第三章 カーボンニュートラルの存在と滑らかさ 9
九
仁楠と郡馬は、駅前の居酒屋チェーン店にふらりと入った。仁楠は今日一日の倉庫見学で収穫はあったが、この会はその報告会ではなく、郡馬の話を聞く会だ、と決めていた。
「和井得も李今も、塚のこと見直した、って言いますけど、ぼくはどうも馬が合わない」
案の定、郡馬の口から出たのは塚の話であった。
「いや、人として、じゃないですよ。今日も、客先で急に怒られるなんていう、頭が真っ白になるようなことが起きたのに、その場で崩れ落ちたり、理性を失って言い返したり、なんてことはしませんでしたよ。そこは、やるなぁ、と思いました。
でも、仕事仲間としては、ちょっと合わないんです。話していて噛み合わない。なんというか、お互いに省略する言葉と脳の補完との噛み合わせがすごく悪いんです」
仁楠はすでに二杯飲んだが、郡馬はまだほとんど飲んでいなかった。酔う前に言いきりたい、といった様子だった。仁楠自身そこまでお酒に強いわけではなかったが、うん、うん、と郡馬の話にうなずいていた。
「ぼくも塚さんとは、初めはそうだったよ。みんなそうじゃないかな」
仁楠は、少しろれつが回らなくなり始めていたが、少し息を多めに吐いて、はっきりとした口調で話し始めた。
「人としてはいいけど、仕事仲間としては厳しい、か。まだそれなら良かったよ。逆だったら少しやりづらかったかもね。
人として悪い感情を持っちゃうと、例えば今日みたいなミスに、口ではいいよ、って言いつつ、心では恨んじゃって、心のどこかで、またミスしろ、とか思っちゃったりしちゃうかもだしね。
あ、これ、ぼくの話ね。郡馬くんの話はすごく分かる。年の差があるとどうしても、ね」
言葉同士を区切りながら、ゆっくりはっきり話す仁楠の話に、郡馬も悪い顔はしなかった。
「ぼくは男女の違いだと思ったんですよ。よく、考え方が違う、とか、女性はマルチタスク派だ、男は地図を読める、とか、そういう話あるじゃないですか」
「どうなんだろうね。でも、ぼくは自分で言うのもあれだけど、マルチタスクは得意で、地図読むのは少し苦手なんだよ。逆に塚さんは、まぁシングルタスク派な気がするよ。
もし男女の違いっていうのが、考え方の違いってことだったら、考え方なんて、気持ちひとつで軌道修正できるものじゃないかな」
「気持ちだけで変わるものですかね」
「プラシーボ効果ってあるでしょう。思い込んだもの勝ちさ」
じゃあ、とりあえずは、合わないはずだ、じゃなくて、そのうち合うようになるだろう、って思いながら塚と接しますよ、と郡馬は折れた。折れながらも、仁楠に別の疑問をぶつけた。
「ぼく、主任みたいに、後輩に教えを諭す、みたいなことができないんですよ。説教みたいなのはできるんですけどね。
なんか恥ずかしくないです? 声高に自分の考えをひけらかす、って。主任って昔、周りの目気にしがちなんだよ、みたいなこと言ってなかったでしたっけ」
「ぼくが気にするのは、名も知らぬぼくのことを知らない人の目じゃなくて、知り合いの目だけだよ」
「でも、今、ぼくにみられているじゃないですか」
「改めて言われると恥ずかしいね」
ハハ、と二人で笑った。
「そういえばさ。尾怒さんが言っていた、亜院さん。正体わかったよ」
郡馬との別れ際、仁楠は軽く報告をした。昼鈴さんと話す機会があって聞いてみたら、すぐに分かったよ。社長の古い知り合いで、この会社にも少し関係のある人らしいよ、と完全にろれつのまわらなくなった舌でまくしたてた。ほとんど聞こえなかった郡馬は、適当に相槌をうって先に帰ってしまい、仁楠はタクシーを使った。
家に着いても仁楠はまだまだ酔っていたが、一件の着信があった。
「高木です。先日採取いただいた頭髪ですが、DNAは検出されませんでした。毛根から抜けたものが少なくて。
何か、こう、唾液とか汗とか、採取できませんかね」
「そんなの無理に決まっているでしょう!」
天を仰いだ仁楠の酔いはサーっと引いた。社長の体液を簡単に採取できるわけがない。
自分の唾液を送れば、簡単に解決するのだが。




