36話 決闘の引き金と、身の程知らずの挑戦
♢決闘の引き金と、身の程知らずの挑戦
第一王女セルシアを襲った恐るべき暗殺計画の劇的な破綻と、それをたった一人で一網打尽にした「辺境伯家の出がらし」ことユウキ・フォン・ヴァルテンブルクの噂は、瞬く間に白亜の貴族学院内を駆け巡った。
だが、すべての人間がその圧倒的かつ冷酷な現実を、素直に受け入れたわけではない。特に、これまで甘い汁を吸い続けてきた利権にまみれた中央の汚職派閥の息がかかった貴族たちにとっては、到底面白くないことこの上なかった。
「おい、聞いたか? あの無能の出がらしが、たった一人で近衛騎士団すら手を焼いた凶悪な魔物と暗殺者を退けたって話」
「ふん、くだらんハッタリだ。どうせ辺境伯家が裏で小賢しく手を回して、純真な王女殿下を体よく言いくるめたに決まっている。田舎の貧しい野蛮人が、身の程をわきまえずに王家に取り入ろうなどと、浅ましいにもほどがある……」
日光の差し込む豪華な大理石の廊下で、そんな陰湿な陰口を叩き合っていたのは、中央派閥の急先鋒である伯爵家の令息、ライネル・フォン・グラナードとその腰巾着たちだった。
彼らの後ろ盾には、王家と真っ向から対立する大物公爵のどす黒い影がある。ライネルは、かつての大人しく目立たなかった平均的なユウキの噂を盲信しきっており、今回の「英雄誕生」という劇的な報せを、単なるペテンだと頭から決めつけていた。
何より、学園の男子生徒全員の憧れである高嶺の花のセルシア王女が、ユウキに対して一般教室でお弁当を健気に手渡すほどの「全力正妻ムーブ」をかましているという歪みのない現実が、ライネルの歪んだプライドをこれ以上ないほど激しく逆撫でしていた。
「おい、そこの無能の出がらし」
昼休みの賑やかな喧騒に沸く、広々とした大食堂。友人たちと共に静かに席に着こうとしていたユウキの前に、ライネルが数人の体格の良い取り巻きを引き連れて、見せつけるように立ちはだかった。
ユウキは、心底面倒くさそうに細めた目をゆっくりと彼らに向ける。
「……あくびが出そうだな。どいてくれ、飯の邪魔だ」
「調子に乗るなよ、辺境の薄汚い野蛮人が!」
ライネルは激情に任せて、ドン、とユウキの目の前の木製の机を大きな音を立てて叩いた。その衝撃で大食堂中の視線が一時に彼らへと集まり、水を打ったような静寂が広がる。
「王女殿下を小賢しく騙し、ありもしない武功を裏ででっち上げて英雄気取りとはな。お前のような卑しいペテン師が我が物顔でこの神聖な学院を歩いているなど、中央貴族の、いや、バルハイト王国全体の恥だ!」
「でっち上げねぇ……」
ユウキはふぅ、と息を漏らしながら退屈そうに頭を掻いた。前世の普通の高校生だった感覚からすれば、レベル1のひ弱な村人がレベル99の隠しボスに対して、命知らずにも全力でイキがっているようにしか見えない。下手に相手をして力加減を誤り、魔法でも暴発させれば、この立派な大食堂ごと彼らを一瞬で塵にしてしまう。だからこその大人のスルーだったのだが、ライネルはそれを「図星を突かれて何も言えずに怯えた」と都合よく勘違いしたらしい。
「そこまで言うなら、お前のその、でっち上げの『大英雄の力』とやらが本物かどうか、全校生徒が見守る公の場で証明して見せろ」
ライネルは仕立ての良い上着の懐から、純白のシルクの手袋を取り出すと、ユウキの足元へと見せつけるようにバサリと叩きつけた。
「我が誇り高きグラナード伯爵家の名において、お前に正式な決闘を申し込む! 逃げることは一切許さん。もし断るというならば、お前自身が嘘つきの卑怯者であることを全校生徒の前で認め、即座にこの高貴なる学院を自主退学し、二度と王女殿下の視界に入るなと誓え!」
「……はぁ」
ユウキは、胸の奥に溜まった澱を吐き出すかのように深々とため息をついた。断れば理不尽な退学、戦えば戦ったで(致命傷を与えないための微細な手加減が恐ろしく面倒くさいので)周囲を巻き込む大惨事になる。だが、ここで完全に引いてしまえば、実家であるヴァルテンブルク辺境伯家の名に泥を塗ることになってしまう。
(まったく、これでもかってくらい目立ちたくないって言ってるのに、なんでこう次から次へと自爆志願の面倒事が空から降ってくるんだよ……)
半ば諦め混じりに観念したユウキは、床に落ちていた手袋を気怠げな動作で、しかしどこか優雅に拾い上げた。
「分かったよ。その決闘、受けてやる。……ただし、何が起きても後悔するなよ」
ライネルはすでに「勝った」と確信したかのような、歪んだ醜悪な笑みを唇の端に浮かべ、取り巻きを引き連れて満足げにその場を立ち去った。中央の大物公爵への格好のアピールとしても、この辺境の無能を公式の場で無残に叩きのめすことは、彼にとって最高の機会だったのだ。
こうして、学院全体を巻き込んだ、ライネルにとてつもない絶望を与えることになる「公式公開処刑」の舞台が、最悪の形で整うこととなった。




