25話 幻想の魔法陣と、無詠唱の氷柱
物音が響くたびに、セルシアや生き残った数少ない護衛騎士たちはビクリと身体を震わせる。恐怖のあまり、セルシアは無意識のうちにユウキの制服の裾を小さな手でぎゅっと掴み、彼に寄り添った。
直後、苛立ちを隠そうともしない魔物たちが、躊躇なく数頭、目の前の開けた場所へと姿を現した。
「な、なぜ、このような場所に……上級の魔物たちが!?」
生き残りの護衛騎士が、絶望に顔を白く染めながら呆然と呟く。
そこにいたのは、ユウキの記憶にある前世の映画やテレビで見た「熊」をさらに一回り大きくしたような巨体を持つ化け物だった。しかし、その容姿は地球の生物とは完全に異なっている。裂けた口からはノコギリのような鋭い牙が覗き、肘からは頑強なツノのような突起が突き出し、四肢には肉を容易く引き裂くであろう鋭利な爪を備えていた。
『グルルルル……ッ』
地響きのような低いうなり声を上げ、魔物たちは姿勢を低く構え、今にも飛びかからんとしていた。
そんな絶体絶命の光景を前にして、ユウキはただ一人、大きな溜め息をついた。
(まったく、次から次へと面倒くせえな……。下手に魔法を使うとまた森ごと消し飛ばしちまう。細心の注意を払って、コントロールを最小限に……最小限に調節するんだ……)
ユウキは、高く手を上げた。
頭の中で、極限まで威力を抑え込んだ術式をイメージする。
(【ダイアモンドダスト】――)
ユウキが手をそっと振り下ろすと同時に、彼らの周囲が、またたく間に光を乱反射して煌めく霧のような気体に包まれていった。
「なっ、これは、目くらましの魔法ですか!? さ、王女殿下、今のうちに逃げる準備を――!」
護衛騎士がハッとして声を上げ、セルシアを促そうとする。だが、ユウキには最初から逃げる気などなく、その必要性すら微塵もなかった。
「――俺から離れるなよ……王女様」
ユウキは振り向くことすらしない。しかし、その背中からかけられた言葉は、どこまでも落ち着いていて、不器用な優しさに満ちていた。
ただ守られるだけの存在ではない、確かな絆を感じさせるその声に、セルシアは胸の前で両手をきゅっと組み、頬を赤らめながら素直に頷いた。
「は、はい……っ。ユウキ様の仰せのままに……!」
♢幻想の魔法陣と、無詠唱の氷柱
霧のように立ち込めるダイアモンドダスト――それは単なる視界を遮るための目くらましではなかった。ユウキの海のような魔力をダイレクトに宿し、周囲一帯の空間を支配するための超高密度の魔力気体。
その時、ユウキの脳内に直接、明確な情報が流れ込んできた。
それは、影に潜ませている従者・シアとの【意識共有】スキルによるものだった。霧の気配とシアの索敵が重なり合い、周囲の茂みに潜むすべての魔物の位置、数、そして明確な殺意や害意のありかが、一寸の狂いもなくユウキの脳内マップに同期される。
(位置は完全に把握した。あとは――)
ユウキはさらに前方に手をかざし、術式のイメージを重ね合わせる。
(【多重アイシクルランス】――ッ!)
その瞬間、ユウキを中心とした辺り一面の地面と空間に、仄かに青白く輝く幾重もの幾何学的な魔法陣が、ふわっと浮き上がるように出現した。
日の光を浴びて乱反射する氷晶の霧と、地表を覆いつくす魔法陣の輝き。その光景は、恐ろしい戦場であることを忘れさせるほどに、息をのむほど幻想的で美しかった。
美しい輝きに魔物たちが一瞬目を奪われた、その刹那。
ユウキが静かに手を振り下ろした。
キィィィン――ッ!!!
大気を震わせる硬質な音と共に、無数の魔法陣から、巨大で鋭利な氷柱の槍が容赦なく撃ち出された。
それは狙いを過つことなく、跳躍しようとしていた魔物たちの強靭な肉体を、正面から、そして退路を断つように背後から、いとも容易く同時に貫いた。
「ガ、ァ……ッ!?」
悲鳴を上げる暇すら与えられない。上級魔物たちの巨体は、一瞬にして地面へと氷の槍で縫い留められ、その生命の灯火を完全に消し去られた。あとに残ったのは、氷柱の周囲で静かに霧散していく魔物の塵だけだった。
ドサリ、と静寂が戻った戦場で、生き残りの護衛騎士は腰を抜かしたようにその場に立ち尽くしていた。
「……俺は、いったい何を……目撃しているのだ……。無詠唱、それどころか、あれほどの上級魔物を一撃で葬る多重魔法を、これほど軽々と使いこなすなど……あり得ない……」
王国最高峰の魔導師でさえ、数分の詠唱と大規模な儀式を必要とする極大魔法。それを、まだ学園に入学したばかりの少年が、眉ひとつ動かさずに、しかも「威力を最小限に抑えて」放ったのだ。その事実を理解した騎士の脳裏には、畏怖以外の感情が消え失せていた。
煌めく氷の粒子が風に舞う中、ユウキは「ふぅ」と小さく息を吐き、またしても目立ってしまったことに心の中で頭を抱えるのだった。




