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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
3章 点が線にならないもどかしさ

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9話 天使様?

 まさか、意識を取り戻した瞬間に鼓膜が震えるほどの悲鳴を上げられるとは思わなかった。

 反射的に彼女の肩を抑え、落ち着かせるために銀髪に指を通す。

 細い肩がビクッと震え、彼女の体温が指先に伝わってくる。

 距離が近すぎたのはこちらの落ち度かもしれないが、少女の絶叫を浴びせられるのは、さすがに堪える。

 耳の奥がキーンと鳴り、頭の芯に鈍い痛みが走る。


「……落ち着いて。耳に響くわ」


 努めて低く、静かな声で告げると、彼女の肩がビクッと跳ねた。

 指先に伝わる震えが、彼女の恐怖をそのまま映している。

 恐る恐る、潤んだ瞳がこちらを探る。

 視線が合った瞬間、彼女は弾かれたように顔を伏せた。


「え……女、性……?」


「これで男性に見えたら、私の女としてのアイデンティティが迷子だわ」


 皮肉混じりに返すと、彼女は一瞬呆然と固まり、それからせき止めていたダムが決壊したように顔を歪めた。

 唇が震え、喉から小さな嗚咽が漏れる。


「で……でも……私、知らない男の人に……っ。暗闇に連れて行かれて……ぐすっ……」


 ポロポロと、真珠のような涙が零れ落ちる。

 張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。

 呼吸が乱れ、過呼吸気味に肩が上下する。

 私は彼女の背中を軽く叩きながら、呼吸のリズムが戻るのを待った。


 ……まだ、ショック状態から抜けてないか

 彼女の震えが、私の膝に伝わってくる。

 路地の冷たい風が、二人を包みこんでくる。


 私は手を離さず、あえて何も言わずに彼女の頭を撫で続けた。

 変に言葉を重ねるより、この方が「他人の体温」が伝わって落ち着くことを、経験上知っているから。


 指先が彼女の髪を優しく撫でるたび、するりとした感触が手のひらに残る。

 彼女の頭が、私の膝に預けられたまま、少しずつ重みを乗せてくる。

 路地の冷たい風が首筋を撫で、背中を伝う汗がじわりと冷える。


 最初は短く乱れていた息が、ゆっくりと深く、長く、静かに整っていく。

 肩の上下が穏やかになり、胸の震えが収まっていくのが手に伝わる。

 指に絡む髪が、月光に淡く光る。


 ふと、自分が見知らぬ女性の膝にいることに気づいたのか、彼女の動きが止まった。

 体が硬直し、呼吸が一瞬止まる。

 それから、見る間に顔が林檎のように赤く染まっていく。

 頬から耳まで真っ赤になり、瞳が泳ぎ、唇が小さく震える。


 ……忙しいお嬢様だ。


「立てそう?」


「あ、はい……っ」


 小さく頷くのを確認し、無理に手を引くことはせず、彼女が自力でバランスを取るのを見届ける。

 彼女の指が、私の膝に軽く触れたまま、ゆっくりと体を起こす。

 膝がまだ震え、足元がふらつくのが見える。

 私は彼女の腕をそっと支え、立ち上がるのを待つ。


 彼女が震える足で立ち上がったのを見て、私もようやく腰を上げた。

 膝の裏に残る彼女の温もりが、冷たい路地の空気にすぐに奪われる。

 コンクリートの冷たさが、ジーンズ越しに腰に響く。

 こういう地味なダメージは、意外とくるのよね。

 

「さて――。あんた、なんでこんな場所に入ったの?」


 軽く息を吐き、視線を鋭くして問いかける。

 

「その制服なら、ここがどういう場所かくらい、教育されてるでしょ」


 名古屋の繁華街・栄。その裏路地にある『6丁目』。

 ここが一般人、特にお嬢様が踏み込んでいい場所ではないことは、この街の暗黙の了解だ。

 ネオンの残光が路地の壁に赤く滲み、遠くから聞こえる車のクラクションが、遠い世界のように響く。


 問い詰めると、彼女は言葉を詰まらせ、泳ぐ視線を彷徨わせた。


「えっと……それは……」


「怒らないから言いなさい」


 先制して逃げ道を塞ぐと、彼女は観念したように肩の力を抜いた。

 それでもなお、消え入りそうな声で白状する。


「……罰ゲーム、なんです」


「罰ゲーム?」


「じゃんけんで負けたら、この道から入って……栄6丁目66番地にいる、『赤目の悪魔』に会ってくるっていう……」


 一瞬、言葉の意味が脳内で処理しきれず停止した。

 ……なるほど。そういうことか。

 ん、赤目の悪魔ってなにそれ?


「『赤目の悪魔』?」


「はい……。この地域を根城にしている、すごく怖い人で。お姉さんみたいな真紅の瞳をしていて……。でもカラコンじゃなくて、生まれつきの怪物だって噂で」


 思わず、乾いた笑いが漏れそうになる。

 噂というやつは、尾ひれがついて勝手に歩き回る。

 本人の目の前で「怪物」呼ばわりされるとは、私でも少し傷つくんだけど。


「それ、本気で信じて来たわけ?」


「え……」


「そんな、いるかどうかも分からない『怪談』のために、命を危険に晒すんじゃないわよ」


 声を荒らげないよう、自制して告げる。

 一歩間違えれば、こんなかわいい女子高生で親が金持ち。

 拉致され、(もてあそ)ばれ、その様子を動画に撮られて一生を奪われる地獄になりかねない。


 裏路地への侵入は、お嬢様にとっては自殺行為に等しい。

 彼女の肩が小さく震え、涙が頬を伝う。


「ですが……罰ゲームでしたから、断れなくて」


「そのくだらない遊びで、あんたは人生をドブに捨てるところだったんだよ。――馬鹿なの?」


 私の辛辣な言葉が、静かな裏路地に響く。

 彼女は、びくりと身を竦めたが、言い返す言葉は持たないようだった。

 それでも、彼女は消え入るような声で補足した。


「ですが……世間を知らなければいけない、と思ったんですわ」


 世間を知る、ね。

 極端すぎるだろう、この学校の生徒は。

 彼女の制服のリボンに目をやる。

 私と同じ、白壁女学院の制服で同学年か。

 一週間潜入したけど、全校生徒を把握しているわけじゃない。

 別のクラスだろう。


「あんた、名門のお嬢様なんでしょ」


「……はい」


「あんたらの世界に、あんたらなりの苦労があるのは分かるわ。でもね」


 言葉を区切る。

 彼女の瞳が、私をじっと見つめてくる。


「こんな『底辺』を覗き見る必要はないの。自分の場所を大切にしなさい」


 自分の住む世界を「底辺」だのと呼ぶのは、あまり気分のいいものではない。

 私自身はこの淀んだ空気も嫌いじゃないけれど、

 光の中にいる人間が、わざわざ泥を被りにくる必要はないのだ。


「……あんたはお嬢様なんだから。こんな場所、二度と来ちゃダメ」


 ぽつりと漏れた自分の声が、自分でも驚くほど低く、苦いものに聞こえた。

 私は小さく息を吐き出し、強引に話題を切り替える。


「私はカウンセラーじゃないわ。言いたいことがあるなら言いなさい。誰も見てないから」


 空高く、千景が操作するドローンの微かな駆動音を感じる。

 小さなプロペラの回転音が、夜の空気に溶け込みながら、頭上を旋回している。

 彼女は気づいて無いみたいで、重い口を開いた。


「最近、父の会社が危ないらしくて……。今までの生活も維持できない、学校も転校になるかもしれないって……。周りのお友達にも相談できなくて」


 なるほど。白壁女学院。

 学費も、社交費も、維持するには莫大な金がかかる。

 一度転落すれば、今のコミュニティからは弾き出される。

 彼女の声が、震えながらも、静かに路地に響く。


 月光が彼女の頬を淡く照らし、涙の跡が光る。


「だからって自暴自棄になって度胸試し、ってわけ?その罰ゲームもわっざと負けた感じね」


 あきれてものが言えないわ。

 舞でさえ、私の言いつけ通りに表通りからくるのに。


「それに……私には『天使様(エンジェル様)』は来ませんから」


 天使?聞き慣れない単語に、探偵としての嗅覚が反応した。

 背筋に冷たいものが走る。

 彼女の瞳が、月光に揺れて、どこか遠くを見ている。


「いい?ここを度胸試しの場にするのはやめなさい。一生を棒に振るわよ」


「……わかりましたわ。ありがとうございます」


 彼女は弱々しくも、深々と頭を下げた。

 長い髪が肩から滑り落ち、月光に光る。


 そのまま元来た道を引き返そうとする背中に、私は声をかける。


「送っていくわ。……その前に、一つだけ教えて」


「なんでしょうか?」


「『天使様単語(エンジェル様)』って何? キリスト教系の学校だから、そういう教義があるの?」


 単なる宗教的シンボルにしては、親の会社の経営難という現実的な話と結びついているのが引っかかる。

 彼女は、少し迷ったように唇を噛み、それからゆっくりと語り始めた。

 血の涙を流すマリア像、夜の校舎で歌う子供の天使……。

 よくある学校の怪談話だ。

 だが、その最後の一つが異質だった。彼女の声が、路地の暗闇に溶け込みながら、静かに続く。


「――敬虔で、やむを得ない事情で学校を去る生徒の前には『天使様』が現れるんです。そして、今まで通りの生活を保障してくれる……。もちろん、相応の『奉仕』を続けることが条件ですけれど」


 背筋に冷たいものが走った。

 彼女の言葉が、耳に残りながら、ゆっくりと胸の奥に沈んでいく。

 路地の冷たい風が首筋を撫で、汗が背中を冷たく伝う。

 天使様……そんな都合のいい救済措置、聞いたことがない。

 奉仕って何?

 そんなことは理事長からもらった資料には書いてなかった。

 心臓が少し速く鳴り、息が浅くなる。

 

 思考が固まってるなぁ

 裏がありそうで、奉仕って言葉を聞いた瞬間、どうしてもそっちがよぎる。

 ……性サービス。

 一度浮かんだものは、簡単には消えない。

 吹っ切ってるつもりでも、こういう時に限って顔を出す。

 一応後で、玲奈達に聞いてみるのもいいかもしれない。



「……あ。あの、お姉さん」


 思考にひたる私を、彼女が呼び止める。

 彼女の声が、震えながらも小さく響く。


「お姉さんに似た銀髪の方が、最近転入してこられたんです。もしかして、妹さんですか?」


 心臓が跳ねたが、表情には出さない。

 カラコンを外し、まとめてある髪をいつものようにストレートにしただけだから、疑問に思っても仕方がないなぁ。

  私はゆっくり息を吐いて、彼女の瞳をじっと見つめた。


「ん? 私は、こんな場所で暮らしている人間よ。お嬢様とは世界が違う。それに妹なんていないわ。――次は、助けないからね」


 大通りに出ると、入り口で震えていた二人の女生徒が見えた。

 彼女たちの顔はまだ青ざめ、制服の袖をぎゅっと握りしめている。

 私は彼女の背中を、突き放すように軽く押した。

 あの子たちにも何かを言おうと思ったけど、これ以上は、この格好で学校の人間と会いたくはない。


「ほら、お迎えよ」


「あ……」


 彼女は振り返り、もう一度だけ深々と頭を下げた。

 

「私、真雪と言います。……本当に、ありがとうございました」


「名前は教えない。今回はたまたまだ」


 それだけ言って、私は背を向ける。

 事務所へ戻る足取りは重い。

 革ジャケットの重みが肩にのしかかり、足音が路地に小さく響く。

 背後の少女たちの視線が、遠ざかるまで背中に刺さる。


「まったく……。私の事務所周辺が、いつの間に肝試しの名所になってるのよ」


 この表路地には「何があっても一般人には手を出すな」という暗黙のルールを作ってもらった。


 事務所を構えた際はひどかった。

 何度私襲われたことやら、全部お仕置きはしたけど。

 ナイフを振り回す連中、路地の壁に背中を押しつけられて、息が詰まる距離で脅された夜が、何度もあった。

 全部返り討ちにした。


 さすがにこれでは、依頼者がこないとわかったので。

 この街の顔役の笹原さんの事務所に顔を出して挨拶をした時にお願いした。

 彼とは以前の現場で知り合ったのもあってすんなり通った。


 今思ったけど、私の事務所に依頼がほとんど無いのはこういう事情だからかも。

 安全は守られてると言っても、どこまで浸透してるのだろう。

 でもほかに移動しようとしても家賃が高いから無理なんだよね。

 そんな事情からか、妙な尾ひれをつけて『赤目の悪魔』なんて伝説になっているとは知らなかった。

 私は小さく息を吐いて、路地の壁に背中を預けた。


 失踪事件、そして不可解な自殺。

 さらには学園の近辺で頻発する、ホームレスたちの不自然な死。

 白壁女学院の清廉な校舎の裏側に、どろりと嫌な粘り気を持った闇が広がっている。

 そんな確信に近い予感が高まっていた。。


 一つ一つを分解すれば、都会の片隅に転がっている「よくある悲劇」に過ぎない。

 だが、これほど短期間に、同じ現場へと引き寄せられるように重なるのは、もはや偶然の範疇を超えている。


 肺に溜まった物を吐き出すように、ゆっくりと息を漏らした。

 真雪が教えてくれた『天使様(エンジェル様)』という甘い響きの毒。

 奉仕、救済、失踪、そして自殺。

 バラバラなパズルのピースは、まだ完成図を見せてはくれない。

 けれど、胸の奥で増幅し続けるこのざわつきだけは、はっきりと告げていた。

 ――この学園の闇は、私が思っているより深いと。


 スマホを取り出し、待ち合わせをしている玲奈に連絡を入れる。

 指先がスマホを握りしめ、画面の光が瞳に刺さる。

 冷たい画面が指に触れ、通知のバイブが掌に小さく振動する。


 玲奈のアイコンが光るのを見ながら、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 仕事の話もしないといけないけど、今日ぐらいは彼女に十分に甘えたい。


 慣れない学校のストレスがマッハになっているのを自覚している。

 こんな状態ではまともに思考も働かないでしょ。

 

 私は雑居ビルの駐輪場から、愛用の赤色のベスパ50Sに乗って待ち合わせ場所に向かった。

 エンジンの低い唸りが夜の路地に響き、シートに座った瞬間、革の感触が体に馴染む。


 ハンドルを握ると、冷たい金属が掌に伝わり、

 アクセルを軽く捻ると、風が顔にぶつかってくる。


 銀髪が夜風に煽られ、気持ちがいい。

 街灯の光がバイクのボディに反射し、赤い車体が闇の中で鮮やかに光る。

 エンジンの振動が体に響き、疲れが少しだけ和らぐ。


 玲奈の顔を思い浮かべると、口元が自然と緩む。

 早く彼女に会いたい。

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