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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第38話 聖域と「黄金の壁紙」

設営作業が3週目に入った頃、最深部への通路が開通した。

管理局の指揮官が全員を集めて言った。


「本日、Jブロック最奥部への到達を確認した。現時点での探索可能な最深部だ。各自、安全確認の上で前進せよ」

探索者たちがざわめいた。

Jブロック。設営作業の間、春山はIブロックまでしか入っていなかった。Jブロックへの通路が開いたのは今日が初めてだ。

スペクタクル社のチームも集まっていた。ライカが隣に来た。頭上のドローンが起動している。

「ついに最深部ですよ」

「そうですね」

「春山さん、緊張してますか」

「していません」

ライカが笑みを浮かべる。

「さすがですね」

前進が始まった。




Jブロックの通路は、Iブロックより天井が低かった。

2メートルを切っている。背の高い探索者は頭を下げて歩いている。壁の幅も狭い。2人が並んで歩けるかどうかという幅だ。


物理演算の劣化が、さらに進んでいた。

壁の継ぎ目が、ほぼ全面に露出している。岩の表面という体裁が、もはや維持できていない。灰色の均一な面が、継ぎ目で区切られながら続いている。床の感触も、Iブロックより均一だ。踏み込むたびに、同じ応答が返ってくる。

照明が、まばらにしかない。

光と影の落差が激しく、前方の視認性が低い。春山はオーバーレイを展開して座標を補完しながら歩いた。

通路が、20分ほど続いた。

前方の探索者が、足を止めた。


「……なんだ、あれ」

声が上がった。


通路が開けた。

広い空間だった。Iブロックの設営区画より広い。天井も、急に高くなっている。10メートル以上ある。

その空間の奥に、それがあった。


巨大な壁だ。

壁、というより隔壁だ。空間の奥を完全に塞いでいる。高さは天井まで届いている。幅は空間の左右の壁から壁まで、隙間なく埋まっている。

素材が、周囲と違った。

周囲の壁は黒に近い灰色だ。しかしその隔壁は、明らかに異質な素材でできている。表面が滑らかだ。継ぎ目がない。均一な灰色ではなく、もっと明るい色だ。


春山はフィルターを展開して、その隔壁を見た。

座標値が、密だ。

周囲の壁より、情報密度が桁違いに高い。単純な壁ではない。内部に構造がある。データが流れている。あの床下と壁裏の管が、全部この隔壁に向かって集まっている。

これが終点だ。

ここにデータが集積している。

隔壁の素材を確認した。フィルター越しの解析で、成分が見えてきた。


コンクリートだ。

高強度のコンクリートで作られた、巨大な隔壁だ。ダンジョンの素材ではない。外部から持ち込まれたか、あるいはここで生成されたものだ。表面は滑らかに仕上げられている。施工の精度が高い。これを作った者は、構造物の建設に知識を持っていた。

春山が観察を続けようとした、その瞬間。

隔壁の表面が、変化した。

一瞬だった。

表面のテクスチャが、切り替わった。

コンクリートの灰色が、瞬時に別の色に塗り替えられた。金色だ。表面全体が、均一な金色に覆われた。それだけではない。金色の上に、複雑な模様が浮かび上がった。幾何学的な文様。弧を描く線。光を受けて輝くレリーフ。

隔壁が、黄金の祭壇に変わっていた。


春山のフィルターは、その変化の全工程を捉えていた。

コンクリートの表面に、テクスチャが上書きされた。コンクリートそのものは変化していない。素材の密度も、内部の構造も、変わっていない。変わったのは表面だけだ。

前職で保守していた物流センターに、倉庫全体をリアルタイムで3Dマップ化する在庫管理システムがあった。広大な倉庫を俯瞰するときは簡略化した箱で棚を表示して、特定の棚にズームしたときだけ高精細なデータを読み込む。リソースをケチるための常套手段だ。近づいたときだけ詳細を表示する。LODと呼ばれる手法だ。


今起きたことは、それに近い。

しかし通常のLODは、近づくほど精細になる。今起きたことは逆だ。近づいた瞬間に、別のテクスチャに差し替わった。精細化ではなく、上書きだ。

前職でも似たことをやる現場があった。エラー画面や未完成のUIをダミー画面で覆い隠す、応急処置的な実装だ。見せたくないものの上に、見せたいものを貼る。

誰が仕込んだかはわからない。いつ仕込んだかもわからない。

ただ、この変化は偶然ではない。

周囲の探索者たちには、この変化は見えなかった。

彼らが見たのは、暗い通路の奥に突然現れた黄金の祭壇だ。


「……すごい」

誰かが言った。

「祭壇だ」

「聖域が、ここに」

ざわめきが広がった。


ライカが息を飲んだ。

頭上のドローンが、自動で隔壁に向けてレンズを向けている。画角は確保されている。しかしライカは、ドローンのことを忘れていた。

配信者の顔ではなかった。


「……綺麗」

小さな声だった。

「ずっと、これを見るために頑張ってきた気がする」

独り言のような声だった。春山には向けられていない。ライカ自身に向けられていた。何年もダンジョンに潜り続けた探索者が、初めて本当に辿り着きたかった場所に立っている、そういう顔だ。


しばらくして、ライカが我に返った。

「春山さん、見てください。すごくないですか」

「そうですね」


春山は隔壁を見た。

黄金の表面は、今も均一に輝いている。フィルター越しに見れば、その下にコンクリートがある。データが集積している。床下と壁裏の管が、全部ここに向かって走っている。

しかし春山以外の全員にとって、それは黄金の祭壇だ。


指揮官が前に出た。

「これより、この空間を聖域前室と指定する。隔壁の調査は後日、専門チームを編成して行う。本日は記録のみとし、直接の接触は禁止とする」


探索者たちが隔壁の前に集まり始めた。記録映像を撮っている者、端末でデータを取っている者、ただ見上げている者。

春山は隔壁から少し離れた位置で、フィルター越しに観察を続けた。

偽装が発動したのは、先頭の探索者が隔壁から一定の距離に入った瞬間だった。距離のトリガーだ。一定の範囲に入ったものを検知して、自動的に上書きが走った。

つまり、これは待機していた。

誰かが来るまで、ずっと待っていた。

それがダンジョンの仕組みなのか、あるいは別の誰かが仕込んだものなのかは、分からない。

しかしこの上書きは、発見されることを想定して準備されていた。




春山は隔壁を見た。

黄金の表面が、照明魔石の光を受けて輝いている。

その下に、コンクリートがある。

その内部に、データが集積している。

全員がそれを聖域と呼んでいる。

春山だけが、別の何かを見ていた。


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