16 真相
それは、王子と書庫で話した数日後。
お昼休み、宮殿の食堂に入るとヘラヘラ笑いながらババスが言った。
「聞いたかよ! 昨夜、ペポロ様が死んだらしいぞ。愛人のでけぇオッパイに顔をうずめて窒息死したんだってさ。いい死に方だな。男の浪漫だよな」
憎たらしいペポロの訃報を聞いた瞬間、デイディの心が晴れた。やっと、あいつに天罰が下ったのだ!
現在、ナーラは田舎で職を見つけて暮らしている。また街に戻ってこられるかもしれない。しかし、次の台詞を聞いた直後、凍り付いた。
「しかしなぁ、ペポロ様はレイ王子に殺されたって、軍人どもが言っているそうじゃないかよ。レイ王子からの宣戦布告として受け止めている」
「どういう意味だ」
ババスが問い返している。
「その女がペポロ様を殺したって言うんだよ」
「考え過ぎだと思うぞ。ペポロ様は大酒飲みで前から肝臓と心臓が悪かったぜ」
そんな噂話を耳にしながらディディは顔を曇らせていた。
(王子は毒姫と分かっていて、わざとペポロに押し付けたのよ。こっちの悪意は向こうにも伝わっているに違いないわよ。どうしよう! とってもまずい……)
不穏な瘴気のようなものがディディの心を濁している。後にいた書記がヒソヒソと話し始めた。
「ところで王の御容態だが、そろそろ、本格的に危ないようだぞ」
「一年前から杖なしでは歩けなくなっていたが、半年前からは歩くことはもちろん喋ることも難しくなっているもんな」
「残念だが、王様もそう長くはないみたいだ」
ディディはハッとなる。王は誰かを突き飛ばす体力というものが無い。という事は、犯人はあの方という事になるではないか。でも、まさか!
帰宅の時刻になっていた。この時刻ならば王子も政務を終えているはずだ。
王子の行動は把握している。おそらく、この時間はハレムの王子専用の浴室にいる。タタタッ。後先のことを考えることなくハレムの浴場の更衣室に飛び込んだ。
やはり、そうだ。香炉の上に衣服やターバンが吊るされている。
豪華な椅子とテーブルを供えた脱衣所の向こう側に浴室があった。
ドーム型の屋根がついており天辺には丸い窓がある。四方の壁は綺麗なモザイクが施されておりモウモウと暑い蒸気が立ち込めている。
「レイ王子!」
大理石で作られた寝台の上に横たわっていた王子がギョッとしたように寝返りを打った。
「何なのだ! いきなり!」
金属のヘラで身体をこすり高価な化粧油を塗ったり身体をほぐす行為は信頼の高い古参の宦官だけに許されている。暗殺などを防ぐ為なのだ。
それなのに、ディディは長きに渡って厳格に守られている規則を突き破って踏み込んでしまっている。ここなら誰にも聞かれないと思ったのだ。
「お話があります!」
「ここでないとダメなのか? ディディ、ここがどこか分かっているのか?」
床には木沓が無造作に置かれていた。これを履くと濡れた大理石の上で滑る事もない。
「はい、分かっています」
ディディが、そう答えると、腹這いになって寝転がっていた王子は、手を振って世話係りの宦官を浴場外に追い払った。ちょうど、薄荷入りの香油を塗られているところだった。王子は全裸である。
「ちょっと後ろを向いていてくれないか……」
王子はゆっくりと身を起こすと大判の布を腰に巻いた。改めて椅子に腰を下ろして問いかけている。
「どういう用件なのだ?」
「王子、聞いてください! ジゼル姫を殺した人物が分かりました」
真実を述べることが怖い。緊張を帯びた汗を背中に滲ませながら、あの日、書記長が見た光景の詳細を明かしていく。
「記長様が現場を見ていました。あの方が女の背中を突いたとおっしゃいました……。あなたはそんなことをしません。病床の王にも出来ません。残るのはアルバ王子だけです。あの方が、ジゼル姫を突き落としたのです」
正確にはイーダを落としたというべきなのだが、まぁ、この際、いいだろう。
「あたしにはアルバ様の動機が分かりません」
「本当にアルバが直接手を下したというのか?」
王子は複雑な表情を浮かべている。哀しげに視線を足先に落としている。
今にも泣きそう顔になっている。懊悩する空気が伝わってくる。衝撃と苦痛がごっちゃになったように目を眇めていたのだが、やかて、魂を奪われた人のように目を閉じた。
「……王子?」
「なぜ、そんなことをするのか? そんなこと決まっている。オレを疎ましく思っているからだ。他に何がある!」
「でも! あなた方はすごく仲がいいとみんな言っています」
「いや、違う!」
バンッと拳を振り、乱暴に幾何学模様の青いタイルの壁を叩いている。
「アルバは前にも同じことをしている。いや、あの時は、アルバなのかどうか確信は持てなかったが、あの日、アルバがオレの馬に何か食べさせているのを見かけた……」
「王子の馬に毒を?」
なぜ、そんなことをするのだろう。
(まさか、王子を毒殺しようとした事件、もしかして、あれも……!)
彼が、ジゼルと間違えてイーダを殺したことだけは確かだ。
「どうか、アルバ王子に真相を確かめてみてくださいませ! 何か、深い事情があるのかもしれません」
「尋ねる必要などはない。簡単な理屈だ。アルバには後継ぎがいない。オレの妻となるべき娘が妊娠したと知って動揺したのだ。おそらく、それが理由だろう」
「いいえ。毒姫を送り込んできたのは王妃です。きっと王妃が黒幕なんです!」
「……弟は母親の傀儡なんだ。どちらにしても同じことだ。事件については見て見ぬフリをするしかないさ……。おまえも騒ぐな」
「見て見ぬフリなんて卑怯者のすることですよ! 見損ないました!」
本来ならば、セルディーが殺されていたのだ。
懸命に訴えていく。
「王子は、木の上にいる猫よりも臆病なのですね! 猫は、まだ木の上に上がるだけマシですよ! 王子は、死んだフリをして安全な場所に逃げ込んでいます。なぜ、真相を解明しようさしないのですか」
「黙れ、これはオレの問題だ。おまえが口出しするようなことではない!」
「そうはいきません。直接、アルバ王子に近寄って、事件の真相を確かめますからね!」
本気だった。だが、王子がディディの肩を強く押し出しながら睨んでいる。
「教えてやる! 父上でさえ、王妃の機嫌を損なうことを恐れている。王妃の背後には軍部が控えている! 父上でさえもカルゴの横暴目を瞑ってきたのだ!」
「軍部の反乱が怖いのですか?」
「そうだ。我が国は軍に依存している。国境線を守りたい。農民や商人が少しぐらい痛い目に合っていようとも王は気にしない。我が国はそういうやり方で生き残ってきたんだよ」
「でも、レイ王子は、カルゴのやり方に疑問を抱いていますよね?」
王子の肩をゆすりながら訴えていく。
「いい加減にしろ! 死にたいのか!」
「王子こそ、目を覚ましてください」
互いに激しく睨み合っていると浴室の外側でカタンという音が響いた。王子はキッと目を眇めて身構えると、浴室の戸口から遠慮気味に白人の宦官が顔を出した。三十代前後と思われる彼がオドオドしながら囁いている。
「あ、あのう、レイ王子、どうかされましたか?」
「案ずるな。何でもない。着替えも手伝わなくていい」
とこか奇妙だと思いながらも宦官が頷いて去った。すると、王子が、ディディの肩を掴んだまま声を尖らせた。
「ディディ、命令だ。ここから出ろ!」
「きゃっ!」
いきなり、肩を突き飛ばされていたのである。王子の力に気圧されてしまい弾かれたように顔を上げていく。
なに? どういうこと? 王子から放たれる気配が一変している。
「解雇だ。宮廷への立ち入りを永遠に禁止にする! おまえは、とっとと出ろ!」
強引に腕を引っ張られていた。しかし、ディディは両脚を広げて踏ん張りながら抵抗していく。
「いえ。出て行きません。まだお話したい事が……」
「うるさい! オレに近寄るな! 書記のおまえに意見する権利などない!」
「えっ、王子……?」
射すような視線。怖い顔にビクッと怯みそうになる。王子は、ディディの腹部に頭を入れるようにして起き上がると、ディディの身体を肩に担いだ。
王子は足早に進むディディは両脚をバタつかせる。王子は有無を言わせない勢いで浴室からディディを追い出している。蒸気が充満している。王子の髪が濡れて頬に張り付いている。
王子は低温浴室をザクザクと進み、分厚い扉の外に出ると、急速に気温が低くなった。色んな意味でディディの背筋がゾクリとなる。王子は感情を押し殺したような低い声で呟いたのだ。
「オレは、おまえにうんざりしているんだよ……」
小麦袋を投げ出すようにドサッと放り出されてしまっている。背中や腰に衝撃は感じなかった。脱衣所の細長い長椅子の上で ディディは仰向けの姿勢のまま呆然となった。
「お、王子? ええっ」
身を起こして問いかけてみるが、彼は、帳の向こう側の浴室へと向かっている。
ああ、行かないで。待って下さい。ディディは、息を詰まらせるようにして追いかけていく。その肩に手を伸ばそうとするけれども、王子は後ろ手で浴室を閉じて遮断した。
先刻、ディディを見据える双眸が険しくて肝が冷えた。
それなのに、王子の背中は悲しげで……。
ディディの心に何かが刺さった。
言い争うつもりなんてなかった。助けたい! それなのに、王子はディディを解雇すると宣言した。遮断されてしまっている。
「王子! 王子!」
閉じられた低温欲室のドアの向こうから叫んでも、王子は自分の存在を無視し続けている。ディディは声を震わせて泣きながら叫ぶ。
しかし、王子は何も答えてはくれない。嫌われてもいい。王子に伝えなければならない。厚い扉の向こうにいる王子に向かって叫んでいく。
「レイ王子! カルゴはあなたを敵視しています! だから、気をつけてください! 王子!」




