第6話 エリートの残光
その日の朝、受付で担当ブロックを確認すると、いつものCブロックではなかった。
「春山さん、今日はBブロックの後方清掃です。スペクタクル社のパーティが入りますので、配信エリアの美観維持をお願いします」
受付の女性の顔が、わずかに上気していた。
「あの『スペクタクル・スリー』ですよ。しかも3人揃って、ですよ。こんな浅いところにフル編成で来るなんて、普通ないんです。深層だったら毎回3人揃ってますけど、Bブロックって……ほぼ観光エリアじゃないですか」
スペクタクル・スリー。
業界では知らない者のいない、配信登録者数トップを独走する精鋭パーティの総称だ。
普段は春山のような清掃員が立ち入れない深層で活動しており、浅い階層に姿を見せること自体が珍しいらしい。春山にとっては「掃除が面倒な連中」でしかなかったが、受付の女性の頬の赤さを見る限り、世間にとっては別の話のようだった。
「……了解しました」
春山はハーネスとトングを受け取って、Bブロックへ向かった。
Bブロックの入口付近は、いつもと空気が違った。
機材が多い。無線操縦のドローンが3機、天井付近で静止している。床にはケーブルが這っており、スタッフが慌ただしく動いている。隅に設置された小型モニターには、各ドローンのカメラ映像がリアルタイムで映し出されていた。
その中央に、橘ライカがいた。
白と金のグラデーションが入った軽装鎧。肩当てと胸当てには魔石を加工した小さな装飾が散りばめられており、ダンジョンの薄暗い照明の中でも、まるで光源が内側にあるかのように輝いて見える。動くたびに光の粒が散る設計だ。腰回りは動きやすさを考慮しつつも、体のラインが綺麗に見えるよう絞られている。黒髪は後頭部でまとめられ、細いゴールドのピンで固定されていた。耳元では、魔力に反応して淡く発光するピアスが揺れている。
実戦装備というより、実戦もできる舞台衣装だった。
その左隣に、御子柴ユウリが立っていた。
白銀のフルプレートアーマーは表面の装飾を極力排した機能美重視の造りで、その潔さがかえって品格を際立てていた。長身で広い肩幅。アーマーの隙間から覗く顎のラインが鋭く、整った顔立ちに一切の隙がない。片耳に無線イヤホンを挿し、ライカとは対照的に静かな目で周囲を確認している。「不動の城壁」の異名を持つ盾役。視線が春山の方を一瞬だけかすめたが、清掃員と判断したのか、そのまま前方へ戻った。
右側には霧島セイラがいた。
細い金属フレームの眼鏡。動きやすさを考慮したスリット入りの魔道ローブは深い紺色で、派手さを排した分だけ着ている人間の知性が前に出る種類の服だった。「歩く演算機」と呼ばれる支援役。手元の端末を操作しながらライカに何かを告げている。ライカが笑顔で頷き、セイラが小さく頷き返す。2人の間に流れる空気は、長年連れ添った仕事仲間のそれだった。
ライカが太陽なら、周囲の2人はその軌道を管理する衛星だ。実力、ビジュアル、そして完璧なプロデュース。それらが噛み合った結果が、目の前の眩すぎる光景だった。
出発前、ライカがふと耳のイヤホンに触れた。
「本田さん、今日もよろしくお願いします。画角、任せてますね」
「こちらこそ。今日は新装備のプロモーション撮影も兼ねていますので、いつも以上に丁寧にやります。ライカさんは普段通りに動いてくれれば、あとはこちらで全部整えます」
無線越しの声は落ち着いていた。感情の起伏がなく、しかし確かな自信が滲んでいた。ダンジョンの外、どこかのコントロール・コンテナからモニターを通じて現場を管理している、統括マネージャーの本田。スペクタクル・スリーの4人目は、現場に足を踏み入れることなく、常に画角の外側から全てを設計する男だった。
「じゃあ、行きますか」
ライカが明るく言った。
春山は一行の後方、15メートルほど距離を取って歩いた。
清掃員の立ち位置は、パーティの死角になる後方と決まっている。カメラに映らない位置。存在しないも同然の位置。春山はそれを不満に思わなかった。むしろ好都合だった。後方から観察する方が、見えるものが多い。
魔物が現れるたびに、ライカが前に出る。
装備が光る。魔法のエフェクトが広がる。魔物がポリゴンに砕けて消える。その直後、春山がトングを持って走り寄り、素材と魔石を回収する。
驚くべきは、ドローンと人間の連携の精度だった。
ユウリが声を出すことも、合図を送ることもない。ドローンがライカの右側へ回り込めば、ユウリは即座に左へ一歩ズレて、カメラの死角へと消える。本田とユウリの間に会話はない。ただ、完璧に調整された歯車のように、互いの位置情報を読み取り合っている。
清掃員の春山が画角に映り込まないのは、彼らの配慮ではなく、本田が構築した「完璧な画角」の副産物に過ぎなかった。
春山はそれを確認して、淡々とトングを動かした。
3体目の魔物が倒されたとき、春山は立ち止まった。
ライカの魔法が放たれる直前、背後の岩壁が一瞬だけ変だった。
変、という言葉しか出てこない。質感が変わった、と言う方が近いかもしれない。岩盤の表面が、コンマ数秒だけ「粗く」なった。細かい凹凸が消えて、のっぺりとした面になった。そして魔法が放たれると同時に、元の質感に戻った。
前職でサーバーの監視モニターが処理落ちしたとき、映像が一瞬粗くなる現象があった。解像度が落ちるというより、細部の情報が間引かれる感じ。あの画面に、似ていた。
春山はトングを止めて、岩壁を見た。
もう元に戻っている。何もなかったかのように、岩盤は静止している。
「……見間違いか」
呟いて、素材を回収した。ノートに書き込む余裕はなかった。後で記憶から再構成するしかない。
5体目が倒された後、本田の声が無線から流れた。
「ライカさん、視聴者は現在180万です。コメントの流れも悪くない。次のポイントで少し大きいものを見せてあげてください。場所はこちらで用意します」
「はーい」とライカが答えた。声が明るい。
ユウリが無線に向かって短く「了解」と告げる。傍らでセイラが端末の数値を確認して、小さく頷いた。
春山は回収した素材を袋に入れながら、その一連のやり取りを聞いていた。
場所はこちらで用意します。
ライカが戦う場所は、すでに決まっている。彼女が直感で動いているように見えて、その直感が向かう先は、モニターの向こうの誰かが設計している。
「……そういう仕組みか」
春山は独り言を言った。
仕組みを理解した。怒りも感心もない。ただ、構造が見えた。
移動中、セイラが一度だけ後方を振り返った。
視線が春山の上で、ほんの1秒だけ止まった。
端末から顔を上げた拍子の偶然か、それとも意図的な確認か、判断がつかなかった。眼鏡の奥の目は感情を読ませない種類の目だった。数値を見るときの目、と春山は思った。対象を評価して、それだけで終わる目。
春山は視線を外さなかった。
セイラが先に前を向いた。それだけのことだった。
次のエリアで、岩壁の「粗化」が再び起きた。
今度は春山は準備していた。ライカの魔法が放たれる直前、岩盤の質感が変わる瞬間を正面から見た。
やはり、粗くなる。
細部の情報が一瞬消えて、ライカの魔法が発動するとほぼ同時に戻る。しかも今回は岩壁だけでなく、床の一部も同じ現象を起こしていた。エフェクトが広がった直後、床のテクスチャが0.5秒ほど間引かれたまま止まり、それからゆっくりと元に戻った。
過負荷だ、と春山は思った。
前職の監視モニターが処理落ちしていたあの映像と、構造が同じだった。局所的に何かが集中して、周囲がその負荷を吸収しようとして、描画の細部を切り捨てる。ライカの魔法が放たれるたびに、その周囲の「精細さ」が一瞬失われる。
魔力密度が高い。
ライカが配信でそう言っていた言葉が、今は別の意味で聞こえた。
密度が高いのではない。その場所に何かが集中しているのだ。集中した分だけ、周囲から何かが引かれている。
春山はノートを取り出した。
『岩壁・床のテクスチャ粗化、魔法発動直前〜直後に発生。持続約0.5秒。発生範囲はエフェクト半径とほぼ一致』
書き込んで、ポケットに戻す。トングを持ち直して、散らばった素材を拾い始めた。
帰り際、ライカが春山の方を向いた。
距離は10メートルほどあった。ライカの目が春山を見つけて、耳元のピアスが揺れるほど屈託なく笑った。
「今日もありがとうございます。いつも綺麗にしてくれて、助かってます」
邪気がない。本心から言っている。それが伝わる笑顔だった。
無邪気で、残酷なまでに真っ直ぐな感謝だった。
春山は軽く頭を下げた。
「……仕事ですから」
ライカはもう前を向いていた。ユウリが春山を一瞥したが、視線はすぐに前方へ戻った。セイラは端末を見たまま動かなかった。
無線から本田の声が流れた。
「ライカさん、エンディングをお願いします。視聴者数、現在320万です。今日は良い数字が出ました」
ライカがドローンのカメラに向かって振り返り、笑った。髪の揺れ方まで計算されているように見えた。
「今日もありがとうございました。次回は深層直前エリアに挑戦します。絶対楽しいやつなので、お楽しみに」
ドローンが滑らかに上昇して、ライカを中心に据えたアングルで止まった。
春山はその画角の外で、黙ってトングを動かしていた。
計量所で今日の成果を提出した。
美観維持の清掃は単価が低い。魔物が倒れる直後に回収できるため数は多いが、査定の掛け率が通常の70%だった。
6,300円。
軽自動車に乗り込んで、ノートを開いた。今日の記録を見直す。テクスチャの粗化。発生タイミング。持続時間。発生範囲。
ライカの魔法が放たれるたびに、周囲の「精細さ」が失われる。その失われた分はどこへ行くのか。ライカの魔法に吸収されているのか、それともどこかに蓄積されているのか。
まだわからない。しかしデータが増えた。
エンジンをかける。43号線へ出ると、夜の渋滞がいつも通り待っていた。
「……今日も、混んでるな」
春山は赤いランプの列に加わりながら、ノートを助手席に置いた。
頭の隅で、セイラの視線が1秒だけ残っていた。
GW期間中は毎日投稿します。




