19
殿下が部屋に入るところで、イヴォンヌは更なる人影を見た。扉の向こうにもう一つ、影が揺れたのだ。
「あら、もう御一方いらっしゃるのではなくて?」
「ああ。入れても?」
「ええ、構いませんわ」
殿下に促されて部屋に現れたのは、ブルネットの髪の男性だった。特別大柄ではない。だが、立つ姿には妙な安定感があった。おそらく、殿下や兄よりも幾つか年上か。若者特有の尖ったところがなく、振る舞いにも余裕が感じられる。ただ、その落ち着いた面差しには見覚えがない。少なくとも、これまで見た殿下の供回りにはいなかった顔と思う。
「エミールという。先刻到着した後発隊を率いていた」
すると、エミールと紹介された彼は流れるように一礼した後、
「第五王子近衛隊所属、エミール・ヤンエスと申します」
と、名を告げた。イヴォンヌは頷いて答えてみせる。
「はるばるお越しくださり感謝申し上げます。イヴァルテ侯爵家の娘、イヴォンヌでございます。こちらの者は私の友人でマノン・アナマキエ」
マノンは変わらず礼を取ったままの姿勢だったが、イヴォンヌの紹介に合わせて体を起こし、楚々と微笑んだ。
「お初にお目にかかります。マノンにございます」
今度は殿下が頷いた。
「よろしく頼む、アナマキエ嬢」
挨拶が済んだところで、イヴォンヌはベルを鳴らした。
すると、間もなくメアともう一人、ワゴンを引いたメイドが現れる。
(あら、これから追加を伝えるはずだったのに)
内心驚きながらも、
「皆様はどうぞ、ソファーにおかけになってくださいませ」
と、三人を先程とは別のテーブルへ促した。
部屋内には二つの席が用意されており、丁度マノンと使っていたのは、扉からソファーを挟んで窓際の席だった。
茶を用意するメイドの傍ら、イヴォンヌの傍へ寄ったメアは、深く礼をして腰をかがめた。
「妖精様が、予めお伝えくださいまして。最後の春摘をお持ちいたしました」
どうやらメアは、指示を待たず茶を用意したことを気にしているらしい。イヴォンヌは口元を隠してそっと、
「素晴らしいわ。よく働いてくれました」
と、労う。
ふと、先程まで座った席に目をやれば、残っていた菓子類が全て消えていた。
(まぁ、やるわね)
つい、顔が緩む。
「ニヤけてどうした」
マノンの隣、殿下の正面に座ったところで問われた。
「いいえ、どうもしませんわ」
「嘘だな」
言いざまに少し口先を尖らせたくなるが、イヴォンヌは気を紛らわせることにした。
カップはセイランの、富貴の象徴カメリアが藍色で描かれたものだ。最近仕入れたものである。
「この部屋に何か居んのと関係あるか?」
相変わらずじっとイヴォンヌを見つめていた殿下が探るように尋ねた。瞬間、殿下の隣にいたエミールが腰を浮かしかけるが、「そういうのじゃねぇ」と制止する。それでも、エミールは警戒した面持ちのままだ。そんな様子を、イヴォンヌは内心滑稽に思う。
「お分かりになるの?」
「まぁ」
殿下は立ち上がり、部屋を見回す。すると、窓際に目をとめた。
「そういや菓子がねぇな」
その言葉に、エミールが、怪訝な顔をする。
「フィリップ様、目の前に」
「いや、あっちだ。――で、何なんだ?」
違和感が解けたとばかり、殿下はソファーへ座り直す。
目線が重なったところで、イヴォンヌは楚々と笑った。
「部屋付き妖精ですわ」
「妖精?」
「ええ、イヴァルテにはおりますのよ」
「一緒に住んでるってことか?」
「ええ。ちょっとしたお世話をしてくださいますの」
イヴォンヌは先程鳴らしたベルのことも含め、からくりを説明する。あれはメイドに聞こえたのではなく、妖精にお願いをしたのだということを。お菓子が好きで、お礼にあげていることも。
「へぇ……そいつは便利だな」
「でしょう」
そんなところで隣のマノンがわざとらしい咳払いをする。窘められたとはすぐに理解できた。
気づけば全員に茶は振る舞われている。ホストが先に茶に口をつけなければ。イヴォンヌは、カップのハンドルをつまんで口に運んだ。
温度もちょうど良く、すっきりと上品な初摘みの味が舌に広がる。
「軽いな」
と、カップを持ち上げながら殿下が呟いた。
「それはよろしゅうございました。今年の初摘みですの」
「いや、茶碗の方だ。味も流石だが」
「セイラン・カップですわ。舶来の品で――」
「そうか。それは今度じっくり聞くとして、俺に聞きたいことは?」
カップを口元へ寄せながら、殿下は尋ねた。他の話題に逃げようとしたイヴォンヌをしっかり遮って。
困ってイヴォンヌはマノンをちらりと見るが、彼女は知らぬとばかり、茶とともに供された果物の甘煮をフォークでつついている。
初対面で頼るのもどうかと思ったが、そろりとエミールへ視線を向けてみる。だが、気づいた彼はやはり微苦笑を浮かべるだけだった。
「俺らは四年も手紙でしかやり取りしてねぇもんな? そりゃ、分かんねぇこともあるだろうよ」
問を促すように、また殿下が言う。
しかし、どこかその様子は、優しさよりも面白がっているようで、そこがどうにもイヴォンヌには悔しい。
そんな時だ。殿下の首元に目がいった。
「お持ちになっておいででしたのね」
「ん?」
つい口からこぼれた言葉に、イヴォンヌは咳払いをしてから茶を含む。
「いえ。今日のお召し物も素敵でらっしゃいますわ」
目の向け先に困ってつい、マノンを見る。彼女は菓子の味とはまた別のところでニヤついている気がした。そこにまた、腹に抱える気持ちが湧いたが、茶で押し流そうとカップの角度を僅かに上げた。
「お前が飾った男はいい男だろ?」
「んぐっ!」
反射的にカップをソーサーに置いた。カチャリと音が鳴ってしまったのは失態だ。しかし、それどころではない。僅かに身を屈め、何とか噴き出すのをこらえて飲み込んだ。
「そういうことが言いたかったのではありませんわ!!」
「ありがとな、華美になり過ぎねぇが上品で気に入ってる」
「そ、そういうことでもありません!」
「でもな、気づくのが遅ぇなぁ。何回かつけてたぞ」
「私は今しか拝見しておりません!」
「ああ、義兄上との時しかつけてなかったか」
その言葉にイヴォンヌはギョッとした。
イヴォンヌが参加できないサロンは主に、地方自治や行政系の官吏領域だ。そこには沢山の次代を担う若手たちが集まる。嫌な予感がした。
「ジーク地域のアンバーらしいな? 『お目が高い』と好評だったぞ」
その言葉を聞いて、イヴォンヌは諦めに似た感情を覚えた。王都の人間が、それも殿下がアンバーを身につけているのである。ご自身で選んだものだと思われて当然だ。
「ああ、イヴォンヌからの品と言ったら――」
「それ以上は怒りますわよ」
イヴァルテのジーク地域で発掘される琥珀は、宝石に負けぬ価値をもつ。王都への流通はコアな層にしか届いていないが、輸出品としては高値で取引されている。ゆえに、自領で宝飾品として身につけることは裕福の証になる。ただ、これがパートナーへ贈る品となると、特にイヴァルテでは別の意味を持つ。――生涯を共に過ごす相手、と。
「イヴォンヌ様」
へそを曲げ始めたイヴォンヌに、エミールがそっと声をかけた。
「フィリップ様は本当にお気に召していらっしゃるのですよ」
「さようでしたか」
「ええ、届いてすぐ身につけなさるほどです」
「……ふぅん」
イヴォンヌはじとりと殿下を見やった。しかし彼はやはり、毅然としたままである。
「真に逸品だしな?」
「役に立つものをお贈りできてよろしゅうございました」
「ああ、よく良い物を選んでくれる。毎度俺が困る」
「え?」
思いもよらぬ言葉に、イヴォンヌは目を瞬かせた。
「四年だ。貰った時は素っ気ねぇなって思うんだが。使ってみるとどうだ、しっくりくる。お前から貰うのはそういうもんばっかりだ。返すものとして、見合うものを考えるのが難しい」
「はぁ」
褒められているのか、貶されているのかイヴォンヌには分からない。が、マノンが小さく「姫様、そういうとこでございます」と言ったのが聞こえた気がした。
殿下は、少し呆れた顔をする。
「まぁ、最初に会った時にしていたイヤリングも、今日の髪留めも、こないだ一緒にサロンに行った時につけてた細々としたもんも、そういや俺がやったもんだな、ってまぁ、無駄にはなってねぇようだがな」
「……ちゃんと大切に使わせていただいていると、手紙にもしたためましたわ」
「まぁな」
イヴォンヌは相変わらず、どういう顔をしていいのかわからなかった。照れくささもある。伝わっていなかった苛立ちもある。
しかし。
自分を見つめる殿下の眼差しが穏やかで、困る。
面白がって、挑発的で。それでいて、気づけば話の主導権を握られている。
(殿下に聞かれてばかりだわ)
「お手紙と言えば。殿下はなぜ、騎獣をお持ちのこと、これまで教えてくださいませんでしたの」
「あぁ?」
「教えていただけていれば、そういったものもお贈りできました」
「それは、俺じゃなくてゾルクへの貢ぎもんだろ」
そこからは、何故かするりと。改めてこれまでの話をすることができた。
本当であれば初日に近況を語り合うものだろうと、マノンとエミールは呆れていたが。
婚約時の顔合わせでは深く話していなかったが、殿下は元々生き物との相性が良く、現在騎獣を乗りこなせているのもそのおかげであること。能力を活かして、十三の頃から対獣部隊の仕事を王子として少しずつ任されていたこと。今はそれなりに実績を積み、精力的な活動もしていること。
「それくらいの王都事情は耳に入ってるモンだと思ってた俺が迂闊だったな」
「恐縮です、姫様は狭く深くでございまして」
「マノン?」
イヴォンヌが軽く睨むが、マノンは全く悪びれた風もない。
エミールに至っては穏やかな顔をしているだけである。それはそれでイヴォンヌは少々いたたまれぬ気持ちになる。
「それで、ヒメサマはそこらへんも話聞きてぇのか?」
「ぐっ」
流石にこれには、イヴォンヌも強く反発することができなかった。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というものである。
殿下は嫌味もなく、とても分かりやすく、教えてくれた。
話し込んでいるうちに、窓の外はすっかり夕刻の色になっていた。夕食の案内をミアが持ってくる。これが、閉会の合図となった。
存外、自分と殿下の間には言葉が必要だったらしい。
食堂へ向かう殿下の背を見ながら、イヴォンヌはそんなことを思った。




