第48話 再上昇
通路を戻りながら、春山はオーバーレイを展開し続けた。
データの流れを追う。深い方向への流れが、さらに密度を上げている。
演算装置が止まってから、流れの方向が少しずつ変化している。
処理されないまま蓄積したデータが、別の経路を探している。水が低いところへ流れるように、圧力をかけながら。
問題は、その経路がどこへ向かっているかだ。
フィルターで確認する。流れの先は、まだ春山たちが踏み込んでいない区画だ。棚の通路のさらに奥、ファンの構造物を抜けた先に続いている。
「春山さん」
ライカが立ち止まっていた。
「温度、上がってませんか」
春山はフィルターで確認した。
室温、23度。
2度上がっていた。ファンの応急処置をしてから、まだ30分も経っていない。
早い。
上昇のペースが速まっている。演算装置への入力が止まらない限り、熱の発生は続く。指先で届く範囲の埃を取り除いた程度では、追いつかない。
「上がっています」
「どのくらい」
「2度です。ただし上昇のペースが早くなっています」
ライカが額に手を当てた。体温を確かめているのか、あるいは頭痛でもあるのか。
「まずいですか」
「時間の問題です」
棚の通路を歩きながら、春山は状況を整理した。
演算装置が停止している。冷却が追いついていない。データの流れが変化し、別の経路を探している。室温が上昇している。
対処できることと、できないことがある。
演算装置の再起動は、今すぐには難しい。損傷の範囲が広い。部品の交換だけでは解決しないと、引き継ぎの金属板にも書いてあった。
負荷の問題だ。処理すべきデータの量が、装置の限界を超えている。
では負荷を下げるか。
データを削除する。棚のスロットに収まっている膨大な記録を、どこまで消すか。何を残して、何を消すか。その判断を、今ここで下せるかどうか。
まだ全体が見えていない。
根幹がどこにあるか。システム全体の構造がどうなっているか。
それを把握しないまま、部分的な対処をしても、また同じことが繰り返される。引き継ぎの金属板が示していた通りに。
まず全体を把握する。その上で判断する。
順序は変えない。
通路の突き当たりに、また扉があった。
先ほどのものより大きい。継ぎ目が縦に走っている。中央にスロットはない。
代わりに、表面に細い溝が放射状に走っている。溝の中に、かすかな光がある。まだ生きている。
春山はフィルターで確認した。
この扉の向こうに、データの流れが集中している。別の経路を探して変化した流れの、行き先がここだ。
「開きますか」
ライカが扉を見上げた。先ほどのものより背が高い。
「確認します」
春山はオーバーレイで扉の構造を解析した。認証形式を読み取る。先ほどの扉と似ているが、要求しているデータの形式が違う。ATRAの識別子だけでは足りない。別の何かが必要だ。
スロットがない。入力する場所が見当たらない。
春山は扉の表面を手で触れながら確認した。溝の光が、指先に反応した。わずかだが、光の流れが変わった。
接触で反応する。
ただし認証方式が違う。データの入力ではなく、何か別の条件がある。
春山はオーバーレイで溝の光のパターンを解析した。規則性がある。一定のリズムで流れている。そのリズムに合わせて入力すれば、開く可能性がある。
「少し時間がかかります」
「分かりました」
ライカが壁に背を預けた。腕を組んだ。待つ体勢だ。
春山はメニューを展開した。
オーバーレイで溝の光のリズムを記録する。パターンを解析する。一定の間隔で繰り返している。三拍子に近い。
しかし微妙にずれている。完全な規則性ではない。
フィルターで何度も繰り返しを確認した。ずれのパターンにも規則性がある。入れ子になっている。
外側のリズムと、内側のリズムが、少しずつ位相をずらしながら重なっている。
二層構造だ。
外側のリズムに合わせて入力しながら、内側のリズムの変化に対応する。同時に二つのパターンを処理する必要がある。
春山は指先を溝に当てた。光のリズムを感じながら、メニューの入力と指先の接触を同期させる。
外側、内側、外側、内側。
溝の光が変化した。
リズムが速くなった。テストしている。入力が正しいかどうかを確認している。
春山は続けた。リズムに乗る。格ゲーの入力と同じだ。フレームを数えながら、次の入力を予測する。
光が一瞬強くなった。
扉が開いた。
「開きましたね」
ライカが壁から離れた。
「そうですね」
「今度は何をしたんですか」
「リズムに合わせて入力しました」
「リズム」
「扉が要求していたパターンがあった。それに合わせました」
ライカが扉の溝を見た。光が落ち着いている。
「なんで分かるんですか、そういうの」
「繰り返しを見ていれば、パターンが見えます」
「普通は見えないと思いますけど」
春山は返答しなかった。扉の向こうを確認した。
暗い。非常灯がない。春山はフィルターで熱源を確認した。
ある。
奥の方に、強い熱源がある。点ではなく、面として広がっている。複数の熱源が密集している。
そして音がした。
低い音だ。唸るような、しかし断続的ではない。一定の音だ。複数の音が重なっている。
「聞こえますか」
「ええ」
ライカが扉の向こうを覗き込んだ。
「何ですか、これ」
「ファンです。複数動いています」
「さっきのより、ずっと大きい音ですね」
春山はフィルターで内部の構造を確認した。広い。先ほどの部屋より大きい。
熱源が複数、規則的に配置されている。その周囲をファンが囲んでいる。冷却のための構造だ。
しかし熱源の温度が、冷却の限界に近づいている。
ここが限界点だ。
部屋に入った。
天井が高い。奥行きもある。壁に沿って、縦長の構造物が並んでいた。高さが3メートルほど。幅が狭い。
表面に無数の細かい穴が開いている。穴から熱気が漏れている。指先をかざすと、じわりと温かい。
構造物の上部に、ファンが取り付けられていた。大きい。
先ほどのものとは比べものにならない。複数のファンが、それぞれの構造物に取り付けられて、一斉に回っている。音の正体はこれだ。
しかしファンの音に、異音が混じっていた。
高い音だ。金属が擦れるような。断続的ではなく、一定の高さで鳴り続けている。
春山はフィルターで熱源の温度を確認した。
構造物の内部温度、47度。
許容範囲を超えている。
「暑い」
ライカが額の汗を拭った。部屋に入った瞬間から、気温が違う。棚の通路との差が大きい。
「ここの温度は高いです。長居しない方がいい」
「分かりました。でも」
ライカが構造物を見上げた。
「これ、何ですか」
「処理を担う構造物だと思います。演算装置とは別の、補助的な」
「補助的なものが、こんなに熱くなってるんですか」
「演算装置が止まっているので、負荷が分散されていると思います。本来ここに来るはずではない処理が、流れ込んでいる」
ライカが構造物の表面に手を近づけた。触れる前に引いた。熱い。
「壊れますか、これも」
「時間の問題です」
「どれくらいで」
春山はフィルターで温度上昇のペースを計算した。現在の上昇速度が続けば、構造物の素材が持つ限界温度に達するまで、数時間から半日程度だ。
しかし上昇ペースが速まれば、もっと早い。
「正確には分かりません。ただ、急ぐ必要があります」
ライカが部屋の奥を見た。構造物の列が続いている。
その先に、また扉がある。
「まだ奥がありますね」
「ええ」
「行きますか」
春山はフィルターで奥の扉を確認した。データの流れが、そこに集中している。この部屋の熱源がどこから来ているか、その根幹がさらに先にある。
「行きます」
二人は構造物の列の間を歩き始めた。
熱気が肌に当たる。ファンの音が、頭の中で重なって響く。
構造物の一つが、低い音を立てた。
これまでとは違う音だ。内部で何かが軋んでいる。春山はフィルターで確認した。
内部温度、52度。
上昇のペースが速まっていた。
時間がない。
春山は歩を速めた。ライカがその隣についた。
ファンの唸りが、二人の足音をかき消しながら、部屋全体に響き続けていた。




