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13 セルディーとデイディの友情   

「どういうことよ。生き返ったの?」


「あたいは一度も死んでないよ」


 セルディーは生きていた。それは嬉しいことなのだが、それじゃ、落ちたのは誰なんだろう。詳しく聞いたところ、あの日、最初の数時間、セルディーは王子と一緒に看病していたというのだ。


「効率が悪いから、交互に看病しようって事になってさぁ」


 セルディーは王子の寝所の向かいにある納戸のような部屋で眠る事にした。三階に戻るのが面倒だったからだ。


「あたいはガキの頃のように固い床に寝ていたんだよ。明け方、ジゼル様が亡くなったとか、侍女達が騒ぎ始めててさぁ……。なんじゃそりゃって思ったよ」


 侍女達が確認の為にジゼルの寝室を覗くといなかったので、やはり、遺体はジゼルに間違いないと叫びながら走り去っていく声を聞いたというのである。


 そこまで一気に語ると、興奮を鎮めるようにして水を飲み、改めて驚愕の真実を告げた。


「ぶったまげちまったよ。今朝、死んだのは侍女のイーダなんだよ。間違えられて殺されたのさ」


「でも、なんで、イーダがセルディーの格好をしていたの?」


「こないだ、あたいのドレスや宝石をあの子にあげたからね」


 王妃との会食の思い出の染み付いた衣服など胸クソ悪いので気前良く下賜したというのである。


「身丈も袖丈もぴったりだったね。あたいよりも似合っていたさ」


 イーダは、お姫様気分を味わいたくて豪華な衣服を纏っていたのかもしれない。


「あの子は、いつも、あたいの部屋の宝石やドレスを触っていたよ。見て見ぬふりをしてあげていたんだよ。自殺なんかするような娘じゃないね」


「ジゼルの遺書があったわ。陰謀の匂いがするよね」


 セルディーとイーダの背格好は似ているので肉親以外は見分けがつかない。イーダの顔はグチャグチャに潰れている。


「誰も信用できない。夕暮れに王子の寝所に入ったら、あんたはスヤスヤと眠っていた。その時、誰かが来る気配がしたもんだから、寝台の下に隠れたのさ」


「無事なら早く教えてよ!」


「だってさぁ、王子とあんたがトンチンカンな会話をしているから出るに出られなくてさぁ。なんつーか、邪魔しちゃいけない感じがしたしね……。そうこうしているうちに、あんたの兄ちゃんまで来るしさぁ、こっちも驚いたよ」


「トンチンカンな会話?」


 失礼な!


「そうじゃないか! どこの世界に書記の老いぼれジジィに愛されて嬉しい男がいるのさ! あたい、もう、笑っていいのか同情すべきなのか分かんなかったよ!」


 一気に語った後、セルディーはウルウルと涙ぐんだ。


「でも、あんた、あたいのために泣いてくれたね。あたい、感動しちゃったよ」


「王子にも生きていることを知らせようよ」


「言わなくていいよ!」


「どうして?」


「妊娠なんてしてなかった。勘違いしていたのさ。月のものが来ちゃったけど言い出せなかった。それに、あたいが生きているって分かったら王妃に殺されちまう! そんなのイヤだよ!」


 凶事に曝されて精神的に追い詰められたセルディーは一刻も早くハレムから出たいと訴えている。


「そうだね。セルディーは逃げた方がいいわ」


 礼拝の時間になれば警備兵も祈りに没頭する。その僅かな隙を突いて脱出するしかない。セルディーはハレムに出入りする小間物を扱う商人の女のフリをして黒地の面紗で顔を覆うと、夕刻の礼拝の時刻を狙って至福の門を通過したのだ。ディディはその隣りを歩いた。衛兵は小さな絨毯に頭を擦りつけている。行商の女や書記に興味などないらしい。


 西門から外へと出ると、ハァハァとセルディーが胸を押さえたまま宮殿を振り返った。


「やれやれ、ここまで来れば安全だよ」


 この時、小鳥屋で幸福の鳥を買い求める拝火教徒の姿が目に付いた。


(拝火教徒の死生観では、白い鳥は魂の運び手とされているのよね。たがら、白い鳥を大切にするのよ)

 

 そして、それとは別に、この国では、鳥篭にいる哀れな鳥を放つことで徳を積むと信じられている。


 自由になった小鳥たちが青空市場の向こう側へと羽ばたき西の空に溶け込んでいる。


 伸びやかな飛躍の光景に心を奪われた。たくさんの鳥を見送りながら、セルディーが涼しげな切れ長の目を感慨深げに細めている。


「一生、ハレムから出られないかと思ったよ。飯は美味いけどさ、一人で食べるのは侘しかったよ」


その十分後。


「ディディ、あんた、無事だったんだね」


 帰ってきたディディの姿を見てガガリアは心から安堵して抱きついてきた。


「最初は誰かに誘拐されたんじゃないかとハラハラしていたんだよ」


 しかし、ハレムで書記が病気で倒れたという噂を耳にして、よけいに心配になったという。


「ごめんね。昨日、ハレムで事件が起きたの。お兄ちゃんは?」


「仲間と飲んでる。夜中に戻ってくるってさ」


「連絡しなくてごめんなさい。大変だったの。しばらく、友達を泊めてあげたいの」


 ディディが女の友人を連れて来たのは初めてだ。セルディーは面紗をペロッと剥がしてニマッと笑っている。


「紹介するね。大切なお友達なの。叔母ちゃん、よく聞いてよね……」


 これまでの出来事を語ると、ガガリアは興味深そうにセルディーを眺めながら笑った。


「そういう事なら、好きなだけ、ここに住むといいよ」


 ちょうど、ナーラの部屋が空いている。


 食事の盆をセルディーに手渡しながらガガリアが釘を刺した。

  

「娼婦のジゼルの顔は近所の人達、みんなが知っている。外に出る時は面紗をつけるんだよ。大声で喋るのも厳禁だよ」


「あいよー。分かってるってば」


 二人とも二階に上がっていった。ディディは横になって休みたい。しかし、セルディーは甘えん坊の猫のようにすり寄りながら呟いている。


「別の部屋で寝たくないよ。離れるのは嫌だよ」


 ポリポリ。しどけない姿勢で豆菓子をつまみながら、セルディーが独り言のように呟いている。


「色々あって疲れたね。あたい、子供の頃はお姫様になりたいって思っていたよ。でも、ハレムは牢屋みたいだった。ばばぁはウザイし、王子は、あたいをほったらかしているしさぁ。ものすごく寂しかったよ。お姫様ってつまんないものなんだねぇ」 


 あんな暮らしはウンザリだと悪態をついている。


「王子は忙しいんだからしょーがないよ。王子だってセルディーと一緒にいたいのよ」


 ズキンッ。なぜだろう。ズキン。ズキン、ズキン! 自分が言った台詞なのに棘となって自分の心に突き刺さってくる。王子に介抱してもらった夜を境にディディの中で奇妙な感情が芽生えている。


「王子はセルディーのことが好きだから皆の反対を押し切って婚約したんでしょう?」


 すると、まるで悲鳴の様に軋んだ声で否定した。


「婚約したのが間違いだった。あんなことを頼むべきじゃなかった……」


 ほとんど聞こえないような小さな声で呟いている。


「あんたが考えているような仲じゃないんだよ。あたいと彼は、お互いの寂しさを埋めるために一緒にいたんだよ」


 その言葉に驚いていると、どこか寂しそうな表情を滲ませたまま説明してくれた。 




           ☆


「数年前から、王子は頻繁にお忍びで街を出歩いていたんだ……」


 価格を誤魔化していないか。商店の衛生状態はどうなのか……。公衆浴場や隊商宿に不備はないかなど自分の目で確認していたという。


「あたいは、半年前、父ちゃんの借金を返すために娼婦になったんだ」


 ある日、セルディーが店の頭上から王子めがけてハンカチを落とした。ヒラリと舞い落ちるハンカチを黙って手に取ると王子は顔を上げた。それが、最初の出会いだ。


『あーら、そこの綺麗な顔のお兄さん。届けておくれよ。ねぇねぇ、あたいと遊ぼうよ』


 王子は断ろうとしていたが、セルディーはいい客を捕まえたくてこう告げた。


『あたい、ここだけの話、ルビトリア国のジゼル姫なんだ。ジゼル姫は、ずっと前に死んだと思われているけど、ちゃんと生きているよ!』


 王子の表情がサッと変わった。


『ほらほら、近くで確かめなよ。あたい、紋章入りの宝石も家系図も持っているよ』


 そう言うと、王子はセルディーの部屋に確認しにやって来た。


『本物のようだな。どこで手に入れた?』


『あたいは高貴なお姫様なんだよ』


 半裸のセルディーは王子にキスしようとしたのだか、その時、急に胸が苦しくなり盛大に吐いてしまった。単なる二日酔いだったが王子はセルディーの体調を気遣ってくれた。嬉しかった。以後、王子は何度もセルディーの店を訪れるようになる。


 何を聞かれても戦争のショックで忘れてしまったと誤魔化していると、王子は、セルディーの嘘を見透かすように顔を見つめながら、『そうか』と呟いた。


 早い段階で稚拙な嘘を見破っていたに違いない。


 しかし、セルディーと王子は妙に気が合っていた。二人で夕餉をとることが多くなった。夕刻、バルコニーから何気なく外を見下ろしていた時の事である。


 王子の瞳は好奇心と驚きに満ちていた。


『あいつだ。あれは新入りの書記だな。あいつは、この近くに住んでいるのか?』

 

 その時、ディディは市場で寄り道をしてから帰宅していたのだ。セルディーが華奢な後姿を指差しながら頷いた。


『あの子、戦争で親を亡くしたって誰かが言ってたな』


 言いながらも、セルディーは首をかしげていた。以前、どこかであの子を見たような気がする。妙に懐かしい。頭の片隅で何かが点滅しているが、どうしても思い出せなかった。


『典型的なルビトリア人っていう感じの顔立ちだよね。そう言えばルビトリア人の男の子って女の子より可愛い子が大勢いるよね』


『あいつは女じゃないのか……』


 王子の横顔が残念そうに揺らめいているのを見て、セルデーはからかうように背中を叩いた。


『何をしけた顔をしてんのさ』


 セルディーは屈託なくケタケタと笑いながら語りかけていく。


『もしかして、惚れているのかい? 男の格好をする移民の女もいるよ。女の子なら強引にハレムに連れて行きなよ。あんたは大国の王子なんだから、それくらい簡単にできるじゃないか』


『そんなことはしない』


 低く押し殺した声だった。王子は驚くほど深刻な顔をしているものだから、セルディーは驚いたように聞き返していた。


『ええーーー。何でしないのさ』


『ハレムに入ったなら女達はみんな不幸になる。だから、そんなことはしないんだよ』


『詩人たちが、王妃と愛妾たちの確執を歌っているけどさ、あたいなら負けないよ。三食昼寝付き。最高だね。あたい、どうやら妊娠したみたいなんだ。誰の子が分からないよ。我が子を売り飛ばしたくない。自分で育てたいんだ。ねぇ、ハレムに連れてっておくれよ』


セルディーが頼み込んだ結果、ハレムに連れて行く覚悟を決めてくれた。


その日から、ルビトリアのジゼルだと吹聴するようになった。王子が、ハレムに入る為の資金を渡してくれたのでセルディーの借金はチャラになっている。


「あたいはハレムで逞しく生きる。自分で望んだことなのに、実際には尻尾を巻いて逃げ出してしまっているね」


 ほろ苦いものがセルディーの胸に込み上げてきた。


「これでいいんだよ」


 セルディーがフッと乾いた笑みを浮かべている。もしも王子が最も愛している女の死だったなら、王子の心は引き裂かれていただろう。レイ王子の心を捉えているのはディディなのだ。


「いいことを教えてやるよ。王子は、ずっと前からあんたのことが気になってたんだよ」


 語り終えたセルディーがディディの額をスルリと包むように撫でた。


「王子とあたいは似たもの同士さ。居場所がない。あたい、借金していたから生まれた子を人買いに売ることになってた。嫌だと言って泣いていたら王子が救ってくれたのさ。男女の関係はないよ。それなのに、王子は親になってくれると言ってくれたんだ」


 セルディーは悲しげな目で切々と告げている。


「ディディ、素直になりなよ。王子のことが気になるんだろう?」


「……」


 王子の事を考えるとディディの胸が痛くなる。甘酸っぱい何かが喉を締め付ける。ああ、これが、好きという感覚なのだろうか。


 ぼんやりと物思いに耽っていると、セルディーが語り出した。


「あのさ、あたいの母ちゃんは父ちゃんの家の召使いだったんだ」


 村にいた頃は継母や義兄に殴られてばかりだったのに、ここでは腹を壊したら看病をしてくれる。


「母ちゃんが、十七歳の時、旦那様、どうか嫁にしてくれって泣いてすがって求婚した。正気なのかと聞いたら、母ちゃんは泣きながら言ったんだ。あなたがいないと寂しいってね」


 セルディーは、遠くを見るような瞳で言い継いでいる。


「ルビトリア人の母ちゃんは、継母に売られてアズベールに来たんだ。酷い話だろう? だけど、父ちゃんと出会えて幸せになった。母ちゃんは妊娠していても旅に付き添っていた。あたいは、羊飼いの遊牧民の夏の定住地で生まれたのさ。父ちゃんが折り返し地点に戻ってくるまで女達の小屋に世話になった。そのせいかなぁ。あたい、駱駝や羊の匂いが好きなんだ。そこの女達は糸を草木で染めた絨毯を作っていたっけ」


 少し黙った後、上目になると申し訳なさそうなセルディーが白状した。


「あの頃、父ちゃんが資金繰りに困っているのを知ってたんだよ。あたいが勝手にあんたの宝石を盗んだのさ。父ちゃんは、そういう人間じゃないって事だけは分かって欲しいんだ。父ちゃんは善良だ」


「うん。分かった。もういいよ」


 すると、嬉しそうにパッと顔を寄せてきた。クンクンしている。


「ねぇ、ディディ、あんたの髪っていい匂いがしみついているね」


 いつも以上にセルディーの物言いは無邪気だった。


「王子の部屋の高貴な香の匂いがするよ。天国にいるような気分になるね」


 言いながら髪の先端や衣服の袖口に鼻を寄せてクンクンと嗅いでいる。その様子が可笑しくてディディも安心したようにクスクスと笑う。


「あたしの着替えを洗濯して香を焚き染めてくれていたの」


 王子と同じ香りを身にまとっていることが嬉しかった。


「それにしても妙な話だよね。あたいみたいな娼婦が姫君になってさぁ、麗しき姫君が書記になっているなんてさ。真相を知ったら、さすがの糞ばばぁも泡吹いて、ぶったまげるだろうね」


「そうだね。誰も予想できないよね」


「あんたが自分の身分を隠す理由が分かんないな。最初は、アズベールへの復讐とか政権交代を企んでいるのかと思ったけどさ、そんな暗い気持はなさそうだ。どういうことなのさ?」


「自由に暮らしたかったの。ルビトリアの貴族の世界から離れたかったの」


 貴族の令嬢としての暮らしは制約だらけ。木登りをしてはいけない、野良犬に近寄ってはいけない、メイドと談笑してはいけないなど、禁止事項が多くて窮屈さを感じていた。


 兄に連れられて森や浜辺に出掛けた時だけは自由な空気を味わえた。ある夏の日、ディディは海岸で遊んだ帰り道、馬車の後方から木桶を抱えて追いかけてくる七歳ぐらいの女の子を見かけた。何をしているのかと尋ねると兄が教えてくれた。


『馬の糞を集めている。田畑の肥料なるから農地に持っていくと、売り物にならない果物や芋と交換してもらえるんだ。漁師の女なんかは海藻を集めている。海藻も、いい肥料になるからな』


 羊飼いの少年、糸を紡ぐ少女。檸檬の収穫を手伝う子供。みんな笑いながら逞しく生きていた。馬糞を拾う女の子の瞳もキラキラと輝いている。


 ディディは同世代の庶民の逞しさや生命力に心打たれたのである。


「貴族の娘って結婚して子供を生んだ後は不倫以外にすることがないの。自慢話と悪口ばっかり言っているの。そういうのって虚しいよね。戦争が起きて苦労したけども、新しい生活を始めることが出来て嬉しかった。書記のお仕事は楽しいよ」


「普通は、玉の輿に乗りたがるもんなんだけどね」


「でも、ハレムって退屈なところなんでしょう?」


「退屈だったさ! 糞つまんない世界だったよ。糞以下だったさ!」


 セルディーが唇をツンと尖らせている。


「王子は忙しいからね。あたいは暇だった」


 書類に目を配るレイ王子の横顔を思い浮かべながら、ディディは、遠くを見つめるような眼差しで呟いた。


「王子は国民の事を色々と考えているから忙しいのよ。あたしも、一応、ルビトリアの王家の生き残りだもん。祖国の事は気になっているよ」


「どういうことさ」 


「ルビトリアに派遣される徴税官の中には酷い奴がたくさんいるの。高価な美術品を安値で強引に買い取ったりしているの。未亡人から土地を騙し取る奴もいる。そういう不正を何とか防ぎたいなぁと思っているんだけどね」


 アズベールから派遣された役人が特に酷いっていう訳ではない。昔はもっと酷かった。


「戦争に負けることなく故郷で王様になる人と結婚していたら国に貢献できたのかもしれないの。でも、それは理想であって、現実的には何も出来なかったかもしれないね。でも、レイ王子なら、いろんなことを改善出来るわ。なぜ、王子は、軍部を野放しにしているのか不思議なの」


 セルディーが困惑したように言った。


「でもさぁ、王妃とカルゴは国の基礎を作った有力部族の子孫なんだよ。宰相や高官達も、ばばぁの叔父や従兄達でガッチリと固めている。そんな中で、レイ王子一人で何が出来るのさ。王子は後ろ盾なんかないんだよ」


「そうかもしれないけど……。努力しなくちゃいけないのに王子は逃げ腰になっている気がするの」


「それなら、あんたがレイ王子と結婚すればいいじゃん。二人で腐敗した軍部を倒しちゃいなよ」


 良い事を思いついたとばかりに手を叩いて微笑んでいる。


「本物の姫が王子の傍にいるのが一番いいのさ。あんたが王子に相応しい姫君なんだよ」

 

 目を伏せたままポツンと漏らしている。


「あんたって鈍いよね。王子は誰かを好きになる事を畏れて生きてきたんだよ。レイ王子って可哀想な人なんだ……」


「可哀想?」


 視線を向けるとセルディーが欠伸をしていた。彼女も相当疲れているようなのだ。


「あたいにはディディがいるけど、あの人は独りぼっちなんだよ。マジで可哀想だよ」


 その夜、セルディーの寝息を感じながら、暗闇の中、なんとも奇妙な気持ちになってしまっていた。

 

(王子は独りぼっち……)


 肉親の愛情に飢えているのかもしれない。正直な気持ちぶつける相手がいなかったのかもしれない。そう思うとディディの胸がキリリと軋んでくる。なぜか、木の枝の先端で身動きできないまま朝を迎える猫の姿が目に浮かんだ。


 先刻、セルディーはこう言っていた。


『寂しさを埋めるために一緒にいたのさ』


 子供の頃から周囲が敵だらけで寂しい暮らしをしてきたに違いない。物悲しい気持ちになり、ディディの胸が詰まった。王子はどうしているのだろうか。


 ディディが家に帰ると行った時の顔が忘れられない。


 いてもたってもいられなくなっていた。王子に会いたい。衝動的に、レイ王子のもとへと駆け出したい気持になる。

  

 ☆

 


「あっ、帰って来た」


 深夜、ディディは跳ね起きた。


 ディディとセルディーは疲れ果てていたが、兄のサリンダが帰宅したので、これまで経緯を話した。


「へーえ、おまえ、ジゼルになりすまして結婚しようとしたのかよ? たいした奴だ。あの頃から、こまっしゃくれた子供だったけどな。王子を手玉にとろうなんていい根性しているぜ。あっぱれな奴だ」


 セルディーは興味津々といった顔つきで兄を眺めまわしている。


「久しぶりに見たけど相変わらずいい身体をしているね」


 セルディーは兄の胸板を撫で回しながら、ディディに向けてニッと笑っている。


「今夜から、あんたに兄ちゃんの部屋で寝ることにするよ。サリンダ、いいよね」


「ああ、おまえがいいならいいぞ」


 セルディーの肩を抱いている。展開が速い。二人は一緒に眠ると言い出している。兄も、セルディーみたいに長身で元気な人が好きなのだ。ちょうどいい。


 だか、明け方、お手洗いに行く途中、ふっと耳に入ってしまったのである。


「ねぇ、サリンダ、あんた、ディディに嘘をついているよね」


 ディディにとって思いがけない台詞だった。セルディーとサリンダ。二人は何か深刻なことを話しているようなのだ。秘密めいた声が気になり息を止める。


「あんたさぁ、いい加減にした方がいいよ」


 責めるような言い方だった。ディディは慎重に耳を澄ませていく。


「ディディを束縛しちゃいけないよ。あんた等、ほんとは兄妹じゃないんだろ?」


 えっ? ディディはその場に固まっていた。兄は、否定も肯定もすることなく黙っている。


「あたい、八年前の深夜、あんたらの荷物を盗もうとした時、慌てて転んだ。そしたら、あんと目が合った。でも、あんた何も見ていないフリをして背を向けて寝たふりしてたよね。あんた、デイディが姫様だという証拠なんていらなかったんだね」


「おまえ、そのことをディディに言ったのか?」


「ううん。言ってないよ」


「一生、言うなよ」 


 低くズシッとした重みのある声音だった。それなのに、彼女は早口で喋り続けている。


「なんで、あんたがデイディに男装させたままなのか、言ってやろうか」


 昔、セルディーは真っ先に聞いたのだ。


『なんで、この子、男の子の恰好をしてるの?』


『異教徒は誘拐される。だから、男の子のフリをしているのよ』


 そういうふうにサディディは答えたのだった。


 しかし、支配された国の貴族や女達がすべて奴隷のように連れ去られる訳ではない。


「男の格好をしていれば、あんたの留守中も安心だ。悪い虫がつかない。だけど、お年頃なんだ。お嫁にいけなくなったら可哀相だ。あんたの犠牲にしちゃいけない。早く女の子に戻すべぎたって言ってんのさ」


「おまえ、ゴチャゴチャうるさいぞ」


 兄がキスでセルディーの唇を塞いだ。


 濃密な雰囲気の溜め息が漏れ聞えてくる。これ以上は聞いてはいけない。素早く立ち去り自室に入ったのだが複雑な気持ちが膨らんでいった。


 ディディも兄と血が繋がっていない可能性について考えたことがある。


 この数日、怒涛の勢いで様々な事件が起きて疲れいるが、眠れそうに無かった。


 揺らぐ気持ちを押さえつけるように枕に顔を伏せて目を閉じていく。


(男装するのは、あたしの意志だ。自分がやりたいからやっているの。あたし、お兄ちゃんといて幸せなの。束縛されているなんて少しも思わないよ)


 昔から、兄は誰の子か分からないと疑われていた。本音を言うと血の繋がりなんてどうでもいい。デイディにとっては、かげがえのない家族なのだ。


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