14話 堕ちた仔羊の願い事と虎の尾
私は、腕の中で泣きじゃくる美智子を抱きしめたまま立ち尽くしていた。
なぜ、悪魔と言われたのに、抱きついてくる?
ここは由緒正しきクリスチャン系の学校のはずだ。信仰の対象を間違えているんじゃないか。
さすがにこの状態の彼女を突き放すほどの薄情者にはなりきれなかった。
私は溜息を吐き、泣き止むのを待つように、その細い肩をぎこちなく撫で続けた。
こういう手合いへの慰め役は、怜奈の方がよっぽど適任なのだが。
せめて誰も来ませんようにと、柄にもなく神に祈ってみたが……。
「……綾さん。こんなところで、一体何をしてるんですかぁ?」
最悪のタイミングで――っていうかお約束な感じで、事務所から戻ってきた舞が姿を現した。
「あの、いくら今の綾さんが女子高生の姿だからって、手当たり次第に手を出すのはどうかと思いますけど」
泣き濡れたお嬢様を腕に抱き込み、その頭を優しく撫でている私。
客観的に見れば、どう言い逃れしてもアウトな構図だ。
「……舞、これは違う。誤解だ」
「犯罪者はみんなそう言います。なんですか、皆さんでは飽き足らないから、とうとうその毒牙で純朴な同学生まで……」
「……そろそろやめないと、本当に締めるぞ」
低い声で威嚇すると、舞は「ちょっとしたジョークじゃないですか」と肩をすくめた。
「で、また厄介事ですか?」
「……そうなんだけど。さて、どうしたものか」
私の服をぎゅっと握りしめて離さない美智子を見下ろし、私は舞に視線で助けを求めた。
「澤様ですよね。少々よろしいですか?」
舞が、私の胸に顔を埋めていた美智子にそっと声をかけた。
グズグズと鼻を鳴らしていた彼女は、そこでようやく第三者の存在に気づいたらしい。
弾かれたように私の体から離れると、顔を真っ赤にして俯いた。
「はぁ……仕方ありませんね。ここで立ち話をしていても埒が明きませんし、私たちの部屋へ向かいましょう」
面倒なことになった。
「舞、私は……」
「綾さんが来ないと意味がないことくらい、分かってますよね?」
釘を刺すような舞の言葉に、私はぐうの音も出なかった。
こういう「迷える仔羊」の慰め役なんて、私の仕事じゃないはずなんだけどな。
仕方なく、私たちは自分たちの部屋へと向かった。
移動中、美智子は顔を赤くして何度も私の横顔を盗み見てくる。
悪いが、いくら今の姿が学生だからといって、現役の女子高生に手を出すほど餓えてはいない。
部屋に着くと、舞が手際よく全員分の飲み物を用意してくれた。
美智子を勉強机の椅子に座らせ、私は自分のベッドの端に腰を下ろして、ようやく話を切り出した。
「転入生だから知ってると思うけど、紫微綾だよ。……で、なんで私だと分かったの?」
「澤……美智子です。一瞬でしたが、瞳の奥に宿る赤い光と……お声が同じでしたので」
「声か。……あはは。あの有名な小学生や怪盗の孫じゃないからね、声を変えるなんて芸当はできないし」
後ろ髪を結んでカラコンを入れれば、どうにでも誤魔化せると思ったんだが。現実はそう甘くないらしい。
「綾さん! 一体何をしてるんですか。ただでさえ目立つ風貌なんですから、もう!」
舞の呆れ果てた小言を聞いた瞬間、私のツボに何かが嵌まった。
「……ふ、ははっ……」
「綾さん? 何を笑ってるんですか」
「……悪い。この子を助けた時、あんたと凜にこうして怒られるのを想像してたんだ。セリフが想像通りすぎて、ついね……」
私と舞のやり取りを、美智子は不思議そうに交互に見つめていた。
私はそれをあえてスルーし、事の経緯を説明した。
「そういえば、澤様は……」
舞が問いかけると、美智子は力なく肩を落とした。
「ええ……以前の私は、周りを見下しておりましたわ。望めば何でも叶う世界が当たり前だと思っていて。……今になって、それがどれほど愚かな間違いだったか、ようやく気づかされました」
「気づけたのなら、それでいいんじゃない。……あんたがこれからどう生きるかは私には関係ないし、あんたの人生だしね」
突き放すような私の言葉に、彼女はさらに深く俯いてしまった。
舞が「もう少し優しくしてあげてください」と視線で訴えてくるのを感じたが、そんなものは知ったことではない。
「あの、本当に貴女様が噂の栄の赤い瞳の悪魔なんですか?」
「……えっ、何それ。初耳なんだけど」
舞が身を乗り出す。
「私も噂でしか存じ上げませんが……栄六丁目を牛耳る、赤い目の悪魔。その人が歩けば、どんな荒くれ者も道を空ける夜の王。……気に入った若い男女を次々とマンションへ連れ込む鬼畜だとか……」
「……ぷっ、綾さん。あながち間違ってないじゃないですか」
舞が吹き出した。
「あの区域で、綾さんの顔を知っていて喧嘩を売る馬鹿はいませんし。笹原さんだって何も言わない。それに、実際あなたの部屋には、若い男も女も出入りしてますしね?」
「……舞、マジで締めるよ」
私の低い声に、舞は「ジョークですよぉ」と楽しげに笑った。
「こうやって人の噂に尾ひれがついて広がるんだって、身をもって知ったよ。あそこ、私が入居してからデリヘルの事務所とかも入ってるみたいだしね」
大家さんがうれしそうにそう言ってたの思い出したわ。
「私の事はどうでもいいや、詳しく聞いてもいいかな」
私は髪の後ろにとめてるゴムを取り、カラコンを外した。
「あんたが合いたかったのは私だよ。罰ゲームだけじゃないんだろ。なんの用なの?」
「あ、はい。天使様を見つけていただきたいのです。私には皆さまのような……この間見学をして身に沁みましたわ。皆様のような生活は……。ですからお願いします。天使様の仰せの通りなら、私、何でもいたしますわ」
「私も気になってるから詳しく教えてもらえないか?」
「……とは申しましても、わたくしも存じ上げていることは少ないのです。ただ、教えではこう伝えられておりますわ。『信心深き仔羊が苦境に落ちる時、天使が現れ道を照らす。その道を進む者には、光の国が待っている』」
「舞は知ってる?」
私の問いに、隣にいた舞は短く首を振った。
「ううん、初めて聞いたけど」
理事長の娘の舞が知らないということは正規ではないという事か?
理事長の瑠香さんから頂いた資料にもなかったし。
「美智子は誰から聞いたの、その話」
私が視線を向けると、美智子は困惑したように視線を泳がせた。
「誰からかしら……? 去年のパーティーのいずれかだとは思いますけれど……」
「あんた、前、こうも言っていたよね」
私は逃がさないように言葉を重ねる。
「『敬虔で、やむを得ない事情で学校を去る生徒の前には天使様が現れる。そして、今まで通りの生活を保障してくれる。……もちろん、相応の奉仕を続けることが条件』って」
「あ、はい。それまでのわたくしは人を見下して生活しておりましたので、決して謙虚ではありませんでしたわ。ですが、こうして心を入れ替えたいと思いますし、奉仕なら喜んで致しますわ」
奉仕、ね。
私はすぐ隣にいる舞の目を見て、静かに問いかけた。
「どう思う? 奉仕って」
「……なんで綾さんが本気でこの事件を追ってるのか、わかった気がする。うん、私も綾さんの考えに一票かな」
舞の瞳には、隠しきれない嫌悪感が滲んでいた。
舞は6月の事件、そして私は10年前の人身売買事件の当事者だ。
商品として扱われた過去があるからこそ、人一倍この件で動きたい私の気持ちを、彼女は察してくれたようだった。
「だよね。聞いてる限り、そんな『奉仕』一つで足長おじさんが現れるなんて、虫が良すぎると思わない?」
「でも、もしかしたら本当に奇特な方が……」
「舞、途中で考えるのをやめないで」
私の鋭い声に、舞が言葉を呑み込む。
蚊帳の外に置かれた美智子が、不安げに小首をかしげた。
「あのお二人は、何のお話をなさっておられますの?」
「……また事務所に来られても困るし、乗り掛かった舟だから探すけど。もし事件性がある場合は、詳しいことは教えないよ」
「事件性ですの?」
「この間の失踪事件とか、謎の退学事件とか。心当たり、あるでしょ?」
「まさか、天使様に限って……。それに、天使様がそんな恐ろしいことをするはずがありませんわ!」
必死に縋り付くような美智子の叫び。
こういう洗脳じみた思考の奴は現実を見せないと理解できないのはわかっているので、突き放すように言った。
「……そう願いたいね」
私は美智子から、当時のスケジュールが記された手帳を見せてもらった。
流石はお嬢様というべきか、そこには隙間もないほど予定が詰め込まれている。
私は断りを入れてから、そのページを次々とスマホのカメラに収めていった。
「……これ、全部パーティー?」
「ええ。当時はそれが当たり前でしたから……」
無機質なシャッター音が、静かな部屋に響く。
華やかな社交界の記録。だが、このリストのどこかに、信心深い仔羊を泥沼へ引きずり込む「天使」が潜んでいるはずだ。
一通り聞いたのち、美智子にはお帰り頂いた。
私は千景の方にこのデータを渡し
『あとはよろしく』とメッセージを入れておいた。
「さて、舞の方は? 何か掴めた?」
私の問いに、舞は少し声を潜めて答えた。
「事務所の方ですよね。もう、木崎君たちが張り切って動いてましたよ。……でも綾さん、本当にするんですか?」
「添い寝くらいだしね。減るものじゃないし別に構わないよ」
「……男はみんな狼なんですよ」
舞の心配そうな視線を、私は鼻で笑い飛ばした。
「人はみんな、何かに飢えた狼だよ」
そんなことでビクビクしていたら、女一人で私立探偵なんてやってられない。
「いいですけどね……。でも、不穏な噂を聞きました。ホームレスが一人、何かを『見て』消されたみたいですよ」
「……どういうこと?」
「現場のすぐ近くで寝ていた別の浮浪者が、息を殺して一部始終を見ていたらしいんです。犯人と思しき男が、被害者に詰め寄って……『9月○日、お前はここで何か見てなかったか?』って」
「……それで?」
「男は、話の対価として分厚い札束を差し出したそうです。被害者がそれに釣られて、震える手を伸ばした……その瞬間です。男は剥き出しのナイフをその手に押し込み、手首を掴んで、一気に喉元へ突き立てさせたんです。まるで、自ら命を絶ったかのように」
「……っ」
「金を受け取ろうとした手が、そのまま自分を殺す凶器に変わった。目撃した浮浪者は、ガタガタ震える体を必死に抑えて、寝たふりをしてやり過ごしたそうです。目の前で仲間が始末されるのを、薄目を開けて見ていることしかできなかった……」
「……地獄だね。金で釣って油断させ、自殺に偽装して口を封じるなんて。その浮浪者が今も生きているのは、ただの幸運か」
私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
犯人は今も、あの日「見てはいけないもの」を目撃した人間を、こうして一人ずつ「処理」して回っている。
事態は一気に、この天使様の事件と結びついてきたと思う。
そうはいっても失踪事件とは全くつながらないのがむかつくんだけど。
私はすぐさまスマホを取り出し、木崎に電話を入れた。
「綾だけど。木崎君かい」
「あ、綾さん! どうしたんです、今のネタ、良い情報だったでしょ」
「うん、助かったよ。約束通り一人ずつ添い寝してあげるから、この件からは全員今すぐ手を引いて。……少し、ヤバい気がする」
「……ヤバそう、って?」
「命の危険。……いいから、今すぐ笹原さんの所へ行って。こちらから笹原さんには連絡を入れておくから。約束は必ず守る。だから、今は話を聞いて」
「……分かりました。気を付けてくださいよ、綾さんも」
電話を切った私の手には、嫌な汗が滲んでいた。
私はすぐさまスマホを掴み、笹原さんへと発信した。
「笹原さんですか。綾です……」
『なんだ! その言いにくそうな間は。また面倒事か?』
受話器越しでも伝わる、重く低い圧力。私は一気に事件のあらましを吐き出した。
『……チッ。何のためにお前には千景が居ると思ってるんだ!』
怒声が耳を刺す。
「分かってはいますって。でも、事件に関係あるかどうかの微妙なラインだったので……。それまではタダの自殺かもしれないですし、事件なのかもわかりませんでしたから……。さわりだけでも調べようと思ったんです。多分ですけど、これ以上あの子たちをこの件に踏み込ませると危険な気がして……」
『うちはお前のバックアップ専用組織じゃないんだぞ!』
突き放すような言葉に、私は思わず声を落とした。
「……分かってはいますが。やはり、駄目ですか?」
長い沈黙のあと、笹原は重苦しい溜息を吐いた。
『……まったく。あの女学生の失踪事件だろ。うちの組にも察が来たぞ』
「……やっぱり。関わりを持っていないか、探りを入れに?」
『来たのが怜奈と、見慣れない若い顔だったがな。一応の確認だろう。……まあいい。うちもシマを荒らされて被害を被ってる。面倒は見てやるよ』
「ありがとうございます。今度、ちゃんとお礼を持っていきますので」
『金はいいぞ。お前に無心したところで、たかが知れてる』
「なら……私の体で払いますか?」
『ほう。お前がその気なら、今すぐ迎えを出すが?』
「……あ、今の。ちょっとしたジョークです……」
『……お前なら、うちの店で間違いなくNO.1になれるんだがな。その透き通るような白い肌に、格闘技で鍛え抜かれた無駄のない肢体……。それでいて女らしい弾力もしっかり残してる。極めつけはその、人を狂わせるような「赤眼」だ。今度本気で、そっちの店を紹介してやるしかも用心棒にもなる。』
「……すみませんでした。調子に乗って。……笹原さんから見て、その『天使』、どう思いますか?」
笹原さんの気配が、一瞬で裏組織のNO.2の冷徹な声色になった。
『……聞く範囲だと表向きは慈善事業だがな、世の中そんなに甘くはねえ。お前の予測は、ほぼ当たりだ。実際、若い女が年寄りに身柄を売り飛ばして、お姫様みたいな生活をしてる連中がいる。婚姻届まで受理されてりゃ、察も文句は言えんし、これはお互い納得してだから事件性はない』
「でもそれって……合法的な人身売買ですね。それの延長線上でビジネスにしてるやつらがいるとしたら……」
失踪事件の情報が無いのに何でこんな面倒な事件に首を突っ込んだのか本当に嫌になってくる。
『命を奪うことを厭わん奴らだ。慎重にな』
「はい。分かってます。ありがとう、笹原さん」
私は通話を切り、熱を持ったスマホを机に置いた。
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