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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
3章 点が線にならないもどかしさ

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13/21

10話 甘い夜の温度

 バイクを降り、ヘルメットを脱いで銀髪を軽く払う。

 夜風が髪を乱し、冷たい空気が、頬を撫でる。


 走行中の熱が一気に奪われ、ひんやりと引き締まる感覚が広がる。

 髪が風に煽られて顔にかかり、指先で払うと、冷えた空気が頭皮に染み込んできた。


 私はまず、向かって右側の「洋菓子販売 ポムポム」と書かれた看板のドアを引いた。

 青い背景に白い文字が浮かび、くまのキャラクターが無表情で佇んでいる。


 琥珀色の光に満ちた店内は、暖かい照明がショーケースを柔らかく照らしている。

 照明がケーキのクリームに優しく反射し、ガラスに映る自分の姿がぼんやりと重なる。

 銀髪が夜風で乱れ、革のジャケットの襟が首元で少し開いている。


 目の前のショーケースには、流行り廃りなんてどこ吹く風、といった風情の端正なケーキたちが並んでいる。

 どれも驚くほど安く、飾り気のない美しさがある。

 苺の赤が鮮やかで、クリームの白が柔らかく光る。

 私は迷わず、真っ白な生クリームに宝石のような苺が乗ったイチゴショートを指差した。


「これ、喫茶の方で食べたいんだけど。あとはブラックもお願いします」


「かしこまりました。お席までお持ちしますね」


 店員さんの慣れた手つきを見届けてから、私は一度外へ出ることなく、店内を繋ぐ通路を通って喫茶エリアへと足を踏み入れた。

 使い込まれた木の床を、一歩ずつ踏みしめて進む。

 足音が柔らかく吸い込まれ、床の微かな軋みが懐かしい感じがする。


 そこは、多分昭和の空気がそのまま閉じ込められたような別世界だった。

 低い天井に、シャンデリアの落ち着いた光。

 柔らかい光が部屋全体を包み、どこか懐かしい温かさを与える。


 そして何より、使い込まれて深い光沢を放つ赤色の革張りソファが並んでいる。

 革の表面は年季が入り、所々に細かな傷や光沢があって、座るたびに体が沈み込む。

 空気には、古い木とコーヒーの香りが混じり、独特の落ち着きがあった。


「……いた」


 その鮮やかな赤色に負けない存在感を放つ女性、玲奈がこちらを向いて小さく手を挙げた。

 タイトなスーツに包まれたグラマラスな体を、深いソファに預けている。

 彼女の瞳が私を捉え、ふっと和らいだ。

 唇の端が優しく上がり、私を労らうような微笑みが浮かぶ。


「遅かったじゃない、綾。風に当たって冷えてるでしょ?」


 開口一番、それだ。

 心配しているふりをして、その実、私の到着を待っていた時間を愉しんでいるような、独特の湿度を持った声。

 彼女の前には、最初からそこにあるのが当たり前だと言わんばかりに、湯気を立てる二客のコーヒーカップが置いてあった。

 私も頼んじゃったけどどうしようかな。


 私は革ジャケットの襟を立てたまま、彼女の対面――使い込まれた深い赤色のソファへと腰を下ろした。

 座面に身を預けると、厚みのあるクッションが私の体重を優しく受け止め、吸い込まれるように深く沈み込んだ。

 革の表面が体温に馴染み、微かなきしみ音がする。

 背中がゆっくりと沈み、肩の力が抜けていくのを感じる。


 9月の残暑で少し汗ばんだ肌に、店内の冷房が優しく当たる。

 私はようやくジャケットの襟を緩め、琥珀色の瞳で私をじっと見つめている玲奈と視線を合わせた。


 玲奈の瞳が、柔らかく光を反射して、疲れた私を優しく包む。

 彼女の微笑みが、部屋の温かさをさらに増幅させる。

 私は小さく息を吐いて、肩の力を抜いた。


 銀のトレイを捧持した店員が、音もなく歩み寄ってきた。

 静かな足音が床に吸い込まれるように消え、トレイの上では運ばれてきたカップが、歩みのリズムに合わせてわずかに揺れる。

 店員の清潔な白いエプロンが、琥珀色の光を柔らかく反射し、トレイの銀色もまた、鈍く落ち着いた輝きを放っていた。


「失礼いたします。イチゴショートとコーヒーでございます」


 真っ白な磁器の上で、イチゴショートがその端正な三角形を保ったまま、私の目の前に滑り込んできた。

 照明を吸い込んだ生クリームは、指で触れればそのまま消えてしまいそうなほど柔らかく波打ち、その頂点で、瑞々しい苺の赤が鮮烈に主張している。


 隣に置かれたカップからは、漆黒の液体が熱い湯気を細く立ち昇らせ、陶器の内側に艶やかな輪を描いていた。

 立ち上がる甘い香りが、コーヒーの鋭い苦みと空中で混じり合い、私の鼻腔をゆっくりと支配していく。


 玲奈が、ふっと口角を上げた。


「あら、自分だけデザート? 良いわね、若い子は食欲があって」


 玲奈の琥珀色の瞳が、いたずらっぽく光った。

 唇の端をちょっとだけ上げて、疲れきった私をからかうみたいに笑う。


 彼女が座り直すたびに、ソファの革がぎりっと小さく鳴った。

 ただ向かい合っているだけなのに、革のシートを通じて、彼女の体温がこっちまで伝わってくるような気がして落ち着かない。


 私は動揺を隠すように、銀色のフォークを手に取った。

 指先に触れる金属の冷たさが、なんだか今の私にはちょうどいい。

 真っ白なクリームの上で、無防備に乗っかっている真っ赤な苺。

 その先端に、フォークの先をゆっくりと、でも迷わずに突き刺した。

 ぷしゅっと柔らかい手応えがあって、瑞々しい赤い果汁が溢れ出す。

 一滴の赤いしずくが、真っ白な表面を滑り落ちていくのを、私は黙って見つめていた。


「この店に来てケーキを頼まない方がおかしいでしょ」


 苺の酸味と、暴力的なまでに純粋な生クリームの甘さが舌の上で溶け合う。

 クリームの滑らかな感触と苺の果汁が混じり、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。

 私はそれをブラックの珈琲で胃の奥へと流し込み、一息ついた。

 苦味が甘さを切って、喉の奥に残る熱が体を巡る。

 コーヒーの温かさが、指先までじんわりと広がる。


「……で、わざわざこんな甘い場所とこに呼び出した理由は? 家じゃダメだったの?」


 玲奈はカップの縁を指先でなぞり、琥珀色の瞳を少しだけ細めた。


「家に行くつもりだったわよ。でも、たまにはデートっぽいこともしたかったんだけど……」


 店内に流れる穏やかなクラシックの裏側で、彼女の纏う空気が、一瞬で「刑事」のものへと変質する。

 微笑みが消え、瞳に鋭い光が宿る。

 空気が、わずかに張り詰める。

 革のソファが微かにきしみ、コーヒーの湯気がゆっくりと立ち上る。


「……何かあった?」


 彼女の瞳が、私の顔をじっと覗き込む。

 私は少しだけ視線を泳がせて、手に持っていたフォークを皿の端に置く。


「例の事件、どうなったの?」


「ここでは言えないことも多いけど、進展はさっぱりよ。そっちは?」


「窮屈な学校生活を楽しんでるよ。……学校(なか)では収穫なし」


 私が投げやりに答えると、玲奈は、琥珀色の瞳を少しだけ細めて笑った。


「まともに高校行ってなかったんだから、いい勉強になるんじゃない? ……で、『学校では』ってことは、外では何かあったのね」


 さすがに鋭い。

 私は甘すぎないクリームをフォークで掬いながら、胸ポケットから一冊のメモ帳を取り出した。


「点と線が、まだ繋がらないんだよね」


 失踪事件の記録の隣に書き殴られた、最近の学校の自殺事案のメモを彼女に向ける。


「最近さ、これとは別にホームレスが『11(トイチ)』したって話、耳に入ってない?」


 11――警察内部や現場で使われる、自殺を指す隠語だ。

 自損やマル自とも呼ばれてる。

 警察などは隠語が多すぎてこういうのは面倒だと思う。


「さすがにそっちまでは追いきれないわ。……冷たい言い方になっちゃうけど、事件性がなければ私の方には降りてこない。それで?」


 事件性がなければ警察は動けない。その「後手後手」に回る組織の論理が、私は昔から嫌いだった。


「この数日でこれだけのことが起きてる。偶然じゃない気がするんだよね。これを知ったのも数時間前。……わかってたら、ここじゃなくて玲奈の家に直行してたんだけど」


 最後のケーキの一口を口に放り込み、玲奈を見る。

 彼女は難しい顔をしてメモを見つめていたけれど、私の視線に気づくと、ふっと慈しむような優しい笑顔を返してくれた。

 その笑顔が、この店の暖かい空気をさらに増幅させている気がする。


「一応、耳に入れただけ。……えっと」


 急に顔が熱くなって、私は彼女を直視できなくなった。

 頬がじわりと火照り、慌てて視線を逸らす。

 事件の話をしていたはずなのに、その笑顔一つで、一気に個人的な空気に引き込まれてしまった。


「…………」


 何か言い返そうとしたけれど、喉の奥に言葉が引っかかる。そんな私の動揺を見透かしたように、玲奈が穏やかに先を促した。


「なら、今夜はそのまま泊まっていきなさい。美味しいご飯、作ってあげるから」



「……ありがとう」


 玲奈の手料理は、私の好物の一つですごくおいしい。

 一人で事務所にいるときには味わえない、私にとっては「家庭の味」ってやつなんだと思う。


 駐車場に出ると、私はベスパのシートにヘルメットを無造作に引っ掛けた。

 エンジンはかけない。ただ、ハンドルを握って車体を支える。


「……あれ、出さないの?」


 隣で玲奈が不思議そうに小首をかしげた。

 夜風はまだ湿り気を帯びていて、街灯の光を弾く彼女の髪が、琥珀色に透き通る。

 タイトなスーツの裾が歩みに合わせて揺れるたび、夜の熱気に混じって、彼女の清潔な香りがふわりと鼻をくすぐった。


「いや、その。すぐそこだし。タンデムできないから、これでいいよ」


 本当は、もう少しだけこうして隣を歩いていたいだけなんだけど。

 そんな子供じみた本音を悟られないよう、私はハンドルを握り、自分の体温より少し冷たい車体を押し始めた。

 アスファルトを擦るタイヤの音に、玲奈のヒールの音がリズムを合わせるように重なる。


「ふふ、相変わらず律儀ね。じゃあ、一緒に帰りましょうか」


 並んで歩き出すと、嫌でも昔を思い出す。

 葛城の家にお世話になり始めた頃、忙しい合間を縫って玲奈がよく迎えに来てくれたっけ。

 あの頃の彼女の背中は、夜道を照らす街灯みたいに、遠くて、温かかった。


 高岳の交差点を背にして路地へ踏み込めば、そこはもう静寂の領域だ。

 砂利を噛むタイヤの音と、私たちの規則正しい靴音だけが、高い黒塀に反響して響く。


「……ねえ、さっきのショートケーキ、美味しかった?」


「……別に普通。あの店に来て頼まないのはおかしいって言ったでしょ」


「あら、口の端にまだクリームついてるわよ?」


「えっ、嘘、どこ」


 慌てて口元を拭う私を見て、玲奈が「うふふ」と楽しそうに肩を揺らした。

 ……また担がれた。そうやってすぐ遊ぶんだ、この人は。


 バツが悪くなって視線を落とす私の肩を、玲奈の柔らかい手がそっと抱き寄せた。

 自分より背の高い彼女に引き寄せられると、急に子供に戻ったような、くすぐったい気分になる。

 やがて、夜の闇に沈む低い瓦屋根が見えてきた。


 やがて、夜の闇の中に低い瓦屋根が見えてきた。

 まわりの新しい家と比べると、なんだかここだけ凛とした空気が漂っている。

 そんな、平屋に近い二階建ての和風な家。


 大きな屋敷みたいな威圧感はないけれど、石積みの土台もしっかりしているし、木の門も格子のデザインが凝っていて、どこか落ち着く佇まいだ。


「着いちゃったわね。さぁ、中に入りましょう」


 玲奈の声が、優しく響く。

 門の隙間からは、家の奥のあたたかい灯りが漏れていて、私たちの足元をふわっと迎え入れてくれた。


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