表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/21

11 王子の優しさ

(心配させてしまったのですね。ごめんなさい……)


 王子自身が毒にやられ生死を彷徨った経験がある。だからこそ、こんなにも真剣に心配しているのだろう。


「あたしは、どうなったのですか?」


「毒姫だよ。あの女の身体は毒の塊なんだよ……」


 毒姫というのは特殊な存在である。暗殺者として文献に記されている。


 まずは、村の老夫婦が美しい女の赤ん坊の捨て子を引き取る事から始まる。村の奥に自生している毒の樹の汁を山羊の乳にまぜる。それを赤子に飲ませて育てるのだ。


 毒によって死ぬ赤子もいる。遺体は毒の木に埋める。そうやって毒を飲み続けて生き残った娘が身体から毒の息を放つようになる。成人した女は、やがて、世間から毒姫と呼ばれる暗殺者になり、毒姫を抱いた男は死ぬとされている。


 昔は、毒姫による暗殺が多発していたが、最近は、政敵に向けて毒姫を贈りつけることもなくなっていると、本に記されていたが、正直、まだ、そんな村や暗殺の組織が存在していたのかという感じだ。


「つまり、王妃は毒姫を贈って王子を殺すつもりだったのでしょうか?」


「いや、オレは殺せない。あの女の毒は微量のようだ。何ヶ月かけても毒の息を吸い込むうちに少しずつ身体が蝕まれていくことになる」


 ディディの様子を慎重に見守りながら王子が語っている。


「相手が気づかないように少しずつ侵食していく。今回の標的は俺じゃなくてジゼルだ。流産させるつもりなんだ。それにしても、おまえが倒れるとはな……。おまえは、体質的に毒に弱いのかもしれないな」


 それならば、思い当たるフシがある。


「あの女の人にキスされました。仄かに香る息を吸い込む程度ならば他の者達のように軽症で済んだのかもしれませんね」


「キスしたのか? 毒を丸呑みしたのも同然だな」


 王子はゲロで汚れた上着をゆったりとした動作で脱ごうとしている。汚れたので新しい衣服に着替えるつもりらしい。上半身は裸の状態になっている。


 キャーッと赤面することもないが、肩の筋肉を見るとドギマギしてしまう。細身であるのように見えるが、軍馬のように引き締まった背中をしている。


 王子は悠々と美しい絹の上着に袖に腕を通している。王子の優美な所作に意識がサーッと吸い寄せられて、バクンと身体の奥深いところが熱っぽくなってきた。


(……わっ、どうしよう!)


 恥しさ感じて俯いてしまう。ドキドキしていた。胸の中が一段と騒がしくなっている。どうしても直視する事が出来なかった。それなのに、王子が顔を寄せるものだから息を止めた。


 このまま、自分はどこかへ連れ去られるのではないか……。そんな不安を覚えてしまい、胸を高鳴らせていると、王子が訝しげに、ディディの頬に残っている痣を指差した。


「どこかで転んだのか? 痛々しいな」


「これは、数日前にペポロに平手打ちされました」


 理不尽な仕打ちを説明していくと、彼は眉根を寄せるような表情で言った。


「おまえ、こんなことをされて悔しいだろう?」


「はい。悔しいですよ。やられっぱなしは嫌ですね。納得できません。どうせなら、あのペポロに毒姫を抱かせてあげたい気分です」


 オッパイ好きのあいつなら、豊満なニバルのことを気に入るに違いない。毎晩、濃厚な毒を吸って、ゲロを吐いて七転八倒すればいいのだ。あいつが、コロッとくたばるところを見てみたい。


 ディディの気持ちを察したのか、鼻頭にシワを寄せて笑っている。


「よし、そうしよう。オレの父親も、母と出会った翌日に二十人の娘を下賜したんだ」


 ペポロに毒姫をあてがっておけば、ナーラを追いかけることもないだろう。


「それにしても怖いですよね。王子と結婚する人は王妃に暗殺されるかもしれませんね」


 何気なく言うと、冬の海の底に突き落とされたかのように王子の表情が陰った。


 暗殺という言葉に敏感になるのには理由がある。


 子供の頃の王子はリアンドという子馬を自分で世話して育てた。十四歳の春、王子はリアンドと共に競技大会に出て優勝している。人馬一体の妙技に観衆が歓喜の拍手を送った。しかし、その二ヵ月後にリアンドが急逝したのだ。死因は不明。何者かに毒を飲まされたのではないかと噂されている。


 王子は大声をあげて慟哭して嘆き哀しんだのだか、不幸は更に続く。


 リアンドの死から間もない十四歳の夏。


 二人の王子は夏の涼やかな離宮に向かい神事を催した。しかし、レイ王子は何者かによって毒を飲まされて倒れてしまう。


 実際のその症状はかなり酷かった。全身か痙攣してしまった。目も見えない。歩けないと絶望の声をあげ、身体中が痛むと呻き、苦しげに弟君に助けを求めた。


 帯同していた侍医の懸命な治療のおかげで一命は取り留めたが、一人で歩くこともままならかった。第二王子のアルバは兄に駆け寄り毒を少しでも中和させようと水を飲ませ続けた。王宮に戻ってからも兄の介護を続けた。


『兄さん、僕の肩につかまって……。ほら、庭にツツジの花が咲いたよ』


 幸いな事に、冬を越す頃には病状はかなり回復していった。夏になると視力にも問題はなくなり衰えていた筋力も戻ったが、この事件以降、レイ王子の顔からは笑顔が消えた。


 レイ王子は病気を理由に十四歳の冬になっても成人式を行っていない。


 しかし、その二年後弟のアルバ王子の成人式は、いつも以上に華やかに催された。その時の行進は、デイディも見ている。同じ王子なのに……。こんなにも扱いが違う。


 王妃の子供でるアルバ王子は、王妃と軍部に守られているけれども、レイ王子には頼りになる親戚も高官もいない。こんな状態で生きるのは大変だったに違いない。妃を娶るにしても、王妃と内通している女が来るに決まっている


(だから、異国の若者に扮して、何のしがらみもない娼婦のところへと通っているのかしら……)


 ひょっとすると、王子の女嫌い(結婚嫌い?)は、これが原因なのかもしれない。陰謀に巻き込んではいけないからこそ、誰も愛さないようにしていたのかもしれない。


「昔、あたしの兄がこんなことを言っていました。例えるなら、王とは猫の様なものだと」

 

 吐き気がおさまったせいだろう。自然と饒舌になっている。


「猫が、やたらと高い場所に上りたがるのは高い場所にいる方が優位に立てるからなんですね。虚勢を張ろうと高い所に登ります。だけど、登り過ぎてしまうと動けなくなるんです。助けに来た人さえも威嚇して孤立します。そして、結局、飢え死にして地面に落下してしまう。それが権力者の脆さなのだと、兄が言っておりました」


 その時、王子は推し量るような眼差しを向けた。


「また、兄の話しか……、サリンダと顔立ちが似ていないが本当に兄妹なのか?」


「もちろんですよ。前にも言ったじゃないですか」


 そんなことよりも、自分が王子の服を着ている事に気付いてハッとなる。


「これ、王子の長衣ですよ。いいのですか?」


 青紫色は王族の色。特定の海でしか採れない貝を何千個も使って紫色の染料を使う。そして、金糸で壮麗な蔦模様を刺繍するのだ。


「最高級の絹の寝巻だから着心地はいいだろう? ちょっと大きいけど我慢しろよ。庶民が身につけてはいけないものなんだ。他の者にこんな場面を見られたら処罰されるぞ」


「もしかして、宦官に着替えさせたのですか?」


「まさか。おまえが男じゃないことがバレたらどうする? 礼はいいぞ。おまえの汚れた服は洗濯させている」


「ひゃー、王子があたしを丸裸にしちゃったんですか?」


「悪いか? おまえの副業は娼婦だろう? 違うのか?」


 そうだった。十三歳から娼婦という設定を崩せやしない。すぐに、持ち前の明るさを取り戻していた。


「王子様に着替えを手伝っていただいたことが申し訳なくて慌てただけでございますよ」


 子犬が跳ねるような天真爛漫な声で呟いていく。

 

「ありがとうございました! 嬉しいです!」


 王子は、ちょっと面食らったように目を瞬かせている。


「おまえ、裸を見られても平気なのか?」


「何も記憶がないから平気です。何時間も眠っていたんですね」


 猫のように両手を突き出して欠伸びをすると、寝衣の隙間から女の子の貧相な胸がチラッと見えた。南海の真珠のように艶やかな真っ白な肌だった。小さな胸の先端が見えそうになり、王子はドキッとして瞬きを止める。


(おいっ、おまえ!)


 そう言いかけて、王子は礼儀として視線をそっと逸らした。天衣無縫な表情を見ていると、男として不埒なことを考えることが出来なくなってしまう。


「胸元がはだけているぞ。はしたないお嬢さんだな」


 先刻までは死にそうだったのに、いつものキラキラした明るい表情に戻っている。水しぶきを浴びているかのようなディディの煌めきに引き込まれながら口許を緩めていた。


「おまえって奴は全く」


「ところで、ジゼル様はどこにいるのですか?」


「最初、二人でおまえの世話をしていたんだが、交替で看病する事にした。あいつは、今、眠っている。泣きながら心配していたぞ」


 ふと気がつくと、ディディのお腹がグーと鳴っていた。


「王子! お腹が空きました。甘いお菓子はありますか?」


 何か食べたい衝動が湧き上がっていた。これは回復している証だ。


「呆れた奴だな。もう腹が空いたのか……。いい事だけどな。菓子よりも果物を食べた方がいいぞ。何でも好きなものを言え」


「西瓜、石榴、オレンジ、ライム、苺、梨、どれにしようかな」


「全部、持ってこさせればいいじゃないか」


「もったいないですよ。はい、決めました。西瓜がいいです! あっ、どうしよう。子供の頃に食べたゼリーも食べたくなってきちゃった」


「ゼリー?」


「海の中の植物と花のエキスでと蜂蜜で作る半透明のゼリーというお菓子なんです」


 自分が、ジゼル姫だった頃の事である。風邪をひいた翌日に乳母が運んでくれていたのだ。檸檬に似た甘酸っぱい味のゼリーの風味が懐かしい。


「すぐに作らせよう。馬を飛ばして材料をかき集めるとしよう。今の時期なら海も安定している。少し時間はかかるかもしれないが、おまえの為にすぐさま作らせよう」


「やだやだ、もったいないですよ!」


「たいした事ではない。亡くなった母上も、夜中、故郷の青林檎を食べたいと所望した事がある。妊娠していた母上の為に父上は取り寄せたのだ。遠慮しなくていいぞ」


「王子は贅沢に慣れているんですね。先刻、西瓜が欲しいと言いましたけど、ほんの三口程度でいいんですよ」


「不思議な奴だな。変わっているよ。普通は……」


 頬に手を差し出された時、ピクンっとディディの背中に甘美な身震いが走った。王子の瞳は透明な泉のように綺麗だ。顔が近いことを改めて意識すると、魔法にかかったように頬から首筋にかけてフアフアと泡立っている。


(えっ、この感覚は何? ええっ、どうしたのよ)


 急に恥ずかしくなってしまう。落ち着きをなくしてしまい、ついつい、目線を逸らしてしまう。それなのに、王子は、ディディの頬に手を添えて何か語ろうとしている。


 時間の流れがここに流れ込み凝縮しているような、そんな不可思議な感覚になり、頭の芯が酔った様にぼんやりしていた。


 むず痒いような気恥ずかしさに包まれている。ディディは、王子から伝わる何かを敏感に感じ取っていたのだ。だが、その時だった。突然、朝の空気を引き裂くような甲高い悲鳴が響いた。


 キャーーーーーーーーーーーー。続いて聞こえてきたのは、ドンっという重い感じの衝撃音。


「な、何なの……」


 ディディは、ギクッとして辺りを見回していく。


「窓の外ですよね! 大きなものが落ちたみたいですよ!」


 ディディは身体が弱っているせいで動くことができなかった。王子だけが隣室に移動した。王子はバルコニーに立ったまま、ピリリッと鋭い声で叫んでいる。


「動くな。おまえはそこにいろ!」

 

 中庭の向こうには、ハレムの女性の衣装や装身具を収納する建物がある。そこで何かが落下する事故が起きたのかもしれない。


 ちなみにレイ王子の寝室は、四階、つまり最上階にある。


「王子、こんな朝早くに何なんでしょうね……?」


 フラフラした足取りで王子のいる部屋へと向かおうとすると止められた。


「見るな!」


 しかし、好奇心が強いディディは王子の声を無視していた。バルコニーの端から身を乗り出して見下ろすと、真下の地面に女性が倒れている光景が目に飛び込んできた。


 地面は敷石だ。彼女は頭から血を流している。ピクリとも動かない。


「いやーーっ。死んでます。長官様、大変です」


 真っ先に現場に駆け寄った宦官がヒステリーを起こしている。次第に人が集まってきた。恐怖と混乱が波紋のように広がっている。黒い肌の宦官が皆に向けて何かを伝えている。そこに担架が運ばれてきたのだが、何もかもが悪夢のように感じてしまい、デイディは身震いしていた。


(どうして! ええっ……! なんで!)


 落下したのは女性だ。額飾りが外れて転がっている。そして、額飾りと連結しているベールの先端がフアリフアリと不安定に流れている。打ち付けられた側頭部からはみ出している肉片。それは……。


 バルコニーの手摺の前でディディは座り込む。吐き気は止まったはずなのに、またしても吐きそうになる。


 衣装を管理している下働きの奴隷娘が叫んだ。


「ジゼル様が身を投げたのよ! おおっ! なんということなのかしら!」


 王妃との会食の時に来ていたサフラン色の鮮やかなドレスだ。銀のティアラの銀細工が派手に砕け散っている。首に巻かれていた真珠の紐が切れて派手に転がっている。


(嘘よ。セルディーが死んだなんて! そんなの、やだ、やだーーー)


 ショックが大き過ぎたのかもしれない。胸を切り裂かれたかのような絶望感が流れ出してくる。


 何も考えたくない。蝋燭の灯火が消えるように思考が薄れている。顔が真っ青になり足がすくむ。身体の震えが止まらない。そのまま、力なく崩れ落ちていたのである……。

   

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ