24話 甘々デート
コンコースの雑踏の中、私は美智子に向けて右の手のひらを差し出した。
美智子は一瞬だけ自分の手元を見て、それから弾かれたように顔を上げると、嬉しそうに私の手をきゅっと握りしめてきた。
その細い指先から、彼女の小さな体温がじわりと伝わってくる。
けれど、私はそのままゲートタワーのエスカレーターには向かわず、逆方向にある「ゲートウォーク」の地下街へと続く階段へ足を向けた。
手を引かれるままについてくる美智子が、少し驚いたように私の顔を覗き込んでくる。
「綾さん、ゲートタワーはあちらですよ?」
「いいから。時間はたっぷりあるでしょ」
私が歩調を緩めずに階段を降りながら答えると、美智子は私の右手をもう一度強く握り直し、小さく弾むような声で返事をした。
「あ、はい」
私たちはそのまま、地元では「名古屋の地下迷宮」なんて呼ばれている広大な地下街へと降りていった。
四方八方に広がる通路には、休日を楽しむ買い物客の波と、様々なショップの明かりがどこまでも続いている。
私は迷うことなく、階段を降りてすぐの場所にある、見慣れた小さなお店の前で足を止めた。
「何か、飲むか食べる?」
私が尋ねた先にあるのは、昔からこの場所で営業を続けているクレープの専門店だった。
甘く香ばしい生地の匂いが、通路にまでふんわりと漂ってきている。
「クレープですか?」
「中学生の時、よく食べに来ていてさ。今はめっきりだけど、嫌じゃなければ」
私がお店のメニュー看板を指差しながら言うと、美智子は目を丸くして、色とりどりのサンプル写真を興味津々に見つめ始めた。
「私も、こういうお店で買うのは初めてです。……あ、ここ、タピオカもあるんですね」
「飲み物の種類もずいぶん多くなったんだね」
カウンターに並んで注文を済ませ、手渡された出来立てのクレープを片手に、私たちは再び地下街を歩き出した。 美智子が選んだのは、ピンク色のイチゴが鮮やかな『イチゴレアチーズケーキ』。
そして私が頼んだのは、もちもちの白い大福が丸ごと乗った『バナナ雪見だいふく』だ。
「きちんとエチケット袋はあるから、食べ歩きもできるからさ」
私が革ジャンのポケットから、畳んだ小さなゴミ袋を少し覗かせて見せると、美智子は安心したようにふふっと笑った。
「はい」
冷たいクリームを口に運ぶたび、美智子は本当に美味しそうに目を細める。
「綾さんのそれ、一口もらってもいいですか?」とおねだりされれば、断る理由なんてなかった。
私たちは、お互いのクレープを交互に突き出し、少し照れくさそうに笑いながら、一つの甘さを分け合って食べた。
口の端に白いクリームを少しだけつけた美智子が、私の革ジャンの袖をもう一度ちょこんと引っ張る。
私たちはそうして、食べ差し愛の甘い時間を噛み締めながら、本来の目的地であるゲートタワーへとゆっくり足を進めていった。
「どちらが好きなの?」
左右に広がるきらびやかな世界を見渡しながら私が尋ねると、美智子は繋いだ手に少しだけ力を込め、楽しそうに左右のショップを見比べた。
「私は両方好きですけど、綾さんは?」
「実はあまり詳しくなくてね。身近なのは多分ディズニーかも」
私がクレープを片手に少し苦笑交じりに答える。
私の数少ないディズニーの知識は、鈴藍師匠から叩き込まれたものだった。
あの人はリトルマーメイドと美女と野獣が好きで、数年前には劇団のミュージカルにまで私を無理やり連れて行ったくらいだ。
そんな師匠の顔を脳裏に浮かべながら、私は美智子を促してまずは左側のディズニーストアへと足を踏み入れた。
店内は、お洒落に着飾った若い女性やカップルで溢れ返っていた。
棚に並ぶ可愛らしい小物をなんとなく眺めていた私は、ふと目に入った値札を確認して、心の中で思いきり衝撃を受けてしまった。
……は? たったこれだけの小さなポーチで数千円もするわけ?
キャラクターのロゴがついているだけで跳ね上がっている価格設定に、思わず頭がクラクラする。
私の金銭感覚からすれば、こんなものに大金を叩くくらいなら、絶対にそのまま馴染みの店の酒代に化けているはずだった。
普段の感覚で、心の中で思わず毒づいてしまう。
けれど、そんなやさぐれた思考を巡らせながら、ふと隣にいる彼女の顔を盗み見てみた。
美智子は棚に並ぶぬいぐるみや小物を瞳をきらきらと輝かせながら見つめ、これまで学園では一度も見せたことがないような、心からの大満足の笑顔を咲かせていた。
喜びの表情が私の視界に入った瞬間、さっきまでの計算なんて、どうでもよくなってしまう。
ただ純粋に、今日彼女をここに連れてきて本当に良かったな、と胸の奥がじんわりと温かくなるのを私は確かに感じていた。
結局、ディズニーストアは軽く見ただけで何も買わず、今度はそのまま隣のジブリのショップへと入った。
店内に一歩足を踏み入れると、そこには大きな猫のバスもどきが、どっしりとした存在感を放って飾られていた。その大迫力のモニュメントに、美智子は一瞬で目を輝かせ、私の革ジャンの袖をきゅっと引っ張ってきた。
「綾さん、もしよかったら、一緒に撮りませんか?」
「だけど、撮るって言っても……」
私は首を傾げながら店内を見回す。
週末の店内はめちゃくちゃ混み合っていて、店員さんもお会計や品出しで忙しそうに走り回っていた。
おまけに、自撮り棒なんてしゃれた代物は持っていない。
どうしたものかと二人で、その大きな猫のバスもどきの前に立ち尽くしていると、近くにいたカップルの女性が、カメラを片手に笑顔でこちらに声をかけてくれた。
「あの、私たちもそこで写真を撮りたいので、お互いに撮り合いっこしませんか?」
まさに渡りに船だった。私はそのありがたい提案に二つ返事で乗り、スマホを女性に預けた。
モニュメントのすぐ隣に並び立つ。一歩近づいてきた美智子の肩が、私の革ジャンの袖に小さく触れた。
カメラのレンズを向けられ、美智子は少し緊張しながらも、今日一番の嬉しそうな笑みを浮かべていた。
私はそんな彼女の隣で、少し照れくささを隠しながら、カメラに向かってにっと口角を上げた。
「はい、チーズ。……うん、バッチリ可愛く撮れてますよ!」
カップルの女性がスマホを返してくれたので、私たちは丁寧にお礼を言って、今度は彼女たちの写真を数枚シャッターを切ってあげた。
その後、美智子が楽しそうに店内の棚のグッズを軽く見回している間、私は一人でこっそり別のコーナーへと足を向けた。
棚にちょこんと並んでいた、手のひらサイズの小さなトトロのぬいぐるみと目が合う。
私はそれを手に取ると、美智子にバレないように秒でレジを済ませ、手の中の小さなトトロを自分の革ジャンの広いポケットへと滑り込ませた。
グッズを眺めていた美智子の背後に足音を消して近づき、その肩をぽんぽんと叩く。
振り返った彼女の目の前に、私はポケットから取り出したばかりのトトロの小さいぬいぐるみを、不意打ちでそっと差し出した。
「これ?」
振り返り、目の前に差し出された小さなトトロを見つめた美智子が、驚きで丸くした瞳をパチクリとしてた。
私はそんな彼女の反応に少し口元を緩め、手の中のぬいぐるみを彼女の小さな手のひらの上へと乗せてやる。
「今日の記念にと思ってね。プレゼントだよ」
「なら私も」
美智子はトトロを両手で大切そうに包み込むと、きゅっと唇を結んで店内を振り返って歩き出した。
お返しを探そうと意気込む彼女の袖を、私は苦笑しながら軽く引いて止める。
「いいって。私、こういう可愛いぬいぐるみは部屋に飾らないからさ」
私がそう言って手を振ると、美智子は少しの間だけ何かを考えるように小首を傾げた。
それから「ちょっと待っていてください!」と弾むような声を残し、トトロのぬいぐるみを胸に抱いたまま小物の並ぶスペースへとパタパタと駆けていく。
棚の前に立ち、真剣な目付きで何かを選び取った彼女は、そのまま手際よくレジの列へと並びに向かった。
私はショップの外の通路に出て、壁に軽く背を預けながら彼女が出てくるのをのんびりと待った。
しばらくして、小さな可愛い紙袋を大事そうに両手で抱えた美智子が、顔を少し上気させてお店から小走りで戻ってくる。
「はい、綾さん。これ、私からのお返しです」
「ありがとう。……開けてもいい?」
「はい、どうぞ」
美智子がこくりと頷くのを見届けてから、手渡された袋のシールをそっと剥がして中身を覗き込む。
中から出てきたのは、落ち着いた色合いで仕立てられた、小さなトトロの刺繍入りのハンカチだった。
「ありがとう。これなら仕事でも使うから、ありがたく使わせてもらうね」
ぬいぐるみを飾る趣味はないけれど、これなら実用性も抜群で、ポケットに忍ばせておくのにちょうどいい。
私がハンカチを広げて嬉しそうに告げると、美智子は心の底から安心したように、今日一番の満面の笑みを咲かせた。
「はい!」
お互いにお揃いのトトロの記念品をポケットに仕舞い込み、私たちはどんぐり共和国を後にした。
そのまま近くのエスカレーターに乗り、まずは上のフロアにある広々とした化粧品売り場へと向かう。
フロアに一歩足を踏み入れた瞬間、様々なブランドのきらびやかな照明と、甘く華やかな香水やコスメの匂いが鼻腔をくすぐった。
「綾さん、このリップの色、すごく綺麗ですよ。綾さんの白いお肌に絶対に似合います!」
「え、そう? ……化粧ってほぼ使わないし」
美智子に促されるまま、手の甲にほんの少しだけ真っ赤なテスターのグロスを乗せてみる。
普段の稼業では一切縁のない物だった。
自分の肌の上で鮮やかに発色する未知の化粧品に、私は思わず目を丸くしてしまった。
美智子はそんな私の驚く顔を見て、楽しそうにクスクスと肩を揺らしている。
そこからさらにエスカレーターを乗り継ぎ、上のアパレルフロアへと移動した。
ガラス張りの洗練されたショップが並ぶ中、美智子はあるブティックのディスプレイの前でパッと足を止め、ハンガーにかかっていた一枚の服を嬉しそうに引き抜いた。
「綾さん、これ試着室で着てみてください!」
「待て、フリフリなんて着たことが無い」
彼女が掲げたのは、淡いパステルカラーの、レースとリボンがふんだんにあしらわれた、お嬢様全開のブラウスだった。
私のいつもの格好とは、対極にあるデザインだった。
「いいから、お揃いです! お願いします!」
美智子にキラキラとした物凄い熱量の瞳で見つめられ、私は完全に気圧されてしまった。
観念してその小綺麗な服をひったくるように受け取り、渋々、お洒落な試着室の姿見の前で袖を通してみる。
鏡の中に立っていたのは、いつもの私とは違っていた。
多分あの事件が無ければこのような服を着て、同級生と遊んだりしていたんだろうと思った。
それにしても普段とのギャップがひどい。
「……にあわないでしょ」
「わあ……っ! すごいです、めちゃくちゃ可愛いです、綾さん!」
試着室の前で待っていた美智子は、パッと顔を輝かせて両手を合わせ、キラキラした視線をまっすぐにぶつけてきた。
その嘘偽りのない大絶賛の勢いに、私は耳の裏が急激に熱くなるのを感じて、慌ててカーテンをシャッと閉めて中に隠れた。
私が試着室に戻る瞬間だった。
美智子が、私が中に入るのを止めるように、私の腕をきゅっと組んできて、そのまま近くにいた店員さんを呼んでいた。
腕に伝わる彼女の柔らかい感触と大胆な行動に、私は完全にフリーズしてしまった。
「はい、お客様どうかなさいましたか?」
笑顔の店員さんがすぐに駆け寄ってくる。
美智子は私の腕を組んだまま、少し胸を張ってハキハキとした声で告げた。
「これ、このまま着ていくので、購入します」
は?
うそでしょ。
美智子の口から飛び出した衝撃の発言に、私の思考は完全に停止した。
突っ込みを入れる間もなく、店員さんはさらに嬉しそうな満面の笑みを浮かべる。
「お買い上げありがとうございます。では、試着室の中にある元のお洋服を畳んでお持ちしますので、少々お待ちくださいね」
そう言って、店員さんは手際よく試着室の中へと入っていった。
残された私は、美智子に勧められたフリフリのお嬢様ブラウスを着たまま、隣でドヤ顔(?)をしている彼女の顔をただ呆然と見つめるしかなかった。
その時だった。人混みの向こうから、実によく聞き慣れた、そして今一番聞きたくないタイプの笑い声が耳に飛び込んできた。
嫌な予感を覚えながらそちらの方へと視線を向ける。
「げっ」
思わず声が漏れた。
そこに立っていたのは、トレードマークの金髪を高い位置でポニーテールにまとめている千景だった。
ニヤニヤとした意地の悪い笑みを顔いっぱいに浮かべながら、私の方へと歩み寄ってくる。
「何してんの?」
「いや~、先ほどあんたの事務所に行ったら今日はデートだって聞いてね。そしたらいい場面に出会えたよ」
千景はそう言って、ポケットから取り出したスマホのレンズを素早くこちらに向けてカシャカシャと私を撮り始めた。
フリフリのブラウスを着た私の姿を、完全に面白がっている。
「勝手に撮るなって」
私が顔を真っ赤にしながらスマホを奪おうとした瞬間、千景はひらりと身をかわして画面をタップした。
「ごめん、皆に送っちゃった」
「は~~~」
私が絶望の声を上げたその瞬間だった。
美智子がショップのカウンターでの会計を終わらせて、紙袋を手にこちらへと歩いてきた。
私の隣に立つ見慣れない金髪の女性を見て、不思議そうに首を傾げる。
「綾さん。こちらは?」
「ん、大須でガラクタを扱ってる店主の千景さん」
私が吐き捨てるように紹介すると、千景はあからさまに頬を膨らませて抗議の声を上げた。
「は? 何がガラクタなの? アンティークの雑貨屋だよ」
「初めまして、澤美智子と言います」
美智子が上品にお辞儀をして挨拶をすると、千景もすぐに表情を改めて、愛想のいい笑みを浮かべる。
「千景。よろしくね」
「はい、綾さんに用事ですか?」
美智子が少し心配そうに尋ねると、千景はスマホをポケットに仕舞いながら首を横に振った。
「いやいや、用事は終わったから大丈夫」
そう言って千景は美智子に自分の名刺を渡すと、ひらひらと手を振りながら人混みの向こうへと帰っていった。
完全に冷やかしに来ただけだった。
「何しに来たんだか……」
私がため息をつきながらぼやくと、美智子が名刺を丁寧に見つめてから私を見上げてくる。
「綾さんの仕事のお友達ですか?」
「店を開いた時に知り合った友達かな」
私が曖昧に濁すと、美智子は何かを考えるように少しだけ黙り込んだ。
それから、またいつもの可愛らしい笑顔に戻り、店員さんから受け取っていた紙袋を私に返してくれた。
外の景色がオレンジ色に染まり、フロアの窓から夕方が近づいているのが見える。
時間も時間だし、そろそろここでお別れしようとした。
けれど、美智子が私の袖をもう一度引き、最後にいつも綾さんが食べているお店に寄りたい、と言い出したのだ。
お嬢様学校の生徒を連れて行くような場所では絶対にないけれど、彼女の強い希望に押し切られ、私はチェーン店の牛丼屋へと彼女を案内した。
カウンター席に二人で並び、どんぶりを前にして少しだけ今日の感想などを話し合う。
慣れない手つきで牛丼を美味しそうに食べる美智子の姿は、どこか新鮮で、冷や冷やしつつも妙に心地いい時間だった。
食事を終え、私たちは名古屋駅の地下鉄の改札口の前へと移動した。
人波がそれぞれの家へと向かう中、美智子はトトロの入った袋を大切そうに抱きしめ、名残惜しそうに私を振り返る。
私はそんな彼女を静かに見送り、初めての休日デートの幕は静かに下りたのだった。
美智子と別れて事務所に帰ってくると、部屋の中にはなぜかみんなが遊びに来ていた。千景がグループチャットに爆撃したあのフリフリブラウス姿の写真のせいで、案の定、夜遅くまで散々おもちゃのようにからかわれ続ける羽目になった。
いい時間になって、さすがに「明日はみんな忙しいから」と嵐のように帰っていったけれど、精神的な疲労感が凄まじい。
私は、今から学生寮に帰るのもめんどくさいなと思い、ソファをごろりとベッド代わりにしてそのまま眠りについた。
翌朝。セットしていた目覚まし時計よりもずっと早く、静かな事務所にスマホの着信音がやかましく鳴り響いた。
重い瞼をこすりながらソファの上に上体を起こし、手探りで掴んだ画面を見る。
表示されていた発信元の名前は、玲奈だった。
「もしもし……まだ六時なんですけど」
眠気の残る声のまま通話ボタンを押して耳に当てると、受話器の向こうから、いつになく強張った玲奈の息遣いが聞こえてきた。
「驚かずに聞いて、綾」
「……何? 事件が解決したの?」
ただ事ではない気配を察し、私の頭から一気に眠気が吹き飛ぶ。
「違う。落ち着いてね」
「なんなの?」
玲奈が、こんな風にわざわざ念押しをしながら確認を取ってくるなんて滅多にない。
私の本能が、最悪な何かが起きたのだと警鐘を鳴らし始めていた。
「どうしたの?」
「……澤美智子さんを、知ってるよね」
玲奈の口から飛び出したあまりに意外な名前に、私は思わず眉をひそめた。
「知ってるも何も、昨日散々それで私をからかったじゃん」
冗談混じりに返そうとした私の言葉は、次に玲奈が告げた血の気の引くような一言によって、完全に凍りついた。
「今朝四時ごろ、路上で亡くなった姿が発見されたわ」
私は一瞬、彼女が何を言っているのか、その日本語の言葉の意味が全く理解できなかった。
脳が考えることを拒絶する。しかし、そんな私の沈黙を破るようにして、受話器の向こうから残酷な事実がもう一度、冷徹に伝えられた。
瞬間、私の指先から完全に力が抜け、握られていたスマホがフローリングの床へと甲高い音を立てて滑り落ちていった。
「紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻」をお楽しみいただけましたか?
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