9話 王都への旅立ちと、素直になれない義妹の見送り
♢王都への旅立ちと、素直になれない義妹の見送り
秘密の特訓スペースでの甘い時間から数日後。
ユウキが王都にある貴族学院へと入学するため、ヴァルテンブルク辺境伯領を出発する朝がやってきた。雲一つない青空から、朝の澄んだ光が屋敷の前に差し込んでいる。
「若様、本当にこの人数だけでよろしいのですか? 旦那様は、我が辺境伯軍の精鋭から一個大隊を護衛に付けると仰せでしたが……」
馬車の前で、出発の準備を整えた従者たちが不安そうにユウキの顔を覗き込む。
最強の武闘派貴族である辺境伯家だ。長男の王都入りともなれば、本来なら大軍隊並みの重装備の騎士団が周囲を固めて移動するのが当然の義務であり、実力の誇示でもあった。しかし、前世が普通の高校生であり、何より平穏に、無能のフリをして目立たず過ごしたいと願うユウキにとって、そんな大々的な大名行列など拷問でしかない。
「当たり前だ。あんな物々しい連中を引き連れて王都に行ってみろ、初日から注目の的だろ。護衛は最低限でいい。俺の身の上の心配なら不要だ」
ぶっきらぼうに言い放ち、ユウキはすでに実戦向けに調整された最低限の人数だけを伴って馬車へと乗り込もうとした。実際、海のように膨大な魔力と規格外の身体能力を持つ今のユウキからすれば、大軍隊の護衛などむしろ足手まといに近かった。重い革靴を馬車のステップにかけ、乗り込もうとしたその時、屋敷の重厚な玄関口から、せわしない靴音が響いてきた。
「ちょ、ちょっと待ってください、お兄様……っ!」
息を弾ませ、長い金髪を揺らしながら現れたのは、義妹のミオルだった。
ヴァルテンブルク辺境伯である父の亡き戦友の娘として引き取られ、実の妹同然に育った彼女は、ほんの少し前までユウキのことを無能な兄と見下し、冷めきった態度を取り続けていた。しかし、転生したユウキから鋭い言葉を返されたあの日を境に、彼女の世界は一変してしまっていた。
脳裏に焼き付いて離れないのは、ユウキから無自覚に放たれる、圧倒的な強者のオーラ。そして、冷徹でありながらもどこか芯の通った、大人の男としての眼差し。さらには、あの防壁に囲まれた特訓スペースで、背後から身体を密着させられ、耳元で優しく囁かれながら、頬をむにむにと弄られたあの甘美な記憶──。胸の奥がその熱を思い出すだけで、今もきゅっと甘く疼き出す。
見送りに現れたミオルを見た周囲の使用人や兵士たちは、まさかお嬢様が……と目を見開いて驚いていた。犬猿の仲だと思われていた義妹が、自ら兄の旅立ちの場へ足を運ぶなど、今までのヴァルテンブルク家では有り得ないことだったからだ。
「ん? ミオルか。わざわざ見送りか?」
「べ、別にお兄様のことなんて心配していませんわ! 勘違いしないでくださいね! た、ただ……我がヴァルテンブルクの名に恥じるような、情けない真似だけはしないでくださいって、釘を刺しに来ただけですもの!」
ミオルは華奢な腕を組み、精一杯にツンツンとした態度を取り繕う。しかし、強がった言葉とは裏腹に、その白い頬はこれ以上ないほど鮮やかな桃色に染まっていた。視線は落ち着きなく泳ぎ、ユウキの端正な顔をまともに見ることすらできていない。長い睫毛が細かく震え、完全に動揺が丸分かりの状態だった。
そんな義妹の様子を、ユウキはやはり前世の余裕を持って、ふっと口元を緩めながらぶっきらぼうに受け流す。
「はいはい、分かってるよ。実家の顔に泥を塗るような真似はしねえから、安心しろ」
頭をぽん、と軽く叩き、子供をあやすように気楽に応じるユウキ。
だが、そのあまりにも自然で余裕に満ちた仕草と、間近から注がれる大人の男としての包容力に、ミオルの小さな胸はさらにドギマギと激しく鐘を打った。トクン、と跳ねた鼓動が耳の奥まで響いていく。
(な、なんなのですの、その態度は……! 以前のお兄様なら、もっとオロオロと言い訳をしていたはずなのに……っ)
悔しいのに、胸の奥が甘酸っぱく疼いて止まらない。
ゆっくりと馬車へと乗り込んでいくユウキの背中を、ミオルは赤くなった頬を両手で押さえながら、ただ呆然と、捕捉しきれない寂しさを湛えた瞳で見送ることしかできなかった。王都という遠い地へ向かう兄への焦燥感と、急速に膨れ上がる恋心が、彼女の胸の中で嵐のように渦巻いていた。
♢傲慢な洗礼と背後の影
王都の中央にそびえ立つ、白亜の貴族学院。そこは国の政治を動かす中央貴族の子息たちが我が物顔で歩く、虚栄と権謀術数に満ちた場所だった。
きらびやかな制服に身を包んだ生徒たちが行き交う白磁の廊下を、ヴァルテンブルク辺境伯家の長男、ユウキが歩いていた。
彼が姿を現した瞬間、周囲の空気がねっとりとした侮蔑の色を帯びる。前方からニヤニヤとした卑屈な笑みを浮かべて近づいてくるのは、いかにも軟弱そうな中央の伯爵令息と、その腰巾着である子爵や男爵の取り巻きたちだった。彼らはあからさまに横一列に広がり、ユウキの進路を完全に塞ぐ。




