第20話 死神の行進
「あいつが通った後は、ぺんぺん草も生えへんわ」
受付の小屋の外で、誰かが言っていた。
春山は受付票を書きながら、聞こえていないふりをした。声の主は見なかった。見る必要がなかった。
「マジで、魔石一個も落ちてないんやけど。砂まで持って帰ったんちゃうか」
笑い声が混じっていた。しかし笑いの中に、苛立ちが混じっていた。
「Cブロックとか、死神が潜った後は空気まで違うねん。乾燥してるいうか、スカスカや」
「気色悪いな。関わらんとこ」
春山はハーネスを受け取って、受付小屋を出た。
背中に視線を感じた。
「死神」という呼び名が定着したのは、いつ頃からだろう。
春山が意識したのは2週間前だった。Cブロックで作業を終えて戻ると、入口でたむろしていたハイエナたちが、あからさまに顔を歪めてこちらを見ていた。
「……チッ、また空振りや」
一人が、春山の肩にかけているパンパンの回収袋を睨みつけながら言った。
「おい、そこの。……あんた、ええ加減にせえよ。独り占めして楽しいんか」
春山は振り向かなかった。足を止めず、視線も合わせず、計量所へ向かった。
正確に言えば、春山は「何もない」状態を作り出しているわけではない。
シード値地点の魔石を回収し、未開発ゾーンの素材を回収し、スタックと圧縮で持ち出す。全て回収しているから、後続には何も残らない。副作用として、区画の「魔力感応値」が著しく下がる。魔石が生み出す微細な魔力の残滓まで、春山が根こそぎ持ち去っているためだ。
ハイエナたちが感じる「乾燥した空気」は、その結果だ。
「……想定外の副作用だ」
ノートに書き込んでいた。
リソースの過剰回収による、区画の枯渇状態。前職でサーバーのディスク領域を根こそぎ使い切ったとき、システム全体が異常な静寂を示したことがあった。あの感触に似ていた。
しかし問題は、その副作用が「見える」ことだ。
後続のハイエナたちに、空白が見えている。
その週、管理局から呼び出しがあった。
南港の管理事務所。前回と同じ部屋だった。しかし担当者が違った。今回は五十代の男性で、スーツがきちんとしていた。机の上に、春山の回収記録が3ヶ月分並んでいた。
「春山さんの回収実績について、確認したいことがあります」
担当者が言った。
「はい」
「Cブロックの回収量が、他の清掃員と比較して突出しています。同じ区画に複数回入った日は、後続の作業員の回収量がほぼゼロになっている。これについて、何か説明できますか」
「丁寧に探しているだけです」
「丁寧に探すと、他の清掃員が全員空振りするほどの回収ができるということですか」
春山は少し考えた。
「区画の魔石生成には、周期があります。その周期を把握して、生成直後に入るようにしています。後続の方が空振りするのは、私が先に入るためです」
「周期の把握は、どうやって行っていますか」
「観察です。毎日同じ区画に入って、記録を取っています」
担当者がノートを見た。
「そのノートは?」
「個人の観察記録です」
「見せてもらえますか」
「業務に関係のない個人の記録です。見せる義務があるかどうか、教えていただけますか」
短い沈黙があった。
「……義務はありません。ただ、協力していただけると助かります」
「では、業務に関係する部分があれば協力します。個人の観察記録については、ご容赦ください」
担当者がペンを置いた。
「わかりました。ただ、春山さんの後に入った作業員から苦情が複数来ています。これは事実として記録しておきます」
「了解しました」
「もう一つ。今後、同じ区画への連続入場は、週3回までにしていただけますか。これは管理局の運用上のお願いです」
週3回。
制限が入った。
「……了解しました」
春山は立ち上がった。担当者は次の書類に目を落とした。
軽自動車に戻って、ハンドルを握ったまましばらく考えた。
週3回の制限。これはペースを落とせという信号だ。表向きは「お願い」だが、実質は警告だ。次に同じことが続けば、正式な規制になる可能性がある。
予想していた事態だった。しかし予想より早かった。
「……目立ちすぎた」
春山はノートを開いた。
現状の問題点を書き出す。
『・Cブロックへの集中
・シード値の固定地点への反復回収
・後続の空白
・管理局への苦情。週3回制限』
対策を考える。
まず、区画を分散させる。CブロックだけでなくDブロック、Eブロック、さらに別の入口からのブロックに回収地点を広げる。同じ区画への連続入場を避けることで、管理局の基準をクリアする。
次に、後続への「おこぼれ」を残す。
全てを回収するのではなく、意図的にいくつかを残す。後続のハイエナたちが「少しは取れる」状態を作れば、苦情が減る。効率は下がるが、持続可能性が上がる。
「……ロングテールの運用に切り替える」
前職でも、サーバーのリソースを100%使い切る運用は禁じ手だった。常に余裕を残す。それが長期安定運用の基本だった。
翌週から、春山は動き方を変えた。
Cブロックは週2回に抑えた。残り1回の枠は、Dブロックに使った。
さらに週2日は、これまで手をつけていなかったFブロックの調査に充てた。新しいシード値地点を探す。未開発ゾーンの有無を確認する。
そして意図的に、回収品をいくつか残すようにした。
純度の低い魔石は拾わない。素材は種類を選んで、価値の低いものは置いていく。
後続のハイエナが入ったとき、「少しは取れる」ものが残っているようにする。
翌日、受付小屋の前での会話が変わった。
「今日のCブロック、少しあったわ」
受付小屋から出てきた男が、後ろから来た仲間に言った。春山の背中から1メートルも離れていない距離で、声を落とす気配がなかった。
「昨日、死神が来てたらしいけど、残してったみたいやで」
「あー、やっぱりな」
笑い声があった。春山は受付票を書き続けた。
「結局、普通のハイエナと一緒やったわ。根こそぎ持ってくとか言うても、管理局に睨まれたら大人しゅうなるんやな」
「化けの皮、剥がれたな」
声が、少し大きくなった。聞かせるつもりがあるのか、ないのか、判断がつかなかった。
「怖い顔して歩き回っとっただけか。中身は小物やったわ」
「まあ、しょせんハイエナやしな」
また笑い声があった。余裕のある笑い方だった。怯えが消えて、見下しに変わっていた。
春山は受付票を書き終えて、ハーネスを受け取った。
振り向かなかった。「死神」という呼び名が、まだ残っているかどうかは、わからない。しかしそれより重要なのは、管理局の目が薄くなることだ。
目立つことと、稼ぐことは、両立しない。
前職でも、最も優秀な保守員は、誰にも気づかれない人間だった。トラブルが起きる前に静かに直す。誰も何も気づかない。それが、最高の仕事だった。
その夜、コンビニの弁当を食べながら、春山はノートの集計ページを見た。
管理局の制限が入ったことで、週あたりの稼ぎのペースは落ちた。しかし動き方を変えたことで、持続可能な稼ぎのラインが見えてきた。
急がない。焦らない。淡々と続ける。
それが、この仕事の本質だった。
「……保守作業は、短距離走じゃない」
独り言が、六畳一間に落ちた。
窓の外から、43号線の車の音が聞こえていた。
夜でも、道は混んでいる。
春山は弁当の蓋を閉めて、ノートを閉じた。
明日も、ダンジョンへ行く。




