第14話 ハシゴ
翌日、Eブロックへの随行依頼が来た。
受付の女性が、申し訳なさそうに言った。
「スペクタクル社さんから、また春山さんの指名が入っています。先日の件があったにもかかわらず、本田さんから直接ご指定で」
「……了解しました」
他のハイエナたちが春山を振り返った。先日の件は、現場ではある程度知れ渡っていた。イレギュラー個体の出現。空間の切断。清掃員の孤立。個体の消滅。
「なんであいつばっかり指名されんねん。何握らせたんや」
誰かが呟いた。
春山は振り向かなかった。ハーネスを受け取って、Eブロックへ向かった。
今日のEブロックは、先日とは比べ物にならないほど落ち着いていた。
空間の不安定さは完全に解消されており、通常の清掃業務として進んだ。ライカのパーティも、今日は深層手前には踏み込まず、中層部での通常探索に留まった。
ライカが途中で春山に話しかけてきた。
「先日は、本当にごめんなさい」
「……気にしないでください。仕様の範囲内でした」
「仕様?」
「あの空間が不安定だったということです。誰のせいでもない」
ライカがしばらく春山を見た。
「春山さんって、怒らないんですね」
「怒る対象がないので」
ライカが小さく笑った。
「また随行、よろしくお願いします」
「……こちらこそ」
春山は頭を下げて、回収作業に戻った。
今日はスタックを使わなかった。スペクタクル社の随行記録に、異常な回収成果が残ることは避ける。今日は通常業務に徹する日だ。
計量所で通常の査定を受けて、南港を出た。
時刻は夜の8時を少し回っていた。
助手席のシートの下に、小さな布袋が入っている。昨日の実験で作ったスタック素材の残りだ。爪が4本。皮素材が2枚。魔石が5個。
今夜、これを換金する。
南港の計量所は使わない。公的な記録が残る場所での換金は、もう限界に近い。今夜からは民間の買取業者を回る。記録の残らないルートへ移行する。
「……行くか」
春山はナビを開いて、最初の目的地を入力した。
1軒目は、堺市の旧市街にある素材買取店だった。
路地裏の細い通りに面した、看板の小さな店だ。探索者向けというより、古くから地元の業者が使ってきた種類の店だった。
店主は六十代の男性で、カウンターの奥に座っていた。
春山はスタックした爪を2本と、通常品の素材を数点、一緒に差し出した。
店主が爪を手に取った。
指先で表面を撫でて、眉を寄せた。
「硬いな、これ」
「Cブロックで拾いました」
「Cブロックで?」
店主が爪を目の高さまで持ち上げて、ライトに透かした。
春山の心拍数が、僅かに上がった。
ノイズが見えているのかもしれない。爪の表面に残った、あの細く不規則な線。店主の目が、何かを捉えようとしている。
「……なんか、表面に細い傷みたいなの入っとるな」
「採取時についたものだと思います。品質には影響ないかと」
春山は前職の顔を出した。
クレーム対応のときの声だ。問題を認めつつ、実害がないことを淡々と説明する。焦りを見せない。反論しない。ただ、事実として「問題ない」を積み重ねる。
「素材としての硬度は、ご確認いただけると思いますが」
店主が爪を机に置いて、金属製の小槌で軽く叩いた。
澄んだ音が響いた。通常の爪素材なら、もっと鈍い音がする。
「……確かに、硬いわ」
店主がしばらく黙った。春山も黙った。
「これなら加工屋に流せるな。値段はこれでどや」
メモ帳に数字が書かれて、差し出された。
春山は数字を見た。
Cブロックで普通に拾える爪素材の、通常価格は1本あたり数百円だ。目の前の数字は、その20倍以上だった。
脳の処理が、一瞬だけ追いつかなかった。
「……構いません」
平坦な声で答えた。
店主が現金を数えて、カウンターに置いた。
春山はそれを受け取って、ポケットに入れた。手が、微かに震えていた。震えていることを悟られないよう、すぐにポケットの中で握り直した。
「またええもん出たら、持ってきいや」
「……はい」
店を出た。
夜の路地に出ると、春山は足を止めて、一度だけ深く息を吐いた。
通過した。
しかしあの視線は危なかった。店主の目が、ノイズに引っかかっていた。次に同じ店に持ち込めば、確実に聞かれる。この店は1回限りにする。
ポケットの中の現金を、指先で確認した。
紙の束だ。ただの紙の束なのに、妙に重かった。
2軒目は、南港から15分ほど離れた港湾地区の素材問屋だった。
こちらは個人の持ち込みも受け付けている大手で、毎日大量の素材データが処理される。1件の異常値は、データの海に沈む。
スタックした皮素材を1枚と、魔石を3個持ち込んだ。
担当者が魔石を機械に通した。
「純度が高めですね」
「そうですか」
「でもまあ、この範囲なら普通に出ますよ」
あっさり処理された。
受け取った現金は、1軒目より少なかった。しかしこちらは大量データの中に記録が埋もれる。安全コストだ、と春山は思った。
3軒目は、東大阪の工業地帯に近い古い質屋だった。
ダンジョン素材の買取も行っているが、主な商売は機械部品や金属素材の売買だ。
春山は爪の残り2本を差し出した。
質屋の主人が爪を手に取って、まず重さを確かめた。
「重いなぁ、これ」
「そうですか」
「形は普通の爪やけど、重さが全然違う。なんやこれ」
主人が爪を両手に持って、上下に揺らした。重さを確かめている。
「素材の個体差だと思います。ダンジョンのドロップ品は、同じ種類でも性質が違うことがありますから」
「個体差でこんなに違うか?」
「稀に出るらしいです。前に同僚から聞きました」
嘘ではない。実際、極端な個体差が出ることは記録されている。ただし「稀」の範囲を大幅に超えているが、それは言わない。
主人が爪の表面を見た。
春山は息を詰めた。
しかし主人は特に何も言わなかった。ノイズが見えていないのか、見えていても気にしないのか、判断がつかなかった。
「……刃物屋なら喜んで買いよるやろ。値段はこれでどうや」
メモが差し出された。
1軒目より低い数字だったが、問題なく処理できる範囲だった。
「構いません」
現金を受け取って、質屋を出た。
3軒を回り終えて、軽自動車に戻った。
時刻は夜の11時を過ぎていた。
助手席に封筒を置いた。今夜受け取った現金を、1軒目の分から順に移している。まだ数えていない。
春山はシートに背中を預けて、天井を見た。
背中に、冷や汗が張り付いていた。
1軒目の店主の目が、まだ頭に残っていた。あの視線は危なかった。ノイズに気づきかけていた。次は別のルートを使う。同じ店には二度と行かない。同じ地区でも間隔を空ける。
まだ、やり方が荒い。
もっと分散させる必要がある。堺だけでなく、神戸、奈良、京都。エリアを広げれば、1箇所あたりの持ち込みが減る。減れば、目立たなくなる。
「……まだ、足りないな」
何が足りないのか。
検証か。ルートか。あるいは、慎重さか。
春山は封筒を手に取って、中の現金を確認した。
3軒合わせた金額が、そこにあった。かつての月収に近い額が、一夜のハシゴで手の中にある。
しかし大金を手にしたという実感は、まだなかった。あるのは想定通りだったという確認と、1軒目の店主の視線への警戒心だけだった。
封筒をグローブボックスに入れた。
鍵をかけた。
エンジンをかける。
春山は夜の堺を抜けて、国道へ向けてハンドルを切った。
「……今日も、混んでたな」
標準語が、静かに車内に落ちた。
GW後も毎日投稿します。




