37話 公式公開処刑と、最強のデコピン
♢公式公開処刑と、最強のデコピン
白亜の貴族学院が誇る大演習場。その中央に位置する頑強な円形の決闘舞台は、異様な熱気と、どこか冷ややかな静寂に包まれていた。
すり鉢状の広大な観客席を埋め尽くすのは、数百名もの生徒と学院の関係者たちだ。誰もがこの一戦の顛末を見届けようと、固唾をのんで舞台を見下ろしている。
「おいおい、本当にやるのかよ……」
「相手はあの、ヴァルテンブルク家の『無能の出がらし』だろ? いくら中央の汚職派閥が後ろ盾にいるからって、伯爵令息ともあろう者が、あんな田舎者に本気を出すなんてな。格好がつかないぞ」
観客席のあちこちから、ユウキを侮りきった下級貴族たちの軽薄なヒソヒソ話が聞こえてくる。彼らはまだ知らないのだ。王女暗殺未遂の夜、近衛騎士団すら蹂躙した凶悪な魔物の群れを、ただ拳一つで消し去った「本物の化け物」が目の前にいることを。中央の汚職派閥のトップである大物公爵への醜い忖度と、かつての「弱々しいユウキ」という古い噂を盲信した哀れな伯爵令息――ライネルが、自ら破滅の泥沼へ嬉々として飛び込もうとしていることを。
決闘舞台の上、青い魔石が埋め込まれた特注の魔導剣をすらりと抜き放ち、不敵な笑みを浮かべるライネルがユウキを鋭く睨みつけた。
「フン、辺境の薄汚い野蛮人が。セルシア王女殿下に色目を使ったばかりか、我が中央貴族の面汚しをしてくれたな。今日この公認の決闘の場で、貴様の化けの皮を剥いで無能さを白日の下に晒し、学院から永久に叩き出してやる!」
対するユウキは、黒い剣を帯びることすらなく、学院の制服のポケットに両手を突っ込んだまま、心底気怠げにふぅ、と息を吐いた。
(はぁ……あくびが出る。のんびりスルーして、昼寝でもしたかったのに、なんでこんな面倒なことになってんだよ……)
ユウキの身体の奥底には、底なしの海のように膨大な魔力が脈打っている。しかし、かつて初級魔法で広大な森を消し飛ばして以来、彼はその力加減に極度の恐怖とトラウマを抱いていた。だからこそ、彼が心に決めたここでのルールはただ一つ。――魔法の完全自重、そして生身の圧倒的な肉体言語だ。
「おい、田舎者! 怯えて武器も抜けないのか? 構わん、そのまま無様に地を這いつくばえ! 【ソニック・ブレード】!」
ライネルが狂ったように叫ぶと同時に、その魔導剣の刃からキィィンと耳を劈く風切り音と共に、鋭い真空の刃が放たれた。並の生徒であれば一撃で肉を深く裂かれ、確実に戦闘不能になる実戦級の凶悪な魔法剣技。
目にも留まらぬ速さで迫る死線に、観客席から短い悲鳴が上がる。
しかし、ユウキの底知れない瞳は、その凶悪な軌跡を完全に「スローモーション」として捉えていた。
(遅い。……というか、あぶねえな。当たったらお気に入りの制服が汚れるだろ)
ユウキは足元を一歩も動かすことなく、ただ上半身をわずかに、紙一重だけ傾けた。それだけで、猛烈な速度で空間を切り裂いて迫っていたはずの真空の刃が、彼のサラリとした髪の毛一筋すら掠めることなく、虚しく背後の防御結界へと激突し、激しい火花を散らして霧散した。
「なっ……!? た、たまたま偶然避けただけだな! 調子に乗るな、死ねぇ!」
驚愕に顔を歪めたライネルが、今度はなりふり構わず自ら距離を詰め、青い魔力をこれでもかと乗せた剣を頭上から容赦なく振り下ろす。
ガツンと空気が鳴るほどの必殺のタイミング。誰もがユウキの無残な敗北を確信した、まさにその瞬間――。
ユウキが、制服のポケットからゆっくりと右手を抜いた。
その手に武器は一切持たない。ただ、親指と中指を無造作に交差させ、小さく、本当に小さくその指先で形を作る。
世界を容易く滅ぼしかねない規格外の身体能力を、脳内で「億分の一」にまで必死にセーブし、壊れやすいガラス細工を扱うような細心の注意を払って放つ――彼なりの究極の手加減。
「――どいてくれ。お前の退屈な相手をしてる暇は無いんだ」
パチン、と。
静まり返った広大な大演習場に、気の抜けたような、しかし妙にクリアな乾いた指弾の音が響き渡った。
ユウキの放った、ただの「デコピン」の指先が、ライネルの振り下ろされる剣の腹へと吸い込まれるように真っ正面から直撃した。




