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窓辺に差し込む午後の光が、白いクロスの上で静かに揺れていた。
控えていたメイドが、手際よく茶器の支度を整え、イヴォンヌと来客のマノンの二人分のカップを満たす。傍らには、小皿にヌガーがいくつか、控えめに添えられていた。
匂い立つ紅茶の香りが鼻をくすぐり、つい、イヴォンヌはほっと小さく息をついた。
(あら、嫌だわ。思いの外構えていたのね)
自分のすることが、これからを決める。
それが、生死に関わることだからだろうか。
茶の支度が整うと、メイドは一礼して静かに下がった。先に込み入った話をするので、一度下がって呼んだらまた来るように伝えていたのだ。
扉が閉まる音が、ひとつだけ残った。
「久しぶりね、マノン」
「ええ、姫様もお変わりなく」
他愛のない挨拶が交わされる。
それで、十分だった。
マノンは、微塵も違和感を見せなかった。屋敷に迎えてから、ずっと。
(戻ったのは、わたくしだけなのかもしれない)
仄かな寂しさを紛らわすようにカップに口をつけた。小皿のヌガーには手を伸ばしかけて、やめる。温度と茶の味を確かめるように一口だけ含み、ゆっくりと喉を通して潤す。そしてカップをソーサーへ戻す。
マノンも真似るように、カップへ口をつける。そして、ほう、とひと息、微笑んだ。
「秋摘みのものでございますね」
「ふふ、夏摘みだと重たいかしらって。秋は色々旬でしょう? 一緒に召し上がっていただきたいの」
嘘ではない。だが、どこかが軋む。
これから話すことは、茶受けにもならない。
(そう思っているのは、わたくしだけかもしれないけれど)
きっと、生命に関わる頼みだとは、つゆほども思わないだろう。そのことが、どこか騙している心地にさせる。
しかし、それをどう伝えればよいのか分からない。
口にしたところで、理解されるとも思えない。
せめて、からりと晴れた秋晴れの軽やかさのように、この場を収めたい。
だから、話の後に運ばせる品は、目でも舌でも軽やかなものを選んでいた。
「まぁ。コルセットを緩めに締めてくるべきでした」
「あらあら、期待に応えられるかしら」
そんな談笑を交えつつ。
「今日はね、お願いしたいことがあって」
マノンをしっかりと見つめ、膝に手を揃えて、イヴォンヌは話を切り出した。
自分の婚約者に決まった、第五王子の素行を調べて欲しい、と。
「疑っているわけではないの。ただ、まだ雲を掴むようで――二年後に結婚するのに、それでは遅い気がしましたの」
イヴォンヌの言葉を、マノンは静かに聞いていた。
「お願いできるかしら」
イヴォンヌは回答を求める。
マノンはイヴォンヌを見つめたままで、何も答えない。
ひとつ、ふたつと続いた沈黙の後、彼女はくすりと笑った。
「承りました」
あまりにもさっぱりとした返事に、イヴォンヌは目を丸くする。
「そんなに安請け合いできるものなの?」
「むしろ気になさるのが遅すぎかと」
ようやくでございますね、と、マノンは言った。微笑みに、微かな苦味が混じる。
「姫様のご婚約が成立して以降、御邸のランドリーメイドに一人、買い付けの業者に一人。王家方の影の者が混ざってこちらの様子を窺っております。御館様、奥方様、家令殿はご存知です」
それを聞いてイヴォンヌはまたも驚いた。
婚約が公表されたのはさらに四年前、イヴォンヌが十で、フィリップ殿下が十二の頃なのである。
(その頃から、あちら様はわたくしの様子を……?)
「ただ、常駐させてる様子から、おそらくご本人ではなく王妃様による監視のようなものと、踏んでおりますけれど」
イヴォンヌは少しだけ、肩から力を抜いた。幼い頃から粗探しをされていた、ということではなく。
(きっと素行を担保するための、客観的な証人ということでしょうね。ありがたい話だわ)
きっと血縁者は証人にならない。
それならば、監視されていた方が得である。だから、両親も放置しているのだろう。
もしかしたら、王妃はそこまで見越しているのかもしれない。ただ。
「国王様のご意向と伺っていたけれど、王家の総意ということだったのかしら」
そんな疑問が口からこぼれた。
イヴォンヌの婚約者である第五王子フィリップは、国王が最も寵愛する妃、フランソワーズ側妃との間に生まれた王子である。王妃から見て、政敵と言って差し支えない。
だから、一般的な貴族事情での真っ当な見方としては、イヴァルテ侯爵家は寵妃方の王子の後見となった、になるはずなのだ。敵陣偵察とも、本来は考えられる。
しかし、イヴァルテという特例が付く。
イヴァルテは国政関与ができない。なぜならイヴァルテが、フラナリア王国建国時に統合同意した旧同盟国だからである。
(わたくしたちが関与するって、簒奪を疑われても仕方がないですからね)
よって、この婚約の正しい解釈は国王が第五王子を政界から引き離した、とするのが正しい。
そして、王妃がそれを監視している、というのは、この婚約に何かあったら困るという示唆としか思えなくなる。
「人払いをなさってお話くださったという事は、姫様ご自身で思い至られたのですよね? どこまでお伝えして宜しいですか?」
マノンに尋ねられて、イヴォンヌは少し考えた。
「マノンが『遅い』というのだから、わたくしが調べても不思議と思わない人の方が大半なのでしょう?」
であれば、今更隠すことでもないのではないか。
イヴォンヌは前向きに考えることにした。
「だから、聞かれたなら答えて良いし、調べるにはあなたもあなたのお父様に報告する必要があるでしょう。伝えてくれて構いませんわ」
その返答に、マノンは諾と答えた。




