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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
5章

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28話 突入準備

 チリン、と店の入り口のチャイムが鳴ったかと思ったら、そのままスタッフルームの扉が静かに開いた。

 私はこんな酷い泣き顔を他の誰にも見られたくなくて、咄嗟に両手で顔を隠そうとした。

 けれど、ローアングルの視界にカチッとした見覚えのあるヒール靴が飛び込んできたので、弾かれたように顔を上げた。

 そこに立っていたのは、私の予想通り、茶髪を後ろで結んだスーツ姿の女性。玲奈だった。

「玲奈……?」

「千景に『綾のお姉ちゃんだよね。この時間ぐらいに店に来てくれない? 多分このままだと営業妨害になるから引き取りに来て』って呼び出されてね」

「なによ、それ……」

 私は革ジャンの腕で乱暴に涙を拭きとって、デスクのモニター群に向かっている千景の方を睨みつけた。

 千景はキーボードを叩く手を止めないまま、心底面倒くさそうに吐き捨てる。

「ここでずっとメソメソ泣かれても私困るしね。今これでも営業中だし。それに、そんな子供みたいに泣いてる女を慰めて抱く趣味もないの。なら、お引き取り願える身内を呼んだ方が早いでしょ」

 玲奈は一回大きな溜息を吐いてから、「こちらにいらっしゃい」と言いながら私の腕を優しく取り、床から強引に立ち上がらせた。

「こちらにいらっしゃいって……引っ張ったら、意味ないじゃん。私、まだ帰らないし」

「減らず口が言えるのなら上等ね。……で、何があったのか教えてくれるの?」

「教えない。教えたら、絶対に止めて玲奈が自分で動くから」


 私が顔を背けて言い放つと、玲奈の琥珀色の瞳がフッと現役の刑事のそれへと鋭さを増した。

「それは警察案件で、今から危ないことするから教えないってことなのね。……その事件って、今朝見つかった澤美智子さんの事でしょ」

「違うけど」

 私が頑なに突っぱねると、玲奈は呆れたように千景を振り返った。

「なら、ここに家宅捜索(がさ入れ)をするわよ」

「ちょっと、私に被害を持ってこないでよ」

 千景がパソコンの前から私に向かって、本気で大迷惑そうな非難の声をぶつけてきた。

「どのみち、スマホのデータのオリジナルは玲奈に渡すけどね」

「はぁ? 何で!」

 今度は私が、千景に非難の矛先を向ける。

 なぜ警察官の玲奈に渡すわけ?

 そんな勝手な約束をするの?

 しかし、千景はフッと冷徹な笑みを浮かべ、画面を見つめたまま声を低くした。


「でも、渡すのは明日にしてもらえる?」

「理由は?」

 玲奈の問いに、千景はキーボードからパッと手を離し、椅子の背もたれに体を預けた。

「私も、今回の件に関しては……あの6月の事件よりムカついてるから。時間を頂戴」

「……なるほどね。明日、綾が単身で乗り込むわけね」

 玲奈は腕を組み、すべての状況を察したように呟く。

「そうなるでしょうね。この特大の台風が動き出すんだから」

「6時間ね」

 玲奈がボソリと呟いた不穏な単語に、私は思わず眉をひそめた。

「何? 玲奈、6時間ってどういう事」

「普通の手段で行けば、警察の突入許可が下りるまでに数日はかかるわ。だけど、私が照井さんにこのデータを直接渡せば、上のコネを使って、多分6時間ぐらいで正式な強制捜査の準備が出来ると思うの」

「だから、何が言いたいの?」


 私は玲奈の意図がよく分からず、彼女の顔をじっと見つめた。

「明日、貴女に6時間の時間をあげるって言ってるの。私が警察官として妥協できるラインはここまでよ。……それでも私の提案を拒絶して暴れるって言うのなら、今すぐに千景からそれを没収して、私が警察の事件として持って行くわ」


「わかった、それで手を打つけど……」

 私が玲奈と千景の顔を見比べながら渋々頷くと、玲奈は琥珀色の瞳を少しだけ和らげ、どこか呆れたように口元を緩めた。


「許可していいのって言いたいみたいだけど、この状況でも貴女に本気で逃げられたら、捕まえられないでしょ。準備不足で鉄火場に行かれる方が嫌よ」

「まったくね」


 千景もキーボードを叩きながら鼻で笑う。

 二人のやり取りに私が小さく息を吐いたその時、近づいてきた玲奈が、私の身体をもう一度優しく抱きしめてくれた。

 スーツ越しに伝わる彼女の確かな温もりが、張り詰めていた私の心を少しだけ解きほぐしていく。


「また、照井さんに怒られるんでしょうね」

「照井の親父さんだし仕方ないけど。今回はちゃんと約束を守って、先に情報を渡してるんだから大丈夫でしょ」

「相手のアジトに乗り込むんだから、大丈夫なわけないでしょ」

 玲奈の耳元に響く私の言い訳を、彼女は切なげな声ですぐに遮った。

「だって……」

「わかってるわよ。そこまでしないといけない相手なんでしょ。ただ、あの6月の事件みたいに、ボロボロになって入院するのだけは絶対にやめてよね」

「……一応、善処する」


 私がそう答えると、玲奈は私の手をしっかりと掴み、そのまま千景の店から連れ出した。

 夕暮れの大須の街並みの中、手を引かれて歩くその姿は、まるで悪さをした妹を姉が迎えに来たかのようだった。


「今日はうちに泊まっていきなさい。バイクで来たんでしょ」

「残念でした。ここまではタクシーで来ました」

「なら私の車に乗りなさい」

 玲奈が愛車のドアロックを解除しながら言うので、私は助手席に乗り込みつつ彼女の横顔を見上げた。

「仕事はいいの?」

「いいわよ、今日はこのまま直帰するから」

「あーあ、現役の刑事がサボり。いけないんだ」

「良いのよ、まったく。誰のせいでこうなってると思ってるの」

 玲奈はため息混じりに車を急発進させ、名古屋の夕闇の中へと滑り出していった。

 

 千景の店を出た後、私は玲奈の愛車に揺られて彼女の家へと向かった。

 相変わらずの大きな家で圧倒されるけど、それでいて温かく迎え入れてくれる優しい家でもあった。


「ほら、お腹空いてるでしょ。まずはしっかり食べなさい」

 玲奈が台所に立ち、手際よく作ってくれたのは、出汁の香りが優しく鼻腔をくすぐる和食の数々だった。

 相変わらず彼女の手料理は、どれも五臓六腑にしみわたるほど美味しい。

 張り詰めていた神経が、一口ごとに少しずつ解きほぐされていくのが分かった。


 食事を終えお風呂に向かった。

 湯船に浸かった瞬間、檜の芳醇な香りと温かな湯が、ここ数日の激務と美智子を失った絶望でガチガチになっていた私の身体をじっくりと癒やしていく。


「ひとりで入らせるわけないでしょ」


 湯気の中に、170センチのグラマラスな肢体を惜しげもなく晒した玲奈が滑り込んできた。

 白く滑らかな肌が湯に濡れて妖しく光り、私よりも大きい豊かな胸元が湯船にたゆたう。

 お風呂から上がった後も、夜の静寂の中で二人の時間は途切れなかった。

 冷房の効いた寝室のベッドの上、薄暗い常夜灯の明かりだけが私たちの肌を照らす。

 ベッドに横たわる私の隣に、玲奈がそっと滑り込んできた。彼女の琥珀色の瞳が、熱を帯びて私を見つめる。


「……今日は、とことん甘えなさい」


 玲奈はそう言うと、私の銀髪を細い指先で優しく梳いてくれた。

 そのまま私の身体をその豊かな胸元へとぎゅっと抱き寄せた。

 ふわりと漂う彼女の体臭と、吸い付くような肌の温もりが私の理性を優しく溶かしていく。


 重なる吐息。玲奈の唇が、私の耳元から首筋、そして鎖骨へとゆっくりと降りていき、熱い痕跡を残していく。

 下着の境界線をなぞる彼女の指先は、繊細で、触れられるたびに私の背中が小さく跳ねた。


「ん……っ、れな……」

「いいのよ、声を我慢しなくて。昨日の悲しいことも、全部ここに吐き出しなさい」


 彼女の指が私の内腿を滑り、秘められた熱源へと這い上がってくる。

 じっくりと、けれど確実な愛撫に、私の頭は心地よい快楽で白く染まっていった。

 私は彼女の豊かな胸に顔を埋め、指先を彼女の背中に強く食い込ませながら、ただその圧倒的な愛の波に身を委ね、心身ともに限界までリラックスしていった。

 美智子を失った胸の痛みが、玲奈の甘い熱によって、一時だけ静かに凪いでいくのを感じながら。


 翌朝。

 遮光カーテンの隙間から差し込む朝日と共に目が覚めると、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。

 玲奈が用意してくれたのは、今日からの戦いに備えた、栄養価の高い完璧な朝食だった。

 一言も交わさず、けれど互いの覚悟を確かめ合うようにして皿を空ける。

 食事を終えると、私はいつもの黒い革ジャンとタイトなレザーパンツに身を包み、玲奈の車で自分の事務所まで送ってもらった。

 助手席のドアを開ける前、玲奈は私の手を強く握り、真剣な眼差しをぶつけてきた。


「約束通り、千景からオリジナルを貰いに行くわ。そこから六時間。それまでに、ケリを付けなさい。私達も行くから」

「わかってるよ。……行ってくる」


 車のドアを閉め、私は自分の事務所へと足を進めた。

 今から六時間ちょっとの間に、すべてにケリをつける。

 警察の強制捜査が始まる前に、美智子を奪ったあの悪党どもの息の根をこの手で止める。

 事務所のデスクで、革ジャンの襟元をきつく締め直しながら覚悟を決めた、まさにその瞬間だった。

 私のポケットの中で、スマホが短いバイブ音を響かせて震えた。

 画面を確認すると、表示されていたのはよく知る名前だった。


「凜? 今からちょっと、クソ忙しいんだけど」

『何ひとりでパーティーを始めようとしてるのよ。いつも通りバックアップはしてあげるから、大人しくそこに居なさい』


 受話器の向こうから聞こえてきたのは、冷徹でありながらも確かな信頼を感じさせる、凜の凜とした声だった。

 それからわずか十分後。

 事務所の扉が静かに開き、この写真の通り、黒髪ボブにクラシカルな帽子を被った凜が姿を現した。

 彼女はいつも通り、胸元が大きく開いたグレーのジャケットをスマートに着こなし、手元にある一つの四角い精密装置を私に向けて差し出してきた。


「これ、なに?」

「昨日、超小型のドローンを千景が白壁周辺に飛ばしておいてくれてね。相手のアジトまでの最適な道順をリアルタイムで教えてあげるから、そのインカムを耳に付けておきなさい」


 凜は淡々と淡いグレーの瞳を私に向け、手際よく手のひらサイズの通信機器を私の耳へと装着させていく。

 彼女の指先から、冷たい機械の感触が耳の裏へと伝わった。

「……止めないの?」

 私が少しだけ意外に思って尋ねると、凜は不敵に口角を上げ、ハッキリとした声で言い放った。

「止めるわけないでしょ。これが終わったら、みんなで盛大なパーティーを開くんだから。グズグズしないで、さっさと片付けてきなさい」

「うん……。ありがとう」

 私は耳元のインカムを一度きつく指先で押し込み、凜に向かってにっと犬歯を覗かせて笑ってみせた。


 事務所を飛び出した私は、表に停めてあった愛車のベスパに跨がった。

 キックペダルを力強く踏み込むと、静かな朝の空気を切り裂くように、ベスパの軽快なエンジン音が爆音となって周囲に鳴り響く。

 スロットルを思いきり捻り、私は、白壁へと向けて、愛車を猛スピードで急発進させた。



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