116話 悪夢と慈愛
◇◇◇
暗い道をふらふらと何かに導かれるようにして進む。
いきなり堅い壁のようなものにぶつかった。
手で探ってみると、どうやら扉のようだ。
取っ手を引き、扉を開ける。
薄暗い室内。
天窓から光が差して、中を照らす。
すると、如何なる作用が働いたのか、そこは礼拝堂に変わった。
床に目を落とす。
真っ赤な血、血、血。
血の池が広がっていた。
血の池の中央に人が佇んでいる。
それは胸に大穴を開けたエンディの死体だった。
「はっ!?」
アートンはベッドから跳ね起きた。
「夢、か……」
額の汗をぬぐう。
現実味のあるべたついた感覚に、これが現実だと確信する。
アートンは寝直す気にはなれず、ベッドに腰掛けた。
サイドテーブルの酒を注ぎ、一息に呷る。
エンディの死体を発見した衝撃が夢にまで影響するとは思ってもいなかった。
しかし、エンディには悪いが、悲哀や憐憫の感情は全く持ち合わせていない。
だとすれば、これは何の感情に起因するものなのか。
アートンは自己分析を始めたが、結論に至る前に思考を止めた。
それは分かりきったこと。
血のイメージから想起されるのは、過去の古傷だ。
アートンは首を振り、頭の中のものを追い払った。
そして、ローブを羽織ると、部屋を出た。
暗く、静まり返った館内を歩く。
やがて、祈りの間に辿り着いた。
扉の前にはクライクが陣取っていた。
今晩の警護はクライクが務めることになっている。
「どうだ、何か異常はないか?」
「特段、これといったことはありません」
彼はおそらく、人目がなくともずっと直立不動の体勢で警護しているのだろう。
人は信仰心や使命を支えにすると、ここまで規律正しくなるのだ。
「ご苦労。そのまま続けたまえ。私はテレサ様に接見する」
「畏まりました。どうぞ」
アートンは扉を開けようとするクライクを手で制し、自分で押し開けた。
中は白一色の世界だった。
祈りの間は教祖テレサの自室を兼ねている。
しかし、私物らしいものはほとんど見えず、壁も床も全てが白色で統一されていた。
その中央に、膝を折り、一心に祈る少女が見えた。
アートンはゆっくりと近付くと、ソフトな声色で話しかけた。
「テレサ様、あまり根を詰められてはお身体に障りますよ」
少女は声に気付くと、顔を上げ、振り返った。
白の頭巾からこぼれる黒髪。
少女は大きな目を何度か瞬くと、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「あら、アートン。このような時間にどうされました?」
真夜中という時間帯であったが、非難がましい響きは含まれていなかった。
まさかこの歳になって悪夢を見て眠れない、などとは口が裂けても言えない。
言葉を濁して適当に相槌を打つ。
「ところで、何を祈っておられたのですか?」
「デッセン、エンディのお二人の、転生成就を祈っておりました」
顔を伏せて語るテレサ。
思った通りの答えに、アートンは少女に気付かれないほど小さいため息をついた。
やはり、この少女は二人の死をひどく悲しんでいる。
しかし、おそらく教団幹部であったから、その損失の大きさを嘆いているのではない。
彼女は一人ひとりの死をひどく悼む。
それこそ、名も知らぬ一般信者であったとしても、訃報を聞けば家族以上に嘆き悲しむだろう。
永遠の命を謳っている教祖でありながら、ここにいる誰よりも命の重さを尊んでいる。
一方のアートンは、教団幹部を二人失ったことで、組織への影響とその立て直しのことしか頭に浮かばなかった。
先ほどの悪夢も、過去のトラウマと今回の事件が結びついただけのこと。
そんな彼にとって、教祖の悲しみは理解しがたいものだった。
だが、この慈愛精神が信者の心を惹き付けるということも理解している。
そのため、基本的にアートンはテレサの必要以上に人の死を憂う性格に口は出さなかった。
「テレサ様、いつ貴女様を狙う賊が現れるかも分からぬ状況です。あまり、無理をなさっては貴女様自身の危険に結びつきます」
組織の右腕として、アートンはテレサに苦言を呈する。
「分かっています……。今も他の者たちに警護などで苦労をかけているということも……。えぇ、今日はここまでにしますね」
テレサはアートンを忠臣と認めているからこそ、苦言であっても素直に受け止める。
「ですが……、アートン、貴方も十分に注意してくださいね。私たちは転生し、再び巡り会えるとしても、やはり死によって一時でも別離を経験するのは、辛いものですから……」
「お言葉、心に留めておきましょう」
アートンはそう言うと、部屋を出ようとした。
ふと扉の前で振り返り、テレサを見る。
テレサは胸の前で手を組み、今度はアートンの無事を祈っているようだ。
その姿を見て、アートンは決意する。
何に代えても、この少女を守り抜かなければならない。
(そのためには、この事件の犯人を突き止めるべきか……)
彼もまた、事件の真実を明らかにすべく、動き出すのだった。
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