第23話 0フレームの静寂、再び
翌週も、本田からの指名が来た。
今度はIブロック。Hブロックよりさらに深い。南港ダンジョンでも、スペクタクル社クラスのパーティしか定期的に入らないエリアだ。
受付の女性が、今回は申し訳なさそうな顔をしていなかった。
「春山さん、スペクタクル社さんの専属随行みたいになってきましたね」
「……そうですね」
「羨ましいって言ってた人もいますよ。Hブロックの随行なら稼ぎも違うだろうって」
「まあ、それなりには」
春山はハーネスを受け取った。
今日も、スペクタクル社の機材が展開されていた。
ドローンが5機。ライカが装備の確認をしている。ユウリが周囲を確認し、セイラが端末を操作している。
配信中だ。
春山が定位置についたとき、スタッフが無線機を差し出した。先週と同じ、スペクタクル社のロゴが入った機材だ。受け取りながら、春山は無線機の重さを確認した。
先週と同じ重さ。先週と同じ機材。
しかし今日は、春山の側にも準備があった。
本田が何を見ようとしているか、先週の会話でほぼ把握できた。今日は、見せるものと見せないものを、より明確に分けて動く。
Iブロックは、Hブロックより天井が低く、通路が狭かった。
壁面の岩盤が複雑に入り組んでいて、視界が利かない場所が多い。ライカのパーティが進むたびに、死角が増える。春山は後方から、通路の角を意識しながら動いた。
最初の戦闘が始まった。
ライカの魔法が放たれる。エフェクトが広がる。魔物がポリゴンに砕けて消える。
春山は素材と魔石を回収しながら、壁面の変化を観察した。ノートに書き込む。数字と座標だけ。言葉は使わない。
無線が鳴った。
「春山さん、今日の現場の状態はどう見えますか」
本田だった。
「Hブロックより密度が高いです。魔物の動作が速い」
「そうですか」
それだけだった。先週より、本田の質問が短かった。観察の焦点が、すでに絞られているのかもしれない。
本田が少し間をおいて続けた。
「春山さん、今日は側面に入ってもらえますか。パーティの連携を見せるコンテンツです。清掃員が側面にいる方が、絵になる」
絵になる。
本田の言葉は、いつも2つの意味を持っている。配信上の理由と、観察上の理由だ。側面に入れば、春山の動きがより精細に見える。
「……了解しました」
30分ほど進んだところで、通路が広くなった。
天井が高くなり、空間が開ける。こういう場所では、広域攻撃が有効だ。ライカのパーティが、隊形を変えた。
春山は側面の位置に移動した。
前方に、魔物が複数現れた。6体。広い空間を利用して、散らばっている。
ライカが大きく息を吸った。
広域魔法の準備だ。
エフェクトが膨らみ始めた。光の粒が、ライカを中心に渦を巻く。ドローンが最適な画角を捉えるために移動した。
その瞬間、春山は気づいた。
魔法の余波が、自分のいる側面まで届く規模だ。
通常の広域魔法なら、現在の位置は範囲外になる。しかしライカの出力は、以前Bブロックで出会った頃から明らかに上がっている。新しい装備が加わるたびに、エフェクトの規模が大きくなっている。
今日の魔法は、側面まで巻き込む。
後方に下がれば間に合う。しかし今日、本田は「側面に入れ」と言った。後方に下がれば、本田の指示を外れる。そして本田は、春山が「指示通りに動かなかった理由」を問い詰めるだろう。命の危険があったから、と答えれば、次の問いが来る。なぜ危険だとわかったのか。どう判断したのか。
説明するほど、ほころびが増える。
むしろここで側面にいたまま無傷だったという事実を作る方が、説明がシンプルになる。
判断が、コンマ数秒で出た。
下がらない。
ウィンドウを閉じた。
世界の「視線」から、自分の体が零れ落ちる感触。
エフェクトが炸裂した。
光と衝撃が、通路を満たした。魔物が6体、まとめてポリゴンに砕けて消えた。
エフェクトが収まった。
春山は側面の位置に、そのまま立っていた。
作業着に、焦げた跡はなかった。
ライカが振り返った。
「春山さん、大丈夫ですか!?あの範囲に入ってると思ってなくて」
「問題ありません」
「でも、あの範囲に入ってたら普通……」
「うまく避けられました」
「避けられた、って……あの速さで?」
「運が良かったと思います」
ライカがしばらく春山を見た。何か言いたそうな顔だったが、結局「よかったです」とだけ言って、前を向いた。
しかし、セイラの視線が一瞬、春山に向いた。
眼鏡の奥の目が、何かを計算している。春山の説明を、数値として検証しようとしている目だった。
春山はセイラの視線を正面から受け止めて、黙って回収作業に戻った。
無線に、本田の声が入った。
「春山さん、申し訳ありませんでした。側面への配置指示が、結果的に危険な状況を作りました」
声のトーンは平静だった。謝罪の言葉だが、感情の揺れがない。事実として認めて、記録に残している、という種類の言い方だった。
「問題ありません」
「確認させてください。あの範囲に入っていましたね」
「はい」
「無事でしたね」
「はい」
「理由は」
春山は少し間を置いた。
「このエリアは魔力密度が高い。魔法の余波も、均質には広がらない。たまたま、薄いところにいたんだと思います」
嘘ではない。0フレーム無敵が作用したのは事実だが、「なぜ作用したか」については触れていない。説明できないことは、説明しない。それが保守員の原則だった。
沈黙があった。
今度は少し長かった。
「……そうですか」
それだけだった。
本田は信じていない。しかし反論もしなかった。「余波が均質に広がらない」という説明は、否定しにくい。証拠がないからだ。
春山は回収袋にトングを動かしながら、今のやり取りを頭の中で整理した。
本田には見えていた。春山がエフェクトの範囲内にいたこと。そして無傷だったこと。ドローンの映像にも、残っているはずだ。
しかし「無傷だった理由」は映像では説明できない。今の説明を否定するだけの根拠が、本田にはない。
今は、それで十分だ。
今日の随行が終わって、計量所で成果を提出した。
通常回収のみ。それでも稼ぎはCブロックの倍を超えていた。
軽自動車に乗り込んで、ノートを開いた。
『本田、魔法の透過を目撃している可能性が高い。ドローン映像に記録されている可能性あり。魔法の余波の不均質という説明で返したが、本田は納得していない。セイラも反応あり。2人の疑念、確信に近づいている』
一行空けて、続きを書いた。
『対応方針:今後の随行では、0フレーム無敵の使用をさらに限定する。使うとしても、映像に残りにくい状況を選ぶ。本田との通話内容は最小限に留める』
ノートを閉じた。
エンジンをかける。43号線へ出ると、夜の渋滞がいつも通り待っていた。
「……今日も、混んでるな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
本田の疑念が、確信に近づいている。
次の一手を、今夜考える必要があった。




