20 終息
あの日から四十日が過ぎた。現在、アズベールを取り巻く事態は大きく変化している。
「ぐふふっ。いひひ。ざまーみろ。正義は勝つのさ。あー、スッキリしたよ!」
今日もセルディーは絶好調。ちょうど、ディディとセルディーは居酒屋の厨房で向き合ってお茶を飲んでいるところである。
「やだぁーー、セルディー、床に豆をこぼさないでよ」
「へへっ、分かってるってば」
あの日、夜明けに近い時間帯に遊牧民がやって来た。王子は、蠍の毒にやられた身体を引きずりながらも首長と対面したのだが、当然の事ながら、向こうは王子が裏切ったと思い込んでいた。
殺された伝令は首長の従弟。
彼等は殺気立ち、一発触発の雰囲気だった。しかし、サリンダが笑みを湛えながら、カルゴの悪巧みの詳細を説明したところ、遊牧民は理解してくれた。
王子は、その場で誓約書を書いて調停を締結させている。
赤の砂漠の民への税を減らすと約束した。その代わり、国境警備の任を任せることにしたのだ。それで、彼等の収入は安定する。
法廷に連れ出されたカルゴの手下があらいざらい自白した。今朝、カルゴは公開処刑された。
「ついに、悪を成敗たんだね~」
セルディーは気持ち良さそうに高笑いを繰り返しているけれど、事件以後なかなか、処刑に至らなくてヤキモキしていた。
「ほんとは、もっと早くカルゴに制裁を下せていたら良かったんだけど、カルゴは軍部を掌握していたから死刑を執行するのをビビる奴もいたらしいよ」
カルゴの部下の将校達が反乱を起こす心配があった。
しかし、サリンダが乗り出して下級兵士を掌握している。下級兵士はカルゴよりも兄のサリンダを支持しているので、将校がどう足掻こうと無駄なのだ。
王妃は、先週から孤島の離宮に幽閉されている。王妃の親戚は反対したが、息子のアルバが母の悪事を強く非難して幽閉するように訴えた。
王妃と息子のアルバ。どちらに着くかで家臣は揺れたが、王妃はカルゴという後ろ盾を失っている。それに引き換え、王妃の失脚を望むアルバの妻の父は権力者である。色々なことを天秤にかけた結果、皆はアルバに従った。
ちなみに、セルディーは、シゼルの偽者だと打ち明けたので世間は騒然となった。普通なら死罪に相当するのだが、砂漠で死にかけた王子の命を救った事で恩赦が与えられている。
『いやぁー。めでたいねぇ。あたい、やっかい払いされちまったよ! いひひ。宦官の皆さん、あんたらに嘘をついて悪かったね。あたい、もう二度とここには来ないよ。さようなら~』
改めてハレムを出る際、セルディーは嬉しさを爆発させていた。
『でも、ここの氷菓子は最高さ。あんたら、うめぇもん食えて幸せだね』
そんなセルディーに対して、いつも穏やかな宦官達もさすがに苦笑していた。
『あの人がニセモノで良かったです。だって、僕が聞いていた天使の様なジゼル様に少しも似ていないもの』
そう言ったのは、ディディがババスから救い出した金髪の足の不自由な宦官の少年だ。
彼の名前はアシェル。彼の上司は頷きながらもこう告げた。
『しかし、偽者のジゼル様がいる間は退屈しなかったですね。ああいう破天荒な人は二度と現われないでしょうね』
アシェルは、以前、村の人達からこんなふうに聞いていた。
『ジゼル様が、この村を救って下さったのだ。従者の男と共に逃げる途中、海に沈んだと聞いておるが、わしらは姫様が死んだとは信じておらんよ。天使のようなジゼル様は、ひっそりと、この世のどこかで暮らしているに違いない』
そして、偶然、ディディと知り合った訳なのだが、彼は、ディディが憧れのジゼル様だと気付いていない。ただ、心の中で静かに夢見ている。
『ジゼル様はこの世のどこかに生きておられるよね。いつか、ハレムに来て下さらないかな。一度でいいから会ってみたいな』
ハレムでの暮らしはアシェルにとって思ったほど悪くないものだった。
(だって、ここでは誰も僕を叩いたりしないもの。先輩は穏やかで、いい人ばかりだもの)
ハレム。そこが牢獄と感じる者もいれば安住の地となる者もいる。
ちなみに、街でもセルディーのことで持ちきりだった。破天荒な娼婦の冒険活劇の小説が新聞に掲載された事もあり、人々はセルディーを英雄視している。
そんなセルディーはカガリアの店を手伝っている。料理は下手なのだが接客は抜群に上手いのでセルディー目当ての客が殺到している。
ちなみに、音沙汰のなかったナーラは、田舎で結婚相手をみつけて幸せに暮らしているという。
つい、先日、こんな文が届いた。
『女将さん。ディディ。お元気ですか。代書屋がみつからなくて連絡が遅くなりましたね。みなさんにお知らせします。わたしは結婚しました。旦那様は鍛冶屋さんなのです。真面目で穏やかな人です。落ち着いたら、また西区に挨拶に行きますね』
みんな、それぞれ、自分の居場所を見つけている。
現在、レイ王子は腐敗した軍部の幹部を一掃している。二度と腐敗しないような体制にしなければならない。
もちろん、その他の組織の改変にも着手している。アズベールの僻地も都市も同じように、水道施設や福祉施設を充足させなければならないが、それには、かなり時間がかかることだろう。
ちなみに、ババスは相変わらず馬鹿だった。家柄がいいので一つ上の階級に出世してしまっている。
今回の事件の裁判の過程でディディは女子だという事がバレてしまったので書記として復帰する事は出来ない。
そして、今朝、一通の手紙が自宅に届いた。
(えーー、どうしよう……)
ディディの手元に書記長様の書簡が握り締められている。
それは、決して後世に残されることのない真実の記述である。
読んだ後は灰にするという約束で書記長が渡してくれたのだ。
それは、こんな感じの内容だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまえに知ってもらいたいことがある。
今思うと、それが変化の始まりであった。ある時、レイ王子が熱っぽい眼差しのまま質問されたのである。
「あの少年は何者なのだ? どこかの貴族の出なのか?」
「あの者は、異教徒が集う西区から通う者でございます。戦争前は、ルビトリアに暮らしていたそうですな。修道院などの施設で高度な教育を受けたのだと推測されます」
そう申し上げると、王子はたいそう驚いておられたのである。
「ずいぶんと華奢だな。まるで姫君のように品がある。あいつは、本当に男なのか?」
「どちらでもないように見えますが、おそらく女性なのでしょうな。性別を偽っているとしても、それは知らぬフリをしておくべきですな。何か特別な事情があるのでしょう。わたしは、近々、あの者を助手にしたいと思っております」
「なぜだ?」
「もちろん、語彙力に溢れているからです。権威のある学者より、ディディの方が遥かに優秀ですな。あの者の知恵が伝記編纂に必要なのです」
そんな会話を交わした数週間後のことであった。王子は街で奇妙な噂を耳にした。
戦時中に行方不明になったはずのジゼル姫が生きているので真偽を確認するために王子は場末の娼館に向かわれたのである。痩せた背の高い娼婦の娘。あの者がジゼルでないことは誰の目にも明らかであった。だが、宝石は本物だった。王子は、真相を確かめるために何度も娼館に通った。そこで、王子はおまえを何度かみかけた。
しかも、その手で胸があるかどうかを確認したとおっしゃったのだ。女の子だということが分かりホッとしたのであろう。
王子は、おまえと顔を合せるたびに表情が豊かになり饒舌になっていった。
「処女の娼婦はいったい何を売るのだろう? 夢や希望か、それとも溜息なのか?」
年寄り相手に、そんな馬鹿げたことを一人で呟くことさえあった。人は恋すると、道化にもなるし吟遊詩人にもなるとはよく言ったものである。それまでの王子は、世捨て人のように人生というものに絶望しておられた。しかし、おまえと出会ってから笑顔が増えた。王子が、傷ついた野鳥や親を失った犬を可愛がるのは、そこに自らの姿を重ねていたのであろう。王子は愛情に関しては不器用なところがある。
色々な事があった。宿敵とも言えるカルゴと王妃はもう消え去っている。王子は、もう自由に結婚相手を選べる。 おまえは、レイ王子のことをどのように想っているのであろう。
私の目にはおまえも王子を好いているように思える。しかし、おまえは王子からの求婚を断ってしまったというではないか。
「家族が許さないからハレムに残れません。駄目なんです」
そう言われてしまった王子は憔悴しきっておられるのだ。しかし、次期王として表向きは凛とした姿勢で暮らさなければならない。
おまえに聞きたい事がある。なぜ、断るのだ?
アズベール国の者たちに親族を殺されたことが、婚約を拒む理由なのであろうか。それらは王子に責任はないことなのだ。おまえが、いつも王子のお傍にいてくださったなら、あの方の魂は救われる。あの方の孤独な心を癒せるのは、おまえしかいない。
年寄りに免じて過去のことは水に流してはくれまいか。王子のお姿を見る度に胸が痛むのだ。ディディよ。王子の願いを受け止めてくれないだろうか。王子はおまえを何より愛している。どうか、王子の気持ちに応えてはくれまいか。




