20:閑話
シルヴェール・ド・イヴァルテはイヴァルテ侯爵家の嫡男であり、次期当主である。
現在十七、来年成人を迎えるが、既にぼちぼち忙しく日々を過ごしていると自覚している。
しかし、それはそれで。自分としては楽しんで生きている。
早朝。時刻にして五時。年の瀬のため、まだ日の出は遠い。しかし、もうその時間に目が覚める身体なので仕方がない。室内の洗面台で歯を磨き、顔を洗い、冬の軽装に着替えて、外に出る。
外気に触れて一層縮む身体を予備運動でほぐし、本邸の外周を駆け足で回る。一周十分程度で、三周目くらいで後ろから「にいさまー」と、甲高い声がする。速度は緩めない。どうせ並ぶとわかっている。
「おはようございます!」
「おはよう、ローラン」
「何周しましたか?」
聞かれたことにシルヴェールは指を三本立てて答える。いつもながら、走っている状況下で、口頭で数字を言って、正しく伝えられる気がしないのだ。
ローランも兄のことは勝手知ったるで、数字を把握すると、加速した。シルヴェールを超えて、先へ先へ。あっという間に背中が粒になる。――ただ、兄は弟の考えの上を行くものである。
(もう三十分走るか)
弟のノルマは四周程度。終わったら一緒に朝餉に行きたい。そういうことなのである。
なお、ローランはシルヴェールのノルマが五周だと思っているが、実際を言うとシルヴェールは特に決まったノルマを作っているつもりはない。余裕がある時だけ、こうして合わせる。今のところ、合わせる日の方が多いが。七つも歳の離れた弟が、朝から頑張ってくれているのだ。無下にもできない。
とはいえ、弟は自分よりも《《肉体の出力が強い》》。それが少々、可愛くない。
既に弟の体が出来上がっていて、自分がフィジカル的に劣っているのではないのだ。彼が自然と肉体強化の魔力運用をしているのである。イヴァルテに住む人間は己の魔力を身体機能や個体としての潜在能力の活性化に自ずと用いる性質の者が多い。ありきたりに言えば、超人や超能力者が出やすいということである。イヴォンヌやフィリップ様もこれになる。イヴォンヌはいわゆる天才ではない。魔力が脳を活性化させて、情報処理と推論が異様に早いのである。フィリップ様はローランとイヴォンヌのいいところ取りと言うべきか。文武において程よく魔力が運用されているのがよくわかる。さすが王族と思う。
どちらも能力がピーキーで分かりやすい。だから、もし歳が近かったらコンプレックスで二人のことを敬遠していたかもしれない。ありがたいことに、シルヴェールはイヴォンヌとは三歳、ローランとは七歳違う。魔術適性の理解と、自分の素養を学びながら、二人と向き合ってこれた。シルヴェールは確かに、彼らの持つ循環強化系魔術適性はない。しかし、それだけの事なのである。――まぁ、可愛くないのだが。
運動後、ローランと自分に浄化魔法をかけ、身綺麗にしてから厨房の勝手口に向かう。
水分補給である。
「おはようグラニフ」
「おはよう!」
料理番に声をかけると、彼は「おはようございやす! シルヴェール坊ちゃん! ローラン坊ちゃん!」と、鍋を掻き回しながら挨拶してくれた。
「今日の朝ごはんは?」
ほかの料理人に貰った水を飲みながら、無邪気にローランが尋ねる。
「へぇ、味噌漬けの鮭焼き、白菜のひたし、生茹で玉子、根菜の汁、果物はリンゴをお出ししやす」
「生茹で玉子……」
卵白や卵黄が凝固しきっていない鶏卵の料理である。王都は卵へ完全に火が通ってないと忌避感が出ると言うが、と、シルヴェールはつい、客人のことを考えてしまった。
「王子様をお気になさっておいでで?」
グラニフの言葉に、シルヴェールは素直に相槌を打った。ただ、そんな質問を料理番がした時点で、シルヴェールの中では半分解決をしていた。
「昨日の朝は厚焼き玉子がありやしたでしょう?」
「うん! おいしかった!」
「へへ、ありがとうごぜぇやす」
本当に美味しいと思ったのだろう、ローランは反射のように答えていた。
「王子様、あれで卵がお気に召したってんで。実は、生卵に挑戦したいというリクエストもあったんでさぁ」
「……なるほど」
気に入ったことは理解した。しかし挑戦具合が何歩か段階を飛ばしていると、シルヴェールには思えてならない。
「へぇ。姫様もその反応でして」
グラニフはシルヴェールの言外の意を理解して、愛想笑いのようなものを浮かべた。
「アタシゃ半熟オムライスだの緩い卵料理はどうでしょって言わしてもらったんですが、姫様が『それだと逃げ場がないから、小鉢で出せるものにしましょう』ってんで」
「なるほど」
さすが我が妹だとシルヴェールは純粋に思った。ただ、同時に「素直に生卵を出すのが安牌だったのでは」などと野暮なことも思う。以前何やら献立でつまづいたと話にも聞いていたし――まぁ、しかし。仮に野暮が野暮にならずとも学びはあるだろう。転ばぬ先の杖より、当たって砕けろの方が学びも大きかろうと、シルヴェールはただ頷いた。
二人の婚約は元より大人の都合で決まったものだ。だからつい、兄としては手を貸したくなる。しかし、それをフィリップ様はあまりお望みではない。当初から「自分のことはイヴォンヌに一任するように」とのことだった。
最初は気を遣われているのかと思った。だが、そうでもないらしい。イヴォンヌ本人や、マノン嬢からも話を聞くに、おそらくフィリップ様は都合を超えて、イヴォンヌと向き合われることをお望みなのだと理解を改めることにした。ここで初めて、シルヴェールの中で二人の婚約に後ろめたさが薄らいだ。
王妃腹の王子が第一から第四までを占める中、寵妃腹としてフィリップ様が生まれた。しかも本人は聡明で武芸にも優れ、軍事派が担ぐには十分すぎる資質を持っていた。海の向こうへ目を向け始めた武家たちにとって、これほど都合の良い旗印もない。それがフィリップ様の置かれた状況だった。この厄介な火種をどうにかするため、王家は統合以前の旧国を母体とする侯爵四家を頼ることにした。四家は自治権を持つ代わりに宮廷政治から一歩距離を置いているからだ。
四家の娘の中で、当時婚約者がいなかったのは当家のイヴォンヌだけだった。フィリップ様との年齢も申し分ない。こうして、二人は政治都合によって婚約をすることになった。
イヴォンヌの能力を惜しむ者たちの口から、「シルヴェール様が女であれば」であるとか、「王子殿下ではなく、王女殿下であれば」という声をよく聞いた。ありえない話なので、気にする方が愚かな話ではある。しかし、兄としては、妙な罪悪感があった。
それでも今、当事者がお互いを意識して前に進もうとしている。
ここでシルヴェールが、よく分からない後ろめたさを感じ続けるのは傲慢だと最近思えたのだ。
***
午前中は年始以降の領政に関する検討に参席する。ここ最近は専ら《《この件》》への対応で父も官吏も奔走していた。代わりにシルヴェールは定型の業務の管理及び指揮に当たっていたのだが、今日の回から出席することになっていた。フィリップ様も、この席にご参席するらしい。
この件、とは、王都はマリー王妃より、国防次官たる第四王子経由で通達があったのだ。
――公爵領アキルダの偵察部隊が、隣国スコルトラの不穏な動きを観測。隣領イヴァルテはアキルダ同様、スコルトラの動向に注意されたし。
今回のフィリップ様の長期視察は、ただの物見遊山ではない。隣国警戒をも考慮された長期滞在である。軍用船を王都から走らせたり、鉄道で物資輸送する動きも実はブラフも兼ねている。軍備拡充のようにも見えるよう動き、牽制をしているのである。
もちろん、イヴォンヌは知らぬ事だが。
経緯説明の後、岩のような体躯の面々の中から、手が上がった。北の山脈ウーヴォとアキルダに挟まれた地域で、何かあった場合には最前線となる地、ハシュマンテ地域の長、ハシュマンテ子爵である。
「先にもお伝えしましたが、アキルダの警告を軽視するつもりはないのです」
これまでの協議でも繰り返し述べてきた話なのかもしれない。ハシュマンテ子爵は僅かに眉を寄せながら述べた。
ハシュマンテ近辺ではスコルトラの動きは観測できていない。そのため、内偵かアキルダでも西部からの情報の可能性がある、と。
「となると、これまでの小競り合いの延長としか思えず。率直に申し上げて、対スコルトラに関して、イヴァルテが懸念する事などないと、お伝えしているのです」
「杞憂であると?」
「はい」
「なるほど、貴君の考えは尤もだ」
フィリップ様は頷いた。
「では、アキルダにイヴァルテができることはなんだろうか」
「……は?」
「アキルダがスコルトラを睨み、国の防波堤になっている。となると、これはアキルダ領だけの問題ではないだろう?」
「お言葉ですが、その場合我々がなにか援助をするのではなく、フラナリアが援助をするのでは?」
ハシュマンテ子爵の発言は理解できた。主旨自体は間違ってはいない。しかし、シルヴェールは内心冷や汗が止まらなかった。
「口を挟むがハシュマンテ卿」
耐えられずシルヴェールは手を挙げて口を開いた。四方からざっと集まる視線の圧にわずかに気圧されるが、続ける。
「王子殿下はその『フラナリアの一として、隣接するイヴァルテは何ができるか』と、伺っておいでなのだと私は考えます」
何とは言わず、シルヴェールはフィリップ様を見、そして父を見た。双方何も言わず、シルヴェールとも目線を合わせない。
その二人の様子に、自分が呼ばれた意味をシルヴェールは何となく理解した。心の中でため息をつくと、
「これはあくまで、状況を俯瞰したときの一つの見方ですが。対スコルトラに限れば、我々はウーヴォに守られている。そして、対スコルトラという一点に限れば、我々はアキルダに大きく依存していると思うのです」
努めて私情を挟めぬように、シルヴェールは語った。
「もちろんウーヴォがあるために、皆に任せた地は獣との戦いが日常に付きまとうでしょう。それを軽んじるつもりはありません。決して」
ウーヴォの獣に泣かされた村をシルヴェールは知っている。異常繁殖で兵が命を落とした年もあった。これに加えてスコルトラ。北は過酷な地だと思う。しかし、過酷だからこそ、自分たちの苦労ばかりを見ていてはならないとも思う。
「若様、その言い様は卑屈でしょう。我々とて、何もしておらぬ訳ではありません。食料を融通し、良馬や騎獣を出し、アキルダを支援しております。それぞれの役割を果たしております。それで合意も取れているではありませんか」
カルメール男爵の声は穏やかだった。しかし、その言葉には僅かな硬さがあった。
何もしていないわけではない。特に馬など、この席にいるプリモーテ、セコンドーテ、ノノーテは駿馬や騎獣の育成で名高い地域だ。彼らはシルヴェールをただじっと見ていた。
「その点は否定しません。我々は手塩にかけて育てた様々を提供している。けれど、取り決めを履行することと、相手に謝意をもって共存することはまた、別のように私は思うのです」
甘い話かもしれない、シルヴェールの頭に不安がチラつくが、かき消して言葉を練った。
「アキルダとはフラナリアという国のもとに仲間です。しかし、我々は取り決めを行ってから、どこか関係性に甘んじてはいないでしょうか」
「感謝が足りぬ、と?」
「正直に言うと、分かりません」
ハシュマンテ子爵の問に、シルヴェールは素直に答えた。
「ですが、私は今皆の雰囲気を見て、危機感を覚えました。我々は確かに、イヴァルテの領民を守ることが第一です。ですが、それはアキルダにも言えること。私たちはフラナリアの貴族なのです。果たして、我々はその取り決めを度外視した時、今まさにアキルダに誠実と言えるでしょうか。」
シルヴェールは頭の裏がチリチリと焦げるような心地が止まらない。本当ならば、もっと落ち着いてものを考えて堅実な話をしたい。
しかし、ここで止まってはダメだと何かがシルヴェールの背をつついていた。
「私には分かりません。ただ、アキルダがそこに居てくれることを、あまりにも当たり前と思い過ぎてはいないか――そう思ったのです」
シルヴェールが語りきった後、部屋はしんと静かになった。北の貴族らは浮かない顔ばかりである。どんどん胸が、首が、締め付けられていく心地がする。
「なるほど、若様のお話は理解しました。『お互い同じ立場なのだから。』確かに、尤もな話です。それでも敢えて伺いましょう。若様のお考えは、突き詰めれば今以上の支援を求めるお話です。では、我々の民が今より我慢することをどう納得させますか?」
シルヴェールは頭を殴られた心地になる。誰かを助けたり、誰かを支援することは、自分の持つ何かを分け与えることが下地としてある。それを、「領民に我慢させること」と、言ってしまえば確かにその通りだった。シルヴェールは、何も言えなかった。自分に答えがないことは、これほど歯がゆく悔しいものなのかと、シルヴェールは俯いた。
「取り決め、というのは決して誠実を削るものではありません。そこに関係する人間が関係そのものに対して感情を動かさず頷くことができることは、若様には冷たく見えるかもしれません。しかし、『頷くことができる』ことが大切なのです。頷くことができるから、イヴァルテは惜しまず支援でき、アキルダは惜しまず防衛に注力できる」
ハシュマンテ子爵の言葉はシルヴェールにとってとても重く聞こえた。会議には先ほどとは別の静けさが訪れる。
「愚息が青い事を言った」
シルヴェールがその沈黙を辛く感じ始めた頃、ゆっくり父たるイヴァルテ侯爵が口を開いた。
「ただ、これもこれなりにイヴァルテを考えているようだ。許せ」
その言葉に、どよめきが僅かに起こる。
「御館様、とんでもないことでございます」
すぐさま口を開いたのはハシュマンテ子爵だった。
「我々が若様に不遜な思いを抱くわけがございません。確かに、お若さを感じてしまいましたが」
「ええ、左様にございます」
カルメール男爵も口を開いた。
「我々は、幼少よりよくよく若様が我々の元へ視察にいらして、目をおかけくださってること、領民まで分かっております。今のお話も、そのひとつと、分かっております」
彼は、そういうとシルヴェールの方を見た。その眼は紛れもなく、温かい。「嘘ではありませんよ」と訴えてくるようで、だからこそ、シルヴェールは余計胸からこみあげてくるものがあった。
「若様」
シルヴェールに語り掛けたのは、ジーク子爵だった。
壮年を過ぎた彼は今こそイヴァルテでその実力を遺憾無く振るってくれているが、元は宮廷官吏の経歴を持った御仁だ。
「私は、『確かに若様に痛いところを突かれた』と思いました。しかし、突かれただけではいかんともしがたい。人は抱えるものが増えるほど、見えていても動けなくなるのでございます」
まさに今のシルヴェールの有様を言葉にしたもののようだった。皆が別の視点で、このように悩んでいるのかと痛感した瞬間だった。
「ゆえに、少し視点を切り替えてみませんか。背景は一旦横に置き、王妃殿下は我々に何を求めておるのか、ご意見をお聞かせ願えませんか」
彼の言葉に、父は苦笑した。
「愚息に甘すぎないかギヨーム」
「本来はあなたがすることでございますよ」
ジーク子爵の助け舟に乗って、シルヴェールは改めて考える。果たして、フィリップ様をもって、王妃様はイヴァルテに何を期待しているのだろうか。
「正しいところは分かりませんが。その合意を見直すべきではないか、と、言うのが王妃様の客観的なご意見なのかもしれません」
シルヴェールは続けた。
そもそも、なぜアキルダはイヴァルテに直接その報告をしていないのか。
仮に、イヴァルテが支援要請を受けた際、直ちに動くことなど容易いわけが無い。本来、王都側より連絡などは密であるべきではないか。
「これを客観的に見た時、イヴァルテに期待していないのか、イヴァルテならば急に言っても何とかできると認識しているのか、そもそも、イヴァルテに戦火は延びぬと楽観視しているのか……どれをとっても健全に見えぬ、ということではないでしょうか」
「シルヴェール、不敬だぞ」
父がすぐさま口を挟む。
確かに王族のアキルダ翁に対して物言いが過ぎた。
「失礼しました、殿下。決してアキルダ翁のご判断に泥を塗るつもりはないのです」
「気にするな」
「私が鑑みるに、アキルダ翁は抱え込みやすい気質の御仁と存じます。背負うべきものを背負い過ぎる、と申しますか」
ジーク子爵の言葉に、フィリップ様も頷いた。
「確かに、抱え込みやすいところはあるかもしれん」
「お心の深さに対し穿った物言いをしてしまいました」
シルヴェールの反省に、フィリップ様はまた、「気にするな」と笑った。そして何やら面白そうにシルヴェールを見る。
「シルヴェール義兄上にアキルダ翁を知れというほうが無理があろう。が、ぜひともお会い頂きたいものだ。二人は似ている」
どうにも、褒められていない心地がしたが、その違和感には知らぬふりをした。すると、父が咳払いをするのが聞こえる。
「それで?」
いい加減待てぬ、という言外の圧。ジーク子爵がモノを言いたげに父を見ているが、父は無視を決め込んでいる。
シルヴェールは苦々しく笑った。
「やはり、私には『対スコルトラとして、かくあるべき』という明言は難しいようです。今この場で皆が頷ける案を示すことさえもできません」
「それは、引くということか」
「いいえ」
シルヴェールは父の問いかけを強く否定した。
「そもそも、北の皆に求めるところが違うように思います。王妃殿下からの御言葉を受け、考えるべきは、本当に対スコルトラの軍備だけで良いのか。――この議論はまず、議題自体が俎上にないように思います」
シルヴェールの言葉に、父は口角を持ち上げた。
「ほう?」
シルヴェールは、そこに確信を得て、はっきりと述べた。
「もちろん、北の皆と考えるのが良いと思います。ただ、まず何を考えるべきか。王妃殿下のお求めになるものを鑑みるに、我々はまず、アキルダと隣人として向き合い、助けるために他にできることはないか、慎重に考えるべきではないでしょうか」
「終わった」
北の貴族らの背を見送りながら、シルヴェールはぽつりと呟いた。
まだ日は高いが、既に一日分働いたと思えるくらいの疲労感が彼を襲っていた。シルヴェールは今の会議に自分がいた意味を図りあぐねていた。ただ、引っ掻き回してしまっただけのように思う。
まだ、ハシュマンテ子爵や父の言葉が少しだけ刺さっていた。青い、と。疑問を持つことだけしかできなかった自分は、きっと未熟なのだろうとシルヴェールは思った。こういう時、シルヴェールは自分の妹が脳裏をよぎる。傾聴力が高く、思考力の抜きん出たあの妹ならば、青いと言われなかったのかもしれない。
「考え事ですか、若様」
「ジーク子爵」
シルヴェールはドキリとした。
まさか、声を掛けられるとは思ってもみなかった。
「今、あまり良いお顔をなさっておりませんでしたので」
「情けない所をお見せしました。どこまでも……」
シルヴェールの言葉に、ジーク子爵は目を細めた。
「なるほど、若様はご自身を情けなかったと落ち込んでおられたのですね」
「はい」
「これは、少し耳の痛い言い方かもしれませんが」
そう前置いて、ジーク子爵は微苦笑を浮かべながら続けた。
「我々からしたら、若様は言葉が話せるようになった赤子のようなものです」
「赤子」
「ええ。赤子が急に我々を黙らせられると思ったのならば、それは思い上がりも良いところです」
ぐうの音も出ない言葉に、シルヴェールは黙ってジーク子爵を見つめることしかできなかった。
「ですが、侯爵様は、もう若様を同じ為政者として見ておるのですよ。そして、若様にも発言ではなく意見を求めている。他の誰でもない、若様に、です。私としては、赤子に無体なことをと思います。ゆっくり育てればよいものをと」
ジーク子爵はそっと自分の右胸に手を添えた。
「若様は、自分では『情けない』とお思いのようですが、私は今日、侯爵様のお考えに納得する、光るところも見つけられ、ご立派だと認識を改めました。若様にはこれからも頑張っていただきとうございます」
それは、貴族が敬意を示す時にする所作だった。
「……ありがとう、ジーク子爵」
沸き上がった晴れがましさを、シルヴェールはどうにか落ち着かせて礼を言った。
ジーク子爵は穏やかに頷いた。
その後も二人はしばらく話を続けた。会議のこと、領内のこと、そして――。
「殿下の首元にお召になっていらっしゃるアーティファクトは」
「ああ、ジークで取れたアンバーを使ったもののようです」
フィリップ様に妹が渡した暮れの贈り物だ。正直、あれにはシルヴェールも呆れている。
ようやく手縫いの物など、年相応の可愛いものを贈ったと思えば、おまけにつけたのだという件のクラバットピンが全然おまけではなかった。ただのクラバットピンなら良い。しかし、アンバーでしかもジーク産。そこが宜しくない。
「姫様はジークのアンバーに関する事を?」
「それが、慣わしくらいしか知らず。あれも将来の伴侶に贈るには丁度良い宝飾品と思って贈ったそうです」
「ははっ、それは豪気なお話ですな」
ジーク子爵は破顔した。
「アンバーの価値はここ半世紀で見直されたもの。その知見も非常に繊細な扱いを受けておりますゆえ、流石の姫様の耳にも入っていないのは致し方ないことでしょう」
「その点は、あれに話さなかったことを父や母と後悔したものです」
「確かに、通常の魔石よりも魔力含有量が高いという学術上の報告くらいはお伝えしても良かったもしれませぬな」
「そうすると間違いなく、研究論文にかじりついて、色々やってくれそうで」
「それは……目に浮かびますな」
そこまで及ぶと、自分も厄介事に巻き込まれると瞬時に理解したのだろう。ジーク子爵の笑みに苦さが滲んだ。現在、ジーク子爵を主体として、国と協議をしながら採掘から輸出までを慎重に行っている。その当人としては、これ以上余計な騒ぎは御免なのだろう。
アンバーを加工した品々は舶来品として逆輸入することでしか入手ができない。旧来の宝飾品としてコレクター垂涎の逸品としてやってくるか、最新鋭の魔術具としてフラナリアに帰ってくる。
イヴォンヌが選んでいたのは奇しくも後者のようだ。宝飾品に若干の付与特性がつくことは良くあることなので、おそらくイヴォンヌは鑑定書をあまりよく見なかったのかもしれない。メンコイナの商人の話だけで妹が頷く様子は目に浮かぶ。その、メンコイナの商人が《《うっかりして》》仔細を伝えていなかったとしても、不思議には思わなかった。
(その付与も魔力消費軽減であり、凶悪でもなければ王子を害するものでもない。イヴォンヌのことだ、魔術具といっても使用者を強化するだけの品である、鑑定書を読んだ上でも「宝飾品」と言い張った可能性もあるが)
いずれ何にせよ、十四歳が婚約者に贈る品としては全く可愛くない。むしろ、魔術具が検閲をスルーしたことが恐ろしいことかもしれない。
(これは、殿下たちに要報告かもしれない)
間違いなく、フィリップ様はお伝えになっていないだろう。その辺が二人は噛み合うので、始末に負えないとシルヴェールは思う。
「しかし、我々はさしでがましくも微笑ましく拝見しております」
「微笑ましい、でしょうか。どうにもやりすぎでは……」
「そこに可愛げがあるのでございますよ」
シルヴェールにはそこがよく分からなかった。
***
午後はノノーテ男爵たっての希望で、フィリップ様らの騎獣、天虎について話を伺う場を設けていただくことになった。会議ぶりのフィリップ様を見て、何かが足りないと思ったら、いつもなら妹の贈ったピンが留められているはずの首元が、今は無防備に開いている。騎獣の前で付けていると奪われそうになるのだと、フィリップ様は苦々しい顔で教えてくれた。なるほど、無理もない。
騎獣にとっては本能的に喰らいたくなる餌のはずだ。何せ、魔力の塊なのだから。
そう考えると、殿下に限ってはただの宝飾品にしかならないかもしれない。騎獣を伴わぬ戦闘であれば、これ以上ない魔術具だが。
フィリップ様と供回りの彼ら、そしてノノーテ男爵の話が本格的な飼育議論を繰り広げる中、シルヴェールは未だ、件のクラバットピンについてぼんやり考えていた。
ノノーテ男爵の次官が目を輝かせてメモを取っているから、後でレポートにしてもらい、中身を見せてもらえば、多少サボっていても良いだろう。
魔術具といえば、第三王子が関心を強く持っている領域だ。アンバーについて、ニッチでも王都のアカデミアの方が、もしかしたら先行研究があるかもしれない。が、一応こちらのアンバーに関する論文を送っておいた方が良いのかもしれない、と、ぼんやり思う。アンバーを悪用した魔術具が、イヴォンヌのような悪意ないルートで宮廷内に侵入する可能性がゼロではなくなったのだから。もしかしたら、メンコイナはそこを察してほしかったのだろうかとも思う。否、きっと考えすぎだとシルヴェールはすぐさま思考を否定した。あの妹の無自覚さには時々肝を冷やされる。思い返せばどこまでもリスキーな贈り物だ。改めてゾッとする。
(父上と相談してからか――第三王子のためだけではないが、そう見えると、ほかの三人がうるさいかもな)
その手前の面倒を見つけて、シルヴェールはつい眉根を寄せた。
(一旦それっぽいのを全員向けで送ろう)
王族との付き合いなど、その程度で十分だと思うのだが。と、ここにいない妹とフィリップ様の付き合いについて思考を飛ばす。
先程、フィリップ様はシルヴェールに『抱え込みすぎやすい』といっていたが、シルヴェールとしては割と手を抜いているつもりだ。イヴォンヌよりは。
(いや、比較対象がおかしいのか……?)
自分の目からみて、妹の方がなんでも真面目にやろうとする人間だ。
だから、フィリップ様が良くも悪くもつついて、ままならないことをイヴォンヌも学べばいいとさえ思っている。
あれは聞き分けが良すぎるし、大人の話を理解できてしまうから、腰がおもすぎるのだ。
大人がそれで余計使ってしまうから良くない。
(あれも人間なんだから)
母もシルヴェールと同じように娘を見ているのだろう。時折、悲しそうな顔をすることがある。しかし、本人が楽しそうな顔をしている。父も何も言わない。だから、シルヴェールも静観することにしている。もっとも、正直複雑な心地はぬぐえないのだが。
とかく、フィリップ殿下も、イヴォンヌも。
大人の都合で結婚する選択肢しかない。
それでも、何とか楽しく生きていけそうで、シルヴェールは少しほっとしている。
このまま何事もなく、ふたりがふたり分の人生を一緒に歩めればいい。
そう、シルヴェールは思う。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
19話に日を置かず投稿する計画でしたが、お待たせしました。
21話以降ですが、ストックの都合と既存投稿の誤字誤植の調整のため、一旦お時間いただきます。
もし宜しければ、ブックマークをしてお待ちいただけますと幸いです。
今後もイヴォンヌはじめ、フラナリアをよろしくお願いいたします。




