第18話 軽自動車の「ストレージ」
限界が来たのは、袋ではなかった。
春山が最初に気づいたのは、回収袋の底の感触だった。
通常、袋に素材を詰め込んでいくと、ある程度の重さになったところで底が緊張し始める。素材の重さが袋の素材に伝わって、手に重みが返ってくる。それが、回収量の目安になっていた。
しかし最近、その感触がおかしかった。
袋の底が緊張しない。重みが返ってこない。袋の外見は変わっていないのに、どれだけ詰め込んでも「まだ入る」という状態が続いている。
スタックの副作用だ、と春山は気づいた。
袋に入れる動作とウィンドウ開閉を同時に行うことで、アイテムの登録処理が重複する。その副作用として、袋の「容量管理」も狂い始めているらしい。袋がアイテムを「物理的に収容している」のではなく、「登録されたデータとして管理している」のだとすれば、登録処理が壊れれば容量の概念も壊れる。
「……袋ごとスタックできる」
実験は1日で完了した。
袋の口を閉じる瞬間に、ウィンドウを開閉する。
袋全体の登録処理に割り込む。
かちり。
いつもより重い感触があった。袋の口を閉じた瞬間、袋の存在感が一度だけぶれた。二重になりかけて、収まった。
袋を持ち上げた。
軽かった。
正確には、袋の素材そのものの重さだけが残っていた。殻の重さだ。中身は存在しているが、その重量だけが登録から外れている。振ると、中身が詰まっている感触は確かにある。存在はしているが、重さとしては認識されていない。
「……圧縮された」
ただし、1つ気になることがあった。
圧縮してしばらく経った後で袋の口を開けると、内側の空気が妙に冷たかった。素材の表面に、微細な結露のようなものが浮いていた。圧縮された状態が長く続くと、内部に何らかの変化が起きているのかもしれない。
また、袋に詰めすぎると、袋の表面に魔石と同じ不規則な線が薄く走り始めることも発見した。それが出始めたら、詰めすぎのサインだ。
「……圧縮時間の上限と、充填量の上限を調べる必要がある」
ノートに書き加えた。上限は袋の許容量の8割。残り2割の余裕が、安全マージンになる。前職でもサーバーのリソース使用率は8割を超えないよう管理していた。感覚として染み付いている数字だった。
3日後、春山は軽自動車のトランクを開けた。
普段は清掃道具と警棒の布袋、それと毛布が積まれているだけだ。
今日から、ここが変わる。
圧縮した袋を1つ、トランクの隅に置いた。
見た目は、どこにでもある回収袋だ。中身の重量は登録から外れているため、5袋積んでも車のサスペンションへの負荷は袋5枚分だけだ。外から見れば、型落ちのボロ車が走っているだけだ。
「……まあ、仕様だ」
声に出たとき、自分でも少し苦かった。
前職でも、同じ言葉を使った。理不尽なバグが仕様として扱われ、修正されないまま運用が続く。保守員は「仕様ですから」と言って、その都度手動で対処し続ける。
今の自分は、その「仕様」を逆手に取っている。
どちらが正しいのかは、わからなかった。
その週、春山はペースを上げた。
Cブロックのシード値地点から都度回収し、スタックして圧縮する。Dブロックの未開発ゾーンにも定期的に入り、高純度の自然生成素材を回収する。全てを圧縮して、軽自動車のトランクに積む。
ただし、圧縮から24時間以内に換金する。長期保存のリスクはまだ把握しきれていない。
翌週、神戸のブローカーへ持ち込む量を増やした。
担当者は三十代後半の男で、いつもグレーのスーツを着ている。名前は聞いていない。聞く必要がなかった。
今日の持ち込みを確認しながら、担当者が言った。
「安定した品質ですね。うちとしては、継続して取引したい」
「……考えます」
「継続取引なら、単価を上げられます。月単位での契約も可能です」
春山はしばらく考えた。
継続契約は、記録が残る。名前が残る。金の流れが残る。前職で保守契約の書類を何百枚と処理してきた春山には、「契約書にサインする」という行為が何を意味するかが骨身に染みていた。記録とは、後から掘り起こされるものだ。
「……とりあえず、現状のままお願いできますか」
春山は、直接的な拒絶を避けるように言った。 継続契約を「しない」と断言すれば、そこにまた新しい交渉の余地が生まれてしまう。前職で嫌というほど経験した、泥沼の要件定義と同じだ。
「そうですか」
担当者が少し間を置いた。それから、声のトーンが僅かに変わった。
「……けどな」
標準語が、わずかに崩れた。
「あんた、自分が何持ち込んでるか分かって言うてます?」
春山は答えなかった。
「うちはプロです。出所は聞かない。しかし品質は見る。このクラスが安定して出るのは、普通やない」
男は一呼吸おいて続けた。
「契約しないのは構いません。ただ、あなたが持ち込む限り、うちはあなたの動向を把握することになる。それはご理解いただきたい」
「……了解しました」
春山は現金を受け取って、立ち上がった。
把握される。それは想定内だ。契約よりはマシだが、無関心ではいられないということだ。
このブローカーとの関係にも、上限がある。
帰り道、阪神高速を走りながら、春山はトランクの中身を頭の中で計算した。
数字が出た。
もう一度計算した。
同じ数字が出た。
「……やりすぎたか」
独り言が、車内に落ちた。
かつて自分が一生をかけて積み上げるはずだった資産。その数倍、あるいは数十倍の重みが、いまトランクの袋に詰まっている。それはもはや、一人の人間が「生活」のために稼ぐ額を遥かに逸脱していた。
感慨は、やはりなかった。
ただ、少しだけ、ブローカーの言葉が残っていた。
「自分が何持ち込んでるか分かって言うてます?」
分かっている、と春山は思った。
しかし「分かっている」ことと、「全てを把握している」ことは、違うかもしれない。
魔石の表面のノイズが、頭に浮かんだ。
あの細く不規則な線。スタックした素材にも、圧縮した袋にも、同じ痕跡が残る。あれが何なのか、まだわかっていない。
自分が何を持ち込んでいるか。
その問いの答えが、まだ出ていない。
43号線へ降りると、夜の渋滞が薄くなっていた。春山はアクセルを踏んで、車線を一つ変えた。
「……今日も、混んでたな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
トランクの中で、圧縮された袋が、エンジンの振動に合わせて微かに揺れていた。




