第四章 Background of Spirited Daughter予想 8
八
翌週初めの月曜日、押照と仁楠は、再度日田子の事務所に出向いていた。
あと数日で、九月になる。山裾の青梅と違い、立川はまだまだ猛暑が続いていた。夏にぴったりな積乱雲は無い。雲ひとつないため、空には表情がない。ただ仏頂面を浮かべている。
ボルドー小学校での、あの大雨の日から始まったんだったな。あの日からまだ二か月も経っていないが、相当長い月数が経った気がする。毎日、一日一日、丁寧に過ごしたからだろうな。
仁楠は気合を入れ直し、応接室のドアノブを握った。
重い開錠音が、四部休符を打ち、静寂を生み、緊張を走らせた。
「改めて。嘘を吹聴するのをやめてもらえますかね」
「だから、事実なんだからさ。諦めて、廃校にするだとかできないのかな」
強気な態度を変えない日田子であったが、仁楠のアドレナリンは最高潮になっていた。
対話をする気も無かった。自然や、環境に立ち向かうわけではない。
これは、神の御業のような、自然科学の領域じゃない、横暴な人間相手なんだ、いつもよりよっぽど楽ちんじゃないか。
鼻から息を吸って、少し肩に力を入れた仁楠は、また鼻からゆっくり深く息を吐き、今夏一番くらいのリラックスを得た。
気合と、準備が満ちた仁楠は、今、この立川で最も弁が立つ男となった。
「ボルドー小学校は明日より、騒音対策と労働改革を行います」
予想していない提案に、日田子は目を丸くした。
「まずはエアコン室外機の騒音。これを、少し値は張りますが、高性能、高効率のものに取り換えていきます。初期投資はかかりますが、ZEBという、環境を意識した建築事業については補助金も出ますので、決して無理なことではありません。過ごしやすい校内環境というのもメリットになります」
これはレスターに協力を仰ぐよう既に話がついていた。金曜日の出張は、これだった。
レスターにとっても、コンサル事業について、ローザンヌ社につづいて早速二件目の依頼となり、また学校法人の事例も得られるということで、非常に張り切っていた。
勉強させてください、と愛内のもとへ足しげく通っていた塚による、ハンブルク研究所の好印象というのも、非常に効果的だった。
ありがとうね、塚さん。それから、和井得くん、李今くん、郡馬くん。全力で仕事をするって、こうやって、縁が広がることなんだろうね。
さぁ、まとめ上げるのが、中間管理職の仕事だ。
ふうう、と五秒息を吐いた。
そして一秒だけ吸って、また五秒吐いた。
肺は合計九秒分も空気を出してしまったので、仁楠が意図しなくとも、勝手に満杯まで酸素を吸い込んだ。
大演説の、酸素が満ちた。
「次に労働改革です。この小学校に限った話ではありませんが、先生方の業務の持ち帰りも日常化しています。ボルドー小学校の場合は、始業前の陸上部の活動、放課後の全学年生徒への校庭開放と、そのうち半面のサッカー部の活動、それから体育館でのバスケ部の活動とが、騒音と、先生方の長時間労働につながる原因になっていました。
そこで、すでに近隣住民の方にヒアリングを行い、始業前のクラブ活動を廃止しました。
放課後の校庭開放については引き続き行いますが、下校時間は十八時ですし、一日で見れば騒音発生時間を短縮することができます。部活動については、三つの部活すべて、近隣に小学生向けのサークルやスクールがあり、そこへの斡旋を行います。費用は生徒持ちですが、元々教員による指導は専門的ではありませんし、学校外との交流も持てますので、保護者への一回目の説明会では概ね好反応でした。
あとは生徒たちの反応次第、ではありますが、元々競技に取り組む意識がある生徒たちは自分から習い事として外部のスクールに行っていますしね。まあ、そういったレクリエーション感覚でのクラブ活動の存在意義は重要ではありますが、それは教員の労働改革がおおむね成功した後、また相談していければ。
もっとも、これらの近隣住民や保護者会との説明会で、騒音問題というのはあまり話題に上がりませんでしたがね」
仁楠は一息で大演説をした。
日田子との対話をしようとも思っていない口ぶりであった。当然である。ボルドー小学校への抗議は実際には起きていない。それに対して、先んじて、言わば一方的に投資をして対策をするのだ。
文句を言うな、といった強い態度であった。
何も言い返せない日田子に、押照が毅然とした態度でつづけた。
「先週はどうも、日田子先生。はいといいえは考えて答えろ、とご教示いただいて。
多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい、ということですよね。
では、改めて。我が校は、あなたの要求をのむ意向はありません。あくまで自主的に、より、近隣の方に、そして働く教員、最後に学ぶ生徒たちに、理解され、尊重される学校を目指していきます」




