表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/61

第58話 1フレームの未来

システムが、起動し続けていた。

オーバーレイに流れ込む情報が、少しずつ整理されていく。最初の洪水のような通知が落ち着いて、個別の状態が読み取れるようになってきた。


温度。43度。下がっている。

冷却ファンの回転数。正常範囲に戻りつつある。

データの流れ。棚のスロットからメインコンソールへ、メインコンソールから外部へ。流れが、再開されている。

演算装置の状態を確認した。


動いていた。

停止前と同じ状態ではない。処理速度が、以前より低い。

しかし動いている。負荷が下がった状態で、処理を再開している。パージによってメモリが解放された分、演算装置への負荷が減っている。

これなら、持つかもしれない。

春山はフィルターで演算装置の状態を詳しく確認した。損傷の範囲。処理能力の残量。先人たちが何度も交換してきた部品の状態。

動いている。

それだけで、今は十分だ。


「春山さん」

ライカが、隣に膝をついたまま言った。

「腕、大丈夫ですか」

「……感覚が戻ってきています」

戻ってきている、ということは、痛みも戻ってきているということだ。左腕の内側が、じわじわと熱を持ち始めていた。表面の赤みは、触れなくても熱さとして感じられる。

「立てそうですか」

「もう少し待ってください」

ライカが頷いた。急かさなかった。




春山はオーバーレイを確認し続けた。

再起動が完了した、というのは確認できた。

しかし完了した結果、システムがどういう状態になったのかを把握する必要がある。再起動前と何が変わったか。変わっていないことは何か。

データの流れを追った。


変化があった。

演算装置の処理速度は、損傷の影響で再起動前より落ちている。

しかしパージでメモリが解放されたことで、データの詰まりが解消されている。処理速度が落ちても、負荷が減った分だけ流れが安定している。棚のスロットから演算装置へ、演算装置からメインコンソールへ、メインコンソールから外部へ。各段階での滞留が、以前より小さい。

ラグが、減っている。


外部への出力を確認した。

魔力として世界に出力されているデータの量が、再起動前と変わっていた。量は減っている。

しかし質が違う。以前は不安定だった出力が、一定になっている。処理能力が追いついているから、出力が安定している。


「ライカさん」

「はい」

「魔力の感触は、どうですか」

ライカが目を閉じた。確認している。少し間があった。


「なんか、変わった気がします」

「どんなふうに」

「以前より、少し弱い気がします。でも、ぼんやりしてた感じが、なくなった。輪郭がはっきりした、みたいな」

「そうですか」

「悪い変化じゃないと思います。なんか、ちゃんとそこにある感じがします」

春山はオーバーレイの出力データを見た。量より質が上がった、という変化は、ライカが感じた感触と一致していた。

ラグのない出力。

それが、再起動後の世界の魔力だ。




春山は立ち上がろうとした。

左腕を床につこうとして、やめた。痛みがある。右腕で体を支えて、ゆっくりと立ち上がった。

膝が、少し震えた。

疲労だ。いつから床に膝をついていたのかを確認しようとして、時間の感覚が曖昧になっていることに気づいた。サーバー室に落下してから、どのくらい経っているのか。


「すみません、手を貸してもらえますか」

ライカに伝える。

ライカが立ち上がって、春山の右腕を支えた。春山はその手を借りて、完全に立ち上がった。


立つと、空間が違って見えた。

非常灯の橙色だけだった光に、柱からの青白い光が加わっている。再起動した柱が、層を伝って光を広げている。天井のケーブルが明滅している。冷却ファンが回っている。水が蒸発する音は、もうしない。温度が下がったことで、蒸発が止まっている。


「きれいですね」

「そうですか」

「さっきより、きれいに見えます。止まってたものが動き始めた感じがして」


春山はオーバーレイで温度を確認した。


38度。


まだ高いが、下がり続けている。冷却が正常に機能していれば、時間とともに安定する。


「終わりましたか。本当に」

ライカが春山を見た。

春山はオーバーレイを閉じた。


「終わりました」

「再起動、できたんですね」

「そうです」

ライカが息を吐いた。

長い息だった。胸に溜まっていたものが、一度に出ていくような。


春山はその息を聞きながら、自分の左腕を見た。袖をめくったままだ。赤みが、腕の内側に沿って残っている。触れると熱い。

しかし皮膚の表面だけだ。深くはない。時間が経てば、引く。


引き継ぎの金属板に書いてあった。

THE REST IS YOURS。



続きはあなたに任せる。



春山はその言葉を思い出した。

金属板の文字の刻み方を思い出した。細く、均一で、1字1字に時間をかけた跡があった。書いた人間の手が、どんな手だったかは分からない。

しかし同じように、暗い空間で、工具を持って、できる範囲で手を動かした人間の手だったはずだ。

今、春山の左腕の内側に赤みが残っている。工具の代わりに、自分の腕を使った跡だ。

形は違う。しかし同じ場所で、同じシステムに向き合った跡だ。

任された続きを、やった。完璧ではない。先人たちができなかったことを、全部解決したわけではない。

しかし再起動した。システムが動いている。ラグが減った。それだけは、確かだ。




「ライカさん」

「はい」

「上に戻れるはずです。経路を確認します」

「もう動けるんですか、春山さん」

「少し待てば動けます」

「じゃあ、少し休憩しましょう」


ライカが柱の近くの壁に背を預けた。床に腰を下ろした。膝を抱えた。

春山の左側に座っていた。赤みの残っている側だ。

しかし体を寄せるのではなく、こぶし1つ分ほどの隙間を空けていた。気遣っているのか、それとも別の理由があるのか、春山には判断がつかなかった。

春山もその隣の壁に背を預けた。立ったまま、壁に寄りかかった。

2人とも、しばらく何も言わなかった。ライカの視線が、時おり春山の袖口に向いていることは、気配でわかった。

しかし何も言わなかった。春山も、何も言わなかった。

柱の光が、一定のリズムで揺れている。冷却ファンが、安定した音を刻んでいる。システムが、静かに動いている。


「春山さん」

「はい」

「ここに来て、どのくらい経ちましたか」

「正確には分かりません。かなり経っていると思います」

「外では、どうなってるんですかね」

「通信が途絶しているので、確認できていません。ただ」

「ただ」

「システムが止まっていた間、外でも何かが起きたはずです。魔法が消えた。ダンジョンの機能が止まった。それが、外にいる人間にどう見えたか」

ライカが少し考えた。


「本田さん、心配してますかね」

「していると思います」

「ユウリとセイラも」

「そうですね」

「怒られるかな、私」

「可能性はあります」


ライカが小さく笑った。疲れた笑い方だったが、本物の笑い方だった。

「怒られてもいいです。帰れるなら」

「帰れます」

「本当ですか」

ライカが少し笑った。

「春山さんが断言するの、珍しいですね」

「……そうですか」

ライカが頷いた。膝を抱えたまま、柱の光を見ていた。




「聞いていいですか」

ライカが問いかける。


「何ですか」

「春山さんは、これからどうするんですか」

「どうする、というのは」

「このシステムのことです。再起動したけど、また壊れる可能性はありますよね」

「あります。パージでメモリは解放しましたが、またデータが蓄積すれば、同じことが繰り返されます」

「じゃあ、また来るんですか」


春山は少し考えた。

また来る、という選択肢は、頭の中にあった。このシステムの構造を、今自分ほど把握している人間はいない。先人たちが残した記録と、今回の作業で得た知識がある。

次に来るときは、もっと効率的にできる。

しかし来るかどうかは、今決めることではない。


「分かりません。ただ、放置はしません」

「放置しない、というのは」

「記録を残します。今回やったことを、先人たちがパネルに刻んだように。次に来る人間が使えるように」

ライカが春山を見た。


「次に来る人間」

「私かもしれませんし、別の誰かかもしれません」

ライカが少し黙った。膝を抱えたまま、柱の光を見ていた。

何かを考えているのか、ただ光を見ているのか、判断がつかなかった。


「……一緒に来ていいですか」

「……構いません」

春山は少し間を置いた。


「次は、もう少しマシな工具を持ってくることにします」

ライカが春山を見た。少し目を丸くした。

それから、また笑った。今度は疲れた笑い方ではなかった。

「約束ですよ」

「ええ」




しばらくの間、そのままでいた。

春山の左腕の痛みが、少し落ち着いた。完全には引かないが、動けないほどではない。

フィルターで自分の状態を確認した。オーバーレイの表示が、安定している。座標が正確に出ている。温度計測が動いている。

室温、31度。

まだ高いが、許容範囲に近づいている。


「行きましょうか」

春山はライカに伝える。

ライカが立ち上がった。少し膝をふらつかせたが、すぐに立った。


「経路は」

「来た道を戻ります。上り坂の通路、棚の通路、落下してきた場所の近くに、上へ続く経路があるはずです。フィルターで確認します」

「それじゃあ、着いていきますね」


2人は歩き始めた。

メインコンソールの脇を抜けた。柱の周囲、液面が静かに光を反射している。天井から垂れるケーブルの束が、明滅している。

春山は歩きながら、柱を見た。

再起動した柱が、静かに動いている。出力が安定している。ラグがない。世界への出力が、以前より確かな形で流れている。

先人たちが終わらせられなかったことを、終わらせた。

完璧ではない。また何かが起きるかもしれない。

しかしこの瞬間、システムは動いている。ラグのない形で、世界に向かって出力し続けている。

それで十分だ、と春山は思った。

上り坂の通路に入った。傾斜が始まった。足を踏み出すたびに、床が確かな感触を返してくる。フィルターなしの、物理的な感触だ。


「重いですね」

「傾斜があります」

「そういう意味じゃなくて」

ライカは少し笑みをこぼしつつ肩をすくめる。

「なんか、全部が重く感じます。足とか、腕とか。さっきまでと、感触が違う」

「ラグが減ったからだと思います」

「ラグが減ったから?」

「判定の精度が上がれば、リアルに近くなります。リアルは、思っていたより重いかもしれません」

ライカが少しの間、黙った。


「それって、いいことですか」

「私はそう思います」

「重くても」

「重くても」


ライカが頷いた。

歩きながら、足元を確認するように、1歩ずつ踏み出していた。




棚の通路に出た。

非常灯の橙色が、通路を照らしている。棚のスロットの光が、再起動前より少ない。パージで削除したスロットは、光を失ったままだ。空になったスロットが、列を作っている。


春山はその列を見た。

消えた光の数が、削除したデータの量を示している。無数の、滅んだ世界の記録。夏の川辺の家族が、その中にある。

しかし棚は静かだった。

残ったスロットの光が、安定したリズムで点滅している。データの循環が、正常に動いている。


「スロット、減りましたね」

「……ええ」

ライカが通路の棚を見渡した。

空になったスロットと、まだ光っているスロットが、交互に並んでいる。


「覚えてます、全部じゃないけど」

「そうですか」

「川辺の家族。2人分の食卓。砂場の子供。夕暮れの釣り人。雨の日のアパート。冷蔵庫の絵」

春山は何も言わなかった。


「忘れません」

ライカは言った。断言だった。

春山は前を向いた。

通路の先に、上へ続く経路がある。フィルターで確認している。落下してきた場所から少し離れた位置に、段差がある。そこから上に出られる。


「行きましょう」

「はい」

2人は棚の通路を歩いた。

空になったスロットが、2人の横を通り過ぎていった。

光のない場所が続いて、また光のある場所が来た。消えたものと、残ったものが、同じ棚の中に並んでいる。


春山の左腕が、歩くたびに微かに痛んだ。

それが判定ではなく、物理的な怪我として存在していることを、春山は確かめながら歩く。

重い。しかし確かだ。

上への経路が、近づいてきた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ