒が集められていく。粉砕され破片となったものもだ。
全てが一つにまとまり、木の剣が作られる。
彼はそれを横に振るう。すると、足場が激しく揺らいだ。ティアは両膝をつく。
「俺は、グリゴリー。この計画において、お前たちの教官兼監督役を務めることになる」
グレゴリーの前の地面が割れている。
その線は、彼の褐色の口髭に隠れた閉じた口のように真っ直ぐだった。




