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「――イヴォンヌ」
声掛けに、イヴォンヌは彼方から意識を戻す。
イヴォンヌの手に手を添えて、母が呼びかけたのだ。
イヴォンヌは二日ほど眠り続けていたらしい。魔法による異常も疑われたが、鑑定ではただの睡眠状態としか出なかったという。
「本当に、大事無いのね?」
医者も隣で診て、問題はないと言っている。それでも――イヴォンヌは心配性な彼女のようすについ、にやけてしまった。場違いではある。相応しくないこともわかる。しかし、幸せな事だと感じてしまった心が、顔に出てしまう。
「もう! ヘラヘラしないでちょうだい!」
「ごめんなさい、母様」
「謝るくらいならシャキッとしてくださいませ! 心ここに在らずな様子ばかりで!」
母がキッとイヴォンヌを睨む。しかし、不満を投げつけてきたその声音は上擦っていて、彼女の心が真に言葉通りでは無いことは、さすがのイヴォンヌも理解ができた。
「もう大丈夫よ、母様。――父様も、兄様も、ローランも。心配かけてごめんなさい」
イヴォンヌは一連のやり取りを静観してくれていた男性陣にも詫びた。
「うん! すごく心配した!」
と、発言の場をまさに待っていたとばかりにローランは大きな声で語り、勢いよくベッドへ近づいてはイヴォンヌの腹部に抱きついた。
「気にするな。体調なんて悪くしようとして悪くなるものでもなし」
と兄は笑い、父は
「しっかり労りなさい」
と、母の肩をそっと抱きながら、イヴォンヌの目をじっと見つめて言った。
家族の様子を見てイヴォンヌは心から思う。
生きてて、良かったと。
あの時の自分は、死を受け入れた。
正しく死ぬことが、自分としての最善だと思った。どこか実感の伴わない心地を抱えながら。
でも今、それが心の麻痺だったのかもしれないと思う。ただ倒れただけのことで心配してくれている家族の中に、イヴォンヌはいる。
(わたくしは、生きねば)
あんな一時の感情の尻拭いで、死ぬわけにはいかない。
イヴォンヌの様子に一旦安心した面々を見送り、一段落したところで。イヴォンヌが真っ先にしたことは手紙を書くことだった。
宛先はマノン・アナマキエ。
アナマキエ子爵の三女で、死んだ未来でイヴォンヌの侍女として共に王都へ行った娘である。
マノンに連絡する理由ははっきりしている。
まず、彼女自身の近況。
次に――もしや彼女も、イヴォンヌと同じ状態ではないかという確認。
そして最後に、アナマキエ子爵家への依頼だ。婚約者であるフィリップ殿下の素行調査である。
どちらも具体的に書くことはせず、会いたい旨だけしたためた。物的証拠が残っては困るからだ。
同じ轍を踏むことだけはあってはならない。
だから慎重に、今できることをなすしかないと思った。
例えば――真っ先に思い浮かんだ人物に、イヴォンヌはつい嫌悪感を露わにした。あの非常に不躾な令嬢を、反吐が出るあの忌まわしい言葉を――自分と同じ貴族の娘であるなど全くもって受け入れがたい。
あれは一体何なのか。とは言え、さすがのイヴォンヌも心当たりがない訳ではない。ただ、率直に言って婚約関係に波風を立てることのリスクが分かっていないとは思いたくない。
宮中であれと出会わなければ、何も起こらなかったのかもしれない。ただの事故だったのかもしれない。
イヴォンヌはすぐにその考えを否定した。よくわからないが、あれは婚約者殿について話をしたがっていた。解放しろ、とか何とか。
(私は彼に干渉した記憶が全くないのだけれど)
イヴォンヌは何となく、察しがついてはいるのだ。
あれは少なからず、フィリップ殿下に強い思慕を抱いている。
そして、自分の方が相応しいと本気で思っている。
茶会の噂話で、そういう女の話はいくらでも聞いた。
(相応しいとか、相応しくないとかいう事で相手を選べる立場ではないことが――いえ、そんなことを考えてはいけないわね)
イヴォンヌは政治的な婚姻と同じくらい、個人を慕った果てに結ばれる婚姻も尊いことは分かっている。自分の父と母こそ、その典型だからだ。
(その分、色んな覚悟が必要ですけれど)
だから、アナマキエに調べてもらうのだ。
そんな関係が、一朝一夕でできるわけが無いのだから。なにかは分かるはずだと、イヴォンヌは確信していた。




