第二章 デオキシリボ核酸の存在と現実ギャップ問題 11
十一
「で、賀臼も、ベルも、まぁ採用経路がクリーンなら、それ以上詮索する必要はないか、ということで、もう放置していたんだけど、逆に心がザワついているのはクロだ。
もしかして塚は娘なのか、隠し子なのか、と不安がってしまって、ぼくに相談してきたんだ。代わりに興信所かどこかに頼んで調べてくれないか、って」
「それを、なんでぼくに話してくれたんですか」
「これだよ」
外流は仁楠に封筒を渡した。
「クロの毛が入っている。DNA鑑定が必要なら使ってくれ、ってことだ。ぼくは清掃員だから、塚さんの髪の毛でもなんでも、何かのタイミングで取ってくれば、調査は可能だろう、と思ったんだと。
でも、分かると思うけど、業務中にぼくが急に掃除を始めたら怪しいだろう。かといって終業時には、彼女はデスク周りをしっかり掃除してから帰る。まぁ、ごみ袋を漁るとか、いろんな手段はあるだろうけど、そこまでするのも気は引けてね。でも、横の席の君なら、机や床に落ちた髪を、さっと拾って、このクロの髪と一緒に鑑定に出すことは可能だろう」
「か、か、」
仁楠は、鑑定ですか、だとか、可能は可能ですが、だとか、可能なわけはないじゃないですか、とか、『か』から始まる様々な返事がつっかえた。そして結果的に、
「怪盗みたいなことを、ぼくが、それをすべきなんですか」
と、なんとか口から言葉を発することができた。
「いや、君の立場的に義務じゃない。
今クロは、ぼくに頼んだだけだ。ぼくとしても、クロの不安は分かるけど、それだけのために、クロはいいとして、彼女のプライベートを勝手に調査するなんて、気が引ける。
同時に、ぼく自身、これだけの話をされて、ずっと一人で抱え込むのにも無理があった。どうしよう、誰に相談しよう、って。まぁ、クロも同じ気持ちだったのかもね。
仁楠くん、これを鬼ごっこのように、だんだんと相談相手を増やしていって、ってするのはひどい話だと思うけど、いったん、君でとどめてほしい。塚さんの教育係の、君に、判断してほしいんだ。彼女と、クロとのDNA鑑定をすべきなのかどうなのか」
仁楠は、受け取ってしまった封筒を、まだ自分のものではなく、預かった大事な書類のように、握力をなるべくかけず、そっと握っていた。
「一晩だけ、考えてほしい」
外流はそのままオフィスに戻っていき、仁楠はしばしその場に立ちすくんだ。
塚は、父を見つけるのが夢です、と言っていた。それを思い出しながら、今、この黒根の毛を使い、あれこれと動くと、仁楠自身が相当な渦中に巻き込まれる、ということは明らかであり、呆然とした。
仁楠の決断は早かった。翌日には答えを出していた。
「外流さん、これ、お返しします」
と、仁楠は外流に封筒を返した。
「やっぱり、ぼくには、できません。もしこれで何か分かったとして、ぼくもこの秘密を一人で抱えきれる自信はありません。そうなると、彼女のプライバシーがどんどん広まっていく。それは彼女のためにならないと思います」
「うん、君が判断するなら、正しいと思う。ありがとう。ぼくもどうかしていた」
この件とは全く別に、ぼくから君の評価をクロに言っておくよ、もちろん良い方に、と外流がニコりと笑った。
もちろん本当は悪評価を告げ口するための、悪意のある嫌味という可能性もあったが、結論から言えば外流はそうした悪人ではなく、後日、手放しに仁楠の仕事ぶりを黒根に対して称賛した。
仁楠は外流と別れ、昼休み後のオフィスに戻ってきた。さあ、やることをやるぞ、と意気込んだ。




