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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
4章

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16/21

13話 陰険ないじめ

 また、最悪な檻の時間が始まる。

 私は背筋をピンと伸ばし、廊下ですれ違うお嬢様たちと、形ばかりの「ごきげんよう」を交わす。


 それが高貴な血筋にふさわしい振る舞いであり、周囲に求められている「役割」なんだとしたら、私にとってはただの迷惑でしかない。


 楽しそうに笑ってはいるけれど、どこか空虚で人間味を感じさせない小動物たちの群れ。

 隣に座る舞は違うけど、この全寮制の監獄に潜入して一週間、私の感想は、食事が薄味すぎると夜の逢瀬ぐらいしか新しい事は見つからなかった。


 これがお嬢様として生きる、いわゆる上級国民の日常だというなら、私は喜んで自分の居場所がある、いつもの荒っぽい世界を選ぶよ。


「……はぁ」


 重いため息をつく。茶色のカラコンで本来の「赤眼」を殺しているけれど、月光をそのまま糸にしたような銀髪の輝きだけはどうしようもなかった。


 最近は私のぶっきらぼうな対応にも慣れてきたのか、舞以外の級友とも言葉を交わす機会が増えていた。だけど、それが「これ」を招くことになるとは。


 体育の授業。更衣室で体操着に着替え終わった、まさにその瞬間だった。


「あら、紫微さん。そのお背中……まるでお透き通るようで、見惚れてしまいますわ」


 背後から、耳元をなでるような甘ったるい声。

 それと同時に、ひんやりとした、けれど不思議と熱を帯びた指先が、私の剥き出しの肩から背中のラインにかけてヌルリと滑り落ちた。


「……っ!?」


 反射的に拳を叩き込みそうになるのを、必死で抑える。


 だけど、その一瞬の硬直を、彼女たちは「拒絶ではない」と受け取ったのか。それを合図にするかのように、数人のクラスメートたちが、磁石に吸い寄せられるみたいに集まってきた。


「やめ……て」


 拒絶の言葉は、衣擦きぬずれの音とかき消される。

 名門校の令嬢たちらしい、迷いのない、けれどしつこい手つき。

 背中に回された指先が下着のホックをいじり、別の手が、太ももの柔らかなラインをなぞり上げてくる。

 これが噂に聞く、女子校特有の「親愛の情(スキンシップ)」ってやつなのか。


 無頼漢(ぶらいかん)どもなら骨ごと砕いてやれるのに。毒気を抜かれた私は、真っ白になっていく思考の中で、乱れる呼吸を必死でこらえることしかできなかった。


 ヤバい、このままだと変な快感に負けてしまいそうになる……。

 その時だった。


パン、パンッ。


 乾いた音が更衣室に響く。


「ほらほら、そこまでになさって。紫微さんが驚いて倒れてしまいそうですわ」


 急に肩を掴まれ、耳元で聞き慣れた声が聞こえた。

 だが、その声はいつもの冷静さを欠き、どこか楽しんでいるような響きを帯びていた。


「綾さん。どうしたの? ……ずいぶんと、雌の顔になってますよ?」


「……なって、ない。……っ、離して」


 私は舞の肩にすがりつくようにして、なんとか自分の足で立とうとする。

 けれど、意志に反して膝は生まれたての小鹿みたいにガクガクと笑って、床に崩れ落ちそうになるのを必死で耐えるしかなかった。


「あら。ごめんなさい、あまりに紫微さんのお背中が美しかったものですから……つい、手が止まらなくなってしまいましたわ」


 周囲を取り囲む令嬢たちが、「おほほ」と淑女らしい、けれどどこか粘りつくような笑みを浮かべて謝ってくる。

 私は内側に屈辱を押し殺し、顔を引きつらせながら、精一杯の「お嬢様スマイル」を作って答えてみせた。

 内心では、今すぐ全員まとめて床に叩き伏せてやりたい気分だったけれど。


 ようやく授業のチャイムが冷たく鳴り響き、嵐のような時間が過ぎ去る。更衣室から人がいなくなり、やっと舞と二人きりになることができた。


「……もう、大丈夫ですか? それとも、今のスキンシップだけで『イッ』てしまいましたか?」


「はぁ!? イクわけないでしょ、バカなこと言わないでよ、全く……っ」


「なら、しっかり立ってくださいよ。さっきからずっと、腰が引けてますよ?」


 来た時はあんなに可愛らしい子だったのに、この数か月で口の悪い助手になったものだ。

 助けてくれたことには感謝しているけれど、あと一分、いや三十秒早く助け舟を出してほしかった。


 その後の体育の授業は、泥をこねるような、ひどいダルさの中でやり過ごす。

 出来るのに、出来ないを演じるのが、これほどまでに神経を削る作業だとは、ここに来るまで知らなかった。


 授業が終わり、私は独り校内を歩いていた。

 舞には事務所に言って話と掃除を頼んでおいた。


「……結局、ターゲットの情報も入らず、か」


 先日助けた少女の行方もみつからないし、結局天使の情報も入ってない。

 秘密を知りたいのなら、普段使われていない旧校舎か、校舎裏と相場が決まっている。

 半分は諦めながらも、全寮制という閉鎖空間の死角……校舎裏へと足を向けた。

 すると、建物の陰から、静かだが鋭い、ナイフの先端でなぞるような言い争いの声が聞こえてきた。


「散々、いいように使わせてくれて。……本当に、ありがとうね。美智子(みちこ)様」


 そこには、一人の少女の肩を、まるで見せしめのように無造作に叩く、派手な女生徒がいた。

 あの子だ。土曜日にさかえの路地裏で救い出した子だ。


「もうお宅の会社、終わりなんですってね。数億円の借金を抱えて、資産もすべて紙屑(かみくず)みたいに溶かしてお聞きしましたわお聞きしましたわ。あら、どうして黙っていらっしゃるの?」


 周囲から漏れる、クスクスという上品な、それでいて吐き気を催すほど下品で、(いや)しい笑い声。

 美しく整えられた校庭の裏側で、聴くにたえない罵詈雑言(ばりぞうごん)が、毒液のようにドロドロと響き渡る。


「……あら、うわさじゃお母様も、その『穴埋め』のために……夜の街で体を切り売りしてらっしゃるそうじゃない?」


 首謀者の女生徒が、勝ち誇ったように嘲笑あざわらう。

 美智子は、その言葉の暴力に耐えかねたように、唇を血が(にじ)むほど強く、強く噛み締めていた。



……そういえば、男の喧嘩よりも女のいじめの方が、よほど陰湿(いんしつ)で救いがないと耳にしたことがあったっけ。


 もし、自分たちが同じ地獄に突き落とされたら、彼女たちはどう振る舞うつもりなんだろう。

 いや、自分たちだけは絶対に大丈夫と盲信しているからこそ、これほど残酷な台詞を平然と吐けるのか。


 明日は我が身という言葉すら、彼女たちの辞書には載っていないらしい。


 栄の路地裏で、生きてきた私からすれば、彼女たちの残酷さは、無知ゆえの傲慢(ごうまん)滑稽(こっけい)な喜劇にしか見えなかった。


「わたくしたちでは到底味わえない、泥水ですすぐお酒のお味は、いかがかしらね?」


 そう言いながら、女生徒は水筒のコップの中に砂を入れ、蛇口の水を注いでかき混ぜた。

 どろりと濁った、汚物のような液体。彼女はそれを、頭を下げてる美智子の頭上高くへと、残酷な儀式のように掲げた。

 

 流石に、やりすぎだ。

 私の指先が、吸い寄せられるように地面へと伸びる。

 ザリッ、とした感触とともに、エッジの尖った小石を拾い上げた。


 次の瞬間、右腕が無駄のない軌道で空を薙ぐ。

 指先がバネのように弾け、小石を放った。

 シュッ、と鋭く空気を裂く音が耳元をかすめる。

 放たれた(いしつぶて)は、一直線に――目にも止まらぬ速さで駆け抜けた。

 

 狙い(たが)たず、泥水がなみなみと入ったコップを射抜く。

 ガシャリッ!

 耳障りな破砕音が響き渡り、掲げられていたコップがお嬢様の手からはじけ飛んだ。

 行き場を失った泥水が、放り出された魚のように空中で無様に飛散し、彼女たちの高価な制服を汚した。


「……っ!? な、何事ですの!? 一体、誰が……っ!」


 耳を刺すような悲鳴が、静かな校庭の裏側に響き渡る。

 私は壁の陰から、音のしない足取りでゆっくりと一歩を踏み出した。


「いやはや……お嬢様方のいじめとは、上品を通り越して下品でおぞましいね。私みたいな下賤(げせん)な者でも、そこまでの外道な真似はしねえよ」


 カラコン越しに、視線をキッと突き刺すと、さっきまで勝ち誇っていた少女たちは、蛇に(にら)まれた蛙のようにその場に硬直していた。


 やがて本能的な恐怖に支配された彼女たちは、我に返ったようにおどおどし始めると、蜘蛛の子を散らすように四方八方へ逃げ惑っていった。


 再び静寂が降りた校舎裏で、私は自分の甘さを即座に後悔した。

 これ、絶対に後で関係者から鼻で笑われて、めちゃくちゃに怒られるパターンだ。


 普通なら証拠写真を撮って理事長に見せればいいだけなのにやっちゃった。


『ねえ、綾。今あなた、潜入調査(せんにゅうちょうさ)で高校生になって入ってるのに、なんでそんな派手なことするの?』


 金山の事務所で、優雅にお酒でも飲んでる凛の姿が、鮮明に脳裏をよぎる。

 あいつは絶対に、私のミスを(さかな)に酒を飲みながら、からかうように違いない。

 私は凛の部下じゃないっていうのに、なぜこうも、遊ばれないといけないの。


『綾さん。この間助けた子なんですよね。そこで顔を出したらバレるじゃありませんか。一体、何をやってるんですか』


 舞の、あきれ果てたような溜息も聞こえてきそうだ。

 最初はきっと怒鳴り散らして、私の不手際を並べ立て、そのあとで、全員、こう付け加えるのだ。


『……でも、人としては、正解だと思う』


 なんて、甘っちょろいフォローを入れるに決まっている。


「……はぁ。やっちまったもんは、仕方ないよね」


 私は乱暴に銀髪をかき回すと、地面にへたり込んだまま、絶望の淵で震えている少女、美智子のそばへ、静かに歩み寄った。

 肩を震わせている彼女に、私は不器用な手を差し伸べる。


「大丈夫? ……立てる?」


 土曜日は、いつもの姿だった。

 今は、茶色のカラコンを入れた、どこにでもいそうな転校生だ。

 見破られるはずがない。


 美智子はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、先ほどまでの恐怖と、自分を助けた存在への戸惑いが混ざり合っている。

 彼女の視線が、私の指先から腕、そして顔へと這い上がる。

 そして、私の目で止まった。


「あ……」


 美智子の唇が小さく震える。

 今は茶色の目をしてる……他人の空似で間違えないかな?


「あなた、まさか……あの時の……」


「……何のことかしら。私はただの転校生。いじめの現場を見かけたから、注意をしただけだよ」


 私はあえて冷たく突き放すような声を出し、彼女の細い手を強引に引いて立たせた。

 だが、美智子の手のひらは氷のように冷たく、引き上げられた勢いのまま、すがるように私の指を強く握りしめてくる。


「……悪魔、さま……っ!」


 限界だったのだろう。バランスを崩した彼女は、縋りついた私の腕を抱え込むようにして、そのまま私の豊満な胸に飛び込み、子供のように泣きじゃくり始めた。




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