第49話 孤独なデバッガーたち
奥の扉は、開いていた。
継ぎ目が浮いている。完全には閉まっていない。春山はフィルターで確認した。
認証機構が歪んでいる。正常に機能していない。開閉の制御が、すでに壊れかけている。
扉を押した。重い。しかし動いた。
向こうから熱気が押し寄せた。
部屋ではなかった。通路だ。
しかし棚の通路とは違う。幅が狭い。両側の壁に、びっしりと端子が並んでいる。端子と端子の間を、無数の細い管が走っている。
管の表面が、熱で変色しているものがある。黒ずんでいる。一部は膨らんでいる。内圧が上がっている証拠だ。
春山はゆっくりと通路を進んだ。
フィルターで端子の状態を確認しながら歩く。正常に機能しているものと、すでに停止しているものが混在している。
停止している端子の周囲では、データの流れが迂回している。迂回した流れが、正常な端子に集中する。集中した端子がまた熱を持つ。連鎖している。
ドミノだ。
1つが止まれば、隣に負荷が移る。隣が止まれば、また次へ。
今はまだ迂回できている。しかし迂回できる経路が減っていけば、いずれ流れそのものが止まる。
「春山さん」
ライカが後ろから声をかけた。通路が狭いため、一列になって歩いている。
「壁、触らない方がいいですか」
「触らない方がいいです」
ライカの気配が、少し後ろに下がった。
通路の突き当たりに、広い空間があった。
天井が高い。棚の通路より広い。しかし棚はない。
代わりに、床の中央に大きな構造物があった。
直径が5メートルほどの円筒形だ。高さは天井に届いている。
表面が複雑な層構造になっている。演算装置と同じ素材だが、規模が違う。層の数が多い。端子の密度が段違いだ。
円筒の周囲を、太い管が螺旋状に巻いている。管の中をデータが流れている。流れの速度が、棚の通路で見たものとは比べものにならない。
そして、音がした。
低い。振動に近い。耳で聞くというより、胸の奥で感じる種類の音だ。
円筒そのものが発しているのか、床を通じて伝わっているのか、判断がつかない。近づくほど強くなる。
熱い。近づくだけで、肌が乾く感じがする。腕の産毛が、静電気に引っ張られるように逆立った。
「これは、さっきの機械より大きいですね」
「そうですね。おそらく役割が違います」
「どんな役割ですか」
「データの中継と、出力の調整だと思います。根幹はさらに奥にあるはずです」
オーバーレイを展開した。
熱気のせいか、座標の表示がわずかにブレている。データの流れを示す線が、陽炎のように揺れた。フィルターを通しても、この空間の熱が干渉してくる。
春山は解析の精度が落ちていることを確認しながら、それでも読み取れる範囲で情報を拾い続けた。
フィルターで構造物全体を解析した。
データの流入量が膨大だ。棚のスロットから来る流れ、演算装置から来るはずだった流れ、補助構造物から来る流れ、全部がここに集まっている。そして出力されている。
何らかの形で、外部へ。ダンジョンの構造として、魔力として、世界に出力されている。
問題は、入力量と出力量のバランスが崩れていることだ。
入力が多すぎる。出力が追いつかない。溢れた分が熱になっている。
円筒の表面温度をフィルターで確認した。
61度。
限界が近い。
春山は円筒の周囲を一周した。
表面を確認しながら歩く。層の一部が変色している。焦げた跡がある。演算装置で見たものと同じだ。
しかしこちらの方が範囲が広い。長い時間、同じ状態が続いていたことがわかる。
円筒の背面に、パネルがあった。
作業台の金属板と同じ形状だ。表面に文字が刻まれている。しかしこちらは短い。
CORE TEMPERATURE LIMIT : 75.0
CURRENT STATUS : CRITICAL
MANUAL OVERRIDE : AVAILABLE
手動での介入が可能だ。
春山はオーバーレイで詳細を確認した。手動介入の方法が、パネルの横に刻まれている。入力手順が、番号順に並んでいる。
読み取った。
手順は複雑ではない。しかし必要なものがある。
入力するためのエネルギーが必要だ。魔力に近い性質の、何かが。
春山はパネルから目を離した。円筒を見た。61度。上昇は続いている。
今すぐ介入すれば、温度の上昇を一時的に抑えられる可能性がある。
しかし一時的だ。根本的な解決ではない。演算装置が止まったままである限り、負荷は減らない。
暫定処置だ。それでもやる意味はある。時間を買える。
「ライカさん」
「はい」
「少し聞いてもらえますか」
春山は状況を説明した。
余計な言葉は省いた。現状、問題の所在、取れる手段、その限界。順番に、淡々と。
ライカは黙って聞いていた。円筒を見ながら。途中で質問しなかった。最後まで聞いた。
「私の魔力を使うんですね」
「お願いできますか」
「量はどのくらいですか」
「正確には分かりません。ただ、今の残量で対応できる範囲だと思います」
「思います、ですか」
「そうです」
ライカが少し息を吐いた。
「分かりました。やります」
「無理はしないでください。途中で止める判断は、ライカさんがしてください」
「春山さんが止めてくれてもいいですよ」
「私にはライカさんの残量が正確には見えません。あなた自身の判断を優先してください」
ライカが頷いた。
「手順を教えてください」
春山はパネルの手順をライカに伝えた。
円筒の表面にある特定の端子に、魔力を流す。端子の位置は3箇所。順番がある。
1番目、2番目、3番目の順に入力する。各端子への入力の間に、わずかな間隔が必要だ。
「間隔はどのくらいですか」
「2秒から3秒程度だと思います。感覚で構いません」
「感覚で、ですか」
「パネルにはそこまで書いていません。ただ、システムが応答するまでの時間を見ながら調整してください」
「応答、というのは」
「端子が光るはずです。次の入力を受け付けている状態になります」
ライカが端子の位置を確認した。円筒の表面を、指先でなぞった。熱い。しかし触れられない温度ではない。
「やってみます」
ライカが1番目の端子に手を当てた。
魔力を流した。
端子が光った。青白い光が、螺旋状の管を伝って広がった。円筒の表面温度をフィルターで確認した。61度。変化なし。まだ1番目だ。
ライカが2番目の端子に移った。
光が広がった。今度は少し強い。管の光が、1番目と合わさって複雑なパターンを描いた。
フィルターで確認した。60度。わずかに下がった。
ライカが3番目の端子に手を当てた。
一瞬、間があった。
光が、円筒全体に広がった。
低い音がした。演算装置のある部屋で聞いたファンの音とは違う。もっと深い、振動に近い音だ。床から伝わってくる。
フィルターで温度を確認した。
58度。
3度下がった。
「動きました」
手を離しながらライカが言う。
「そうですね」
「これで大丈夫ですか」
「一時的な処置です。上昇は続きます。ただ、少し時間ができました」
ライカが手のひらを見た。魔力を使った後の、特有の疲労感があるのかもしれない。表情には出ていない。
「魔力残量は」
「2割ちょっとだと思います」
予想より消費している。春山は内心で計算した。この先、もう一度同じ処置が必要になる可能性がある。その前に、外部との接続を回復させる必要がある。
「ありがとうございます」
「お礼はいいです。それより」
円筒を見上げた。
「これ、根本的に直すにはどうするんですか」
春山はしばらく答えなかった。
円筒の表面温度。58度。上昇は続いている。ゆっくりだが、確実に。
「演算装置を再起動させる必要があります」
「さっきの部屋の、大きいやつですね」
「そうです。ただ、起動するためのエネルギーが必要です。今の状態では、電力が足りない」
「電力」
「このシステムを動かしているエネルギーの源が、どこかにあるはずです。それをまだ確認できていない」
ライカが春山を見た。
「確認しに行くんですか」
「はい」
「私の魔力も、また必要になりますか」
春山は正直に答えた。
「可能性があります」
ライカが小さく笑った。疲れた笑い方だった。しかし諦めた笑い方ではない。
「そうですか」
それだけ言って、ライカは円筒の周囲を歩き始めた。手順を確認するように、端子の位置を目で追いながら。
春山はオーバーレイを展開した。
温度、58度。
時間は限られている。しかし今この瞬間、二人はここにいる。やれることがある。
それで十分だ、と春山は思った。思ってから、少し意外だった。
いつからそう思うようになったのか、自分でも分からなかった。
「春山さん」
ライカが円筒の向こう側から声をかけた。
「はい」
「一人でここに来てたら、どうしてましたか」
春山は少し考えた。
「魔力の入力ができないので、この処置は取れませんでした」
「じゃあ」
「別の方法を探していたと思います」
「見つかりましたか、別の方法」
「分かりません」
ライカが円筒の陰から出てきた。春山の前に立った。
「私がいてよかったですね」
断言だった。確認でも、自慢でもない。
ただ、そういう事実があると言っていた。
春山は返答を少し考えた。
「そうですね」
短く答えた。
ライカが頷いた。それ以上は言わなかった。
オーバーレイの温度表示が、また1度上がった。
59度。
春山はメニューを閉じた。
「行きましょう」
「どこへ」
「エネルギーの源を探します。この先にあるはずです」
ライカが春山の隣に並んだ。円筒の向こう、通路の続きを見た。暗い。
しかし春山のフィルターには、その先にデータの流れが見えている。
太い流れだ。これまで見てきた中で、一番太い。
「行きます」
ライカが応える。
二人は並んで歩き始めた。




