第51話 最適解の墓標
メインコンソールのパネルには、再起動の手順が刻まれている。
春山は手順を読み直した。端子への入力順序、間隔、必要な電力量。ライカの魔力で一度の暫定処置はできた。
しかし再起動は別の規模の話だ。必要な電力量が、段違いに大きい。
まず手順の前半だけを実行する。システムの状態を読み取りながら、どこまで進められるかを確認する。全部を一気にやろうとするより、段階を踏む方が安全だ。
「ライカさん」
「はい」
「再起動の手順を始めます。ただし前半の入力だけです。途中でシステムがどう反応するかを確認してから、次を判断します」
「私は何をすればいいですか」
「端子への入力をお願いします。先ほどよりは少ない量です」
「分かりました」
ライカが柱の前に立った。
パネルの横に刻まれた端子の位置を確認し、指先を当てる。
魔力が流れ始めた。
柱の表面に、青白い光が走った。先ほどとは違うパターンだ。
光が層を伝って、上へ上へと広がっていく。天井から垂れ下がるケーブルの束が、光を受けて明滅した。
低い音がした。
今まで聞いたことのない種類の音だ。振動ではない。信号が走っている音だ。柱の内部で、何かが動き始めている。
春山はオーバーレイを展開した。
データの流れが変化している。棚の通路から来る流れ、補助構造物から来る流れ、それらが柱に向かって収束し始めている。
再起動のプロセスが、前半だけだが、動き始めた。
そのとき、データの流れの中に、今まで見えていなかった層が現れた。
春山はフィルターの解析を止めた。
別の層がある。棚のデータの流れとは別に、システムの深い部分に記録されている何かが、再起動のプロセスに反応して浮かび上がってきた。
アクセスを試みると、データが流れ込んできた。
量が膨大だった。
春山はフィルターの解析速度を最低限まで落とした。全部を読むのは不可能だ。上位の構造だけを確認する。
最初に見えたのは、分類だった。
データは2種類に分かれていた。
1つは、棚のスロットに収まっているものと同じ種類だ。日常の記録、風景、人の顔、季節の光。それが無数にある。
もう1つは、別の種類だった。
数値とパラメータの羅列だ。膨大な量の計算結果が、層を成して積み重なっている。1つ1つを読み解く時間はない。
しかし構造は見える。何かを比較している。何かを評価している。無数の条件分岐と、その結果が、圧縮されて保存されている。
春山はメタデータを読み取った。
識別子が現れた。
PROJECT : ATRA
PURPOSE : OPTIMAL SOLUTION EXTRACTION
METHOD : PARALLEL CIVILIZATION SIMULATION
STATUS : CALCULATING
RESULT : SEE LOG
LOGにアクセスした。
SIMULATION COUNT : --------
OPTIMAL SOLUTION FOUND : 0
CONCLUSION (CYCLE 01203) : COLLAPSE IS INEVITABLE
NOTE : DATA RETAINED FOR REFERENCE
春山はその記録を見た。
シミュレーションの回数を示す数値は、桁が多すぎてオーバーレイの表示が崩れていた。
読み取れたのは、最適解の発見数が0であること、そして結論の1行だけだ。
崩壊は不可避。
「春山さん、何か見えましたか」
ライカが端子から手を離していた。魔力の入力が終わっている。春山がオーバーレイに集中していることに気づいて、待っていたらしい。
「少し待ってください」
春山はログの続きを読んだ。
シミュレーションの内容が、圧縮された形で記録されていた。
技術の過剰発展による自壊、資源の枯渇、知的生命体同士の衝突、環境の連鎖崩壊。パターンは無数にある。
しかしどのパターンをたどっても、終点は同じだった。
崩壊。
絶滅。
終わり。
そしてその記録が、棚のスロットの中に収められていた。無数の失敗の、最後の記録として。
夏の川辺で笑っていた家族も、2人分の食事が並んでいた食卓も、砂場で笑っていた子供も、全部、滅んだ世界の最後の断片だった。
春山はアクセスを切った。
オーバーレイを閉じた。
感情的になるつもりはなかった。
しかし何かが、胸の奥で重くなった。押しつぶされるような感覚ではない。
ただ、重い。処理しきれない何かが、そこにある。
「話せますか」
ライカが問う。
「……ええ」
春山は説明した。
余計な言葉を省いた。発見したこと、読み取ったこと、構造、結論。順番に、淡々と。
ライカは黙って聞いた。途中で質問しなかった。最後まで聞いた。
「回数が、読み取れなかった?」
「表示が崩れていました。ただ、桁は見えました」
「どのくらいですか」
「数え切れない量です。このシステムが動き始めてから、ずっと繰り返してきた数だと思います」
「全部、失敗したんですか」
「記録上はそうです」
「答えは出なかった」
「出なかった。あるいは、出た答えが『滅びは避けられない』だった」
ライカが柱を見た。天井から垂れるケーブルの束が、静かに明滅している。液面が、光を反射している。
「棚にあったデータ、全部そういうものだったんですね」
「そうです」
「あの家族も」
「そうだと思います」
ライカが少しの間、黙った。
「それを、捨てられなかったんですね。このシステムは」
春山は頷いた。
「失敗データは参照用として保持するように設計されていた。同じ失敗を繰り返さないために。しかし保持し続けた結果、メモリを圧迫して熱源になった」
「捨てれば、軽くなる」
「そうです」
「でも捨てたら、その世界が本当に終わる」
「データとしては、そうなります」
ライカが床を見た。放射状に伸びる管の1本を、足先でそっと触れた。
「このシステムって、何のために作られたと思いますか。春山さんは」
春山は少し考えた。
「滅びないためです。作った存在が、自分たちの文明が終わる前に、何かを残そうとした。答えを探し続けた。見つからなかった。それでも、探すことをやめなかった」
「答えが出なくても、探し続けた」
「そうです」
「なんか」
ライカが呟く。
「すごく、悲しいですね」
春山は返答しなかった。
悲しい、という言葉が適切かどうかは分からなかった。
しかしライカが言った感触は、理解できた。
無数の失敗と、それでも止まらなかったシステムの記録が、この空間を満たしている。先人たちはその重さを知らないまま保守していた。春山は今、知った上でここに立っている。
重さの種類が、変わった気がした。
「春山さん」
「はい」
「熱の原因、分かりましたよね」
「分かりました」
「じゃあ、再起動を続けますか」
春山はフィルターで温度を確認した。
62度。
先ほどより上がっている。ライカの暫定処置の効果が、少しずつ薄れてきている。
「続けます。ただし」
「ただし」
「再起動の過程で、問題が起きる可能性があります」
「どんな問題ですか」
「システムが、再起動を攻撃と判断するかもしれない」
ライカが春山を見た。
「攻撃と判断したら、どうなりますか」
「防衛プログラムが起動します。先人たちの記録の中に、その痕跡がありました。複数のサイクルにわたって、保守作業が中断されている箇所がある。原因として考えられるのは、システム側の拒否反応です」
「それが今も動いていると思いますか」
「分かりません。ただ、備えておく必要があります」
ライカが頷いた。迷わなかった。
「分かりました。私はどうすればいいですか」
「何かあったとき、私の近くにいてください。それだけで構いません」
「それだけ、ですか」
「今の段階では、それだけです」
ライカが小さく笑った。
「信頼されてるのか、されてないのか、分からないですね」
「信頼しています」
春山は言った。
ライカが少し目を見開いた。春山がそういう言葉を言うとは思っていなかったらしい。
しかし春山は本心だった。この空間に2人でいる。通信は途絶している。外部の助けはない。
それでもライカは、ここまで止まらなかった。魔力を使った。判断した。待った。それは信頼するに足ることだ。
「続けます」
春山はメインコンソールのパネルに向き直った。
再起動の手順、後半。端子の位置を確認する。入力の順番を確認する。
「お願いします」
ライカが端子に手を当てた。
魔力が流れる。
柱の光が、一気に強くなった。
重低音が上がった。床の振動が増した。天井のケーブルの束が、激しく明滅した。
そして春山のオーバーレイに、警告が現れた。
INTRUSION DETECTED
DEFENSE PROTOCOL : INITIALIZING
春山は警告を見た。
来た。予想していた。しかし予想と現実の間には、いつも距離がある。
「ライカさん」
「見えました」
ライカの声が変わっていた。緊張ではなく、集中した声だ。
「何が来ますか」
「分かりません。ただ」
春山はオーバーレイでシステムの反応を追った。防衛プロトコルが初期化されている。実行される前に、何かできることがあるかどうか。
手順が頭の中で動き始めた。
「対処します」
短く言った。
ライカが春山の隣に立った。何も言わなかった。ただ、そこにいた。
柱の光が、また1段階強くなった。




