第5話 奇妙な既視感
その日、春山は百円ショップのリングノートを作業着のポケットに入れてダンジョンに入った。
表紙が少し歪んでいる安物だ。ペンは胸ポケットに挿した、インクが半分になった油性ボールペン。
道具としては十分だった。記録できれば何でもいい。
Cブロックの清掃区画に入ると、今日は丸顔の男と日焼けした女性に加えて、もう1人、初めて見る中年の男がいた。4人で区画を分担する。春山は西側を担当した。
作業を始めてすぐ、春山は立ち止まった。
前日に別のパーティが討伐した魔物の残骸処理が残っているエリアだった。残骸といっても、魔物の死骸はない。魔物はポリゴンに砕けて消える。残るのは主を失った素材と魔石だけだ。
その魔石が、床に散らばっている。
春山はその魔石を拾い上げる前に、足を止めた。
彼がじっと見ていたのは、その「落ち方」だった。
激しい戦闘の跡だ。壁には焦げ跡があり、床のタイルは砕けている。
魔物がのたうち回り、断末魔と共に弾け飛んだはずの場所。
それなのに、床に転がる魔石の分布には、争った形跡が微塵も感じられなかった。
泥や瓦礫の汚れとは無関係に、魔石だけが、まるで誰かが定規で測って置いたかのような、不自然に等しい距離を保って並んでいる。
まるで、見えない棚が床に敷かれているかのようだった。
春山はノートを開いて、魔石の位置を書き込んだ。壁からの距離。隣の石との間隔。床の傾斜との関係。数字を書いて、また次の石を探す。
「兄ちゃん、何してんの」
丸顔の男が東側からやってきて、春山のノートを覗き込んだ。
「……記録です」
「何の記録」
「落ちた位置の分布です」
男は春山の手元と、床の魔石を交互に見た。それから、ゆっくりと東側の仲間に向かって声を上げた。
「おい、この兄ちゃん、落ちてる場所メモして『おいしいポイント』探しとるで」
女性が顔を上げて、春山を見た。初めて見る中年男も、こちらを一瞥した。
「せこいわー」と誰かが笑った。「まあ、ええけど」と別の声が続いた。
春山は否定しなかった。誤解のまま放置しておく方が、説明するより合理的だった。ノートを閉じて、トングを持ち直す。
「……参考にさせてもらいます」
そう言って、作業に戻った。
昼過ぎに、データが揃い始めた。
ノートの左ページに着地点の座標、右ページに間隔の数値。縦に並べて見ると、パターンが浮かび上がってくる。壁際からの距離がほぼ一定。石と石の間隔がほぼ等しい。そしてそのばらつきが、あまりにも「小さすぎる」。
乱数ではない。
乱数には、もっとムラがある。密集する場所と疎らになる場所が必ず生まれる。
だがこのデータにはそれがない。均質すぎる。飛散の軌道と全く無関係に、最終的な着地点だけが揃っている。
まるで最初から「ここに置く」と決められていたかのような、人工的な整然さだ。
春山は壁際にしゃがみ込んで、今しがた着地した魔石を1つ、指先でつついた。
頭の中で、古い機械の画面が蘇った。
前職で担当していた倉庫の自動仕分け機。導入から20年以上経った、型落ちの装置だった。
通常は問題なく動く。しかし処理量が一定の限界を超えると、仕分け先の位置計算に「偏り」が出始める。特定の場所に荷物が集中する。均等に分散されるはずのものが、決まったパターンで歪む。
原因は処理の「使い回し」だった。余裕がなくなると、システムが前回の計算結果をそのまま参照する手抜きをする。新しい計算をする代わりに、古いデータを上書きせずに再利用する。
その結果として、配置に「規則性」が生まれる。
「……サボってる」
春山は独り言を言った。
乱数じゃない。もっと泥臭い。設計の古い機械が限界まで働かされているときに見せる「サボり癖」だ。処理コストを削るために、本来やるべき計算をスキップして前回の結果を使い回す。
問題はそこだった。
前職の自動仕分け機がそのクセを持っていたのは、設計が古かったからだ。当時すでに時代遅れだった設計思想を、コスト削減のために捨てずに使い続けた結果だった。現場の保守員の間では「うちの会社の先代社長並みにケチで古いやり方に固執している設計だ」と言われていた。
目の前のダンジョンが見せている「クセ」は、その自動仕分け機と酷似していた。
春山はノートを開き直して、右ページの余白に書き込んだ。
『仮説:配置の偏りは、処理の手抜きによるもの。古い機械特有のサボり癖と酷似』
書いてから、少し眺めた。
文字にすると、馬鹿げているように見える。世界のダンジョンが、時代遅れの機械と同じサボり癖を持っている。誰かに見せたら笑われる。笑われる以前に、理解されない。
だが笑われるかどうかと、正しいかどうかは、別の問題だ。
ペンのキャップを閉めて、ポケットに戻した。
計量所への帰り道、別のことが頭に浮かんだ。
もしこの「サボり癖」に条件があるなら、それを意図的に引き出せる可能性がある。前職の自動仕分け機にも、決まった限界点があった。その限界を超えたときだけ、あのクセが出た。
ダンジョンにも、同じ限界点があるはずだ。
「……それは、また別の話だ」
春山は呟いた。今は記録が優先だ。仮説の検証には、もっとデータが要る。
計量所の前に着いて、今日の成果を差し出した。途中で何度も立ち止まったせいで、回収量が昨日より少ない。査定員が無言で計測する。
7,100円。
「……まあ、仕方ないな」
春山は伝票を受け取って、軽自動車に乗り込んだ。
ダッシュボードの上にノートを置いて、エンジンをかける前に少しだけ眺めた。
仮説の根拠はまだ薄い。観測回数が少ない。別の説明が成立する可能性もある。
しかし前職での経験が言っている。あの「サボり癖」は、設計の深い部分から来ていた。表面的な動作だけを見ていては絶対に気づかない種類の、根の深いクセだった。
同じクセを持つということは、同じ根を持つということだ。
その根がどこまで伸びているのか。まだわからない。
春山はエンジンをかけた。43号線へ出ると、夕方の渋滞がいつも通り待っていた。赤いランプの列が、南港から堺の方向へ向かって長く続いている。
「……今日も、43号線は混んでるな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
ノートをポケットに入れ直して、アクセルをゆっくり踏む。
頭の隅で、仮説のフラグがまた1段階、重くなった。




