第22話 強制アサイン
指名が来たのは、木曜の朝だった。
受付の女性が、いつもより緊張した顔をしていた。
「春山さん、スペクタクル社の本田さんから直接ご指名です。今日、スペクタクル社の配信に随行清掃員として同行してほしいと」
「……内容は」
「Hブロックへの挑戦配信だそうです。春山さんには後方清掃と、万が一の際の現場サポートをお願いしたいと」
Hブロック。Gブロックよりさらに深い。南港ダンジョンでも上位の探索者パーティしか入らないエリアだ。スペクタクル社が「挑戦配信」として組む種類の場所だった。
「本田さんからの指定理由は聞けますか」
「Eブロックの件から、春山さんが『異常な状況でも冷静に動ける』と評価されているようです。それ以上は」
「わかりました」
春山はハーネスを受け取った。
廊下を歩きながら、今の状況を整理した。
本田が春山を指名する理由は、2つ考えられる。
1つは、表向きの理由。Eブロックでの実績。異常な状況でも動じなかった清掃員という評価。配信中に予期しない事態が起きたとき、パニックにならない人間が現場にいた方が良い。
もう1つは、裏の理由。
春山の正体を、もっと近くで確認したい。管理局の揺さぶりと並行して、本田は独自に動いている可能性がある。Hブロックという極限の環境に置いて、春山が何をするかを観察する。
どちらが本当の理由かは、今日の本田の動きを見ればわかる。
ただ1つ確かなことがある。
今日は、配信中だ。ドローンのカメラが常時映像を流している。
春山が何をしても、記録に残る。
Hブロックの集合場所には、すでに機材が展開されていた。
ドローンが5機。いつもより1機多い。モニターを積んだワゴンが2台、入口付近に停まっている。スタッフが慌ただしく動いていた。
ライカが装備の最終確認をしていた。今日の軽装鎧は、これまでで最も防御寄りの造りだ。胸当てが厚く、肩当てに魔力吸収素材が追加されている。しかしそれでも、光を反射する素材は変わらない。両耳にイヤホンを挿して、カメラのテスト映像を確認していた。
ユウリが無言で周囲を確認している。セイラが端末を操作しながら、Hブロックの最新データを確認している。
集合場所に着いたとき、スペクタクル社のスタッフが春山に近づいてきた。
「春山さん、こちらをお願いします」
手渡されたのは、小型の無線機だった。スペクタクル社のロゴが入っている。管理局の機材ではない。
「前回のEブロックの件を受けて、随行清掃員にも通信機器を貸与することになりました。本田からの指示です」
「……管理局の承認は取れていますか」
「社内での判断です。随行員の安全確保という名目で、管理局への事後報告になります」
事後報告。つまり、管理局は知らない。
春山は無線機を受け取りながら、その重さを確かめた。
安全確保。表向きはそうだ。しかしこの機材は、スペクタクル社の独自チャンネルで動いている。管理局の通信網とは切り離されている。本田が春山に話しかけても、管理局には聞こえない。
監視カメラを、耳元に付けられた
頭の中で、そう変換した。
今日の随行が始まる直前、無線に本田から確認が入った。
「春山さん、通信確認です」
「……確認しました」
それだけだった。しかし春山には、その接続が「準備の完了」を告げるものに聞こえた。
無線機を取り付けていると、ライカが春山に気づいた。
「今日もよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
「Hブロック、私も初めてなんですよ。ちょっとドキドキしてます」
「そうですか」
「春山さんは、どうですか」
「……仕事なので」
ライカが小さく笑った。
無線から本田の声が流れた。
「ライカさん、準備ができたら開始してください。視聴者数、現在85万です」
「はーい」
ライカがドローンのカメラに向かって笑顔を作った。
「みなさん、今日はHブロックに初挑戦します。ちょっと緊張してますが、ユウリさんとセイラさんがいるので大丈夫です。行ってきます」
一行が動き始めた。
春山は後方、15メートルの定位置についた。
Hブロックは、Gブロックとは別の種類の重さがあった。
空気の密度が高い。一歩進むたびに、圧迫感が増す。Gブロックが「危険な場所」という感触なら、Hブロックは「本来ここにいてはいけない場所」という感触だ。
壁面の岩盤が、より黒く、より艶がある。天井が低い。通路が狭い。照明が届かない場所に、青白い光を放つ鉱石が点在している。
春山はその鉱石を見た。
Gブロックでも見た種類だが、密度が違う。均等な間隔で並んでいる。自然に生成されたものとは思えない規則正しさだ。
ノートに書き込もうとした。
前方で戦闘が始まった。
ライカが魔物に向かって踏み込む。装備が光る。エフェクトが広がる。魔物がポリゴンに砕けて消える。本田の声がライカの耳元に届いているのか、ライカが特定の角度を向いてから魔法を放つ。ドローンが最適な画角を捉えている。
「視聴者数、現在120万です」
本田の声が、ライカのイヤホンから漏れて春山の耳に届いた。
春山は素材と魔石を回収した。
30分ほど進んだところで、手元の無線が鳴った。
スペクタクル社の機材だ。ライカたちが使うチャンネルとは別の、この無線機固有のチャンネルで着信している。管理局の通信網には繋がっていない。
「春山さん、聞こえますか」
本田の声だった。
「……聞こえています」
「少し話せますか。この無線はライカたちの通信とは独立しています。管理局にも繋がっていない」
わざわざそれを説明する。
春山には、その説明が「密談の環境を自分で用意した」という宣言に聞こえた。管理局の既存インフラを使わず、自社機材を持ち込んで独自のチャンネルを確保した。準備に、手間をかけている。
「どういったご用件ですか」
「今日の現場の状態について、あなたの見解を聞きたい」
春山は少し考えた。
「……どういった観点でしょうか」
「今日のHブロック、通常の清掃業務として問題はありますか」
「問題はありません」
「魔物の動きについて、何か気づいたことは」
「Cブロックのものより動作が速いです」
「動作が速い」
本田がその言葉を繰り返した。
「保守点検の仕事では、そういう表現を使うんですか」
「設備の動作を観察するとき、速度と精度で判断する習慣があります」
「なるほど」
短い沈黙があった。前方では戦闘が続いている。ライカの声が、遠くから聞こえてくる。
「Eブロックで何をしましたか」
「隠れていました」
「それだけですか」
「それだけです」
「イレギュラー個体は、どうなりましたか」
「気づいたらいなくなっていました」
「なるほど」
また沈黙があった。今度は少し長かった。
「……春山さん」
本田の声のトーンが、わずかに変わった。
「あなたのような人材を、私は何年も探していました」
「どういう意味ですか」
「現場で起きていることを、感情なく観察できる人間です。多くの人は、ダンジョンを『神秘』として見る。あなたは違う。何か別の視点を持っている」
春山は答えなかった。
「今日の随行、引き続きよろしくお願いします」
通話が切れた。
春山は前を向いた。
本田は確証を持っていない。しかし春山に何かがあると確信している。そして今日の会話で、その確信が強まった可能性がある。
問題は、本田が「管理局とは別の目的」で動いていることだ。管理局の目を盗むために自社機材を持ち込み、独自チャンネルを確保した。承認も申請もなく、事後報告という名目で管理局の監視を迂回している。
手間をかけている。それだけ、春山個人への関心が高い。
管理局は春山を排除しようとしている。しかし本田は、利用しようとしているのかもしれない。
どちらの方が、扱いやすいか。
1時間後、広い空間に出たとき、天井から複数の魔物が降りてきた。
ライカのパーティが対処に入る。しかし数が多かった。ユウリが前衛で受け止めながら、セイラがバッファーを重ねる。ライカが大型の魔法を放つ。
エフェクトが広がった瞬間、壁面のテクスチャが粗化した。
0.5秒ではなく、2秒ほど続いた。ライカの魔法の規模が大きい分、周囲への影響も大きい。壁だけでなく、床のテクスチャも、天井の一部も、同時に粗化している。
春山は立ち止まって、壁を見た。
ライカが戦えば戦うほど、この場所が削られていく。Bブロックで最初に観察したときより、明らかに規模が大きくなっている。出力が上がれば上がるほど、削られる量が増える。
そしてライカの出力は、回を重ねるごとに上がっている。スポンサーの新装備が追加されるたびに、エフェクトの規模が大きくなる。
「……このペースだと」
声に出しかけて、止めた。
無線が手元にある。清掃員専用チャンネルは、今も本田と接続したままかもしれない。
春山は口を閉じた。
ノートを取り出して、書き込んだ。
『Hブロックでの粗化、規模がBブロックの4〜5倍。ライカの出力増加に比例して拡大している模様。要継続観察』
戦闘が終わって、ライカがドローンカメラに向かってピースサインをした後、勢いよく振り返った。
「春山さん、今の見ました!? 大きいのが3体同時に来て!」
視聴者へのサービスなのか、それとも高揚感の勢いなのか。彼女は事あるごとに後方の春山を配信の「枠」に巻き込もうとする。
「見ていました」
「すごかったでしょ!」
「……はい」
ライカが屈託なく笑った。
春山はその笑顔を見ながら、ノートを閉じた。
この笑顔が、今日もこの空間を削っている。
本人は知らない。そして、知らないままでいる方が、今はいいのかもしれない。
随行が終わって、計量所で成果を提出した。
通常回収のみで、それでも今日の稼ぎはCブロックの2倍を超えていた。
軽自動車に乗り込んで、エンジンをかける前にノートを開いた。
『本田、自社機材の無線を清掃員に貸与。管理局への事後報告という名目で、管理局の通信網から切り離された独自チャンネルを確保。管理局には会話の内容が届かない環境を、自分で用意した。準備に手間をかけている。目的は管理局の目を盗んでの接触、と見るのが自然』
一行空けて、続きを書いた。
『本田の目的は排除ではなく、利用の可能性がある。「そういう人材を探していた」という発言。額面通りには受け取れないが、管理局とは異なる動機がある』
さらに続けた。
『現場での独り言、今後完全に禁止。ノートへの記録に切り替える』
ノートを閉じた。
エンジンをかける。43号線へ出ると、夜の渋滞がいつも通り待っていた。
「……今日も、混んでるな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
本田の疑念が、確信に近づいている。
次に何かが起きたとき、どう動くか。
今夜、考えておく必要があった。




