4話 初登校~視線とため息
名古屋市東区、白壁。
歴史ある武家屋敷の黒塗りの塀が続くこの界隈は、栄の事務所の喧騒とは対照的なほど静まり返っている。
塀の向こうから微かに聞こえる蝉の声が、夏の終わりを惜しむように響く。
足音一つ立てないように歩いているのに、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
その一角にある白壁女学院の校門を潜った。
膝を打つスカートの感触に、私は言いようのない恥ずかしさを覚えていた。
薄い夏服の生地が、歩くたびにふわりと揺れて、太ももの肌に直接空気が触れる。
セーラー服の襟が首に軽く食い込み、赤いリボンが胸元で揺れた。
鏡で見た自分の姿が、まだ頭に残っている。
銀髪が肩まで流れ、赤い瞳が制服の白に映える。
見た目は、高校生としてなんとか通用しそうだけど……。
自分としては、イタイ大人が無理して高校生のコスプレをしている感じだった。
今回、目には茶色のカラコンをつけて多少は目立たなくした。
だけど、髪を痛ませるように染める気にはならなかった。
潜入調査なら、せめて教育実習生が妥当だろう。
だというのにこの学園の理事長が用意した椅子は、あまりに無慈悲な「高校二年生」という身分だった。
そりゃ、教員免許持ってないから教師は無理だけど。
そういえば、今思えば実習生でもよかったのでは。
実習生には免許なんていらないじゃん。
なんか、はめられた感じがするけど、過ぎ去ったことだから後の祭りね。
私は校門をくぐり抜け、校舎に向かう石畳の道を歩きながら、心の中で毒づいた。
スカートの裾が風に煽られて、太ももに張りつく感触が不快だ。
9月に入ったとはいえ、名古屋の残暑は執拗だった。
白壁女学院の敷地内に満ちる空気も、外よりわずかに和らいでいるものの、どこか肌にまとわりつくような熱を帯びている。
制服の白い生地を透かすように照らしていて。
汗が背中を伝うのを感じながら、私は深く息を吐いた。
「ふふ、綾さん……じゃなくて、綾ちゃん! すっごく似合ってるよ。その制服!同じクラスになるといいよね」
隣で跳ねるように歩く舞を、私は鋭く一瞥した。
彼女の声は明るく、制服のスカートが軽く揺れるたびに、楽しげなステップが弾んでいる。
一緒に登校しましょうと言われ了解したけど、必要なかったよね。
「……黙って。そのちゃん付けやめて。それから、その含み笑いもやめて欲しい」
声は低く抑えたつもりだったが、苛立ちが端に残ってしまう。
舞は「えへへ」と小さく笑って、肩を寄せてくる。
子供じゃあるまいし。あの時のノリで押し切られてしまった。
ノリといえば、なぜか師匠から電話があったのをふと思い出した。
「綾。師匠命令だよ」
「いやです」
「まだ言ってないでしょ」
「制服着て道場に来いですよね」
「大正解。来なければ……クス」
私はごまかして切ったけど、生き恥をさらしたくない。
絶対に遊ばれる。
いまだに、電話の後、師匠のクスという笑い声が耳に残っている。
師匠は、病弱で本気の戦闘は、5分しか持たないけど、いまだに一本も取ったことが無かった。
そして楽しむことには全力な彼女だった。
その後も、色々な場所からメール来たけど、私のプライベートはどこに行った。
昨日の夜の事を思い出して歩いてると、すれ違う生徒たちの、あのお嬢様特有の純粋で、それでいて容赦のない好奇の視線を感じる。
白い夏服の袖が風に揺れ、銀髪が肩に落ちるたびに視線が集まる。
彼女たちは丁寧に微笑みながらも、目だけがじっと私を観察していた。
そして私は、物語の中だけだと思っていた光景を、本当に目の当たりにする。
「ごきげんよう」
ごきげんようって今時使う人がいるなんて思わなかった。
すれ違う上級生らしき少女が、優雅に頭を下げて通り過ぎる。
私は反射的に軽く頭を下げて返した。
スカートの裾が膝に触れる感触が、改めて現実を突きつけてくる。
この学校の空気は静かで上品だ。
けれど、挨拶一つでこれだ。
これから大変になる予感だけは、はっきりと伝わってきた。
「綾さん、職員室わかる?」
隣でニヤニヤと私を覗き込む舞に、私は精一杯の虚勢を張って言い返した。
「バカにしてる? そんなの、わかるに決まってるでしょ」
声は低く抑えたつもりだったが、端に苛立ちが残ってしまう。
舞は「えへへ」と小さく笑って、肩をすくめた。
その笑顔が余計に腹立たしい。
それだけ言い残し、私は舞を置いて一人で職員室へと向かう。
こういう格式高いお嬢様学校なら、外来者用の入り口があって、受付があるのが相場だ。
校舎の廊下は静かで、足音が響くたびに自分の存在が強調される気がする。
けれど、歩を進めるごとに背中に突き刺さる視線が、私の冷静さをじわじわと削っていく。
……なんなの、この舐めまわすような視線は。
すれ違う生徒たちは丁寧に微笑みながらも、目だけがじっと私を追っていた。
私が歩くたび、好奇の視線が集まる。
10年前のあの時の感覚がよみがえってくる。
とらえられた時の、周囲の大人たちの目。
私が凌辱されている時の、あのねっとりとした視線。
その視線を逃げるように速足で受付の方に向かった。
受付の女性は穏やかに微笑み、転校生の書類を確認してくれた。
「紫微綾さんですね。職員室はこちらの廊下をまっすぐです」
丁寧な声に、私は軽く頭を下げて通り過ぎる。
受付のカウンターを過ぎた瞬間、背中の視線がまた増えた気がした。
受付を済ませ、目的地である職員室を目指す。
廊下を歩く間も、窓ガラスに映る自分のセーラー服姿を見て、また落ち込みたくなる。
白い生地が体にぴったり張りつき、スカートの裾が膝に触れる感触が、歩くたびに現実を突きつけてくる。
まず落ち着こう。
これは仕事で必要な事。
これ以上の犯行が起きないようにしなければ。
そのために来たのだから。
自分にそう言い聞かせ、ようやく辿り着いた職員室の重厚なドアの前で、私は一度、深く深呼吸した。
胸が少しだけ落ち着く。
スカートの裾を軽く直し、襟元を指で触って整える。
コンコン、と控えめながらも芯のある音でノックする。
私は職員室の入り口で、もう一度自分の姿を確認した。
「失礼します。今日から二年に編入することになった、紫微です」
意を決して足を踏み入れた瞬間、職員室の空気がすっと冷えた気がした。
事務机から顔を上げた教師たちの視線が、一斉にこちらへ向く。
ペンの音も、紙をめくる音も、ぴたりと止まった。
静まり返った部屋の中で、視線だけが重く突き刺さる。
窓から差し込む九月の強い陽光が、私の銀髪を白く照らしていた。
アルビノを思わせる白い肌だから、私は直射日光はあまり得意じゃない。
それでも、光を受けた髪がやけに目立っているのは自分でもわかった。
教師たちの視線が、じっとこちらを観察している。
誰かが小さく咳払いをした。
「あ、ああ……君が、理事長から聞いていた紫微綾さんだね。担任の松本だ」
名乗った男は、一瞬だけ私の胸元に視線を走らせ、慌てて書類へ目を落とした。
頬がわずかに赤い。喉がごくりと動くのが見える。
仕方ないのかもしれない。
人より女として発達した体つきは、どうしても目立つ。
こういう視線には、もう慣れている。
けれど、気分がいいものじゃない。
「先生。……案内してくださるのかしら?」
少しだけ、お嬢様らしい言い方をしてみる。
松本は弾かれたように我に返り、慌てて視線を逸らした。
動揺を隠すように、脇に抱えていた厚みのある茶封筒を差し出してくる。
「あ、ああ、失礼。……これ、理事長から預かっている資料だ。後で目を通しておくように」
受け取った封筒は、ずっしりと重かった。
おそらく、この学園で起きた事件の資料だろう。
私はそれを小脇に抱え、先生の後ろについていく。
松本先生の歩き方は、どこかぎこちない。
まるで貴婦人をエスコートしているみたいだった。
廊下の突き当たりに、重厚な木目のドアが見えてくる。
プレートには「二年A組」。
朝の光を反射して、冷たく光っていた。
「ここだ。……少し、ここで待っていてくれ」
松本先生はそう言い残して、教室の中へ入っていく。
扉が閉まると同時に、向こう側のざわめきが一瞬で静まった。
先生の声が、低く教室に響くのが聞こえる。
私はその間に、茶封筒の紐を解いた。
中の書類を取り出す。
速読を使えば、この程度の量なら一瞬だ。
大まかは、先日理事長が話した通りね。
文字の羅列を頭の中に叩き込み、最後の一枚を封筒に、戻したそのとき。
「入ってください」
松本先生の声が響いた。
私は一度、深く息を吸う。
扉に手をかけた。
私はひとつ、深く呼吸をする。
胸の奥が、少しだけ落ち着くのを感じてから、ドアに手をかけた。
ガラリ、と乾いた音を立てて扉を開ける。
その瞬間、教室中の視線が一斉に入口へ向いた。
数十人分のお嬢様たちの目が、そこに立つ私へ突き刺さる。
一拍の沈黙があってそして……。
「きゃっ……!」
教室のあちこちから、小さな悲鳴が上がった。
押し殺した声なのに、数が多いせいで妙に響く。
ざわめきが広がる。
高い天井。
窓の外には白壁の緑が揺れている。
そんな伝統ある学び舎の風景の中で、
私の容姿だけが場違いな異物みたいに浮き上がっている気がした。
数十人分の視線が、一斉に私へ向けられる。
髪、顔、制服のライン。
上から下まで、遠慮なく観察されているのがわかる。
「淑女たるもの大声を出したらダメだ」
担任の声が静かに響いた。
松本先生の声は低く抑えられていたが、それだけで教室の空気がぴたりと整う。
悲鳴はすぐに収まり、代わりに小さなざわめきだけが残った。
「自己紹介を」
先生の視線が私に向く。
私は軽く息を吐き、教室の中央へ一歩踏み出した。
床板が、コツ、と小さく鳴る。
「紫微 綾 よろしく」
一応、軽く一礼する。
それ以上は、何を言えばいいのかわからなかった。
自己紹介なんて、名前以外に何を言えばいいの?
お嬢様学校の空気に合わせて、少しだけ柔らかい声にしたつもりだった。
けれど教室の視線はまだ熱く、私の姿をじっと観察しているのがわかる。
沈黙が落ちた。
どうやら、これ以上の自己紹介は期待できないと判断したらしい。
担任が小さく咳払いをして口を挟む。
「雑賀さんの隣が空いているので、そこの席が紫微さんの席になります」
松本先生がそう言った瞬間、教室の奥から明るい声が飛んできた。
「紫微さん。ここだよ」
にこにこと笑う彼女が、軽く手を振っている。
制服の袖がふわりと揺れ、その仕草は妙に人懐っこかった。
隣の席がぽっかり空いている。
私が席へ向かって歩き出すと、舞が手を挙げた。
「先生。紫微さんなんですが、私と同じルームメイトなので、色々教えてもいいですか?」
にこにこ顔でそう言っていた。
「紫微さんが、よければお願いします」
松本先生はあっさりとうなずいた。
その瞬間だった。
「えっ……?」
「雑賀さんと同室?」
教室のあちこちから小さな声が上がる。
「ずるい……」
「私もルームメイトになりたかったのに」
押し殺した不満が、波みたいに広がっていく。
もうめちゃくちゃ茶番みたいに思えた。
ルームメイトは決まってたけど、まさか教室も同じだとは思わなかった。
私はため息をつきながら席に腰を下ろした。
「雑賀さんよろしく」
そう言うと、助手は、ぱっと笑顔を広げた。
「舞でいいよ。紫微さん」
楽しそうに笑う。
距離感がやけに近い。
「はぁ~、綾でいい」
小さくため息が漏れた。
もう帰りたい。
たったこれだけなのに、もう疲れた。
「それじゃ綾さんで、よろしくね」
これからが本番なのに。
すでに消耗戦の気配しかしない。
「紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻」をお楽しみいただけましたか?
もし「続きが気になる」「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!




