1.2
我は目についた最初の路地に飛び込んだ。いや――正確には最初のではなく、最も遠くにある路地だ。我を見知った者から、できる限り距離を取るために。
「く、くそ……」我は壁に片手をつき、息を切らした。「今のは我が人生で最大の屈辱だった!!」
【いやー、あれは傑作だったな】
タナカが我の背後に現れた。【自分の失敗を認める気はあるか?】
「その口腔を閉じよ!」我は掌をタナカに向けて叫んだ。「あれは失敗などではない。我が王となる運命にあるかどうかを見極めるための、ただの試験だったのだ。そして今、我はそうではないと判明した。神には、我のために別の計画があるのだろう!」
【失敗から学ぶ、って選択肢もあるんだぞ】
「失敗をする者は完璧ではない。ゆえに、我は失敗などしない」
【へえ、すげえな】
計画変更だ。今こそプランBを実行しなければ。
無論、我はAからZまで、すべてを計画済みだった。計画の変更など、ただの自然の摂理に過ぎない。
「さて、プランBを実行するには――」
【ちょっと教えてやろうか】ポン、という音とともにポップアップが現れた。
「あ?何だ?我はもう行くところなのだが」
【お前が知ったら喜びそうな、いい話だ】
「本当か?お前がついに役に立つというのか?」
【ああ。『魔法表示』と唱えてみろ】
魔法表示だと?つまり、我には使える魔法があるということか?
ああ、当然だ。この世界にステータスシステムが存在しないとしても、我は森丈二郎なのだ。当然、この世界に渡ってくる際には、規格外の能力を携えているに決まっている。
『すべて』の主人公たる者が、伝説の剣も、桁外れの魔力の泉も持たずに異世界転生するなど、想像できるか?
無論、そのようなことが我に起こるはずがない。
「よかろう。我を魔王討伐へと導く力とやらを、見せてみよ」
ポップアップの文字が切り替わった。
習得済み魔法:
『ヘブンズ・ウォッチ』
――(なし)
ふむ。『ヘブンズ・ウォッチ』?確かに、いかにも強力そうな響きだ。
おそらく、桁違いの視力を得られるとか、魔力の流れを寸分違わず可視化できるとか、そういった類の力に違いない。
「この能力の詳細を見せろ」
ポップアップに表示されたのは――
『ヘブンズ・ウォッチ』:
使用者を中心とした半径100メートル以内にいる全ての者が、使用者の優越性を認め、服従した場合――使用者は魔力消費なしに、任意の魔法を発動できる。
我はすべてを、じっくりと読んだ……
「これ、実質使えないやつじゃないか!一体どうやって使えというのだ!?今すぐ街全体を我に服従させるなど、不可能だろうが!!!」
【へへ、それはお前の問題だな】タナカの姿が、ゆっくりと薄れていく。
「待て!まだ話は終わっていない!我はもっと強力な何かを要求する!」
だが、手を伸ばした時には、既に何もそこにはなかった。我は一人きりだった。
「くそっ!この役立たずめ!」
ああ、落ち着け……この魔法もきっと、終盤になればこの世界で最強の力になるはずだ。今はとにかく、情報収集に専念しよう。
だが、ここは路地だったな?だとすれば、ここで起きるはずのことがある――あらゆる異世界作品で、必ず起きる、あの展開が。
そして今、我は己の高度な知識のおかげで、この薄汚れた人気のない路地に立っているというわけだ。
時間の問題のはずだ、次に起こることは――
「そこで何してんだ?」路地の入り口から声がかかった。
汚れた服を着て、大きな髭を生やした二人の大男が、ゆっくりとした足取りで我へと近づいてくる。
やはりな。路地で通りすがりのゴロツキに襲われる――これはお決まりの展開だ。
我はパターン認識の天才なのだ。
二人は我の前で立ち止まった。小柄で、痩せぎすだった。
こんな輩どもに、我が身ぐるみを剥がされるはずがなかろう。
「いかがされたか、貴賓の方々よ」
「……貴賓の方々?」二人は顔を見合わせた。「何だそりゃ。お前、貴族か何かか?」
は?意味が分からないのか?こいつら、そこまで語彙が乏しいのか?
ああ、こいつらは貧しい、身分の低い者たちなのだろう。本物のゴロツキというわけでもない。語彙が限られているのも、当然の理というものだ――
待てよ……今、我のことを貴族かと聞いたのか?
名案がある!
「あえて申そう。我こそが森丈二郎である」
「な、何だと……?」一人が声を詰まらせた。「どうしてお前が――」
「我は神より、この世界を征服する使命を授かりし者なり!」
「な、何が起きてるんだ!?」一人が震え出した。
「貴族みたいな喋り方しやがる!」もう一人が返した。
待てよ……別に、意味が通っている必要などないのではないか?むしろその方が、よりカッコよく見えるはずだ。
「摂理、主権、高貴、寛容、剛毅、確信!」
二人が一歩後ずさった。
「な、何言ってんだこいつ!?」
「わ、分かんねえ。だがその服を見ろ!こいつ、この辺の人間じゃねえぞ!」
ああ、我はただの青いパーカーと白いショートパンツを身につけているだけなのだが……まあ、中世の人間からすれば、目新しいのだろう。
攻撃を続行せよ!!!
「優越、卓越、統治権、管理、誠実、賢慮、仁愛、博識!」
二人は地面に崩れ落ちた。
「ぎゃあああ!!!な、なんかの呪文なのか、これ!?」
「き、貴族の喋り方ですらねえ!貴族が話す時は、一言二言くらいは分かるのに、こいつは何ひとつ分かんねえ!こいつ、貴族より上の存在なのか!?」
これ、本当に効いているのか?本当に?
い、いや、当然だろう!これぞ21世紀の男の力だ!!!さあ、とどめを刺すぞ……!
……
待て……これ以上、難しい言葉が思いつかないぞ。
他に何も思い出せない!ど、どうしてだ?我はこの語彙を、人生をかけて学んできたはずなのに!我は――
ああ……そうだ、こいつらは中世の人間だったな?
だとすれば――
我はごくりと唾を飲み込んだ。
「プレイステーション、Vtuber、コンピューター、YouTube、エアコン!!!」
既に地面に伏していた男たちが、頭を抱えた。
「まさか!?こいつは貴族なんかよりずっと上だ!」
「こいつは神だ!!!」
……は?




