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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第50話 最深部へのコンパイル

通路は下り坂になっていた。

緩やかだ。気づかなければわからない程度の傾斜だが、確実に下へ向かっている。

床の素材が変わっていた。棚の通路と同じ金属ではなく、もっと密度の高い、重い素材だ。足音が変わる。響かない。吸収されている。

壁の端子が、密度を増している。

通路の入口付近では、端子と端子の間に隙間があった。

しかし今は隙間がない。壁一面が端子で覆われている。管の太さも増している。1本1本が、腕ほどの太さになっているものもある。

データの流れが、ここだけ別の速度で動いている。

フィルターで確認しようとした。オーバーレイが揺れた。

熱気と、データの密度が高すぎて、座標の補正が追いつかない。流れの輪郭がぼやける。正確な解析ができない。

精度を落として確認する。おおまかな方向だけ読み取る。流れは下へ、前へ。この通路の先に、何かがある。


「足元、気をつけてください」

春山はライカに声をかけた。

「了解です」

ライカが答えた。

「傾いてますね、ここ」

「そうですね」

「どのくらい下りますか」

「今のところは何とも言えません」

ライカが短く息を吐いた。文句ではない。覚悟を決めるような音だった。




5分ほど歩いた。

傾斜が急になった。足を踏み出すたびに、床の重い素材が微細な振動を返してくる。円筒から感じた重低音が、ここではさらに強い。歩きながら、足の裏から全身に伝わってくる。

壁の管が、1本、膨らんでいた。

内圧が上がっている。表面が変色している。時間の問題だ。破裂すれば、通路にデータの流れが溢れる。何が起きるか分からない。

春山は足を速めた。


「急ぎます」

ライカの足音が速くなった。文句を言わない。理由を聞かない。春山が急ぐと言えば急ぐ。

いつからそうなったのか、気づけば当然のことになっていた。


傾斜がさらに急になった。

ほぼ階段に近い角度だ。足元を確認しながら下りる。ライカが壁に手をついた。春山も壁に触れた。端子の感触がある。熱い。しかし触れられない温度ではない。


突然、傾斜が終わった。

水平になった。

前方が開けた。




広い。

これまで見てきたどの空間より広い。

天井が見えない。壁が見えない。非常灯の橙色が、遠くまで点々と続いているが、その先は暗い。

床の中央に、何かがある。

遠い。しかし大きいことはわかる。円筒より大きい。輪郭が複雑だ。


春山はフィルターを展開した。オーバーレイが激しく揺れた。干渉が強すぎて、まともな解析ができない。座標がズレる。データの流れを示す線が、砂嵐のように乱れる。

精度を最低限まで落とした。

かろうじて読み取れた。

中央の構造物から、データが出力されている。外部へ向かって。上へ、広く、均等に広がっていく形で。ダンジョンの全域に、世界に向かって。


これが根幹だ。間違いない。


「見えますか、あれ」

ライカが中央の構造物を指した。

「見えます」

「行きましょう」




近づくほど、重低音が強くなった。

足の裏から、腹の底から、全身が鳴っているような感覚がある。静電気が強い。春山の前髪が、微かに浮いている。


構造物の全体像が、近づくにつれて少しずつ明らかになった。

円筒ではない。複数の構造物が組み合わさっている。

中央に大きな柱状のものがあり、その周囲を補助的な構造物が囲んでいる。柱の表面は均一ではない。無数の層が積み重なっている。層と層の間から、細い光が漏れている。青白い光だ。棚のスロットで見た光と同じ色だが、密度が違う。光が漏れるたびに、周囲の空気がわずかに揺れる。熱ではない。データが通過するときの、微細な圧力変化だ。

柱の根元から、太い管が放射状に伸びている。床を這うように、通路の方向へ、壁の方向へ、四方八方に広がっている。管の表面が振動している。触れれば、伝わってくる速度で流れているのが分かる。

柱の周囲、床の一段低くなった区画に、液体が満ちていた。黒に近い、暗い色だ。光を反射している。柱から漏れる青白い光が、液面に映って揺れている。

冷却のための循環液だと、春山はすぐに判断した。液面は静かだが、よく見ると、ごく緩やかに流れている。柱の熱を吸収しながら、どこかへ循環している。

天井からは、束になったケーブルが垂れ下がっていた。1本ではない。数十本が束になって、天井の穴から下りてきて、柱の上部に接続されている。束の規模が大きすぎて、天井と柱がそれで繋がれているように見える。束の表面が、光の速度で信号を伝えている。暗い空間の中で、青白い光が束を伝って明滅するたびに、周囲の影が揺れた。


「すごい」

ライカが立ち止まった。声が小さかった。圧倒されている声だ。

春山も立ち止まった。

すごい、という言葉が適切かどうかは分からない。

しかしこの構造物の前に立つと、言葉が出ないのは理解できた。

半世紀以上、誰かが保守し続けた先にあるものだ。壊れかけながら、それでも動き続けているものだ。


「ここが、世界の1番底ですね」

「そうだと思います」

「魔法はここから来てるんですね。全部」

「おそらく」


ライカがしばらく、柱を見上げていた。光が漏れている層を、目で辿っていた。

「きれいですね」

春山は返答しなかった。

きれいかどうかは、分からなかった。

しかしライカが言った意味は、理解できた。




春山はフィルターを展開した。

干渉が激しい。しかし距離が近くなった分、精度が上がっている。構造物の状態を確認する。

出力は続いている。しかし入力の処理が追いついていない。

演算装置が止まっているせいで、処理されないデータが直接ここへ流れ込んでいる。柱の内部温度が高い。表面温度は確認できた。

先ほど読み取ったリミットは75.0度。

今は68度。

限界まで、あと7度だ。

柱の側面に、パネルがあった。作業台の金属板と同じ形状だ。春山は近づいて確認した。


MAIN CONSOLE

MANUAL OVERRIDE : AVAILABLE

REBOOT SEQUENCE : REQUIRES EXTERNAL POWER INPUT

ESTIMATED INPUT : HIGH

WARNING : SINGLE INPUT SOURCE NOT RECOMMENDED


再起動には外部からの電力入力が必要だ。推奨される入力量は高い。単一の入力源は推奨しない、と書いてある。

ライカ1人では足りない可能性がある。あるいは、足りたとしても消耗が激しすぎる。

春山はパネルの横を確認した。再起動の手順が刻まれている。入力箇所は1箇所ではない。複数の端子に、順番に入力する必要がある。

読み取った。

手順は複雑だ。しかし不可能ではない。

問題は電力だ。


「春山さん」

ライカが隣に来ていた。パネルを見ていた。

「再起動、できますか」

「手順は確認できました。ただ」

「電力が足りない」

「そうです。どこから読みましたか」

ライカがパネルを指した。

「SINGLE INPUT SOURCE NOT RECOMMENDED、ですよね」

「そうです」

ライカが少し考えた。柱を見上げた。光が漏れている層を、また目で辿った。


「本田さんに連絡がつけば、人を呼べるんですけど」

「しかし今は通信が途絶しています」

「ですよね」

ライカが春山を見た。


「私だけじゃ、足りませんか」

「推奨はされていません。リスクがあります」

「リスクというのは」

「魔力の過剰消費です。今の残量で、この規模の入力を行えば」

「倒れるかもしれない」

「そうです」

ライカが頷いた。否定しなかった。春山が正直に言ったことを、そのまま受け取った。


しばらく、2人とも黙っていた。

柱の重低音が、空間を満たしている。床が振動している。どこかで、管が軋む音がした。

「他に方法はありますか」

「今のところ、見つかっていません」

「見つかる可能性は」

「探せば、あるかもしれません。ただ時間がかかります」

「時間は」

春山はフィルターで温度を確認した。68度。上昇のペースを計算した。

「数時間から、早ければそれより早い」

ライカが息を吸った。ゆっくりと。

「じゃあ、時間はないですね」

「そうです」

ライカが柱に向き直った。放射状に伸びる管を見た。床を這う太い流れを見た。それから春山を見た。

「私がやります」

「リスクがありますが」

「分かってます」

「分かった上で、ということですか」

「分かった上で、です」

ライカが春山に顔を向ける。

「春山さんが隣にいるから」


春山は返答しなかった。

返答の言葉が見つからなかった、というより、何かが胸の中で静かに動いた。うまく言語化できない何かが。それを確かめる時間は、今はない。


「途中で止める判断は」

「私がします」

ライカは続ける。

「でも春山さんも見ててください。私が判断できなくなったら、止めてください」

「分かりました」


ライカが柱の前に立った。パネルに刻まれた手順を、もう1度確認した。入力箇所の位置を、指先で確かめた。

「手順、もう一度教えてもらえますか」


春山はパネルの内容を読み上げた。端子の位置、順番、間隔。

ライカが頷きながら聞いた。

「行きます」




ライカが1番目の端子に手を当てた。

春山はその隣に立った。フィルターを展開した。温度を確認し続ける。干渉でオーバーレイが揺れる。それでも、確認できる範囲で見続ける。

ライカの手のひらから、光が広がった。

柱の表面に、青白い光が走った。

層と層の間から漏れていた光が、強くなった。重低音が、1段階上がった。

春山はライカの横顔を確認した。目が閉じている。集中している顔だ。疲労の色はある。しかしまだ、崩れていない。

温度を確認した。


66度。


下がっている。

これが終わったら、次がある。再起動の手順がある。演算装置の問題がある。データの負荷の問題がある。

しかし今は、これだ。1つずつだ。それ以外に、やり方がない。


春山はライカの隣に立ち続けた。フィルターを展開したまま、温度を見続けた。ライカの呼吸を聞きながら。柱の重低音を感じながら。

柱の光が、強くなり続けていた。


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