第21話 管理局の揺さぶり
担当区域の変更通知が来たのは、月曜の朝だった。
受付の女性が、少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「春山さん、今月から担当区域が変わります。Gブロックをお願いしたいんですが」
「……Gブロック」
「はい。管理局の割り当て変更で」
Gブロックは、南港ダンジョンの中でも特殊な位置にある。通常の清掃区画より深い。探索者のパーティが本格的な装備で入るエリアの、すぐ手前だ。魔物の残滓密度は高いが、それだけ魔物の密度も高い。清掃員が単独で入る場所ではない、というのが現場の暗黙の了解だった。
「理由は聞けますか」
「管理局からの指示で、詳細は……」
「わかりました」
春山はハーネスを受け取った。
廊下を歩きながら、頭の中で整理する。
タイミングが、あからさまだった。管理局への苦情。週3回の制限。そして今度は、より危険な区域への強制配置。これが偶然の割り当て変更とは思えない。
「……揺さぶりか」
前職でも、似た経験があった。上層部が特定の社員を「自主退職」に追い込むとき、担当業務を意図的に過酷な条件に変える。やりにくい環境を与えて、自ら動けなくさせる。あるいは、限界を試す。
管理局がやっていることも、同じ構造だ。
春山の正体を掴めていないから、直接動けない。しかしプレッシャーをかけることで、こちらが何らかのミスを犯すか、自ら引くかを待っている。
「……どちらもするつもりはないが」
Gブロックの入口は、通常の清掃区画より奥にあった。
降下路を進むにつれ、空気の質感が変わる。Cブロックの「慣れた重さ」とは違う、より密度の高い圧迫感がある。壁面の岩盤が、Cブロックより黒く、艶がある。
入口の前で、春山は立ち止まった。
Gブロックには、清掃員証明のタグがないと入れない仕様になっていた。受付でGブロック用のタグを受け取っていた。それをリーダーにかざすと、入口の封鎖が解除された。
中に入った。
最初の10分で、状況を把握した。
魔物の残滓が多い。Cブロックの3倍以上の密度で、素材と魔石が散らばっている。しかしそれと同時に、まだ活動している魔物も複数いた。清掃中に魔物と接触する可能性が、Cブロックとは比較にならないほど高い。
これが、管理局の意図だ。
危険な環境に置いて、春山が「普通の清掃員」なら引き上げるかを見る。あるいは、何らかの異常な行動を取るかを待っている。
春山は警棒を作業着の内側に確認して、清掃を始めた。
引き上げるつもりはない。しかし無理をするつもりもない。活動中の魔物には近づかない。安全な距離を保ちながら、確実に回収できる範囲だけを動く。
「……普通の清掃員として、普通に働く」
それが今日の方針だった。
2時間後、区画の奥で魔物と遭遇した。
予想はしていた。しかし、相手がCブロックで見る種類より一回り大きかった。
春山は動かなかった。距離を保って、相手の動きを観察する。
魔物は春山を認識しているが、即座に攻撃に来ない。こちらが動かなければ、様子を見ている。縄張りを侵されたときの、警戒状態だ。
ここで正面から対処することもできる。
0フレーム無敵を使えば、攻撃を透過させられる。
しかしGブロックは、管理局が注視している区域だ。ここで「清掃員が単独で大型魔物を処理した」という事実が記録に残れば、管理局の疑念が確信に変わる。
春山は一歩、後退した。
さらに一歩。
魔物との距離が広がる。春山が縄張りから出ると、魔物が追ってくるのをやめた。
別のルートで迂回して、回収を続けた。
「……見せるべきものと、見せてはいけないものがある」
保守員の仕事でも、同じだった。全ての技術を見せる必要はない。必要な場面でだけ、必要な分だけ使う。
昼過ぎ、Gブロックの入口付近まで戻ってきたとき、見慣れない人物がいた。
三十代後半の男で、作業着ではなくスーツを着ていた。手にタブレットを持って、入口の周囲を確認している。管理局の職員だ、と春山は判断した。
男が春山に気づいた。
「春山さんですか」
「そうです」
「今日の清掃、お疲れ様でした。少しよろしいですか」
「はい」
男がタブレットを操作した。
「今日のGブロック、いかがでしたか」
「回収は問題なくできました」
「魔物との接触は」
「1度、遭遇しましたが、距離を取って回避しました」
「処理はしなかった」
「清掃員の職務範囲外です。処理はしていません」
男がタブレットに何かを入力した。
「Gブロックは、通常の清掃区画より危険度が高いですが、問題はありませんでしたか」
「問題はありませんでした」
「そうですか」
男がタブレットから目を上げた。
「春山さんは、前職が保守点検だったとお聞きしています」
「そうです」
春山は動揺を見せなかった。
履歴書は出していないが、身分証を提示して登録している以上、行政のデータベースを叩けば前職の社名などすぐに辿れる。この男あるいは管理局の背後にいる誰かが、わざわざ自分の『バックログ』を照会したということだ。
「どういった保守点検ですか」
「物流センターの設備保守です」
「……なるほど」
男は何かを考えるような間を置いてから、また入力した。
「今後も、Gブロックの担当をお願いすることになりますが、問題ありませんか」
「了解しました」
「ありがとうございます」
男が頭を下げた。春山も頭を下げた。
男が踵を返した。
その直前、視線が一瞬だけ、春山の足元に落ちた。
靴だ、と春山は気づいた。
作業着の汚れ具合、靴底の泥の付き方。Gブロックに実際に入ったなら、どの程度汚れているか。それを確認している。
次に視線が、肩にかけた回収袋に移った。
袋の膨らみ。重さの見当。通常、Gブロックに2時間入れば、袋がどの程度になるか。その基準値と、目の前の袋を比較している。
スーツの男は、何も言わなかった。
頭を下げて、立ち去った。
春山はその背中を見送りながら、頭の中で今の視線の動きを反芻した。
「前職が保守点検だった」という情報は、管理局が把握している。そのうえで今日、実際に現場に来て、春山の行動の痕跡を目で確認した。魔物を処理したかどうか。どこを歩いたか。何をどれだけ持ち帰っているか。
観察が、続いている。
そして今の視線は、素人のものではなかった。
計量所で今日の成果を提出した。
Gブロックの回収量は、Cブロックより多かった。しかしスタックは使わなかった。全て通常品として提出した。
「Gブロックに入ったんですか」
査定員が少し目を丸くした。
「そうです」
「清掃員で単独でGブロックは……珍しいですね」
「管理局の割り当てです」
「そうでしたか。お気をつけて」
伝票を受け取って、計量所を出た。
軽自動車に乗り込んで、エンジンをかける前にノートを開いた。
今日の観察を書き込む。Gブロックの状態。魔物の種類と密度。管理局職員との会話。
最後に一行書き加えた。
『管理局の目的:こちらの限界を試している。正体は掴めていない。当面は「普通の清掃員」を演じ続ける。Gブロックでの能力使用は、当分禁止』
ノートを閉じた。
エンジンをかける。43号線へ出ると、夕方の渋滞が始まっていた。
「……今日も、混んでるな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
管理局が揺さぶりをかけてきた。しかし今日の春山には、動じる理由がなかった。
揺さぶりに乗る必要はない。ただ、淡々と仕事をする。それだけだ。




