第55話 拒絶の核心(デッドロック)
削除が、完了した。
DELETE COMPLETE
MEMORY FREED : 71.3%
TEMPERATURE : NORMALIZING
温度のフィルター表示が、動いていた。
58度。
55度。
52度。
数値が、確実に下がっていく。冷却循環液の流れが速くなっている。柱の表面から漏れる光が、少し落ち着いた。重低音が、1段階低くなった。
「下がってますか」
ライカが問う。
「下がってます。有効でした」
春山が答えるとライカが小さく息を吐いた。
安堵ではない。次に備えている息だ。
春山はメインコンソールに向き直った。
再起動の手順を再開する。パージが完了した。メモリが解放された。演算装置への負荷が下がっている。今なら、再起動のプロセスが通る可能性がある。
入力端子に指先を当てた。
再起動コマンドを実行した。
オーバーレイに進捗が表示された。
REBOOT SEQUENCE : INITIATED
PROGRESS : 0%
数値が上がり始めた。10%、23%、41%。柱の光が変化している。層を伝う光のパターンが、再起動に対応して書き換わっていく。
春山はオーバーレイを見続けた。
68%
79%
88%
順調だ。このまま完了する、と春山が判断しかけた、その瞬間だった。
数値が、止まった。
REBOOT SEQUENCE : PROGRESS 99%
STATUS : SUSPENDED
ERROR : CRITICAL DATA LOSS DETECTED
INITIATING EMERGENCY SHUTDOWN
99%。
あと1%のところで、止まった。
春山はエラーの内容を読み取った。
システムが、パージによるデータの削除を「致命的なデータ損失」と認識していた。
外部からの攻撃と同じ扱いだ。自分自身の崩壊が始まったと判断して、全機能を停止させる方向に動いている。
心中モードだ、と春山は思った。
壊れる前に、自分で止める。システムとしては、論理的な判断だ。
しかしそれをされれば、再起動は完遂できない。
「何かあったんですか?」
「99%で止まっています。システムがパージを攻撃と誤認した」
「またですか」
「今度は違う種類です。防衛プログラムではなく、システム全体の緊急停止です」
「それって対処できそうですか?」
春山はオーバーレイでエラーの構造を確認した。
緊急停止のプロセスが動き始めている。これを止めるためには、システムに「データ損失は意図的なものだ」と認識させる必要がある。誤認を解除する。正しい状態を入力する。
しかし同時に、別の警告が現れた。
DEFENSE PROTOCOL : REACTIVATING
REASON : CRITICAL ERROR DETECTED
防衛プログラムが、また動き始めていた。
緊急停止のエラーを検知して、排除すべき原因を探している。排除対象は、また春山たちだ。
2つの問題が、同時に動いている。
そして氷の壁が、崩れた。
音がした。
大きい音だ。氷が一気に割れる音と、水が床に広がる音が重なった。ライカが作った4枚の板状の氷が、限界を超えて崩壊した。
水が、床を流れ始めた。
方向を確認した。メインコンソールに向かっている。床の傾斜が、わずかにコンソールの方へ向いている。水は低い方へ流れる。
「水が来ます!」
ライカが声を上げる。
春山はフィルターで水の流れを確認した。床の傾斜角度、水量、速度。
「3分から4分でコンソールに届きます」
「防衛プログラムは」
「また来ます。同時に対処する必要があります」
ライカが防衛端末の方を向いた。魔力を手のひらに集め始めていた。春山に確認を取るでもなく、自分の役割を判断していた。
春山はオーバーレイを全展開した。コンテナでの解析作業で積み上げた辞書登録を全部引き出す。多重展開する。処理の層を重ねる。
同時に2つの問題を処理する必要がある。
緊急停止のエラーを解除することと、防衛プログラムの優先度を再び下げること。どちらを先にするか。
緊急停止が先だ。
システムが完全に止まれば、防衛プログラムも止まる。
しかし完全停止の前に春山たちを排除しようとする防衛プログラムが動いている。優先度を下げなければ、緊急停止の解除作業を妨害される。
同時にやる必要がある。
「ライカさん」
「はい」
「無理はしないでください」
「分かってます。でも、来たら止めます」
それだけで十分だった。
緊急停止のエラーが、防衛プログラムの出力を上げている。
ライカが前に出る。
春山はオーバーレイに向き直った。
緊急停止のエラーコードを読み取る。エラーの根拠になっているデータを探す。
パージによるデータ損失を「致命的」と判断したロジックがどこにあるか。そのロジックに、正しい情報を上書きする。
意図的な削除であること。保守作業であること。攻撃ではないこと。
先人たちの保守ログのフォーマットで、入力する。CYCLEの形式で、日時を示す。作業内容を記述する。
しかしシステムが要求している認証レベルが、前回より高い。緊急停止中のシステムは、通常より厳格な認証を求めている。
部分認証では、通らないかもしれない。
背後で魔力が衝突する音がした。ライカが光の塊を弾いている。
「何体来てますか」
「5体です!」
「さっきより多いですね」
「どのくらい時間がかかりますか!」
「分かりません」
「分かりません、ですか」
「今回は難しい。ただ、やります」
水の流れを確認した。メインコンソールまで、あと2メートルほどだ。時間が、削られている。
春山は入力を続けた。
認証レベルが高いなら、入力の量で補う。先人たちのログから読み取ったパターンを全部使う。部分的な認証を、複数重ねる。1つの認証では届かなくても、複数の部分認証が重なれば、システムが「保守作業」と判断する閾値を超える可能性がある。
試みた。
応答が返ってきた。
AUTHENTICATION : PARTIAL (1/3)
PROCESSING...
1つ目が通った。
2つ目の認証データを入力した。
背後で、大きな音がした。ライカが複数の防衛プログラムを同時に押し返した音だ。魔力の出力が、上がっている。
AUTHENTICATION : PARTIAL (2/3)
PROCESSING...
2つ目が通った。
3つ目が必要だ。しかし3つ目の認証データが、手持ちのパターンで足りるかどうか分からない。
フィルターで確認する。辞書登録から、残っているパターンを探す。先人たちのログ、ATRAのメタデータ、システムの構造から逆算できる認証形式。
あった。
先人たちが残した引き継ぎの金属板に刻まれていた文字列の断片だ。保守ログのフォーマットとして使われていたものだ。完全ではない。
しかし形式の一部として使える。
入力した。
応答を待った。
水が、メインコンソールの1メートル手前まで来ていた。
AUTHENTICATION : PARTIAL (3/3)
EVALUATING...
評価中だ。通るかどうか、まだわからない。
背後でライカが声を上げた。痛みの声ではない。踏ん張っている声だ。
「春山さん、急いでください!」
「分かっています」
応答が来ない。評価が続いている。
水が、50センチまで来た。
春山は端子から指先を離さなかった。評価が終わるまで、入力を保持する。接続を切れば、また最初からになる。
30センチ。
EVALUATING...
20センチ。
水の冷たさが、足先に届いた。
コンソールの底部に、水が触れた。
その瞬間だった。
AUTHENTICATION : ACCEPTED
EMERGENCY SHUTDOWN : CANCELLED
CRITICAL ERROR : RECLASSIFIED AS MAINTENANCE LOG
REBOOT SEQUENCE : RESUMING
PROGRESS : 99% → PROCESSING
エラーが解除された。
再起動のプロセスが、再び動き始めた。
「通りましたか!」
ライカが尋ねる。
「通りました」
「よかった」
ライカの声から、緊張が少し抜けた。
しかし光の塊はまだ動いている。防衛プログラムの優先度を、また下げる必要がある。
春山は素早く入力した。
前回と同じ手順だ。今度は迷わない。判断基準の書き換え、優先度の調整、中断コマンド。
DEFENSE PROTOCOL : SUSPENDED
REASON : MAINTENANCE ACCESS CONFIRMED
止まった。
防衛プログラムの動きが、また止まった。
ライカが息を吐く。今度は長い息だった。
春山はフィルターで進捗を確認した。
REBOOT SEQUENCE : PROGRESS 99% → FINALIZING
FINALIZINGに変わった。完了処理に入っている。
しかし、止まっていた。
FINALIZINGのまま、数値が変わらない。
春山はエラーログを確認した。
新しいエラーが出ていた。
ERROR : POWER INSUFFICIENT
FINAL BOOT SEQUENCE REQUIRES EXTERNAL POWER
CURRENT INPUT : 0
REQUIRED INPUT : HIGH
電力が足りない。
最終起動シーケンスに、外部からの電力入力が必要だ。パネルに書いてあった警告と同じ内容だ。
しかし電源ユニットの状態を確認すると、状況が変わっていた。
焼け跡があった。
電源ユニットの接続部が、熱で焼き切れていた。通常の入力経路が、物理的に断絶している。端子に魔力を入力しても、そこから先に電力が届かない。
配線が、切れている。
工具があれば、予備のケーブルで繋ぎ直せる。
しかし春山の手元にはそれがない。
水が、コンソールの底部に広がっていた。
時間がない。別の経路を探す必要がある。
春山はフィルターで電源ユニットの構造を確認した。焼き切れた部分を迂回する経路がないか。物理的なケーブルがなくても、直接接続できる端子がないか。
あった。
マザーボードへの直接入力端子が、コンソールの内部にある。焼き切れた配線を経由しない、別の経路だ。しかし内部にある。コンソールの外側から直接触れることができない位置だ。
触れる方法が、1つだけある。しかし今すぐ実行できる状態ではない。
フィルターで再起動の進捗を確認した。FINALIZINGのまま、動かない。電力が届かない限り、ここから先には進まない。
水が、コンソールの周囲に広がり続けていた。
春山はもう1つの問題を確認した。FINALIZINGで止まったまま電力不足の状態が続けば、システムが再び緊急停止に向かう可能性がある。止まっている時間が長いほど、エラーが積み重なる。
完全停止が必要だ。
一度全てを止めて、起動に必要な電力の経路を確保してから、改めて再起動する。順番を踏み直す。
「ライカさん」
春山はライカを振り返った。
「少し、話せますか」




