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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第37話 物理の綻び

設営作業が始まって2週目に入った。

Iブロックの第4区画まで、中継キャンプの基礎が整いつつある。

照明魔石の設置が進み、通路に沿って等間隔に光が並んでいた。上層の観光地化されたエリアと比べると、光と光の間隔が広い。その分、影が濃い。


春山は単独の清掃割り当てで、第3区画から第4区画の境界付近を担当していた。

設営チームが前の区画に移動した後の、後処理だ。

資材の梱包材、固定に使った工具の欠片、搬入時に剥がれた壁材の破片。拾いながら、通路を確認する。

帰路の安全を保つためと、通路の状態を把握するためだ。


作業しながら、オーバーレイを薄く展開していた。

ノイズの残滓の追跡を続けている。前回確認した床下の管から先、データのパスがどこへ向かっているかを少しずつ確認している。第4区画に入るほど、パスの密度が上がっている。


第3区画と第4区画の境界の壁に、差しかかった。

壁を確認した。

何かが、おかしい。

肉眼では気づかない。

しかしフィルター越しに見ると、壁の一部で座標値の密度が、周囲と異なっている。均一であるべき壁の厚みの数値が、ある箇所だけ薄くなっている。壁の内部に、空洞があるということだ。

春山はトングで壁を軽く叩いた。

音が違った。

通常の壁は詰まった音がする。しかしその箇所は、かすかに反響した。内部が空洞になっている音だ。

周囲を確認した。設営チームの声は、前の区画から聞こえる。こちらを見ている者はいない。

壁面を手で押した。


動いた。

壁の一部が、内側に向かってわずかに動いた。固定されていない。後から取り付けられた板だ。板の端に指をかけて、引いた。

板が外れた。

壁の裏側に、空間があった。

通路の幅が30センチほどの、細い隙間だ。人が横向きになれば通れる程度の幅がある。隙間の奥に、管が走っている。

床下で見たものと同じ構造だ。

しかし、こちらの方が数が多い。床下の管が1本だったのに対して、壁の裏には5本の管が束になって走っている。束の間隔が、等間隔で固定されている。固定に使われているのは、Iブロックの素材ではない。別の素材だ。

春山は固定具を確認した。


素材が、古い。

Iブロックの壁材と比較すると、明らかに劣化の度合いが違う。

管を固定している素材は、表面が変色していて、一部が脆くなっている。設営チームが最近取り付けたものではない。

いつ取り付けられたかはわからない。しかし、長い時間が経っている。

前職で、サーバールームの古い配線を交換したことがある。20年以上前に設置されたケーブルは、被覆が硬化していて、触れると表面が剥がれた。目の前の固定具の劣化は、それに近い状態だ。

10年以上。あるいはもっと長い。


誰かが、ずっと前にここにいた。

この管を設置した。壁板で隠した。

春山は管の光を確認した。

床下の管と同じように、かすかな光が脈打っている。今も機能している。設置されてから長い時間が経っているにもかかわらず、まだ動いている。

前職で、設置から15年以上経過した光ファイバーが現役で動いていたケースがあった。適切に設置されて、環境が安定していれば、光ファイバーは長期間機能する。目の前の管も、それと同じ理屈で動き続けているのかもしれない。


春山は壁板を元に戻した。

固定しておく。誰かが気づいて開けても、ただの空洞に見えるようにしておく方がいい。

作業を再開しながら、頭の中で整理した。

床下に1本。壁裏に5本。合計6本の管が、この区画を通過している。全部が同じ方向、ダンジョンの深層に向かって走っている。

これは誰かが設計した経路だ。

偶然の産物ではない。複数の管を、等間隔で固定して、同じ方向に向けて設置している。目的があって作られた構造だ。

しかしその目的が何かは、まだわからない。




昼の休憩時間に、春山は第4区画の端で缶コーヒーを飲んでいた。

設営チームの他のメンバーは、前の区画で固まっている。春山だけが、少し離れた場所にいた。


壁を見ていた。

フィルター越しに、壁の構造を確認している。

第4区画は第3区画より壁の劣化が進んでいる。テクスチャの継ぎ目が数か所、肉眼でも確認できるほど露出している。岩の表面のはずが、一部だけ妙に均一な灰色の面になっている。描画が間に合っていない。

壁の角が、第3区画より鋭かった。

直角を超えているように見える角がある。物理的にあり得ない鋭さだ。描画の簡略化が、さらに進んでいる。ここでは細部の計算が、第3区画よりさらに省かれている。

床も、確認した。

一部の床材の継ぎ目が、不自然に浮いている。荷重の計算が簡略化されている結果、床材の変形が正確にシミュレートされていない。体重をかけると、均一な沈み方をする。本来なら体重の分布に応じて微妙に変形するはずの床が、一定の応答しかしない。

前職で、テスト環境のシステムに本番データを流したとき、細部の動作が違うことがあった。本番環境では問題なく動く処理が、リソースの少ないテスト環境では近似値で処理される。精度が落ちる。目の前の世界は、今そういう状態に近い。


缶コーヒーを飲み終えた。

潰して、袋に入れた。

ここで起きていることの説明が、少しずつ揃ってきた。

物理演算が簡略化されている。テクスチャの描画が追いついていない。床下と壁裏に、誰かが設置した管が走っている。その管は今も機能している。データのパスは、この先の深層に続いている。

パーツが揃っている。しかし全体図がまだ見えない。

もう少し深く入る必要がある。

設営作業は、まだ続く。




夕方、撤収の前にライカが春山の近くに来た。

「春山さん、今日も深いとこまで来たんですか」

「仕事なので」

「この区画、なんか変な感じしますよね」


ライカが壁を見た。

「壁が、なんかツルツルしてる。岩っぽくない」

春山は少し考えた。

ライカが気づいている。エンジニアの知識はない。

しかし感覚として、この空間の異常を捉えている。


「古い区画なので」

春山は答えた。

「そういうものなんですか」

「そういうものです」


ライカが春山を見た。

「春山さん、なんか気になることがあるんじゃないですか」

「さあ」

「その顔、なんか考えてる顔です」

「いつもこういう顔です」


ライカが少し笑った。それ以上は聞かなかった。

設営チームが撤収を始めた。

春山は最後尾で通路を確認しながら歩いた。

壁裏の管は、今夜もデータを流し続けているはずだ。

深層へ向かって、光が脈打ちながら走り続けている。


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