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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
5章

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31話 潜入、そして『虎の尾』のデータ

 美智子さんに教えられた扉を開けた、まさにその瞬間だった。

 視界が開けると同時に、薄暗い地下通路の奥からこちらに気づいて、血相を変えた数人の黒服の男たちが猛烈な勢いでこちらに向かって突進してきた。

 狭い廊下に男たちの荒々しい足音が響き渡り、距離は一瞬にして詰まりかけていく。


 私は、ポケットから小さな箱を素早く引っこ抜いた。

 それと同時に、もう片方の手で胸ポケットの水を取り出し、その箱の中へと一気に流し込んだ。

 水を注ぎ込んだ瞬間、箱の内部で瞬時に激しい化学反応が始まり、パチパチと不穏な音を立てて白く濃密な煙が凄まじい勢いで吹き出してきた。

 私は白煙を噴き上げるその箱を鋭く床に落とすと、足の内側の広い面で正確に押し出すように、こちらに向かって走ってくる黒服たちの足元へ向かって、狙い通りにまっすぐ弾くようにして転がした。

 ものすごい勢いで勢いよく煙を上げる箱が、計算通りに男たちの足元へと滑り込んでいくのを見届け、私は即座に一歩後退。今入ってきたばかりの扉の外へと素早く脱出し、重厚な扉を勢いよく閉めると同時に、外側から素早く扉をロックした。


 1分後。

 頑丈な扉の向こうから聞こえていた激しい物音や混乱した声が、嘘のように静まり返った。

 私は閉ざされていた扉のロックを解除し、恐る恐る隙間を作るようにして開けてみた。

 すると、そこには視界が白く遮られるほどの濃い煙の中で、喉を掻きむしりながら激しくむせ返り、涙と鼻水に顔をくしゃくしゃにして苦しそうに床をのたうち回る黒服たちの無残な姿があった。

 一分前まで凶暴に突進してきた男たちは、完全に戦意を喪失して地面に這いつくばっている。

 市販のバルサンの10倍の威力を誇る特製煙幕。効果時間はわずか1分だが、これほど手軽で頼れる相棒はいない。


 私は、腰にあるベルトのバックルの小さな蓋を開いた。

 その隙間から、肉眼では見落としてしまいそうなほどに細い、1ミリに満たない極細のロープがするすると滑らかに引き出される。

 私はその特殊なロープを使って、床に転がって苦しんでいる黒服たちの腕と足を、身動きが取れないように手際よくまとめて縛り上げた。


「聞こえてると思うけど、それ、1ミリ以下のステンレス鋼だから。むやみに力任せに解こうとすると、手や足がポロリと落ちちゃうかもしれないから気をつけてね」


 床に這いつくばる男たちへ冷淡にそう警告を残し、私は黒服たちの懐のホルスターにしまってあった拳銃をすべて手早く回収して、出入り口付近の誰も手が届かない隅っこに一箇所に固めて置いておいた。

 手の中に残った金属の重みを感じながら、一瞬、これからの護身用に一丁くらいは自分の手元に持っていた方がいいかもしれない、という考えが脳裏をよぎった。

 けれど、その瞬間に私の脳裏に、かつて鈴藍師匠から授かった大切なアドバイスが鮮明に思い出された。

『どれだけ強力な武器を持とうとも、使い慣れていないものは自分の弱点になるよ。綾が銃を持っていようと、私はこの針一本で貴女を倒せる自信があるわ』

 拳銃は確かに飛び道具として強い。

 けれど、撃ったときに手のひらや腕に伝わる強烈な反動や、それによる身体への負担を冷静に考えると、私にとっては自らの手の一部のように使い慣れた飛び針やナイフを投げた方が、どんな状況でも確実に正確だ。

 頭の中でそう強く思い直し、結局私は拳銃を自分の武器として手につけることはしなかった。

 さらに奥へと先へ進む前に、あらかじめ事前の準備として渡されていた薬を飲み込み、私は最深部への潜入を再開した。


 通路を奥へ進むにつれて、巡回している黒服たちの密度は目に見えて上がっていったが、私は物陰や壁の凹凸を利用して息を潜め、なんとか敵の目を盗んで別の空き部屋へと隠れることに成功した。

 耳の奥のインカムから聞こえる凜の的確なアドバイス通りに慎重に歩みを進め、私は天井の隙間から建物の狭い屋根裏へと這い上がるようにして潜り込む。

 それにしても、下層をせわしなく行き交う人の数が多すぎる。

 一体何人の武装した人間が、この不気味な地下の場所にたむろしているんだろう。

 埃っぽい屋根裏で凜のナビゲート通りに実直に進んでいた時、ふと私の鋭い直感がパッと働き、凜の指示とは全く別の方向へ自然と足が向いた。

『綾、そっちじゃないよ。ルートから外れてる』

「なんか、私の勘が『こっちへ行け』って、強く言っている気がするんだよね」

『はぁ……まったくもう。何があるか分からないけど、最悪の場合でも元に戻れる安全なルートをすぐに検索しておくね』

「ありがとう」


 暗い道を伝って進んだ先で、部屋へと繋がる大きな金属製の通気口を見つけ、私は足裏に力を込めて思い切り蹴り開けた。

 静かな空間にガシャーンと大きな金属音が激しく鳴り響いたけれど、幸いなことにこの部屋の内部には誰も人の気配はなかった。

 私は開いた通気口の縁に手をかけ、床の状況を確認しながら部屋へと音を立てて飛び降りた。


 あたりを素早く見回すと、そこは壁一面に無数の精密な機材がずらりと並ぶ、見慣れないコンピュータールームのようだった。

『お手柄よ、綾!』

 状況を把握したらしい凜のお褒めの言葉が、弾んだ声で急にインカムの向こうから飛び込んできた。

「なにこれ。全部まとめて叩き壊していい?」

『いいわけあるか、バカ! ここからリモートで千景に回線を代わるわね。こういうデータ関係の解析は彼女の得意分野だし』

「うん、わかった」

 私が応じると、ずっと私の後ろをふわふわと飛んでいた味方の小型のドローンが、電子音を鳴らしながら目の前でちょこまかと忙しなく動いている。

 こうして緊迫した場所だと、無機質なドローンも意外とかわいいものだな、と場違いな感想がふと頭をよぎった。


『綾、聞こえる?』

 インカムから、いつもの低くて落ち着いた千景の声が滑り込んでくる。

「千景、聞こえるよ。こっちは準備できてる」

『ドローンの先端の口の中に、小さなSDカードが入っているから、指先でそれを慎重に抜き出して。そうしたら、目の前にある3番目のPCの四角いスロットのところにカチッと接続して』

 専門的な知識のない私には、そのカードが何のためのもので、どうしてそれでデータが動くのか全くチンプンカンプンだったけれど、インカム越しに聞こえる千景の細かな指示に素直に従って、慣れない手つきで不器用に向き合いながら動き出した。

 画面の向こうで凄まじい速度の文字列が走り出すのを見つめながら、なんであんな平らなキーボードを指先でピコピコと叩くだけで色々な難しいことができるのか、私にはいまだによく分からないままだ。

 お偉いさんたちの名前が連なる黒い顧客リスト、そしてそれを巡る千景や凜との張り詰めたやり取り……! 自分の危険を顧みない綾の熱さと、それを冷徹かつ愛情を持って止める仲間たちのチームワークが本当に熱いわ。


 画面に映し出される無数の羅列を見つめながら私が呟くと、インカムの向こうから千景の低く硬い声が返ってきた。


『画面に表示されて見つかったのは、この組織の違法な商品を裏で購入したお偉いさんたちの本名が並んだリストだけど……これは、すぐにでも玲奈に直接渡した方が良いわね』

「何で? ここにすべての証拠があるのに」

『一介の探偵や情報屋が個人で持っていていいデータじゃないのよ。これで今ふんぞり返っている奴らを何人か法的に捕まえられる可能性はあるけれど、同時に完全に巨大な虎の尾を踏むことになるわ』

「それでも……! 見過ごすわけにはいかないよ!」

『バックアップのコピーは私がこっちの回線で持っているから、今は大人しく私の指示に従いなさい。今あんたがそれを持って単身で上に突っ込んでも、上の権力で簡単に揉み消されるだけよ。それどころか、不法侵入とか色々な適当な理由をつけられて、あんた自身が闇に葬られるわ』

「だけど!」

『諦めろとは一言も言ってないわ。最も効果的なチャンスを静かに待てって言ってるのよ。これはいつか奴らを根元から確実に刺す武器になり得るんだから、今は引けって言ってるの。』

「うん……わかった」


 私は、自分が危険に飛び込んで虎の尾を踏むことくらい何ともないと思った。

 けれど、私がここで暴走したせいで、私に関わった周りの大切な人たちがどうなるかを考えてしまった。

 またあの時みたいに、私の警戒心が薄かったせいで、安田さんみたいな取り返しのつかない犠牲者を出すの? そんなことは絶対に嫌だ。

 胸の奥で激しく渦巻く悔しさと恐怖に自問自答して、私は唇を噛み締めながら千景の現実的な案に乗ることにした。

『いい子ね。じゃあ、凜に回線を代わるわね』

「うん」

『……よく我慢したね、綾。私も千景の案に全面的に賛成だよ。今はそのデータにそれ以上触れるな。いいわね?』

「わかったってば! 今はこの地下の組織を内部から崩壊させることだけを考えるよ。もう!」


 私は苛立ちを切り替えるようにして、再び頭上の通気口の中へと這い上がり、先ほど勢いよく蹴り壊してしまった四角い通気口の金属のフタを、一応はめ直すようにして元の位置に閉めた。

 近くでよく見れば歪んでいて不自然だとすぐに気づくだろうけれど、敵もサイレンで急いでいれば意外とスルーしてくれるはずだ。

 私が埃っぽい通気口の奥へと身体を滑らせて進み始めた、まさにその時だった。


 さっきまで私が立っていた真下の部屋の扉が、バン!と激しい音を立てて勢いよく開け放たれた。

 なだれ込んできた敵の黒服たちが、殺気立った様子で部屋の中をキョロキョロと鋭い視線で見回している。

 かすかな衣擦れの音すら立てないように息を止めると、どうやら、まだ私が頭上の通気口の狭い隙間に潜んでいることには気づいていないみたいだった。

 私はそのまま暗がりに完全に同化し、音を一切立てないようにして、最深部へと続く先へと匍匐前進で進んだ。

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