15 反乱の兆し
衝撃的なジゼルの死から二週間が経過していた。労働者の一人が炭火焼きの羊肉に喰らいつきながら喋っている。
『へーえ、異国の姫さんは死んだのかい。いずれ、こうなると思っていたぜ……』
『童貞王子が娼婦を抱いたりしねぇからな。ジゼル様は王子に抱いてもらえなくて絶望して窓から身投げしたのさ。悲しい女心ってやつだよ』
『何を言ってやがる。そうじゃないぜ。レイ王子は書記の坊やにぞっこんなんだ。つまり、本当の性癖を知ってジゼル様は絶望したのさ』
『やはり、レイ王子は男好きなのかよ! 結局、そういうことかよ』
『いやいや、書記の坊主が突き落としたって言う奴もいるぞ』
『バカなことを言うなよ。おいらは書記の坊主を知ってるぞ。華奢な坊やだ。あんな細い腕で姫様を突き落とせる訳が無いぜ』
『そうだよ。ジゼル様は背も高いし腕っ節も強い。気の強いアバズレなんだ。ジゼル様がペポロ様を踏みつけて歩くのを見たことがあるぜ。ガハハと笑っていたんだぞ。ジゼル様が落下したのはつわりのせいだ。うちのかかぁも、船酔いの時に吐いた弾みで船から落ちたことがあったぜ』
『いやいや。違うよ。陰気なレイ王子に殺されたのさ』
『いやいや、そういうのは宦官が殺すと決まってんだ。不貞を働いた女が袋詰めされてポプラス海峡に投げ込まれたじゃないかよ』
『おめぇも古い男だよ。いったい、何年前の話をしてやがる』
『ほんの三百年前のことだよ』
こんなふう噂話に花を咲かせていたのだが、二週間も過ぎるとジゼルの噂は落ち着き始めていた。
『ここだけの話、やっはり、王妃が殺したんじゃねぇのか』
『結局のところはそうだろうな。これまでも、ずっとそうだったもんな』
そんな感じで、この話は終息しているのである。そんなことよりも、最近は、赤の砂漠地帯の反乱軍のことが話題になっている。
「アラバートとのアオシスが反乱軍に襲撃されたんだとさ。アラバートといったら、王都からも近い。あいつ等、都まで攻めてくるつもりなのかな」
「いやいや、反乱を起こすには、ちょいと人数が足りないと思うぜ」
「そうだな。さすがに、ここまでは来られやしないさ」
本来、赤の砂漠地帯の水源や草は誰のものでもなかった。二十年前にアズベールに支配されてから制度が変わる。水代として亜麻やナツメヤシなどの農園の労働に従事しなければならなくなった。
彼等は拝火教徒だ。だから、政府に対して宗教税というものも余計に払わなければならない。これが大きな負担となっている。
赤の砂漠の若者は、次第に自足時給で成り立つ遊牧をやめるようになっていた。清掃人や死体処理人や灌漑工事など、危険で不潔な日雇いの仕事を請け負って現金を稼いでいる。
砂漠に残した家族に仕送りをしながらの生活は苦しい。人頭税、水使用料、通行税、宗教税、軍人への賄賂。いずれかの支払いだけでも免除して欲しいと訴えるのは無理からぬことだと思うのだ。
でも、彼等の願いはいつだって無下に打ち消されてしまう……。ああ、こんなの酷いじゃないか。
☆
「ここにいたのか? 久しぶりだな? 体調は戻ったのか?」
日差しが一段と強くなった午後のことだった。誰もいない書庫の片隅でぼんやりしていると、レイ王子に話しかけられたのである。
あの事件以後、ディディはハレムに足を運んでいなかった。おそらく、王子は、ティディに会うために書庫に来たのだろう。
「はい、体調はかなり戻りました」
「そうか」
王子はどこか寂しげだった。頬がやつれている。心身ともに憔悴しているように見える。
(この人は虐げられて育っている。王妃一族は、いつもこの人を貶めてきたわ)
ディディは彼の苦悩に気付いていた。
しかし、あの事件以来、会えなくて寂しい。その反面、二度と会ってはいけないような気もしている。
あれ以後、王子に会いたいと心が叫んでいたというのに、いざ対面すると素直になれない。何から話せばいいのだろうか……。色々と気になることだらけなのだ。
(反乱軍とは無関係な人も殺されている。逆らった者は軍人によって虐殺されるのよ)
赤の砂漠の遊牧民に同情する者や食料を売る商人さえも反乱分子とみなす。
赤の砂漠の民の中には夫が出稼ぎに出ているせいで結婚してからも一年に数日しか会えないこともある。それどころか、工事現場などで怪我をして永遠に帰って来ないこともある。
そんな彼等が死ぬ覚悟で反乱を企てるのも無理はないだろう。
「あのう、王子はこの本を読まれたことはありますか?」
この時、ディディは、赤の砂漠地帯に伝わる寓話の本を手にしていたのである。
「いや、それは読んだことはない。どんな内容なんだ?」
「子供向けの短いお話なんですよ。貧しい男の子が主人公なのです」
ディディは、すがるような眼差しのまま物語の世界をゆっくりと語っていく。
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幼い男の子が両親と共に荒れた岩山の洞窟で暮らしていた。ある日、一家に悲劇が起こった。深夜に凶暴な山猫がやってきて男の子の両親が死んだ。男の子は、村中の人に助けを求めたのだが、幼い子を養う余裕はなかった。
『坊や、西のオアシスの領主様のところに行ってみるといいさ』
男の子は村から何日もかけて歩いた。ナツメヤシの林や葡萄畑を持つオアシスの領主さまの屋敷に行って仕事をくださいと懇願した。男の子を一瞥した領主が顔をしかめた。こんな幼い子は畑仕事をさせたところで足手纏いになるだけだ。そう考えて、即座に断ったのである。
『帰れ! おまえに食べさせるようなものはない!』
それは嘘だった。領主の家には穀物も果物も野菜も溢れんばかりにある。
領主は富を独占している。
男の子は、肩を落として帰ろうとしたが、お屋敷の勝手口に置かれているデーツを見つけた。それを衝動的に盗んでしまった。我慢できなかったのだ。それに気付いた領主は男の子を殴り殺してしまった。
遠くでカラスが鳴いた。村人が、男の子の死を悼みながら小さな亡骸を山に捨てた。その時、砂嵐が起きて村を呑み込んだ。
それ以後、井戸の水は赤くなり、誰も水を飲めなくなってしまったという、哀しい話である。
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ディディは王子の顔を正面から見つめたまま告げる。
「この少年のような悲劇を繰り返してはいけません。慈悲の心を忘れてはならないのです。この寓話の作者はそう言いたいのです」
ひんやりとした空気の中、ディディの視線を吸い込むように王子は静かに頷いている。
「おまえは赤の砂漠のことを気にしているのだな。その地の井戸の水は錆びたように赤くて塩辛い。飲み水として適していない。あの地域の者はアズベールの者とは異なる文化や宗教観を持っている。だから、オアシスの村の者との交流も少ない」
鉄を含んだ奇岩が連なる渓谷には何も無いが、それでも、昔は、古代の交易ルートとして栄えていた。岩肌に彫られた神殿や隊商宿などがあり、大勢の人が暮らしていた。
赤の砂漠の民は、旅人を道案内することで収入を得られた。
しかし、地震が起こると水脈は消え去り、絹の交易ルートとしての価値は消えてしまっている。
「あの地は作物の栽培には向いていません。山羊しか飼えません。山羊でさえも冬場になると痩せてしまいます。絨毯を作る技術もありません。貧しいのは当たり前なのです。死にそうなほど飢えた者が物を盗むことを咎める権利が領主の男にあるのでしょうか?」
自分が踏み込み過ぎていることは分かっているが、それでも告げずにはいられなかった。
「強引なやり方で赤の砂漠の支配を続ける領主の方が悪いのです。他の地の者と同じように税を取るのは間違っています」
凛とした眼差しで軍や政府の在り方を責めている。ずっと胸に溜め込んでいたものを吐き出そうとして語り続けていく。もう止まらなかった。
「彼等の税を軽減して和平協定を結ぶべきなのです」
戦闘が起これば戦禍とは関係ない人達も多大なる負担を強いられる。略奪と暴行など残酷な負の連鎖が始まる。
「分かっている。あっ……」
その時、王子は背後で何者かの気配を感じた。ハッとしたように険しい顔で書庫の入り口へと向かう。しかし、すぐに戻って来た。
「誰か来たみたいだと思ったのだが受付の者さえもいなかった……。いいか、二度と政治に関する話をするなよ。おまえが話すようなことではない」
カルゴは戦争をする度に軍に支給される物資や資金を横流して私腹を肥やしてきた。
卑怯なことをやらせたなら天下一品の悪党なのだ。
カルゴには捕虜を売り飛ばす権利が与えられている。
「このままじゃいけない! あなたは軍部の暴走を止めるべきなのですよ」
「口を慎め。ディディ、分かったな」
王子は怖い顔で言い放つと、その場から立ち去っていったのだった。




